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アクセルの意気地記 第20話 こと子と言葉

喋り始めるとホントにそれまでの幾倍も可愛くなりますよ、と以前同僚に言われたのを、私はまあそうでしょうね、とクールに聞き流し、落ち着いたフリを装っていた。が、いざ、娘が言葉を覚え、そして声に出して発話し始めた時の興奮は、私の想像を軽く越えていていた。何とも言われぬ。超絶いとおしい、とでも申そうか…。

感激してるのも束の間、こと子が、単語と単語を結びつけて文章にして声を発するようになるのに大して時間はかからなかった。保育園の影響も大いにあるのだろう。

この発話のメカニズムを分析すると、子どもは大人や周りの子どもの会話に耳をそばだて、どういう状況でどういう言葉や文章が話されているのかを注意深く観察する。そしてまず真似てみて、それが周りの人に理解されたことが分かると味をしめ、それらを覚え、のち応用し始める、という流れをたどっているように見える。

そのように思ったのには、私の(大して熱量のない)英語学習と、そのメカニズムがほとんど同じであると感じたからである。私は外国人が滞在するシェアハウスで物件管理の仕事をしているのだが、日常会話程度の簡単な英語力を求められる。働くのに、厳格な英語力の審査がある訳ではなく、海外旅行に行ったことがあり、ホントに片言でも、とにかく外国人と簡単なコミュニケーションができれば、まあ務まる仕事なのではあるが。

私は大学4年まで英語を学んでいたが、海外旅行に行って、初めて自分が全然英語が話せないことが分かり、ジェスチャーや度胸の重要性を噛み締めたクチだが、この仕事を始めて、以前よりは英語のヒアリングに少しは慣れてきたような気がする。

職場内にも外国人のスタッフが多いので、私はスタッフ同士の英語の会話や、お客さん同士の英語の会話などに耳を傾け、どういうシチュエーションでどういう言葉が使われるのかに耳をそばだてている。全然成長しないなぁ、と思っていたけど、初めて海外旅行に行った時と比べればある程度進歩したような気がするのだ。

そんな私の(不真面目ではあるが)英語の勉強と、こと子の言葉の吸収は、ノウハウがどうも似ている。1歳時の頃にこと子が「よいしょ」という言葉を比較的早い段階で覚えたのは、保育園の先生達がこと子を持ち上げる時によいしょ、よいしょと言ってたからに違いない、と踏んでいる。

よく会ったり、よく話したりする友人や同僚の言葉遣いが、気がついたら移ってしまった、なんてことがあるが、ゼロから言葉を覚える幼児にとっては周りに現れる全ての人が言葉の先生となる。だから保育園の園児や先生、それに私やピーさんが師となる訳だが、1番近くにいるピーさんの影響は当然大きくなっていて、ピーさんと同じイントネーションで、同じセリフをこと子が言ってきたりするのだから、それが可笑しい。

何か許可を求めた時の「うん、いいよ〜」、何かお願いした時の気の抜けた「はーいっ」という返事、私がヘンテコな表情をした時の「そ〜の、か〜おぉ」、などなどである。

言葉の先生になるのは人間だけじゃなくて、今の世代の子たちはインターネットやスマホの影響が計り知れないことは誰も否定しないはずである。ネットもスマホも、こと子は気づいたら大好物になってしまっていて、悲しいかな私もピーも、それぞれのレベルでなるべく見せないように努力をしている。

それでもとにかく便利なので時々見せる。その間に自分のことをやる、といった具合である。

しかし、そのこと子のケータイ(スマホ)への執着といったらなかなか凄いものがある。彼女にとってのケータイはアイフォーンの写真アプリのみなのであるが、1度開いたら1時間くらいは平気で見てる。写真アプリといっても好物は動画で、今まで私やピーさんが撮った動画を際限なく見返しているのだ。

スマホ世代とはよくいったものだが、タッチパネルの使い方などお手の物で、ダブルクリック、上下左右のスワイプ、大人が教えなくてもあっという間に使いこなしていること子がいる。動画を見ながら、私宛てのLINEが入って、小さなポップアップのメッセージが画面上部に表示されるや否や、それを人差し指でもって、スッと上へなぞって画面から消し去った、その所作を初めて見た時は驚いた(スティーブ・ジョブズはとんでもない利器を発明したものだ…)。

スマホやネットの依存はどうかと思う反面、親がそれらに依存している矛盾もあり、そういうものから言葉や社会のことを学べる側面も否めない。もちろん、活字好きの私としては絵本もないがしろにできないと感じているけどね。

何にせよ、自分の子が脳みそをフル回転させながら喋ったり、喋ろうとしたりする姿、そしてそのあどけない声色とたどたどしさ、それらは全てがいとおしいくくるおしい。

例えば、さっき帰宅した時、まだ靴も脱ぎ切らないで玄関に立っている私に、こと子は「あのね」と言ったのだが、うん、と相槌を打ったら、あのね(うん)…、スヌーピーのね(うん)、リュックにね(うん)、ハンバーグ入ってるの、とどっか明後日の方角を向いて一生懸命に言葉を探しては呟いた。そうなの? と、私は驚いて、そういえば昨日そのリュックの中にこと子と膨らんだ風船をいれたことを思い出し、はて、こと子は風船のことをハンバーグと言ってるのだろうか、と案じながらこと子のスヌーピーのリュックを鴨居から外して中を広げてみたら、昨日膨らんでいた風船が1/3ほどに縮んでいた。

また、さっきは遅い夕飯を食べている私のところに、プラスチック製の腕輪を右手と左手にぶら下げてやってきて、「どっちがいい?」と聞いてくるのである。左手のはオレンジで、右手のピンクのより一回り大きい。私は大人だし男だから左手のオレンジを指差し、こっちがいいな、と返答した。するとこと子はなんとしたものか、右手のピンクのを私の方に少し差し出して、「こっち?」と問いかけるのである。(いやいや)と私は鼻を鳴らし、「トトはこっちがいいな(私はトトと呼ばれている)」ともう1度オレンジの方を、今度は手に持って触ってみると、こと子は、そんなことは聞こえない風な顔をして、「こっち?…こっち?」と、またピンクの方を私に差し出してくるのであった。

と、まあ、こんな感じでこと子との会話は、毎度腹の底から可笑しくなったり、いとおしくなったりするのである。

私は子供を持つまで、この、「いとおしい」というのが、どういう感情なのか分からなかったが、子どもに対して湧き上がってくる感情は、当然今まで体験したことのないもので、「いとおしい」というのはこういう感覚なのかもしれない、と気づいた。覚えたての言葉を1語1語一生懸命喋る子どもの姿はホントにいとおしいものである。
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バンドマンに憧れて 第32話 東京フリーターブリーダー

ラップの歌詞を書いたはいいが、ギターを弾きながらラップをするということは生易しいことではなかった。しかし、当時の私には、成功物語のためなら、我武者羅にやればそれもやれないことはないだろう、くらいに考える若さがあった。

ベースを弾いたことなかったクラッチがベースを弾き、ドラムを叩いたことなかったブレーキーがドラムを叩いているバンドである。パンクやローファイのスピリットは意外にも強靭なもので、私は下手でもいいからトライが重要だと思っていた。

ベースを上手く弾けず、裏拍の取り方が分からず何度も何度もスタジオで、そうじゃない、そうじゃない、とやり直し、とにかく時間をかけてクラッチがベーシストになっていったように、私は私で家で、またスタジオで何度も何度も練習を繰り返してギターを弾きながら歌うことや、また弾きながらラップする、ということを身体に染み込ませようと努力した。テクニックを高めるための練習は嫌いだが、やりたいことのための練習は苦じゃなかった。

ブレーキーにディスられて、その悔しさに、おぞましいボーカルスクールに通ったときのような妙な向上心で、私はロックバンドにラップを取り入れる、という画期的と思われたアイディアをカタチにするために頑張った。

それにその頃の私は「とにかくみんなを驚かせたい」という想いが人一倍強く、ヒップホップをパンクバンドがやったらみんな驚くだろう、と単純に考えていた。そういう野心やモチベーションが、薄給のアルバイト生活を支えてくれていたことも事実であった。

努力の甲斐あって、と言っていいのか分からないが、アホみたいに繰り返し練習してるウチに、リズムの正確さは置いといても、ギターを弾きながら自作の詩をラップできるようになった。

我々はその「東京フリーターブリーダー」という曲を軸に、当時ほかに演奏していた曲や、アルバム用に私が急ごしらえしたボーナストラックをまとめてアルバムを作っていった。

ボーナストラックを多用していたのはニューロティカというベテランパンクバンドの初期の作品に強い影響を受けていたからである。またハードコアパンクの先輩でフィッシュロックバンド漁港やレスザンTVの影響もあり、その頃は、CDの中にふざけた要素がないとダメだと思っていた。赤い疑惑というシリアスな感じのするバンド名のイメージをどんどんぶっ壊したい、という気持ちがあったこともそんな風にさせたのかもしれない。

さて、そのボーナストラックには、夢に向かって生きるフリーターを、サラリーマンがけちょんけちょんにバカにする寸劇や、レゲエ映画「ロッカーズ」に影響を受けまくって作ったナイヤビンギ(太鼓を中心にしたラスタファリアンの儀式音楽)風の曲、そして新宿の街を、ライブでの登場さながらにお囃子しながら手を叩き、歌い練り歩くという、謎のフィールドレコーディングのトラックなどを入れた。

この路上デモのような録音を入れたのには、自分達の音楽をストリート系として位置づけたい、というヒップホップかぶれな思惑があった。普段ライブの登場でやっているオリジナルアカペラお囃子で、新宿を練り歩いたらさぞかしみんなビックリするであろう。ただそれだけのことであった。

当日は撮影隊のオーヤン(後に大変有名になる)の他、エキストラとして、大学からの腐れ縁であるイン研の連中や、ライブで声かけてくれた年下のお客さんなどが集まり、我々のお囃子にしっぽりとついてきてくれた。新宿アルタ前から始めて、東口に向かう横断歩道を渡り、中洲のような、あのステージがある辺りまで「わっわっわっ赤い疑惑!」というリズムで囃して行って最後にアカペラでハモって終わり。

改めてこの映像を見たところ大変迫力のない、三流サブカルバンドという趣きで赤面せざるを得ない内容だった。周囲の人々はビックリするどころか目を背けて素通りといった感じである(ジャケットのブックレットにその時の記念写真があるが、通行人の中で唯一我々のお囃子を面白がってくれたおばちゃんが1人映っている)。

とにかく、そのお囃子の録音データを9曲目に入れて、最後は今でも時々演奏している「何度だって立ち上がってやる」という曲を持ってきて10曲入りアルバムを作った。

この「何度だって立ち上がってやる」という曲ができたのは、とあるライブがきっかけだった。とにかく奇をてらう傾向の強かったその時期は、ライブでどれだけ変なインパクトをお客さんに与えられるか、というようなことばかり考えていたため、際どいことをMCで言ってみたり、ややもすると毒づいたり、そんなことがちょこちょこあったようである。その上に酔いすぎて演奏がめちゃくちゃだったり、とにかく空回りが激しかったり。

それで、その日は馴染みの大学のイン研の連中がライブに来ていて、ライブ後の打ち上げで私は散々みんなにディスられたのだ。具体的にどんな風に非難されたか覚えてないが、とにかく、今日のライブは最悪だった、という訳である。私はそこまで言われるのは初めてだったので正直凹んだ。

腐れ縁のような何にも気にしないで語り合える連中だったからこそ言ってくれたディスである。何度も赤い疑惑を応援してライブに来てくれている連中でもある。酷いライブで彼らも恥ずかしかったのだろう。それはわかった。それはわかったが、悔しくて悔しくて仕方なかった。

また丁度同じ頃、私が反町のビーチボーイズに号泣した折に天使のように私を温かく包み込んでくれた当時の彼女から、赤い疑惑を激しくディスられる、という事件があった。酒が好きで時々ネジが外れることのある人だったが、その日は夜中に泥酔状態で私の風呂なしのアパートにやってくるやいなや、赤い疑惑って一体何なのよっ、と激しい剣幕で私に迫るのだ。

訳が分からない状態でしどろもどろしていた私は最終的には、何でそんな酷いことを言うんだよ、とまたぞろ泣き出してしまう。オトナの男に突然泣かれ、俄かに我を取り戻した彼女が急に、泣かないでよ、そんなに傷つけるつもりじゃなかったんだから、と一転謝り出す始末。

直後に冷静になって話し合ったところ、彼女の古い飲み仲間のY(女性)に、あんたの彼のやってる赤い疑惑ってどんなバンドなん?とバカにするような感じで言われて、彼女は赤い疑惑のいいところを考えて伝えようと思ったのに全然うまく説明できなくて、悔しくて、私に八つ当たりしてきたようだった。だから彼氏のやってるバンドを応援したいのに、赤い疑惑の持ち味に彼女の価値観とリンクしない部分やノリがあるのを、酔った勢いで爆発させてきたのであった。

私がその頃強く意識していたハードコア根性や、アングラ精神、アウトローへの憧憬、訳のわからなさ、愚痴っぽさ、弱音、そういったものを面白いと思えない女性はむしろ普通かもしれない。音楽的なよさや、ユーモア性はさておき、赤い疑惑大好きなの、と女性が言いづらいようなオーラを纏っているかもしれないことは自分でも想像できた。

私はそういった、近い人からの厳しめの評価に、一時的に押しつぶされそうになっていた。音楽で成功しようと思って始まった、先の見えないフリーターライフを賭したバンド人生の第1関門だった。そして必死に考えていた。自分がバンドをやりたかったのは、みんなを元気にさせたいからじゃなかったかな。みんなを、うおー、って気持ちにさせて盛り上がりたいからじゃなかったかな。

アウトサイダーに憧れるあまり、自分の持ち味を腐らせている部分や、捻くれよう捻くれようとするあまりから回ってる部分や、シニカルになり過ぎたり愚痴っぽくなる傾向は、自分が本当に望んでることなのか。

いや、私はロックでもっとアゲていきたいんだ。自分もお客さんもアゲていきたい。そして私は、私をディスってくれた親しい連中の顔を想像しながら、彼らの心も身体も踊らせるような曲を作ってやろう、と思った。何度挫けても立ち上がってやろうじゃねえか、という心意気、自分への応援歌でもあるもの。

その想いと長時間のスタジオ練習が実って「何度だって立ち上がってやる」は完成した。我ながらよくできた曲だ。今まで作った曲の中でも群を抜いてポジティブなオーラに溢れている。ライブでの客の反応ですぐに分かった。この曲をラストに収録して遂に「東京フリーターブリーダー」が出来上がった。

アクセルの意気地記 第19話 おでんくん

まだこと子が1歳になるかならないかの頃、ピーが、「こと子っておでんくんに似てるよね」と言った。私はおでんくんのことを、リリーフランキーが創作したアニメかなんかだろうといった雑な認識でしか把握しておらず、おでんくんの顔もその時ははっきりとイメージすることができなかったので、ふーん、とか何とか答えて聞き流していた。

私は自分の興味のない事柄に関してワザと情報を遮断するような傾向があり(テレビが苦手で、実家でバラエティーなどかかっていると、努めて視線をテレビに向けないようにするなど)、おでんくんもそのように関係のないものとして遠ざけていたかもしれなかった。

そもそも、私はリリーフランキーのことを、何だか鼻持ちならないヤツだ、と思っていたのである。何でそうなったのかというと、私の母が胃がんで闘病していた十数年前に、リリーフランキーが「東京タワー」という、奇しくも同時期に、同じ母親の死を扱った小説を発表して一斉を風靡していたからなのだ。

私は人に勧められて「東京タワー」を読んだのだが、それなりに感動しながらも、何でいっ、オレの方が上等な「東京タワー」を書けるぞ、っと内心ライバル意識をメラメラ燃やしたのである。何を言ってるんだ、と不思議に思うかもしれないが、母の闘病と、それを看病する私の中でも、東京タワーが印象的な思い出として残っているからで、そのことを今説明する余裕も、みなさんの期待もないので省くが、とにかく増長したガキだった20代半ばの私はリリーフランキーを鼻持ちならない存在としてカテゴライズしてしまった。

この客観的には不可解であろう嫉妬と嫌悪は、リリーフランキーという人の持つ、または持っていたサブカル気風からくるものだと思われ、私のようにサブカルやアングラに青春を食いつぶされた人間にとって、その道で成功した著名人に対して、羨望と嫉妬から、何だか鼻持ちならないヤツ、というレッテルを貼ってしまう傾向があったのである。みうらじゅんや中原昌也や町田康などなどなど、アンダーグラウンドから著名になった人への妬みのような感情は30歳くらいになるまで私について回った(大体アングラから著名になる人のほとんどは、相応の才能とオリジナリティ、そして行動力があったればこそ、ということにだんだん気づくのであるが)。

さて、こと子がおでんくんに似てる、という妻の指摘を聞き流してからしばらく経った頃、私は何かの拍子でおでんくんのビジュアルを目撃した。そして、そのつぶらで黒目がちの眼と、のっぺりとして少し間の抜けた風貌、それが確かにこと子によく似てると思った。

それからまた大分時間が経ってこと子が2歳になる頃、おでんくんの絵本を2冊、ピーが何処かで入手してきた。私はその段になって、おでんくんはアニメではなくてオリジナルは絵本だったのか、ということに初めて気がついた。そしてこと子がその絵本をエラく気に入って、それから毎日のようにおでんくんを読まされる日々が始まるのだった。

そうして、おでんくんを読み聞かせるようになってすぐに、私は「おでんくん」が日本の絵本史に名を残す傑作ではなかろうか、ということに気づき、リリーフランキーを見下した自分を恥じた。イラストやキャラのユルさ、親しみやすさ、物語の、バカらしくも愛に溢れる内容…。アニメ化され、ベストセラーになる所以がふんだんに詰め込まれている。不細工な猫のぬいぐるみじゃないが、私はこと子の無邪気なおでんくんへの好意にすっかり感化され、次第におでんくんのファンになってしまった。

私が仕事から帰るのは大体20時から21時くらい。ピーがご飯の支度をしている間、こと子は「いないいないばあ」やケータイに夢中になっていたりするのだが、それらに飽きてきたタイミングに私の帰宅が重なると、待ってましたとばかりに私を捕まえて早速「ねんくんよむ?」と語尾をあげて聞いてくる。語尾を上げるのだが、これは疑問形ではなくて、おでんくん読んで、というおねだりなのである。

こと子はおでんくんのことを最初から「ねんくん」と呼んで訂正することがないのであるが、これは「燃」という名前の私達の大好きな友人に端を発するのではないかと踏んでいる。こと子は私達の友人の幾人かの名前や渾名を覚えていて、その呼び名を時々ポツリと発することがあるのだが、「燃くん」もこと子のお気に入りだ。

「ねんくんよむ?」と無垢な声で尋ねられたらば、差し迫ってやらなければならぬことのない私は断る理由がない。畳の上にあぐらをかくと、その組んだ私の脚を座布団にしてこと子が腰を下ろす。

おでんくんの絵本は2冊しか存在しないらしく、その2冊が我が家にある。それぞれ夢のハナシと愛のハナシで、その時の気分でこと子がどちらを読むか選ぶのだが、今までの幼児向け絵本に比べると文字量が多く、最後まで読むとそれなりに疲れるし、後半はこと子も飽きてきて、開いたページの文字を読み切らないウチにページをめくってしまったり、よそ見をしたりしばしば散漫になる。それでも最後まで読まされる。後半にも1、2箇所こと子のお気に入りのくだりがあるからだろう。

夢を諦めないこと! と夢を見ることの大事さを説く夢のハナシでは、糸こんにゃくのいとこんくんの髪がドレッドで、いとこんくんの夢がジャマイカに行くことであり、そんなマニアックな内容をさりげなく絵本に散りばめるあたり、リリー氏の遊びゴコロにハッとさせられる。おでん屋さんに訪れる青年の、病気の母親の胃の中でガン細胞と闘うおでんくん部隊のシーンでは、こんにゃくが身体の掃除をしてくれる、という自然療法シンパな見識が絵本の中に見え隠れしていて、私はそこでもまたハッとする。

しかし最近のこと子は、夢のハナシより特に愛のハナシが好きらしく、愛のハナシを読むのだが、愛って何ですか、という(私も赤い疑惑の曲で歌っているが)人類にとって普遍的で深いテーマをサラっと取り上げている。毎回私はこと子を喜ばそうと思ってページを捲るのであるが、そこで語られる愛についてのシンプルな投げかけにドキッとさせられてしまう。

冒頭ではまずおでんくんたちがおでん村のお祭りで踊り出す。するとこと子が、「おでーん、でんでん!」とセリフを覚えていて、立ち上がり「トトも立って!」と言うので私も立ち上がって一緒に「でんでーん!」と踊らなくてはならないことになっている。一通り踊るとまた座らされて続きを読む。

愛は人を好きになることだけど、何で好きな人を嫌いになったりすることがあるんだろう。おでんくんはピュアすぎてそのことが理解できないので長老のダイコン先生に相談したり、おでん屋さんのおじさんが好意を寄せるお客さんのココロと対話をしてみたりして愛について真剣に考える。そのくだりを読む私のココロは毎度毎度揺さぶられる。

「好きな人を嫌いになる?」
「好きだったのに?」
「どうして好きだったのにそうでもなくなるんだろう?」
かようなおでんくんのセリフを読む私は側にいるピーさんのことを思い、苦々しいきもちになったりする。嫌いになりはしなくても、一緒に長く住んで時間を共有していれば、付き合いたての恋人のような、好きで好きで、というような感覚はなくなり、また、些細なことでしょっちゅう喧嘩をしている。あんなに好きだった人なのにどうして? とおでんくんとこと子が私に迫ってきて助けを求めたくなる。

子を育てる親たちの絆を取り戻したり、再確認させたり、ちゃんと考えさせるために、それでいてあんまり深刻になりすぎないように、リリーフランキーがおでんくんというゆる可愛いキャラを使って愛についてを問うのである。私はそのくだりを読みながら、(ああ、ホントならもっと奥さんを大事にしないといけないのだ)などとココロを引き締めたり、おでんくんの優しさにジンと胸を締め付けられたりしている。そして最早尊敬の眼差しでリリーフランキー氏のことを想う。土下座してもいいだろう。

こと子のおてんくんブームは今も続いていて、私だけじゃなく、ピーさんも頻繁に読み聞かせているので、遂には序盤の数ページの文章を丸暗記してしまった。まだ文字を読む年齢には早いはずだが、誰も読んであげられる人がいない時、1人でページをめくって物語を暗誦していて私を驚かせた。

なんでも知ってるつもりでも
ホントは知らないことがたくさんあるんだよ
世界のふしぎやいろんな奇跡
もしかしたらそれは
おでんたちのしわざかもしれないのです!

さも誰かに語り聞かせているかのような、地声より一段も二段も調子を上げた、ソプラノトーンで暗誦すること子の声が今日も狂おしく聞こえてくる。

アクセルの意気地記 第17話 不細工な猫のぬいぐるみ

我が愛しのこと子は女の子だからだろうか、キャラクターや人形、ぬいぐるみに対しての反応が頗る強く、そしてまた不思議なことにこと子が可愛がるモノに対して、私も次第に次第に心が動いてしまうようだ。最初にそれを感じたのはこと子がまだ乳幼児の頃に着ていたミッフィーのロンパースである。

さすがに乳幼児のこと子がミッフィーに対して特別な愛情を表現していた訳ではないのだが、今まで一瞬足りとも思ったことのない「ミッフィー可愛い」という情動が私の中で巻き起こった。これは作者のディック・ブルーナの採用した色使いが私の好きな色彩感と似ていたこともあったかもしれない。しかし、それ以降ぬいぐるみを握ったりするようになってから、こと子が愛情表現を示したぬいぐるみやキャラクターに対して私の心は開かれ、次第にそういった対象への私の愛情が、いちいち芽生えていくのを禁じ得ないのだ。

プーさん、スヌーピー、ガーフィールド、羊のショーン、アンパンマン、ミッキー、キティーちゃん、その他名もなき人形やぬいぐるみたち。何しろ、幼児のそのような愛情表現は無垢でストレートであり、さらに母性をも感じさせるのである。私はそんな幼児が発動する母性というものに釣られているのではなかろうか…。

さて、我家の生活圏は、長年生活をしている田無界隈ということになるが、自宅から駅までの道はこと子を連れて、時にはバギーで、時にはよちよち歩きに合わせて何度も往復してることになる。

私がいない時、ピーとこと子でお出かけの時、その行き帰りの道すがら、住宅街の軒先や、植え込みに置かれてある小人の人形や、タヌキの陶器や、子どもの視線がなければ気にも留めなかったような動物の置物などに、こと子が逐一反応して歩みを止め、なかなか前に進まなくて大変だ、とピーから聞かされていた。私もその話を聞いてからこと子と散歩すると、ワンワンだ、とか、ニャンニャンだ、と口走ってはしばらくしゃがみ込んでそれらの人形やら置物を観察するようになったのを知って愛らしく思っていた。

そんな行き帰りの途上、我家のある北原住宅街の入り口に慎ましやかに営業している寿司屋があり、表に以前から、使われなくなったのか置き去りにされた冷蔵ショーケースがひっそり。そしてその中にクマと猫のぬいぐるみが、お供え物のようにぽつねんと並んで置かれているのを発見したこと子が、その前を通るたびに、クマさん! とかニャンニャ! とか興奮して愛でているらしいことを、これまたピーから聞かされていた。それで実際その寿司屋の前をこと子と歩いた時に評判通りの反応を示して喜ぶのを知った。

そんなある日、大分夜遅くなって、どこかから帰ってきて、ピーとこと子と寿司屋の前まで来て、一通りこと子がぬいぐるみを愛で、さあ、行こうか、となった時、(恐らく)寿司屋の隣のお宅の、年増の夫妻が車を自宅の前に横付けしており、彼らが我々に声をかけた。
「そのぬいぐるみ、よかったら持って行きませんか? それね、お寿司屋さんも知らないうちに誰かがそこに置いて行っちゃったの…」
それを聞いて、家に余計なものを増やしたくない私は嫌な予感がしたのだが、
「ええっ! いいんですか!」
隣で、どれだけそのぬいぐるみのことをこと子が愛しているかを熟知していたピーが、私の意志とは反対に喜びの声をあげた。こと子も何か察したらしく目が輝き始めた。
「お寿司屋さんもね、困ってるみたいだから、どうぞ、是非もらっていってあげて。」
そこまで言われ、ピーとこと子の反応を見るにつけ、私はもう反対意見を表明することはできなくなっていた。ショーケースから取り出されたクマと猫のぬいぐるみはこと子に大事に抱かれ、そしてそれから彼らは我家の一員となった。

そのクマのぬいぐるみと猫のぬいぐるみは並んで置かれていただけで、対の組み合わせになってるわけでもなく、その風合いも大分違っていた。が、背丈がほぼ同じだっため、こと子の中では仲良しのペアとして可愛がられることになった。持って帰ってすぐに、明らかにそれらが対の商品でないことがわかったのは、猫の人形の底に電池を入れる部位があったからだが、そのスイッチを入れると、猫のぬいぐるみは素っ頓狂な声音で、聞こえた音声をおうむ返しする仕組みになっていて私とピーは驚いた。驚いたというよりは喧しくて我慢ならず、すぐに電池を取り出したため、それからはただの猫のぬいぐるみになった。

最初の頃は毎日のように2つのぬいぐるみを可愛がって遊んでいて、その遊び方はままごとの要領に近づいていた。それまで我家でこと子に愛されていたプーさんやスヌーピーやガーフィールドは、いずれもこと子と大して変わらない大きなぬいぐるみだったから、こと子はそれに、ギューと抱きついたりしてゴロゴロ一緒に転がったり、一緒に眠りに就いたり、そういう愛され方だったのだ。ところが、ふと気づくとクマさんとニャンニャが向かい合わせで見つめ合っているように置かれていたり、仲良くご飯を与えられていたり、明らかに魂を吹き込まれ、生命を与えられたかのような遊び方に変わっていたのだ。ちょっとした変化だが育てている側からするとビックリするし、ジーンとする。まだまだ思うようにいかないとすぐに泣き出すこと子が、ぬいぐるみに母性を発揮し始めたのである。

クマさんとニャンニャは家で遊ぶだけでは飽き足らず、最初の頃は、お出かけのたびにかならずこと子が「一緒に行く!」と言い張って、2人(匹)を連れて行かないと納得しない時期もあった。ピーさんが、落とすから気をつけて、と何度も何度も注意していたのを思い出すが、こと子は時には片手で誰かの手を握り、反対の手を肘から曲げて、2人を並べて、胸と腕で器用に挟みながら慎重に歩いたりしていて可笑しかった。

その白いクマのぬいぐるみはお腹のあたりに、綿の入った赤いハートのクッションを両手で抱えている。ハートには「LOVE」と刺繍されており、顔もまたいかにも子どもが可愛がりそうな愛らしいそれを備えている。

一方、電池式の猫のぬいぐるみは茶トラ模様で、右目と左目の位置が対象じゃない。対象じゃなくても可愛いものは可愛いかもしれないが、この猫は大目に見ても可愛いとは言い難い。むしろ不細工、という言葉がぴったりのような気がする。

しかししかし、それでもこと子がその猫のぬいぐるみを執拗に可愛がるので私は段々とその猫の不細工なぬいぐるみに愛着が湧いてきてしまった。そして今では単純な愛情へと変わり、不細工なだけに余計に積もってしまったかのようなその猫のぬいぐるみへの愛情に自分自身がハッとしてしまう今日この頃である。

バンドマンに憧れて 第29話 アクセル飲酒運転で骨折

赤い疑惑が「東京サバンナ」をリリースした当時、数少ない友達バンドとして親交を深めていたのがWE ARE(後にWE ARE!と名前を改める)というバンドだった。彼らのライブを武蔵境のSTATTOというライブハウスで観た時、ボーカルの周平はminutemenという私が最も好きだったUSHCのバンドTシャツを着ていた。当時交流のあった同世代のHC系バンドの中でも、minutemenの話で盛り上がれるバンドは他にほとんどいなかった。

彼らのライブは完成度も高く、また彼らにしか出せないであろう抒情的な雰囲気もあって私は気に入ってすぐに話しかけたのだ。話してみると彼らは東村山の高校の同級生で結成されていて、私の地元田無とも近く、育った環境が近かったこと、またレスザンTVやSSTなど音楽の趣味も、また映画や文学の趣味なんかも近くてすぐに仲良くなった。

WE AREの楽曲は日本語の文学的薫りを多分に孕んで、またメロディーもキャッチーだったので、私も周りの連中も彼らはブッチャーズのようなビッグなバンドになるんじゃないか、という期待と羨望の眼差しを向けていた(実際数年後ブッチャーズの吉村さんにひどく気に入られたのだ)。WE AREとは数カ所のライブハウスやスタジオで共同企画イベントをやったり、後年discharming manのエビナさんの企画で、一緒に北海道にツアーに行ったりもした。当時圧倒的な文学センスとグルーヴセンスでイースタン・ユースにフックアップされて人気を博していたfOULというバンドに心酔していた点も赤い疑惑とWE AREは共通していた。

その頃まで仲良くしていたHC界隈のバンドでWE AREのように、曲調は捻っていても日本語詞で勝負してるバンドは他になかったので、私は周平はきっと売れたい願望があるのだろうと思い、同士をみつけたという気持ちで1度腹を割って話してみようと渋谷のマックでサシで話をした。

私はストレートに「WE AREは売れたくないの?」と聞いたのだ。これはパンクスの間で「売れたい」ということを表明するのはダサいことだ、という共通認識があったため、私はあまり表に「売れたい」ということを漏らしてこなかったが、彼なら分かってもらえるんじゃないか、と思って聞いたのだ。すると周平はきっぱり「いや、そういうのはないですね…」と迷いなくそう答えるので私は調子が狂った。何故みんな商業的成功を目標にしないのか…。

私は期待していた答えが導き出せず困惑したが、周平とはそれ以降そういう野暮な話しはしたことがなく、WE AREとも以降音楽スタイルの変遷もあり、少しずつ距離ができていった(WE AREのベーシストOJとはその後深い付き合いになるのだが…)。

その頃、対バンで知り合ったバンドでドブロクという、これも日本語詞ロック(恐らく英語で歌うインディーズバンドが多かった当時の状況から生まれた言葉だろう。当時サンボマスターというバンドがその形容で爆発的人気を得てメジャーになった)のバンドがいた。彼らはパンクHC界隈とは無縁だったこともあり、いい曲作って売れたい、という欲望が見え隠れしていたし、むしろ、それはバンドマンにとって真っ当な姿にも見えて、頑張ってる姿が健気で素敵にみえたし、人懐こい連中だった。

そのドブロクが赤い疑惑のこと、そして私たちのパーソナリティーのことをエラく気に入ってくれて、以降何度かライブに誘ってくれた。そして、そういう流れで一緒に関西ツアーに行こう、というお誘いをもらうにいたった。我々はアメリカのパンクやインディーシーンの影響を強く受けてたので、バンドの成功には必ずツアーが欠かせないと思っていたが、ツテがなくてそれまでツアーとは無縁だったのだ。

しかし、このツアーの直前に事件が起きた。いや、正確に言うと事件ではなく、事故。いや事故というよりただの自爆なのだ…。

ツアーを数週間前にしたとある日、私は当時付き合ってた彼女を誘って大井町に原付きで出かけた。大井町に変な酒屋があって、そこでは店頭で酒が飲めて、面白い雰囲気なんだ、と私は彼女に説明していた。私はそういう店を角打ちというのだと、当時は知らなかった。

そもそも酒を飲みに原付きで繰り出してるという時点で大バカ者であるが、私と彼女はその店でビールを飲み、そこに屯する酩酊オヤジ達と楽しく語らった。

もともと酒が飲めるクチではないから、飲んだといってもビール1、2本だったはずで、時刻は夕刻、私と彼女はまた原付きにまたがって途中で別れた。確か彼女は松陰神社前の自宅に帰ったか用事があったかで別々の道だった。別れる時彼女が、眠そうにして運転してる私に「ちょっと、しっかり運転してよ!」と言ってたのを覚えている。

私は酒が弱いだけでなく、ちょっと飲んだだけで眠くなってしまうのであるが、そういうことを理性的に判断せずにその日は飲酒運転で環七を北上していた。案の定、睡魔に襲われていた。コンビニでもどこでも停車して休めばいいものの、私は運転を続けた。次の瞬間、ふと眼を開けると三車線1番左レーンを走っていた私の目の前に、路肩寄せで紺のワゴン車が停まっていた。認識した時既に遅く、突撃しそうになるのを何とかかわそうとハンドルを右に切ったがバランスを取ろうとしたと思われる左足のスネをしたたかにワゴン車の右後方部角にぶつけてしまった…。

ゴンッ、と鈍い音がしたのと同時に左足の激痛を感じて私は原付きを左の路肩の方に寄せて停めた。ハンパじゃない痛みに全身をよじらせながらも、私は車に人が乗っているかどうかを確認したが誰も乗っていなかった。そして自分のスネを強打したであろう車体の右後方部を軽く確認し、目立ったキズがないことが分かるとすぐさま原付きに跨り、その場を去った。社会的自覚というものがほとんどなかった私は事故をなかったことにしなければならなかった。

西荻の自宅まで帰る道すがら激痛はなかなか治らなかった。家に戻って改めて患部を見ると早くも大きく膨れ上がっていた。しかし、それでも一応歩けるのだから骨は折れてない、ただの打撲だろうと思いこませた。病院嫌いの萌芽をみせていたこの時期、私は「病院に行くほどじゃない」と思い込む必要があった。

2日、3日と経っても、腫れは治らず、強打したスネ部分を中心に、膝から下が全体的に膨れているように見えて妙な気分になった。しかし歩けるのでバイトに通い続けたが4日、5日と経るウチに今度は晴れ上がった部位が内出血で赤紫色になり始め、その色はどんどん足の甲の方へ広がっていった。そして遂に歩くと膝の下から足の甲にかけて、チャポチャポと皮下が蠕動するように感じられるようになり、さすがに怖くなってきた。

ちょうどそのタイミングで赤い疑惑のスタジオがあり、夏だったので短パンでスタジオに行くと、クラッチとブレーキーが私の足の異変に気付いて、
「ちょっと、それヤバくない?今すぐ病院行った方がいいよ」
どちらからともなくそう言うのだ。私は言われた途端に不安が爆発したような気持ちになって、
「やっぱ、コレヤバいよね?だよね…」
練習は中止。すぐさまタクシーで、救急に駆け込んだ。対応してくれた女医は私の足を見て、決まり文句のように、何でもっと早く病院に来なかったんですか、と言った。そして、レントゲンを撮って、
「スネを複雑骨折していて、そのキズが内出血になり、血が止まらずにスネから下に血の膿が足の甲にかけて流れていって溜まってしまってます。少し遅ければ壊疽していたかもしれません。」
と叱りつけるように私に言った。
「でも今から手術して血の膿を管から吸い上げれば大丈夫ですから…」

壊疽?壊疽って足が腐って切断しなきゃいけないヤツでは…?一瞬気が遠くなりそうだったが、もしスタジオ練習の予定がなく、もう何日か放っておいたら私は足をなくしてしまっていたのかもしれない…。すぐに病院に行けと言ってくれたメンバーに感謝してもしきれぬ気持ちと、何とも間抜けな自分に呆れる気持ちで頭がクラクラした。

それから私は1週間ほど入院しなければならず、楽しみにしていた関西ツアーは出演キャンセルせざるを得なくなった。更に入院費用が払えず、強がって独立をアピールしていた親に借金しなければならなくなった。もちろん、飲酒運転して怪我した経緯は伏せて、病院や親や保険屋には、運転ミスでスネを電柱にぶつけた供述をしたりしなければならず、なんとも不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。

ちなみにこの顛末の中で作ったのが「バカに塗り薬」という初期の名曲である(自分で言うな)。自分のバカさ加減に辟易し、親に対して潰れた面目と、鬱屈した気持ちを2ビートのハードコア風な曲調にぶち込んだ。ちなみに居眠り運転で事故ったのはこの時が最後ではないのだが…。その辺のことはまた後記に譲りたいと思う。
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