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東京チムレンガ vol.1

ジャポニクスのショーゴさんから、12月に来日するバンドの、
ツアーサポートを赤い疑惑やらないか、と仄めかされたのは3ヶ月ほど前であったか。
ショーゴさんには日頃、大変お世話になっているので、
これは、と思い、快諾し、久しぶりの赤い疑惑企画を立ち上げるに至った。

自主企画というものは現在、インディーバンドにとって必要不可欠な存在だ。
自分達にとって対バンしたら有意義だ、と思われるアーティストを集め、
お客さんに自分達の色や空気や友情を感じてもらい、
成功すれば確実にファンを増やすことに繋がる。

我ら赤い疑惑も過去に「夢よ!もう一度!」というシリーズ企画をやっていた。
社会に飛び出して、世間の荒波に揉まれて、バンドもパッとせず、
歯がゆい思いをしていた頃、誰かトモダチにもらった大阪土産かなにか、
タイガースグッズのジャンク菓子の包装紙に
「夢よ!もう一度!広沢克実」とあった。
オレは小学生の頃はヤクルトスワローズの大ファンで、
当時ヤクルトの2大スターだった池山と広沢は無条件に尊敬していた。
広沢は阪神の前はヤクルトにいたのだ。
ヤクルト時代の全盛期は池山とともにホームランをガンガン打っていた広沢だったが、
気づいたら人気も成績も低迷し始めて、その後オレの野球熱がロック熱に変わってからは、
オレも野球のことに一切興味がなくなって、
それからの広沢のことはあまり知らないが、
恐らくもう年だし往年のチカラを発揮するなんてことは
もうもはや不可能であることは百も承知であろうに、
「夢よ!もう一度!広沢克実」と決意表明をしてみせる広沢克実野手に、
必要以上な感情移入してしまったバカな私がいた。

別に広沢じゃなくてもいいけど、「夢よ!もう一度!」という、
単純純粋無垢で、前のめりにドリームを夢見ている(ドリームを夢見るとは変だが)
といったようなそのスローガンに、本能的にグッときてしまい、
丁度日本語ロックの抽象的歌詞表現に苛立ちを覚えていたオレは、
大変にこの言葉が気にいって、結局企画の名前にしてしまった。

「夢よ!もう一度!」は数回やった後、結局三日坊主でやらなくなってしまったが、
その記念すべき第一回「夢よ!もう一度!」に赤い疑惑が集めたメンツは、
二階堂和美、降神、spedial others、group_inouといった錚々たる顔ぶれだった、
今ではメジャーな存在になってしまったヤツらばかりだ。
企画をしたオレたちがメジャーな存在になっていないのはおかしなハナシで、
これは今でもバンドメンバーの間でも苦笑の種なのだ。

さて、話し戻って、今回ショーゴさんの言葉に触発されて改めて赤い疑惑企画を考えた時、
企画タイトルに「夢よ!もう一度!」はそぐわないゾ、と思った。
「夢よ!もう一度!」というコトバは今でも滑稽でいい名前だとは思うが、
その企画名を命名した時のオレがバンド活動に込めていた気持ちと、
今現在のオレがバンド活動に込めている気持ちにギャップがあると感じたからだ。
それで思いついたのが「東京チムレンガ」だ。

早速オレがシンパシーを寄せる数少ない東京のバンドとDJを集めた。
ディエゴのクボ君も、シャムキャッツのナツメ君も、
ブレイクファストのモリモト君も、RYO君もアメちゃんも、
「赤い疑惑の企画に出てくれないか」というオレの誘いに、
2つ返事でオーケーをくれた。
2つ返事でオーケーを出す、というのはレアなことであり、
みんな赤い疑惑のことを信頼してくれている、
ということが何だか伝わってくるようでオレはものすごく嬉しかった。
みんなホントに素晴らしい人間性をもった人々なんだ。

フライヤーを頼んだのは、
2008年にオレが衝撃を受けたDJクルー、未来世紀メキシコの
ビジュアルワークを担当しているアルイである。
アルイの作るフライヤーには今までに見たことないような
大胆な発想と絶妙なセンスが潜んでいた。
だから、赤い疑惑のフライヤーをいつか頼んでみよう、
と企んでいたので、やってくれないかな、と頼んだら、
これまた2つ返事でオーケーだったので、
オレはまたまた嬉しくなってしまった。
協力してくれる人間がいっぱいいることが奇跡のようだ。

アルイとは実際に会ってハナシをして、
オレがこの企画に込めている想いと、チムレンガの意味を直接伝えた。
アルイは質問を交えながら真剣にオレのハナシを聞いてくれた。
それで数日後できたのがあのフライヤーで、
アルイがイメージした「東京チムレンガ」は、
オレのイメージと見事にリンクするところがあったので、
嬉しくて印刷サイズをフライヤーとしては些かデカいA4サイズにして刷った。
インパクトを出したかったのだが、デカ過ぎたかもしれない。

フライヤーができて嬉しいのでいろんな人に配り始めたら、
貰ったトモダチは「チムレンガ」って何、と口々にするようだった。
オレはいちいち、それは、と言って説明を始めるのだが、
大体話し終わるとみんな「へえ~」と嘆息をもらして感心していた。
トウキョウチムレンガ、って響きがいいね、と褒めてくれる人もいて、
オレも何だかワクワクした。

チムレンガというのはジンバブエの言葉だ。
「蜂起」という意味合いのショナ語(ジンバブエの言葉)だそうで、
白人の支配や独立後の独裁政治に対する民衆の「蜂起」をチムレンガと呼んだ。
ジンバブエの英雄(でありオレの英雄)トーマス・マプフーモは
そういった民衆の権利や悪政を歌い続けた闘争の士であり、
彼が作り出した独特の音楽(それはしばしばチムレンガを支持した)は
チムレンガ・ミュージック(闘争の唄)と呼ばれるようになり、
そういう一連の事実とマプフーモの音楽、それにチムレンガという言葉を知ってからというもの、
それらの存在はオレの頭から離れず、レベルミュージックという言葉と併行して、
オレが音楽を作る時の拠り所になっていった。

オレは昭和、平成をまたいで、生を受けてから30年という歳月を東京で過ごした。
東京には、今思うと、何でもあった。
モノが、ありすぎる、という程あった。
安定した治安もあった。
「夢を持って自由に生きろよ」というスローガンは当り前だった。
オレはそんな日本で、夢を持って自由に生きようとしていた。
だけど年を重ねる毎に「夢と自由」という言葉を疑い、
恵まれた国、先進国日本、資本主義日本を疑うようになった。
母親がガンになって死んだ時、オレの中で何かが決定的に変わった。

確かに日本、そして東京には不満を漏らせないほどの文明と情報があり、
衣食住ですら、大きな不運に恵まれないかぎりは保証されているようだった。
だけど、オレが過ごした20代と、その10年間、オレの眼に映った東京は、
なかなかシビアでグレーだった。
しかし「不満は漏らしてはいけない」というような社会体制ができ、
漫然と保たれているかにみえた日本の平和と
その裏で常に不安定であり続けた日本の因習政治は、
若者に「何をやってもムダだ」というような意識を洗脳的に植え付けた。

オレも「何をやってもムダだ」という虚無主義にとりつかれていた。
しかし、そんな刹那的虚無主義のオレでも、バンドをやり、
歌を唄うという行為には、なにか象徴的な運命的なモノを感じるようになっていた。
トーマス・マプフーモの唄声に触発されたオレは、
その意味と運命をさぐりつつ、東京における闘争の唄を模索した。
こんな曖昧な自分自身を何とか前向きに鼓舞する歌を歌ってみたい。
そしてそれが、それこそがオレが社会に果たす小さな貢献になれないものだろうか。
オレを、みんなを、過保護に包み込んでいるかのようにみえる社会に対する、
何らかの意志表明になれないものだろうか。

時は年の瀬12月26日土曜日。
オレが中高生の頃から慣れ親しんだ街吉祥寺。
北口風俗街をくぐり抜けた路地にWARPがある。
クリスマスをモノともせずオレたちは
オレたちのチムレンガ・ミュージックを鳴らすのである。
みんなの参加を心より待つ。

東京チムレンガ

オレたちの道

オレたちはいつの間にか完全に独自の道を歩み始めていた。
バンドを始める頃はこういうバンドになりてえ、
という理想のバンドが幾つも浮かぶモノだ。
オレはそもそもジュンスカイウォーカーズのステージを見て、
それでバンドマンになろう、と決意したほどの、
以前はロマンチストだったのだ。
今オレがバンドでやっていることは
ジュンスカイウォーカーズとは全く異質なもので、
これだけ異質なものになってしまった自分にも呆れてしまう。
でもナルチシズムのことだけ考えれば、
遠からず近からずなのかもしれない。

オレとクラッチとブレーキーは毎週一回会って、
スタジオに入って、ということを続け、
そして常に現状の音楽シーンに満足していなかった。
これもバンドマンとしては珍しいことではないのかもしれないが、
オレらの孤立感は特別だったと思う。
オレたちはレゲエとヒップホップに衝撃を受けた後、
いろんなワールドミュージックを聞くようになった。
だけどオレの不器用さのパーソナリティーは、
いつも何かっぽくなることを自然と回避してしまっていた。
ライブハウスで見る対バンの音楽には、正直なところ、
こころよい反応ができない、という妙な時期がずっと続いた。
もちろん素晴らしいと思えるバンドも数えるくらいはいたのだったが。

ある日オレたちはお好み焼きBARに居た。
前から知っているところといえばそうなのだが、
いまだに謎の空間ともいえそうな、不思議なところだった。
ごく親しい人間が次第に集まってきて、
十五人くらいで満席になってしまった。
オレは月賦で買った十二万円のガットギターを握り、
クラッチはいつも通りエレキベースを握り、
ブレイキーは何故か電子ドラムの前に腰をおろした。
客、いやオレのトモダチ達は一曲毎に喚声を上げて喜んだ。
不思議のようでもあったが不思議でない気もしていた。
何しろオレ達は適度に酔っぱらっていたからだ。
その日、偶然にもカメラを回したオトコがいたな。
世の中というのは本当に不思議なものだ。


赤い疑惑×EKD インタビュー by 萌芽(京都)

5月某日 吉祥寺某所
京都のイベント『萌芽』のスタッフによるインタビュー。
面白い内容なので、すげえ長いけど主催者の了承を得てここに全文掲載。
最後はEKDとのセッション映像をお楽しみにください。

インタビュー 前編 中編 後編 映像

アクセル長尾(以下・長):今日はどんな感じなんでしょうか?
―京都の人々に、赤い疑惑とEKDのことをもっとよく知ってもらおう、みたいな感じです。
長:なるほど。
―たぶん話があっちゃこっちゃ飛ぶと思うのですが、いろんなことお話できたらと思います。よろしくお願いします。
赤い疑惑・EKD:よろしくお願いします。
―それではまず、自己紹介を。赤い疑惑、ギターボーカルの…
アクセル長尾(以下・長):あ、はい。アクセル長尾です。
―下のお名前は…
長:えと、玄武です。玄武と書いて、はるたけ。
―あ、だからげんちゃんって呼ばれてるんですか。かっこいいお名前ですね。
長:親父がつけたんです。
―国語の教師の…
長:あ、はい(笑)。よくご存知で。
―ええと、では、お隣に座ってらっしゃるベースの…
松田クラッチ(以下・松):松田クラッチです。
―下のお名前は…
松:健志です。健康の健に、志村けんの志で…
―たけしさん。
長:多いよね。たぶん。松田健志って。
松:グーグルで調べてみたけどそんなに多くなかったよ。
―あ、ググったんですね。
松:はい。…(笑)いや、最初は松田太郎になる予定だったんですけど…母親の強い意向で健志に。
―はは。強い意向。松田太郎もいいお名前ですけども。ええと、ではドラムの…
沓沢ブレーキー(以下・沓):ドラムの沓沢ブレーキーです。
―沓沢さん。
沓:沓沢亮です。なべぶたの亮。
長:こいつ、自分の名前気に入ってるんです。アルファベットで書いたらちょっとかっこいいとか言って。
沓:いや、あ、はい(笑)。でもあだながつけられづらくて、ちょっと困りました。
―ははは。…では最後に…
EKD(以下・E):EKDです。
―池田さん。
E:あ、はい。池田です(笑)。
―やっぱり池田さんだからEKDなんでしょうか。
E:はい。
―池田さんは下の名前は…。
E:大樹です。大きな樹木で…。
―よくECDと間違えられませんか。
E:いや、間違われはしないですけど…(笑)。
―うちのスタッフでEKDのレビューを書いた者が、初めECDやと思って音源聴いてたらしいんですね。しばらくして、「なんかちがう」と気づいて、「あ!EKDや」とびっくりしたらしいです。
長:「埼玉のラッパー」って映画に、TKDっていう人物が出てた。タケダさんなんだけど。
沓:友達にTKCっていうのがいる。たけしで。
―いろいろいるんですねえ。
E:みたいですねえ。
―ではあの、赤い疑惑の結成時の話から、と思うのですが。元々は長尾さんと松田さんがバンド組んでらっしゃったんですよね。
長:はい、GUTSPOSE(ガッツポウズ)というバンドを高校からや大学在学中ずうっとやってて、卒業と共に解散しました。
―長尾さんと松田さんと…。
長:あと二人。その二人が、就職組だったんで。俺はそれが許せなかったから…。
―許せなかったんですか(笑)。
長:辞めろ、と。
―就職を?
長:バンドを。何か、続けられるんなら続けるとか言ってたから。
松:いや、でも今聞くと、辞めるつもりだったらしいよ。バンド。
長:あ、そうなの。
―はは。
長:で、松ちゃんは、こうするとかこうしないとか、元々決めない人だったから、そのまま(笑)。
松:はい。元々はボーカルだったんですよ。メインの。
―へー、そうだったんですか。
松:歌詞を持たないボーカルでした。決まったフレーズは曲にそれぞれ2、3個だけで。
―あとはアドリブだったんですか。
松:フリースタイルです(笑)。
長:最初はハードコアを目指してたんです。ハードコアって、こうじゃーじゃーじゃーってコードがあって、そこに叫びを乗せる形だから、そのころはそんな、メロディをどうこうって感じじゃなかったですね。
―そのときからライブは頻繁にされてたんですか。
長:いや月に1回くらいのもんで。Less than TVってレーベルがあって、俺が当時そこに金魚のふんみたいにひっついて回ってたんですけど、そこでまあいろいろアピールしてたら、そのうちイベントに呼ばれるようになって。そっから結構ライブやるようになったな。
―なるほど。
長:で、まあGUTSPOSEを解散させて、松ちゃんにどうするよって訊いたら、「バンドやるよ」って言うんで、続けることにして。でもボーカルやりたくないっつうから。
―あ、やりたくなかったんですか(笑)。
長:GUTSPOSEやってるころから、もうボーカル辞めたいって言ってた(笑)。
松:なんかもう、自分をがーっと出すっていうのが、あんまり好きじゃないってことに気づいちゃったんですよね…。いや、けっこう前から気づいてはいたんですけど(笑)。
長:真ん中に立ってんのに、いつも斜め向いて歌ってるんです。
松:顔見せないようにしてるんです。背中を見せて。
長:背中で語るスタイルで。
―(笑)いつからベースされてるんですか?
松:ええっと…GUTSPOSE辞めてからです。
―え、あ、そうなんですか?
長:そういう「やっちゃえやっちゃえ」みたいなのを大事にしてたんです。パンクだから(笑)。
―沓沢さんも確か、ドラムはやったことなかったんですよね?
沓:そうです。楽器ほとんどやったことなかった。エレクトーンくらい(笑)。
長:沓沢の前に、松ちゃんがベースやりたいって言ってたから、ベースは決まってて。で俺ギターだし、ドラム探さねえとなってことで探して。沓沢の前に2、3人ドラムで入ったんですけど、まあ、いろいろあって…辞めて…。
―ほお。
長:あれは沓沢が大学6年生のときか?よくいるじゃないですか。大学長くいすぎてよくわかんなくなってる人。あれだったんです、沓沢が。時間だけはかなりある奴。
沓:暇だけはありました。
長:俺はもうバイトして働いてて、松ちゃんは5年生だったけか。そんな中、夜な夜な俺んちに集まって、なんやかやしてるときに、彼(沓沢)もよく来てたんで、「やってよ」と。「ドラムを」(笑)。
沓:ずっと断り続けてたんですけど。「俺ベースがやりたい」って…。
―(笑)ベースやりたいって言ってんのに。
沓:ドラムになっちゃいましたねえ。
長:俺らそのころレゲエ聴き始めたころだったんですけど、レゲエってベースライン重要じゃないですか。その影響もあったんじゃない?ベースやりたいってたのは。
沓:いや、つうか、俺初心者だし。ベースだったら何か、できんじゃねえかなって。いきなりドラムって言われても難しそうじゃん。
長:でもまあ、スタジオで無理やりやらせたら、わりと叩けて。その前のドラマーに比べれば驚異的な上達っぷりでしたね。それでドラムに。

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さっき言ってましたけど、ずっとやってたハードコアから今の赤い疑惑になったのは、どういう変化だったんですか。
長:ええと…自分は、次バンドやるときは、歌がねえとなあって思ってて。ちゃんと日本語の歌詞の。でも松ちゃんはもう歌えないし(笑)。で、俺がボーカルやるわって言って。はじめほんと自信なかったんですね。まあだけど、躊躇しつつも試行錯誤を重ねていって、練習しましたね。沓沢にだめ出しされながら(笑)。
沓:そうだね。だめ出ししたねえ。
長:ボーカルスクールにも通ってたんですよ、3ヶ月くらい、発声の練習とかもして。
―へえー。
長:で、ボーカルやりながら曲作りもしてたんですけど。俺が大学卒業したくらいのとき、いわゆるオルタナティブロックとかパンク、ハードコアって、飽和状態にあった感じなんですね。音楽ってこれだけなのかなあって思ってて。レコード屋に行けばヒップホップとか…何かいろいろあるじゃないですか、音楽の種類が。俺は音楽好きでいたかったから、いろいろ聴いて嗜まなくちゃなあっていうのがあったんですね。たとえばYOUR SONG IS GOODが、いわゆるパンク組から脱け出していろんな音楽取り入れだしたときは、うおーって思って、俺もいろいろ聴こうと。それから野心的にいろいろ聴き始めて、自分のバンドでもなんかひねりを入れていきたいなあって思ってました。…あと歌詞も考えたなあ。80年代のジャパコア…INUとか…すげえ言葉に力があって、人を動かせるようなバンドになりたいってずっと思ってた。日本語が好きだから。
―松田さんはそういう方向性の変化に反対しなかったんですか?
松:いや、方向性をあえて変えたって言うよりは…こうやって皆で会ってるときに、聴いてた音楽がパンク・ハードコアからレゲエ・ヒップホップに変わっていって、こういうのかっこいいねって言うようになって。自然に変わっていったんですよね、嗜好が。
長:ずっと同じ音楽を聴いていたから。不思議なくらい、ずれがなくて。
松:そういう意識が芽生え始めたのが、「東京サバンナ」あたりだよね。でもまだハードコア感が残ってて…。
長:うん。やり方がわかんなかったんですよ(笑)。ギターとベースとドラムで、すてすてすてーっとやることしかやってなかったから。どうやったらこんな感じの音楽になるのかなあって、わかんなかった。でも多分一番大きく変わったのは、「フリーターブリーダー」でラップをやろうと思ったとき。友達でヒップホップにどっぷり浸かってる奴がいて、彼はすげえシャイな奴なんだけど、俺らの前ではラップをよくやってて。それ見て感動して、影響受けた感じですねえ。
松:彼、電話かけてきて、いきなりラップを始めたりとかするんですよ。あと玄ちゃん家にいるときに、突然面と向かって1対1でラップを聴かされたり(笑)。そういうスパルタ教育を受けていたので、なんとなくヒップホップに流されたというか…。
―へえ。
松:で、ある日、大阪ツアーに行く前に、玄ちゃんがバイクで事故って骨折しちゃったんですよ。環七で居眠り運転しちゃって。
―ひえー。寝ちゃったんですか。
長:停まってる車にぶつかっちゃったんです。それで練習に行ったんですけど、何かぴちゃぴちゃいってるんですよね、脚が(笑)。病院行った方がいいよってんで行ってみたら、内出血が起こってて、血が全部下に溜まってぶよぶよになってて。ぱんぱんに腫れてましたねえ。壊死するとこでしたよとかって言われて。
松:それで入院したんですけど、お見舞いに行ったら、玄ちゃんが「フリーターブリーダー」の歌詞を書いてて。「おー今度ラップやるから」とか言ってて(笑)。で、見たら俺のパートも全部できあがってた(笑)。フリーター側の意見と、彼を諭す側の意見が、うまいこと描かれてるし、「うんわかった」って。
長:ラップってある意味ダジャレじゃないですか。俺の親父がダジャレ好きなんです。で、幸か不幸か、俺のお袋もダジャレ好きなんです。だから、俺も韻踏めるかなあって。
―筋金入りですね(笑)。
松:あともうひとつの転機はカヨちゃんだよね。
長:あー…別れた俺の彼女なんですけど(笑)。よくだめ出しされてたんです、彼女に。暗いとか。あがれないとか。
松:踊れないとか。全体的にだめだしされてましたね。
長:されてたねえ。「よーしそんなに言うならあがるような、ハッピーなのもつくってやるぜ」と思ったりもしたけど。…まあでもずっと俺が思ってたのは、弱音をぶつけることをやりたいってことだったんです。二十歳すぎると、男って社会に対する文句とか、生きてく上で滲み出てきてしまう弱音とか、そういうのを表に出すのはだめなことだって、普通思われるじゃないですか。だけど俺は、「そうは言っても本当はみんなこう思ってるんじゃないの?」って言いたかった。でもそれってリスキーだし、「そんなこと歌ってもしょうがないじゃん」って思われることもあると思うんですけど、俺はどうしてもそこがやりたくて。みんな言わないけど、腹の中ではこう思ってるんじゃないのって言いたくて。家族のこととか仕事のこととか、ひとりひとり考えてることがあると思うんですけど、普段なかなか表明できないじゃないですか。だから俺は歌いながら、みんなは本当はどう思ってるんだろって、考えてますね。いつも。
―家族のことについて歌うバンドって、今めっちゃいますよね。家族のことを大事にしようみたいな歌。そして売れてますよね。だけど、私はああいうのを聴くと、反発しちゃうというか、うんざりしてまうんですよね。何か道徳の授業みたいで、「そんな簡単なもんじゃないんだよー」と。だけど赤い疑惑の歌はそういうところがないです。素直に「そやなー、家族にもっと感謝せななあ」と思ってしまう。何かもう、聴いてたら電話かけてしまう、おかんに(笑)。さっき言ったようなバンドとどこが違うんやろかって考えたら、長尾さんが今言ったように、腹の中で思ってる本当のこと・弱音・文句、そういうことを歌っているからなんだと思った。この人は本気で言ってるんだなあってわかる。この人は口だけじゃないなあってわかるから、赤い疑惑に素直に感動するんだと思うんですよ。
長:あー、そう言っていただけると、嬉しいです。はい。

疲れたのでTOPに戻る

そんな感じで私たち赤い疑惑大好きで、この萌芽っていうイベントに出てほしいってオファー出したんですけど、そのとき長尾さん、「EKDも是非一緒に!」っていうお返事をくれましたよね。それでめでたくEKDさんもお迎えることになったんですが、赤い疑惑とEKDの出会いって何だったんですか?
長:岩崎(注:萌芽のスタッフではない)君っていう友達が、「EKDっていうかっこいいミュージシャンがいる!」って教えてくれたのがきっかけですねえ。音源渡されて聴いてみたら、めちゃくちゃかっこよくて。なんていうか…反抗的な感じがしたんですよね。すげえ気になって。それで、自分らの音源をすぐに池ちゃんに送りました。
E:あ、でも、俺、その前に一度見てるんですよ、赤い疑惑。俺ユニオンでバイトしてたことがあったんですけど、そのインストアライブに出てた。おもしろいなあって思って観てましたけど。
沓:えっいたの?
E:うん。
―それは奇遇ですねえ。
長:まあそれから交流が始まり。池ちゃんのやるイベントにも顔を出すようになったんです。池ちゃんは“未来世紀メキシコ”ってDJ集団のひとりで、そういうクラブ系のイベントをやってるんですけど、だから、俺らバンドとはちょっとカルチャーが違うんですね。俺、それより前に、友達に誘われてクラブ系イベントに何度か行ったことあるんだけど、あんまりなじめなくて。でも未来世紀メキシコは、ファッションとか洒落でやってるんじゃない感じで、すげえ良かった。ほんと、すばらしいと思って。それで、シーンはちがうけども一緒にイベントやろうと思ったんです。
―EKDさんはどんな音楽を聴いてきたんですか?
E:高校のころは、パンクを聴いてたんですけど、同時にジャマイカの音楽とか、コロンビアの民謡とか、ルーツの音楽が好きでよく聴いてきました。スペインとかメキシコとかアルゼンチンとか、そこらへんでやっているロックラティーノっていうミクスチャーの音楽が、すごいおもしろくて。
長:うん。すごいおもしろいんですよ。俺はワールドミュージックは好きでよく聴いてたんだけど、池ちゃんに教えてもらうまで、そういう音楽知らなかった。たぶん、情報の入り方が俺らとぜんぜん違うんだと思う。
松:タワレコとかユニオンとかじゃないでしょ。
E:うん。
長:かなりラジカルだと思う。そのへんの音楽ってたぶん、日本のバンドシーンではほとんど知られてないんだろうけど、そういうの広げたらおもしろいと思って、赤い疑惑にも反映し始めたんです。
―私たちには本当になじみのない音楽なんですよ。だから、最初EKDの音楽をmyspaceで聴いたときは正直悩みましたね。萌芽に出てもらう京都の他のバンドとブッキングしても大丈夫だろうか?って。実は私、民族音楽をやってる人に対してちょっとした偏見を持ってて。何ていうか、自由だったらいいって思ってるふしがあるんじゃないかなって。だけど音源をちゃんと聴いたら、EKDにはそういう感じ、突然河原でチャカポコしだす感じがしないなあって思いました。これ、うちのスタッフがレビューに、「国民楽的な魅力があって、楽譜に起こしたときにいろんな人が楽しめる音楽だ」って書いてるんですけど。私も音源を聴いてそう思いました。そういう意味で、「きちんと構築された音楽なんだなあ」って思いましたね。なんかうまく言えないですけど…。
E:いや…同じようなこと、言われたことあります。変なことしてるのに、ちゃんとした音楽だ、って(笑)。
―あ、そういうことです。見知らぬ人でも、ちゃんと楽しめる音楽。
長:あと、和の要素も感じる、どこかしら。俺はそういうところがすごく好きで。一昔前にラテンブームが起こったじゃないですか。コーヒールンバとか。俺は池ちゃんのことをギタリストとしてすごく好きなんですけど、池ちゃんのギターにも、そのラテンブームにおける日本の歌謡曲っぽさがにじみ出てる感じがする。
―ああーそうですね。外国の音楽をただ真似たり追っかけてる感じがしない。きちんと自分の色を出してると思う。
長:あと、初めに池ちゃんの音源を聴いたときに、パンクロックバンドのThe Clashの感じを受けたんですよ。何でかわかんないけど、反抗的なメロディを感じ取った。キャッチーでメロディアスなのに、コラージュっぽさもあるし、野心的な感じもした。ただクラブミュージックに影響を受けましたっていうんじゃない。歌詞はないのにアティチュードがしっかりしてる。そのアティティードって何かっていうと、弱者側の視点であったり、アンチグローバリズムであったり…社会の流れに疑問を持ってる。そういうところに惹かれたんだと思います。漠然としてるんだけど、そういう姿勢や考え方を感じ取って、自分と似てるんじゃないかなと思った。それで話してみたらやっぱりそうだったしね。池ちゃんの音楽にも、社会の流れに則ってたら出会えなかったと思う。人づてに偶然出会えたものだから。そういう部分を大事にしてるっていうのは、信用できると、思う。
―EKDさんは赤い疑惑を初めて聴いたとき、どんな印象を持ったんですか?
E:うーん、衝撃でしたね。演奏も上手だし、曲の構成も上手だし。凄いなあと。脱帽でした。歌詞も凄いなあって…ものすごく身に覚えのあることを歌ってる、俺にとって(笑)。だからすっと入っていけました。
―ほんとに赤い疑惑の歌詞は…身に覚えがありすぎて、聴いてるとはっとさせられます。かなりきわどいところまで言ってますよね。さっきも弱音を出したいっておっしゃってたけど、聴いてるとすごい共感する、わかるなあって思います。
長:そうですか。
―あの、ずっと気になってたんですけど、赤い疑惑は曲の中で、正社員とフリーターの間をふらふらと行ったり来たりしてますよね。迷いながら。「就職すべきだ」とか「すべきじゃない」とか言わないで、「どっちがいいんだろう?」って迷ってる。それがおもしろいなあと思って。皆さんはそこらへんのことをどういうふうに考えているんですか?たとえば、大学卒業するとき、就職しようって思わなかったんですか?
長:俺はもう就職したくなかったですね。中学、高校、大学、就職、っていう流れになんとなく乗るのがすごくいやで。そういうのに疑問を持ってたんですね。俺らが学生だったときって、「個性を伸ばしなさい」とか「好きなことをやりなさい」とか、社会は子供たちを自由にのびのび成長させようとしていて、で、俺はそういう風潮に対して「ああ、じゃあそうしよう」と思って育ってきたんですね。でも、いざ大学卒業するぞってなって周りの連中見渡すと、「そんなこと言ってもやっぱ就職っしょ」っていうのがみなぎってて。何となくいやだなあって思ってたんです。俺そのころ、日本のオヤジが仕事からくたびれて帰ってくるのを見るのもすげえいやで。肉体的にというよりも、精神的に忙しさに疲れてる感じで。で、そんな大学生んとき海外旅行で東南アジアまわったんです。すげえ貧しい、生活環境の悪いとこだったんですけど。でも、何かそこに暮らしている人たちが、生き生きして見えて。なんかちゃんと生きてる感じがして。そこで、「何となく就職、ってのはやめよう」と決めましたね。まあでも、それからもずうっと俺は、悩んできたんですけど。
―さっきも言ったけど、ふりきってないですよね。赤い疑惑。俺たちは弱者やけどこれでいいんや!ていうんじゃなくて、やっぱり会社に勤めて給料もらったほうがいいのかな…て思ってる。
松:俺たちは弱者の味方だ!ていうほど、ぶっちゃけ俺らって弱者じゃないと思うんですよね、飯普通に食えてるし…。まあだから、開き直れなくて悩んでるんだろうな。
沓:でも、世の中の仕組みには疑問を感じることがある。やっぱり、チャンスの得やすい人・そうでない人ってはっきり分かれてるから。
E:うん。それは僕も思いますね。世の中の仕組みに無理があると思う。以前は派遣ってドラマになったりして、注目されてたけど、今はもう派遣切りって言葉ができてるじゃないですか。世の中の都合に合わせてたくさんの人が動かされて。どれだけがんばっても、搾取され続けてしまう人っているし。
長:そういうことなんですよね。世の中の仕組み。70年代にヒッピーブームとかパンクブーム起こって、今でもヒッピーな人たちが「スローライフ」とか言ってるけども、その熱って弱いと思うんですね。だってそういうのがいいってことはわかりきってるし、だけど、そうできないっていうのが今の状況・仕組みで。そういう現状をちゃんと見つめて歌っていきたいなって思う。やり方としてはフォークに近いのかなあ。
―なるほど。
長:大学卒業するときも、就職するのが当たり前だからってんで、何にも考えずに就職するっていうのが嫌だった。世の中の仕組みに何の疑問も持たずに、そこの一員になるのが嫌だったんです。これまでずうっとエスカレーター式で生きてきて、これからもそうなのかって思うと嫌んなって。もっと自分の頭で考えたいし、おかしいと思うことはおかしいって言いたいし、自分のいいと思うやり方で生きていきたいし。まあだから、すごく悩んだり迷ったりしてるんですけど。
―そうですね。それが歌に表れてますよね。あのーちょっと訊きたいんですけど、音楽を続けようとしたら、正社員であるのとフリーターであるのって、どっちがやりやすいんですか?
松:職種によると思いますけど、時間に融通がききやすいのはフリーターじゃないすかね。でも、やっぱり拘束時間が長いとことかあるし。そうなると給料も安いから、正社員の方がいいんじゃないかって思うし。
沓:一概には言えないです。すごくきつい仕事とか、常に欠員の出ているところとかだと、バイトにばっかり時間くっちゃって、音楽ができないってなってしまう。
―そうですよね。一方就職したらしたで、なかなか休みとれないし、責任やしがらみが生まれてきますしね。皆さんは今はどこかに勤めてらっしゃるんですか?
長:実は俺は今、とある音楽レーベルの正社員なんです。給料は安いんですけど、すごく音楽の勉強になってます。…意味とか意義を見出さないで、何となく就職するのが嫌だったんですけど、今の仕事は俺にとって意味があると思う。生活のためにしかたねえなあって働くんじゃなくて、やっぱり自分にとっていいふうに仕事していきたいし。音楽やっていきたいし。
松:俺も最近、友達んとこの編プロに就職しました。俺がバンドやってるってことも承知の上で誘ってくれたから、すげえありがたいっすね。
沓:俺はバイトです。日雇いの。
E:僕も、バイトです。郵便配達。
―そうですか。やっぱりそこらへん、難しいですよね。好きなことは続けていきたい。でも、稼いでご飯食べていかなきゃいけないし。それが一致するのがいちばんいいんだと思いますけど。
長:そうですね。…ああ、でも日本人って、必要とするお金の額の設定が高いと思う。これは東南アジアまわって思ったことなんですけど。本当はそんなに多くのお金を持ってなくても楽しく生きていけるはずなのに、より多くのお金を求めて、後戻りできない状態にあると思うんですよね。一度生活水準上げてしまうと簡単には下ろせないじゃないですか。あれも欲しい、これも欲しいって思うようになって、お金に支配されてるような気がするんすよ。
―はい。
長:だけど、お金よりも大事なものって本当にあるから。家族や友達や恋人や。その人たちや、その人たちと過ごす時間を大事にすることを、忘れちゃいけないと思うし、俺は大事にしていきたい。特にお袋が死んでから、すげえ、そう思いましたね。それは俺の音楽にも、すげえ影響出てると思う。
―そうですね。ほんとにそう思ってるんだってことが聴いててわかる音楽です。だから、真剣に聴いてしまうし、すごいぐさっときます。だからこのイベントに赤い疑惑に来てほしいって思いました。それで幸運なことにもEKDさんも来てもらえることになって。すごくよかったなあって思います。当日を楽しみにしてますね。それじゃあ最後に京都の皆さんに何かメッセージを…。
長:えっ。メッセージ…。
松:メッセージって…何言おう。
全員:…。(とても悩んでいる)
―いやまあ、ざっくりでいいので。
長:いやいや。ちゃんと言わなきゃな…。
―(笑)
E:僕の曲の中に、京都の民謡を取り入れたものもあるんですね。だから、その地で演奏できること、楽しみにしています。よろしくお願いします。
―こちらこそよろしくお願いします。
松:他ではやってないことをやってるので、ぜひ楽しんでってください。
沓:構えずに、もう好きなように楽しんでもらえれば。
長:そうですね。他にはないパーティーになると思うので、俺も楽しみにしています。
―長い時間、ありがとうございました!

↓これ、インタビュアーの警戒してる河原でチャカポコ系?!

赤い疑惑のプロフィールの日本語訳

レディオチャンゴへの架け橋となってくれたエビちゃんこと海老原さんによる
赤い疑惑のプロフィール日本語版を紹介します。
日本語版とは、一度赤い疑惑のプロフィールをスペイン人に分かりやすいように、
エビちゃんが補足を加えてスペイン語訳してくれた内容を、
もう一度日本語にしてみたものです。
手前味噌だがすごくいい訳だと思うので読んでみてください。



日本語で「赤い疑惑」を意味するアカイギワクは、
2003年に結成された東京のバンドだ。
そのバンド名は、
70年代に日本人がTVに釘付けになった連続ドラマに由来する。

3人のメンバーは、それぞれ車の部品の名前を名乗っているが、
その理由は誰にもわからない。
アクセル”アセレラドール”長尾、
クラッチ ”エンバルゲ” 松田、
そしてブレーキ”フレーノ”沓沢。
まるでコメディアンのような名前だが、
このバンドは明確な目的を持って結成された。
音楽で東京バビロンと闘うこと。
彼らの武器は、パンク、ヒップホップ、レゲエ、アフロ、ラテン、
お囃子(お祭りのための日本の民衆音楽)など多岐に渡る。

2005年、日本社会にはフリーター
(英語から派生した言葉で、短期契約で働く労働者)蔑視の風潮が蔓延していた。
というのも伝統的な社会システムの外部にいるフリーターは
無責任だと思われていたのだ。
こういった風潮にに対抗して、
1 st『東京フリーターブリーダー』をリリース。
このアルバムは日本各地で評判を呼び、とりわけ若者たちは、
自分自身の現実生活を反映した歌詞を絶賛した。

2008年満を持して2nd『東京ファミリーストーリー』をリリース。
この野心的な作品では、音楽的な領域を広げることに挑戦した。
ラテンギタリストであるアクセル長尾の実の父親の参加が、
この冒険に核をもたらしている。
その歌詞が赤裸々に語るのは、
僕たちの多くが家族に対して抱く感情だ。
家族が理解してくれないときの孤独感や、
上手く表現できない家族への思い。
こうした歌詞は人々の心に痛烈に響き、
新たなファン層の獲得に成功する。

またその時期に出会った
EKD(未来世紀メキシコ)-ミクスチャー音楽からインスピレーションを得たグループ-
が彼らを音楽的な新しい世界に誘う。
とりわけ、バルセロナの音には強い衝撃を覚え、
新たな計画に着手することとなった。
それは、日本でのレベルミュージックシーンの確立,
という大きな大きなプロジェクトなのであった!

あれよあれよ

090504.jpg

5月4日久しぶりに下北沢シェルターでライブをやった。
写真はそのシェルターの上の路上で。
10代後半憧れていたシェルターの雰囲気は変わっていた。
そしてこのハコを使っているバンドは平均年齢が低そうだ。
一バンド目に出たライフガードというバンドは
シェルターの昼の部オーディションに合格して
やっとその日初の夜の部のステージに上がれたそうで、
皆、「オンナを初めて抱く」というようなアドレナリンを
放出しているようにオレには映った。

3000円貰った。
帰りにタイムズ(駐車場)で隣のボックスの精算をしてしまった。
精算ボタンを押して表示された1500円を入金した時
嫌な予感が━━本当にこの番号だっただろうかという予感がして
自分の車にもう一度近づいて番号を確認するとやっぱり。
オレが精算したのは隣の車の駐車代だ。
嘆息をもらし狼狽してると、
クラッチ、ブレーキー寄ってきた。
「あ~」
「あ~、げんちゃん」
「またやっちゃった?」
また? そう、オレはここ数ヶ月で3回ほどやっている。
オレのオヤジの愛車が白いノアで、
どうも白い車が並んでいるとついつい間違えちゃう。
笑い事じゃないんだけど、
気をとりなおしてもう一度、
今度は自分が本当に停めたスペースの番号で精算ボタン。
1800円。
出費を合計すると今日の出演交通費としてもらった3000円を
300円飛び出している。
CDが2枚売れたので赤ではないが、
これじゃいつまでたっても赤い疑惑。

プロフィール

アクセル長尾

Author:アクセル長尾
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およびアクセルの手記
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