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住まいは遠く離れても

 松田クラッチが長野の諏訪に移住したのはもう昨年のことで、始めそのことを聞いた時は流石にビックリしたけど、いつの日か長野で暮らしたいというクラッチの野望は、それより以前から軽く漏らしていたのは聞いたことがあった。
 その「いつの日かプラン」が急速に早まったのは、無論311震災以降の放射能問題が大きな要因となったようだ。オレよりも少し早く結婚を済ませていたクラッチは、嫁さんと熟考の上、将来の家庭生活──子作り、子育て等もろもろ──に少しでも安心できる環境を求めて移住の計画を早めたのだ。
 クラッチはネットやメールを中心にしたやり取りが仕事の大半になっていて、とある編集事務所に所属しているが、上司ともいろいろ相談したのだろう、遠方での仕事続行の許可を取り付けたようだった。
 オレとブレーキーは彼の一大決心に大いに驚いたのではあったが、彼がそれでもバンド活動の継続をも大決心していたようだったので止める理由はなかった。彼は仕事の打合せ等で月に3、4回東京に来るつもりで、そのタイミングに合わせて練習なりライブなりをこなしていこうと、そんな風に考えていたらしく、それが実現可能なのであればほぼ今まで通りにバンド活動はできるのである。だとすればなおのこと反対の理由などみつかるはずもなく、いずれ自然の多い土地で暮らしたいと考えていたオレには羨ましい限りで、クラッチの移住を了承すると同時に嫉妬心すらかきたてられた。
 ちなみに沓沢ブレーキーはというと、「自分が住んでるとこが既に八王子の大自然の中だから」といい、むしろクラッチの決断にただただ驚いているばかりだった。

 そんな経緯で田無、八王子、諏訪というバラバラの地でメンバーが生活しながらのバンド活動が再びスタートした。若干スケジュール調整が大変になった部分はあったが、結局月に3度くらいはスタジオに入ることができたし、いつもの西荻RDSのDスタジオに集まれば、なんら不自由なく曲作りなどがはじまるのだった。
 とはいえライブの回数は物理的にこれまでより少なくしなければならなかった。20代の半ばまでオレは音楽で喰っていくんだという強い思いを抱いていたので、ライブや練習のペースを落とすのは当時の感覚ではあり得なかったはずだが、段々と自分の音楽と音楽スタンスがあからさまにビジネスライクなものとは乖離していることをカラダで感じていくようになり、いつしかバンドを続けるということのみに大きな力を見出していくようになったため、活動のペースが少しくらい鈍るのは何でもなかった。それに自分も家庭というものへの憧憬を次第に強めていったのでいずれにしろ活動のペースが思うようにならない時はいずれ訪れるだろうと覚悟していたのだ。
 それに、赤い疑惑での活動を全力にできない代わりに弾き語りやらDJやらワールドミュージックのネットCDショップ、さらには古本カフェの共同運営やらまでやり始めていたオレは結局常に忙しくあっちいったりこっちいったりする生活が始まっていて、赤い疑惑に専念できないことでの焦りはなくなってしまった。
 そんな何かと慌ただしい状況の中、赤い疑惑の他に路地裏一揆というバンドを結成してしまった。さてそれはどういう訳か。
 ワールドミュージックにハマり南米やアフリカの大所帯バンドなどを好んで聞くようになっていった20代の後半から、いつしかアクセルバンドならぬ、オレがリーダーの大所帯バンドをやりたい、という小さな野望が芽生え始めたのだが、それをもしやるとなったら赤い疑惑はどうなっちゃうんだろう、とそれが心配だった。折角ここまで続けてきたのに、今まで赤い疑惑を応援してくれたファンが、アクセルは浮気して別のバンド始めたらしいぞ、なんて言われたらイヤだしな。それにクラッチやブレーキーにも何となく後ろめたいような気がして、2人にはなんとなしに「そんな大所帯バンドいつかやりたいんだよねー」なんてこぼしたことはあったが、それなりに適当なボヤきとして済ましていたのだ。
 ところが長野への移住を決めたクラッチが「玄ちゃん(オレ)、アクセルバンドやりたいって言ってたけど、あれどうなったの?やらないの?やればいいじゃん…」と、ふいに提案してくれたのだ。「オレも自分のやりたいように長野移住決めたし、玄ちゃんもやりたいことやったほうがいい。やったらいい。」と言うのである。思わぬ助言であったがクラッチの思いやりにオレはココロの涙腺が緩んだ。
 思い込んだら行動の早いオレは早速メンバー集めを始め、あっという間にアクセルバンドが結成されてしまった。赤い疑惑ファンからの浮気批判は最早気にしても仕方ないし、と諦めて新たな企みを楽しんだ。ブレーキーは特に反対する気配もなく、むしろどんな風になるのか楽しみに思ってるようでもあった。
 オレが結婚したことも大いに影響したと思うが、この時点で赤い疑惑の3人は、それぞれにそれぞれの道があることを何となくお互い自覚し始めていた。お互いのそれらを尊重する姿勢が明確になったことで、妙なものだが更なる結束力を赤い疑惑は身につけた、とオレは勝手に感じて染み染みするのだった。
 既に結成から10年以上が経過し、時には意見が合わなくてぶつかったり、やる気やモチベーションの差異で熱が薄れたりする時期も振り返ればちょこちょこあった気がする。逆に大きなイベントに誘われたりすることで(もしかしたらオレタチ人気でちゃうかも)などと取らぬ狸の皮を計算するようなこともあった。

 赤い疑惑は作詞作曲、企画運営、物販、営業活動などほとんど自分一人でやってきた。性格的に仕事を振るのが下手くそなのだと思うが、それでも5年10年と活動を続けてる内にクラッチやブレーキーが勝手にフォローしてくれたりする部分も多くなった。先日オレの結婚パーティーをやった時などは何も言わない内にクラッチとブレーキーが二次会手配等のフォローをしてくれたのには非常に感動してしまった。バンドが家族のような存在、というのも大げさな表現でもあるまいと改めて思った。
 これから赤い疑惑がどうなるのか、どうするのか、全部未定。今まで通り大した計画性もなくマイペースにやってくだけだから。これから日本がどうなるのかすら未定なんだ。僕らがどこに住んでどうやって生きていくのかだって全部未定。だけどたまには赤い疑惑が今どうなってるのか、ライブに来てくれたら嬉しい。
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9/5は広島で

な、なんと衝撃的なフライヤー!
このパーティーは9/5(日)@広島波濤カフェにて!
食べ放題ってのがヤバいな。

9/5広島波濤カフェ

赤い疑惑、客3人

最近とても気になっていることなのだが、赤い疑惑のライブの集客が激減している。何、アホなことを唐突に、と思われるだろうか。オレは基本的に自意識過剰な人間だから人の目線は常に気になるのだから仕方ない。

赤い疑惑のライブにお客さんが集まらないのは、オマエらに責任があるからだろう、バカ野郎、というのが世間的な認識だろう。オレもそうは思うんだけどね。だけどね、赤い疑惑って、界隈では結構人気バンドとして評判らしいんだけど…。

この間、新宿でライブやった時の赤い疑惑のお客さんはというと、最近いつも来てくれてるいしこちんとその友人のシド君、それからオレがゲストで招待したタバケン、合計3人だった。これじゃあ、ライブに誘ってくれた主催者にも合わす顔がないというか、お客3人しか呼べなかったら普通のブッキングのライブハウスには出させてもらえないね、はっきり言って。

バンドやっている人しか知らないことだけど、日本のライブハウスのシステムっていうのは変な搾取システムがあって、まあ、俗にいうノルマというやつなんだけど、ライブをやるバンドは基本的にチケットノルマっての科せられる訳で、チケット何枚分の売上げ金をライブハウスに奉納しないといけない。オレ達は長年粘り強くバンド活動を続けてきたので、そういうチケットノルマ制でないイベントに定期的に出演させてもらうようになったから、そのノルマ地獄からは距離を置いてるけど、そういうシステムの中でライブ活動をして余計なお金を使っているバンドはいっぱいいると思うよ実際。

で、赤い疑惑のお客さんが激減してる、と言ったけど、ちょっと大袈裟だったかな。激減というほどもともといなかったのだ。安定して、ライブに10人以上お客さんを集めてた時期があったってハナシで、そういう風に書くと、やっぱり人気バンドではないよね。身の程知らず!

で、まあ仮に10人来てたのが3人に減ったとして、ファンが減ったことにしよう。ではどうして赤い疑惑のファンが減ったのかな、ということになるけど、これは簡単にはわからないんだ。でも一つ言えることは赤い疑惑のスタンスが結成当時から常に変わり続けた一点にあるのかな、と思う。バンドを始めた頃はパンクとかハードコアの世界にどっぷり浸っていたから、その時はそういう音楽ばかり聴くファンが周りにいた。だけどオレがそういう音楽に飽きてしまったので、意識的に音楽性を変えていった。そうしたら案の定パンク、ハードコア好きのお客さんはどんどん少なくなっていった。これはひとつの悲しい出来事。

でもその代わりヒップホップを導入してみたりしてるウチにパンクやハードコア界以外からのライブのオファーが沢山やってくることになった。オレ達はそれはそれで、むしろ嬉しくて、ほとんどどういうイベントでも断らずに何でも出演して、実際いろんな現場で面白がられた。だけど、常にファンは流動的で、必死で追いかけてくるようなファンはほとんどいなかったし。みだれ打ちのライブの結果集客は増えず、次第にライブに疲れてきて、オレたちは出演するライブをコントロールするようにし始めた。実際、イベントのクオリティーのピンキリもいっぱい知ったし、オレ達がいいテンションを保つためにはライブの数を減らす必要があった。

そうやって自分達のペースを作ってきた訳だけど、ライブを減らしたことは集客増にはなかなかつながらなかったので何とも歯がゆい。でもオレ達は常に自分達の音楽に面白みを見出していたし、その音楽に酔っていたので、辞めることもないし今もこうして粘って続けてる。固定客ができないのは非常に不安だったけど、オレはいつでも、まあ、しかたのないことだ、と思うようになったし、それはオレが生きるためでもあるのかもしれない。

赤い疑惑って今ライブやってるんですか、と聞かれて驚かれることがしょっちゅうあるけど、その原因は一度ライブ活動休止という表明を数年前に一度出したことが尾をひいているみたいだ。一度、界隈から離れると、その現場感を取り戻すのには大変な苦労がいることがわかった。でもあの活動休止もやむを得なかったとも思えるからしょうがないじゃないか。

いったい、オレたちはオレたちにしかできないことをやって、いろんなところで「赤い疑惑好きです」と言われるようになったけど、結局まだ固定客を掴めず四苦八苦している。mixiに600人以上の参加者がいて、twitterで150人にフォローされても東京でライブやってお客3人というバンドも珍しくないか。笑えるよまったく。

ところが、これが地方では事情がちょっと違う。東京のライブにお客さんは集まらないのに、東京以外の地方でライブをやると東京より盛り上がることが多くてびっくりする。これはいったいどういうことなんだろうか。オーディエンスのギャップなんだろうか。こうなるとオレ達は東京でライブをするのに躊躇せざるを得ない。オレ達はバビロン東京のことをよく唄っているのに、東京で受けないというのは、やっぱり笑うしかないじゃないか。

最近、大学の友人と話してたら「いや、玄ちゃんがDJやるとは思わなかったよ」という。確かに大学の頃のパンク資質なオレをいっぱい知ってる彼が、DJという一見相容れぬカルチャーに入っていったのに驚いたのはもっともだと思う。オレもDJをやるなんて思ってなかったし、30歳になってDJデビューなんてまったく格好つかないじゃん、と思って躊躇してたけど、誘ってくれたDJのコヤマ君やリョウ君はものすごく信頼できるヤツだったので、軽い気持ちでOKした訳だけど、オレがDJを始めたことに違和感を抱いた赤い疑惑ファンはいっぱいいたんだろうな、ということを改めて気付かされたし、オレもそういう人が出てきてもおかしくはないだろうな、とも思っていたのだ。

だけど、DJを始めて、オレの中にあったDJに対するおろかな偏見に気付いた時、オレの世界はひとつ広がったと言えるし、バンドをやることに関してもいっぱいプラスがあった。バンドマンやロックンローラー(といっても僕らの世代までかな)にとってDJという存在は、いわゆるフェイクな存在だった。他人の音楽を使ってかっこつけてるヤツ、くらいにしか思っていない。オレがある程度までそうだった訳だから、これは穿った見方でもないと思う。

ところがDJとバンドマンに境界はないと分かった。どちらも音楽が好きで貧乏なのが基本だ。なのにバンドマンはDJをむしろ<敵>と思ったりするらしい。ロックというビッグビジネスの悲しいサガだな。しかし、驚いたことに、反対にオレが接したDJ達は常に音楽に対して愛があってフラットで、バンドマンを<敵>となんて思う訳がない。むしろバンドマンよりも音楽に真面目なヤツを多く見る気がする。そんなことを思ってるのはオレだけかな。

まあ、最近思ったことをつらつら書いた訳だけど、昔赤い疑惑が好きだったとか言ってる人に、もう一度、生でライブを観てほしいなあ。何か勘違いしてる部分があるんじゃないかなー。勘違いしてるのはオレなのかな。

広島の

広島の赤いクルー

ご覧下さい。
バンドメンバーらしき3人が、
3人揃って赤い疑惑のTシャツを着て、
非常に愉快そうに笑っているではないですか。

以前、このブログでも紹介した広島在住の赤い疑惑ファンの皆さん。
ある日赤い疑惑の通信販売に広島の方からTシャツ4枚の注文があった。
赤い疑惑のTシャツを4枚も買うなんて何と罪深い、と思ったのだが、
注文メールに添えられたメッセージによると、
自分は3人組のバンドをやっており、4枚のうち2枚はそのメンバーの分で、
残りの2枚は自分の分なのだ、ということだった。
なるほど。

連絡をくれたのは写真右手のオガワ君だ。
Tシャツを送ってしばらく経ってから、先日突然オガワ君からまたメールがきた。
メールが突然くるのは当り前なんだけど、何とそのメールにこの写真が添付されてたんだ。
そりゃあもうビックリしたよ。
これで死んだ母ちゃんにもやっと顔向けができるってもんで。
母ちゃん、オレのバンドはこんなにでっかくなっただよ。

丁度メールをもらったタイミングが、オヤジの実家の山口に行くタイミングと重なった。
山口に行く時はいつも広島を通る。
それに今回は夜行バスで広島に行って、翌日の朝着いてから昼頃まで、
ちょいとした用事があって時間を潰さなきゃなんない。
よし、と思って広島のオガワ君にそのことを伝えて、
もしその午前中時間があったらお会いしませんか、
というお誘いをしたのだった。

するとすぐに返事がきて、
是非よろしくお願いします、ただその日はたまたまトモダチの結婚式があって、
9時何分の電車に乗らなければならないので云々。
オレの深夜バスの到着時間が8時だったので、
小一時間は会えますね、ということで実際にオレはオガワ君と、
広島駅新幹線口すき屋の前で感動の邂逅を果たしたのだ。

オガワ君はバンドではベースと唄を担当しているとのことだが、
オガワ君の隣にはギターのカマタ君も、どうぞよろしくお願いします、
と言ってかしこまっているのだ。
赤い疑惑のナガオさんが来る、ということで彼等の間では大事になっていたようだ。
2人ともこれから同じトモダチの結婚式に出るということでスーツ姿。
「いやあ、ホントはこんな格好でお会いしたくなかったんですけどね」
とオガワ君は言っているけど、オレはどっちでも構わないんだ。
それにしても今はまだ朝8時。陽は東の空なのだ。
休日の朝8時にオレに会いに来てくれるとはどういうことなんだ。

立ち話も何なのですき屋の隣のパン屋兼カフェに入った。
オレはスーツ姿でなんだか終始緊張しているような朴訥なオガワ君と
終始恥ずかしそうにしているカマタ君と、何を話していいか分からないけど、
とにかくバンドや音楽のハナシなんかをしてたらすぐに一時間経っちゃって、
オガワ君はすごく残念そうに、
「すみません、そろそろ電車が、、、」と言って悲しい眼を向けるんだ。
またいずれ、広島でライブでも、という感じで僕らは立ち上がって、
するとオガワ君はどっから取り出したのか、20センチ四方くらいの、
通常のよりは一回りは小さい、青い座布団をオレに渡して
「すみません。荷物になってしまうと思ったのですが、、、
僕の会社で生産しているコウハンパツ座布団です」
と言うのだった。
コウハンパツ? 高反発?
低反発というヒビキには馴染みがあったけど、
高反発というのは初耳だな、と思って驚いていると、
オガワ君は高反発と低反発の違いを若干営業マン風に説明してくれて、
「だからこの高反発座布団はいいんですよ」
と最後には些か得意気だった。

オレの荷物はいつも日常的に使用しているリュックサックひとつきりだったので、
その高反発座布団は、気持ちはすごく嬉しいが、現実リュックには入りそうもない。
しかし、嬉しい気持ちが買って、オレはその座布団を有り難くいただき、
その青い四角い高反発座布団を小脇に抱え、
彼等と別れた後やぼ用の控える昼過ぎまでそんな姿で広島の市内観光をしたのだ。
歩き疲れて、よっこいしょとベンチに腰をかける。
ここぞとばかりに小脇の青い座布団を敷いてみる。
石のベンチがそこだけソファのようになった。
う~むこれは、いける。高反発座布団か。

またしばらくしたある日オガワ君から連絡がきた。
是非赤い疑惑を広島のライブに誘いたいのだ、というハナシだった。
それは先述の感動のミーティングの時にもほんのり話頭にのぼったことだったので、
さほど驚きもしなかった訳だが、
オガワ君がメールに添付してれくた、その「ライブができる場所」の画像を見てビックリ。
所以は知らぬが「陸の孤島にあるカフェ」という触れ込みだそうだが、
何だかとてもよさげな場所ではないですか。
クラッチもブレーキーもこの画像を見せたら興奮していた。
オレ達にとって地方ツアーは特別な存在なんだ。

広島、陸の孤島カフェ

次はワンマンで会いましょう

あっという間に2009年が終わってしまった。あと数時間で「2010年」という、どうも現実味のない数字の時代が始まります。う~んこまったこまった。

実際は差し迫って困ってもいないんだが、年明け一発目の赤い疑惑のライブが何と初のワンマンショーということになっていて、それだけは目下の心配事である。いったいお客さんは集まってくれるのだろうか。赤い疑惑のライブは集客が毎度微妙なのだ。

それにしても何でワンマン、しかも小岩で、と思う方があるかもしれないので説明しておくと、小岩のBUSHBASHという新しくできたライブハウスは、以前、別のライブハウスで働いていたカキヌマ君とキクチ君がそこを離れて新たに創設したハコで、そのBUSHBASHにはカキヌマ、キクチ両氏のハートが、愛情が、信念が注ぎ込まれているのであった。大袈裟な口調になってしまったが、とにかく素晴らしいハコなんだ。数年前から対バンなどで2人とは個人的にも仲良くなっていた━━2人ともそれぞれ自身もバンドマンであったので、今回のワンマンライブはBUSHBASHからの提案だった。

小岩BUSHBASHは2010年の1月、つまりジャニュアリーの平日は全日程、好きなバンドにワンマンをやらせるという。何という面白い試みだろう。通常のライブハウスではワンマンなんか出来ないような(悪い意味ではなく)バンドにワンマンライブという新しいステージを提供しようというのだ。まあ、平日なのでそもそも集客が心配でしかたないが、とにかくオレはお前達を信じてるぜ。何を言ってんだバカ野郎。

そういえば以前、実は1回赤い疑惑アコースティック名義でワンマンライブのような体のイベントをやったことがあった。前座というカタチでDIEGOのクボ君が唄って、その後1時間くらい、みっちり赤い疑惑をやったんだ。南阿佐ヶ谷駅の真上にある目立たぬビルの3階にあるお好み焼きバー「さんはうす」という小さな店が現場だった。お好み焼きバーという段階ですでに笑ってしまうが、それで名前が「さんはうす」というのだからマスターのセンスに脱帽である。マスターは音楽好きで店内には楽器やマイク、簡単なPAセットが完備されていて、ここでお好み焼きを食いながら酒を飲んでライブを見る、というのだからシュールさ半端なし。しかも店内はウエスタン風で、結果大成功に終わった赤い疑惑アコースティックライブの当夜も、ほぼ赤い疑惑の身内が集まっていたこともあり、これってアメリカンホームパーティー?と一瞬疑いたくなる程のアットホーミーな空間ができあがっていたのだ。

余談になったがそのアコースティックライブを除けば、赤い疑惑初のワンマンライブということになる。ワンマン、といえば昔は、なんかすげーよな、と思っていたけど、実際にワンマンやることになっても昔ほどの興奮はない。何分くらいやるの、と数人のフレンズに聞かれたけど多分1時間以上はやるんじゃないかな。オレたち、昔からプログレ体質なのか、曲の展開が激しくて、最近じゃ5分以内に終わる曲がないのよ。よいのか悪いのか、わからないが、だから10曲やったら1時間くらいだから多分それくらいでしょう。何分くらいやるの、と尋ねてくれたフレンズは当日来るつもりなのかね。オレは集客が心配なんだ。

この間の赤い疑惑企画「東京チムレンガ」のステージは満遍なく大好評だった。普段ちょくちょく見に来てくれてるような人が、いやあ、今日のライブはよかったよ、と口々にしててくれていたので、実際いいライブだったんだろうなあ。「今日はトールがよかったって言ってくれたから今日のライブはよかったんだよ」とブレーキーがオレにしみじみ漏らしていたが、説明しとくと、トールというのはオレたちの大学の後輩で同じようにバンドやっているヤツで、とにかく正直でいいやつなんだが、親しい間柄だからこそいつも冷静なライブレビューをブレーキーに伝達しているらしく、そんなトールが絶賛してたという訳だからブレーキーも満足だったのだろう。

確かにあの日のライブはよかった。企画のコンセプトや思い入れや意気込みが、空回りせずに作用した、気がした。企画というと、いままでは余計な気合いの空回りが露呈することがしばしばあった。しかしあん時は無駄なチカラを入れずにやることができた。集まってくれた対バンやお客さん全体が温かかった。ハートを信頼することのできる人間が集まってくれていた。そういう人間を集めることができるようになったのかもしれない。お客さんの熱気はギュッとしていてそれが視覚的に思い出されるほどだ。それで大量の汗をかいた。大量の汗をかいた時は大体いいライブだ。

そういえばDJのアメちゃんも、DJやってて体中から汗が湧いてくる瞬間があって、それがDJのやりがいなんだ、というようなことを真剣な調子で言ってたな。アメちゃん(ワンマンライブでDJをやってくれる)とは奇遇な縁で2009年はイベントの現場でも、また悲しきかな生業の現場でも随分と親しくさせてもらった。同い年で、表現スタイルは異なれど、辿ってきた道は異なれど、だけど心の中の重要なビートがオレを安心させてくれる。同時期に仲良くなったDJのリョウ君も然り、辿ってきた道は異なれど、というタイプ。ついでに言うと職場で知り合ったこれまたDJをやっているshhhhh君もそうだな。

だらだらととりとめもないことを書いた。集客が心配で仕方ないなどと弱音を吐いているが、振り返ってみると2009年の間に急激に赤い疑惑に接近してくださった方々がいっぱいいたなあ。励ましてくれる仲間がいっぱいあったなあ。昔は来てくれていたお客さんが今来なくなってしまった感じ。そういうことは事実としてあるけど、これだけ次から次へと強烈な出会いがあるのだからバンドは止められねえよなあ。出会い程デカいモンはないっすヨ、オレなんかそれしか無いっすもん。2009年の晩夏、EKDのライブが行なわれた海の家で、そんな風にオレに照れくさいことをわざわざ口にして伝えてくれたリョウ君の言葉が思い出される。オレもそうとしか思えないよ、リョウ君。

そういう訳でね、1/22金曜日、小岩で行なわれる赤い疑惑ワンマンライブはね、はっきり言って来ないと損だよ、特にオレのブログを陰で読んでいて、まだ実際のライブは観たことないの、なんて人が隠れていたら特にね。イヒヒヒヒ。

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Author:アクセル長尾
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