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麗しの実家暮らし

昨年末、カノジョだった人がドウキョニンになり、
そして昨日からオレは実家で暮らし始めた。
こういうことはブログで書くことじゃないバカ野郎。

3、4年前、母がガンになり闘病していた時、
オレは風呂なしの物件を引き払って、一時的にこの住み慣れた、
しかし忌々しく煩わしくも温かいこの「実家」に半年ほど戻った。
母は間もなく帰らぬ人となったのでそれからまた、
今度は逃げ出すように実家を出てカノジョだった人と一緒に、
しかし実家からはそう遠くない場所で同棲を始めた。
勿論再び実家に戻る想定など一切なかった訳だ。

オレはその頃にはもう、人生が上手くいかないモノである、
という考え方にすっかり染まっていた訳だけど、
こんな風にまた実家に戻ってくることは想定してなかったのだから、
オレはまだまだ甘い。
人生は上手くはいかないもんだ。

いわゆる、男女のハナシをここでまたついうっかり喋ると
後々泣きをみるのでそれはその辺にしておいて、
遂に赤い疑惑のメンツは3人揃って実家暮らし、
という東京ライブシーン史上最高にアツいロックバンドとなった。
いやいやそういうバンドもいっぱいいるかな。
ただ言わないだけだよね、バカじゃないからさ。

しかし、前向きな私は、ここでまた父や姉との新たな生活を
なんとなく楽しもうとしているのだから性懲りもない。
それから今まで以上に音楽に打ち込もうと野心を燃やしている訳だから、
尚更質が悪い。悪いオトコだね~、アクセル君よ。

今、オレの部屋は足の踏み場がない物置きのようになっていて、
まったく落ち着かない。
オレは畳の部屋と、土壁っていうのかな、
あの安アパートのザラザラした壁が好きだったんだな、
ということに気がつく。
オレの実家はマンションで、勿論部屋が残っているだけで、
ワガママを言っちゃいけませんが、
ここはフローリングだし、鴨居もないね。悲しい。

実家にもどってきて昨日から通勤の景色が変わった。
マンションやデカいショッピングセンターが急増したのは
前々から知っていたんだけど、
今回非常にショックだったのは、もともとこの界隈にあった
グレーな長屋エリアが2つ、すっかり姿を消していたことだった。

オレが貧乏所帯や、例えば、輸入語を使えばゲットー、
スラム、そういう地区に興味関心を持つようになったのは
20歳を過ぎた頃からで、それは、オレが中流階級の、
不自由ない生活をしてきた余裕(?)が関係しているのか、
それはなんとも説明のしようがないことだけど、
例えば関西のライブに行ったりしたらオレ(達)は
有名な西成地区をブラついたりする。

オレらが大好きな、それもやはり20代中盤からだが、
レベルミュージックという音楽が生まれいづるのは、
全世界共通で貧乏なエリアからである。
アフリカなどのゲットーから生まれる音楽のDVDに興奮する。
ヒップホップがヒートアップしていくアメリカのスラム。
映画「ロッカーズ」に代表されるジャマイカのトレンチタウン。

オレはどちらかというと左派の教師であるオヤジに育てられた故か、
何故かアンチバビロン思考がすっかり染み付いてしまって、
なかなかそれを拭いさることができないようだし、
また拭いさろうともしていないのだが、
そういう思想は日本人のシアワセの価値観とは
なかなか同居できないモノである気がしてならない。
カノジョがドウキョニンになってしまうようなオレの不甲斐なさも、
それと無関係ではないようだ。

話戻って我が実家田無、またの名をテネシーは、
恐らく戦後の経済都市東京に集結してきた地方の人間だちが
一生懸命築きあげてきた中流階級の住宅地だ。
その環境の中でオレは平和に育って、自分はマンション暮らしだったけど、
思い出せば小学生の頃遊びに行ったトモダチのK君やT君の家は長屋暮らしで、
確か部屋が2つくらいしかなくて、物が散乱していて、
きっとそこで初めて貧富の差というモノを感覚的にオレは肌で覚えた。

K君やT君とはそこまで仲が良かった訳ではないので、
1度や2度遊びに行ったことがあった、という程度に過ぎないのだけど、
そういう長屋所帯に妙な、軽率な憧れを抱くようになってしまったオレは、
サラ地になってしまっていたその長屋エリアを観た時
ヒドく虚しい気持ちになってしまった。
駅の近くにあったそのサラ地は、姉貴の話によると、
すぐに不法投棄物と雑草で、
先日まで目をあてられないような状態だったそうだけど、
オレが今日目で確認したその場所はゴミが一層されていて、
ひどくすっきりと広がった空き地になっており、
恐らくひとつひとつの長屋を分けていたであろう
ブロック塀の出っ張りが無情に整然と景色に凹凸をつけていて、
何だかやはりオレは非常に切ない気分にさせられたのである。

しかしオレの場合、そんなロマンチックな感傷に
浸っている場合ではないのかもしれない。
何しろ今通っている会社を来月で退社する予定なのだ。
しっかりししなくちゃあかんよ、東京のボンボンボン。
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……みたいな、……的な考

ozawa_shoichi.jpg

大好きな殿山泰司さんの本の中で触れられていて
記憶の片隅にぶらさがっていた小沢昭一さんという人の本を、
この間古本でみつけて読んでいて、
あまりにも自分にストライクな内容だったので今夢中である。

昭和50年代のエッセイだろうか、「……みたいな」という語尾が
巷でやたらと氾濫していたらしく、
その不自然みたいな、「……みたいな」の使われ方に当惑している
小沢氏の慨嘆みたいな、ことが綴られているみたいな。

それでオレも最近みんなが躊躇なく使っている「……的な」という
言葉の使われ方に躊躇しながらも自分も使っちゃっている的なところがある。
今もイベンター的な人から電話があって、その人が
「自分も音楽イベントというとあまり関わったことがなくて、
とりあえず赤い疑惑さんのスケジュール的な部分を……」
ということをおっしゃっていたので可笑しかった。

「的」というとパッと思い浮かぶのは「積極的」とか「消極的」とか、
「退廃的」とか「潜在的」とかそういう風に使われるのが僕の認識だったけど、
今みんなが使っている「的な」にはまったく縛りがない。
「やっちゃった的な」とか普通の述語の語尾に
とりあえずつけてみる的な使われ方がされていて、
聞いていると妙な気分になる的なところがある。
下手をすると「的な」で文章を止めて含みを持たせて、
更には語尾を上げて相手の想像力に自分の表現力の弱さを
カバーしてもらう的な?
「的な止め」的な。

この妙な「的な」使われ方を初めに意識したのは、
大学時代の仲間で焼き肉屋に入った時のこと。
オーダーを取りにきたむっつりとした給仕に
僕らが一通りの注文を伝えた後に、
沓沢ブレーキーが付け足すように
「あの、後ハラミ的な何かないですか?」
この発言に、その席を囲んでいた仲間が思わず吹き出し、
いつも細かく突っ込み役に徹するホーヤが
「ハラミ的なって何だよ。ハラミでいいじゃねーか」
その突っ込みに対して負けず嫌いのブレーキーは
ブツブツ言い訳をこぼしていたけど、
しばらくその後ブレーキー発の「ハラミ的な」という言葉が流行った。

それからもう随分と月日が流れるけれど、
今じゃ誰も「ハラミ的な」じゃ驚かないし、
誰も突っ込まないし、もう野放し的な雰囲気で会話は成り立っている。

これもかなり以前のことだが松田クラッチが、
パンクのレコード屋に電話をして「何時頃までやってますか」
と問い合わせたら「何時頃っていうか9時までです」
とこれもむっつり店員にイライラ口調で突き放されたそうで、
確かに「何時頃」ではなくて「9時」に店は閉まるんだろうけど、
そりゃ厳しいよな。
別にクラッチじゃなくても日本人は
そういう風に物事を曖昧に表現するのが癖だし、
そうしたほうが相手に柔らかい印象を与えたりするもんでないですか。

「的な」の使い方もそういう日本人の、
モノをはっきり断言しない性質に寄りかかって流行っているんだろうから、
オレはもうどうでもいい的なところがあるんだけど。
ちなみにドラマの方の「赤い疑惑」が中国で放映された時は、
「血的疑惑」って訳されたんだってさ。
これはあんまり関係ないけどネ。

ツアー前

090206.jpg
ツアー前はバタバタする。
CDが売れる保証はないがいつもより多めに用意する。
サンプルで配っているCDも沢山焼いて忙しい。
そしてちゃぶ台の上にはオレのソウルフードのおにぎり。
バックパックが準備されるとワクワクする。
今日は夜中出発なので
午前2時頃まで下北の未来世紀メキシコのパーティーに顔を出して
それでツアー道連れの2xと亀マンをその辺で拾って、
それから東名高速である。
赤い疑惑のバンドワゴンは昔からカズメヒコのトヨタの愛車である。

明日から関西

別のブログに換えてみた。
すごく面倒くさかったナ。

明日から関西2カ所でライブをやってきます。
京都は謎のロックンロールバンドと。
タワレコの中では一番京都店が売れているらしい。

大阪では前回アースドムで一緒にやったneco眠るとやります。
京阪地区の方は是非お越しくださいませ。

面倒くさいので寄り道でもして

久々に適当にブログで検索して適当にこのブログ選んだんだけど、
自分が隷属している会社のPCでこのブログ見たら、
Internet Explorerだとちゃんと改行が反映されておらん。
いろいろ工夫してみたがダメなので、
別のサービスに映り変えようかなと思って面倒くさい。

最近は何でもかんでも面倒くさくて仕方がないナ。
面倒くさくて仕方がないけどこういう時になると
音楽とか本とか映画とか、
大学生の生意気盛りだった頃に夢中になったモノには
ことごとく助けられる。

数ヶ月前、派遣社員としてのバビロンライフに本当に嫌気がさしていた時、
友人から大西巨人という妙な名前の作家の本を借りたんだ。
その巨人というオッサンは実際あまり知られていないんだけど、
文学界では相当に評価の高い人だとかで、
そのヨーセーという友人は文学が大好きな珍しいタイプの人間なんだが、
その彼が気焔をあげてオレにその巨人さんの本を薦めてきたんだ。
「これ、ホントすごいんだよ。
いや正直今まで読んだ日本の小説の中で一番すごかったかも」
ヨーセーというのは興奮すると人目も気にせず身体全体で興奮しちゃう
子供なような人間だからその勢いに押されてオレも
「じゃあ、とりあえず読んでみるよ」

で、その時借りた『神聖喜劇』という本が実際ホントにすごいんだ。
一冊500pくらいの文庫で全5巻。
しかも内容の大半が和洋を問わぬ古典文学からの引用。
話の中心は東堂2等兵という人間の一人称で語られる
日本の軍隊のリアルなソサイエティーの内情。
怖さというというよりは異様さで、
つきつめていくとそれが紛れもない滑稽さに繋がるんだけど、
普通の戦争小説では絶対に描かぬであろう些細な間抜けな、
「大根は軍事機密か」という事件などが、
過剰な精度で再現されるんだ。
「大根は軍事機密か」が気になる人は是非実際に読んでみてほしい。
気軽に薦められる本ではないけどね。

東堂2等兵という主人公の、確か、たった2ヶ月だか3ヶ月だかの話を、
その巨人というオッサンは、25年もの歳月をかけて書いたそうだ。
まあ、謎は多すぎてきりがないんだけど、
とにかくオレはその頃その本を仕事の行き帰りの電車の中で
眉間に皺寄せて難しい顔をして読んでいたんだ。
その時オレは東堂2等兵が物語の中で直面している「軍隊」という組織と、
今、オレが通っているバビロンという社会とが
明らかにダブっているように感じられ、恐縮だが、
東堂2等兵の奮闘ぶりに己の頼りない背中を支えられるような気がしてた。
励まされるというよりは、耐えろ、耐えろ、と言われるような感じで。

なんて偉そうなこと言っときながら実はオレ
まだその本を全部読み終えていない。
3巻まで読み終えて疲れたので休憩中である。
それというのもヨーセーがその5巻の分厚い本の束を貸してくれた時、
でもこれ、オレも読むのに半年くらいかかったから
玄ちゃんも途中寄り道しながらとか、無理しないで読むといいよ、
というような風変わりなアドバイスをくれたからなのだ。
しばらく経ったらまた読もうと思っている。

オレはただ音楽とか文学とか映画とかが、気分が滅入ってしまった時とかに、
そんなに期待していなかったのに想像以上のエネルギーをくれることがある、
ってなことを書こうと思っただけなのに
大西巨人の『神聖喜劇』のハナシを書いただけで随分と草臥れてしまった。
寄り道をして寄り道をして生きていけたらなあ。

テーマ : その他
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