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ライブが終わって

空が白んでいる。
昨日は日食だったらしいけど、オレの昨日には
とくに何の影響もあたえなかった。
ライブに来てくれたコが「今日日食を見ましたよ」
というのを聞いたくらいで。

我々やライブの出演者達と、
我々やライブの出演者達と同じタイミングで帰る数人の客が
それぞれ活性化した、または沈静化した脳をひきずって、
ライブハウスの前でたむろ、ないし帰り支度。
大きな荷物を抱えて地べたに座り込む者もいた我々は、
歌舞伎町のドブ臭い街路のただ中で、
まるで難民キャンプのようであった。
メキシコ組はタクシーを呼びつけ、
パチュカブラスはバイクで、
オレらはそれを見送り、
これから名古屋方面に帰るというタートルの面々と挨拶を交わし、
JR新宿方面へと歩き出した。

「ちょっと立ち食いそばでも食って帰ろう」という、
ブレイキーかクラッチか、どちらかからは判然としない提案をうけ、
別に食べなくても済むのだが、という徒労然とした、
「僕らのパーティー締め」を行なうべくそば屋に寄った。
一緒に帰途についたトモダチを含め、
四人全員がひやしたぬきそばを食った。
クールダウンへの近道はそれしかないという満場の一致だったようだ。

ちょっと、オレのタヌキ、少なくない、とオレの隣のブレーキーが、
その向こうのトモダチに向かって小さく
(しかし店員には聞こえるような音量で)呟いている。
ブレーキーがこのようなダメだしをすることは珍しいことではないので、
オレは反応せずに眼の前の冷やしたぬきに集中した。
昨日の晩ライブハウス付近のそば屋の前を通った時に、
久しぶりに、カツオ出汁のそばを無性に食べたくなったことを思い出す。
やはり、たとえフランチャイズ立ち食いだろうが、
どうやらカツオ出汁を欲していたには違いなく、
想定外の満足感を350円で得た喜びがあった。
さっきは食べなくても済むと考えていたのに…。

駅で皆と別れてオレは中央線快速高尾行きに乗り込む。
まだ朝早い、しかも下りの電車なのに座れない。
開閉ドア脇の手すりの隅に
両肩に重たい背中のバックパックを下ろし、
右肩に食い込むギターを下ろし、
大西巨人「神聖喜劇」の第四巻をひもとく。
酒を飲んでいたらこういう場合、
出発して1駅か2駅でもう眠くなり船を漕ぐようなことになるが、
あまり酒を飲まなかったからか本の内容に割合ひきこまれた。
それでも三鷹のあたりで眠くなったので船を漕がぬためにも
本を閉じ、外の景色を眺めた。
昨日は日食だったそうだが、生憎の曇り。
そして窓の外はいまだに分厚い雲のせいで
カラフルな感じはなく、ただ単に朝が始まったという風だ。

いつも停めてる駐輪場に行くともうシルバーのスタッフが動き出していて、
オレは昨日100円を払ってここに自転車を停めたのだから、
スタッフがいると、今日分としてもう100円払わねばならぬかもしれない、
というような心配をする。
財布から駐輪場の回数券を出してシルバーのスタッフに
「昨日停めたんですが」と声をかける。
するとオレの自転車は今日の午前10時までは昨日払った100円分がきくので、
追徴はないという。
普段注視したことのなかった、スタッフがいつもオレのハンドルに巻き付ける
オレンジの短冊には、よく見ると停めた日付だけでなく、
停めた時間までをも印字してあったようだ。
「24時間大丈夫なんですね」とスタッフに安堵の嘆息をもらし、
後輪上部に施錠したチェーンの鍵を外しにかかったが、
スタッフはオレの呟きが聞こえたのか聞こえなかったのか、
それに対する何の反応もなかった。

半径の極端に小さい自転車(何と呼ぶタイプなのか分からぬ)のタイヤは
オレとバックパックとエレキギターの重みに明らかに軋み、
オレの身体と同じくらいに悲鳴を上げているようだ。
別に昨日のイベントで転んだりしたわけではないのに、
━━ミスターは昨日のイベントで階段から落ちて
背中をしたたかに打ったそうだが━━、
どうも身体の節々が痛むようで、
何でだろうと考えたら、そういえば、
オレはEKDのライブ中モッシュをしてかなり楽しんでしまったことを思い出した。
普段は痛みを感じないようなところが打ち身のように痛んでいるのはそのせいらしい。

やっとこさ帰宅すると、もう姉は仕事にでかけたらしく、
父は居間で新聞を読んでいるところだった。
父に挨拶をすると、おお、今日は仕事はどうすんだ、
とどこまでの誠意で心配しているのか分からぬが、
そんな風なことを言うので、今日は休みもらったんだ、
ということだけ伝え歯を磨きシャワーに入りベッドに倒れる。


何か夢を見ていたような気もするが、
ドンドン、と決して穏やかではないノックの音で目が覚める。
意識と自分を無理矢理統一させて事の自体を呑み込もうと、
そんな準備を得る間もなくオヤジが、
「悪いんだけど、東小金井まで送ってくれないか」
「あぁ、分かった、ちょっと待って。」
頭はまだはっきりしないが断る理由はなさそうだった。

頭は軽い訳はなく、しかし決して重い訳でもなく、
まだあまり寝てない気もするけど午後1時。
5時間くらいは眠りにつけたようである。
父がギターとキャリアのついた荷物を車に積み込む。
今日は寿司deバラライカというイベントに出る日だったようだ。
寿司を食いながらバラライカを聞くという、
いまだかつて聞いたことない謎のイベントなのだ。

オヤジを東小金井に送って帰ってきて、
オレは昨日のライブで量産された洗濯物の数々に気づき、
洗濯機を回した。天気は悪いようだけど、
最悪近所のコインランドリーの乾燥機で、
一気に渇かしてしまおうという魂胆だった。
洗濯機が回っている間、オヤジがさっき車の中で、
悪くならないうちに食っておけ、とオレに指示した、
また、レトルトはやっぱ旨くないな、などとも感想を付した、
オヤジがレトルトのルーをもとに作ったというピーマンの牛肉炒め、
それをレンジで温めて食べた。

洗濯物をベランダで干していると、遠くの空を旋回しているのであろうか、
ヘリコプターのプロペラの低音や、近くの学校、
━━恐らくオレの母校田無第一中か田無高校の、
キーンコーンカーンコーンというチャイムの音やが、
何故か無性にオレの耳にジンワリひびくようである。
そして今度はシトシトピチという葉を打つ雨の音!
やはり降ってきてしまった。
今干した洗濯物をまたごっそり物干から外し、
重宝しているナイロン製のデカい土産袋に詰め込む。

母が生前使っていたいたであろう花柄の傘を拡げマンションを出る。
つっかけた雪駄に面した足の裏に、
コンクリートの小さな砂利が入り込んだりし、
足の膝から下は容赦なく濡れる。
フランスベッドの工場の脇を通りながら、
昨日のライブの反省点などを考える。
あなたの言葉の並べ方が結構好きよ、と打ち明けてくれた、
いつもイベントで会うアネゴが、
オレの体癖を指摘して一緒に頭に手をのせたことなんかを思い出す。
少しテンションの低かったリョー君やいつでもいい顔をしてるレオ君のことや、
また歌舞伎町の路上で「オニイさん、マッサージ、いいよ~」と連呼して
客を引くアジアのネエちゃんに腕ごと抱えられ相当強引に、
どこかへ連れて行かれそうになったことなども思い出す。
首の後ろが異様に痒くなってきた。
頸椎の左と右とそれぞれかゆみがある。
どうやらさっきベランダで洗濯物を干した時に蚊に刺されたようだ。
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EKD 2nd アルバム 「fantasma」 発売

これは昨日Kさんが見せてくれた動画、
アルゼンチンのゲットークンビアバンドのライブ映像さながら、
自然と解放された空間かもしれない。
オレの脳みそはそんな感覚に陥りながら身体を揺らしていた。

EKDのライブが始まったのはもう空が白み始めた明け方であった。
しかしオレ達はこのEKDのライブを見るために眠い眼をこすり待っていたのだ。
未来世紀メキシコの面々やアメちゃんや、ブレイキーや、
いつも顔を合わせているトモダチがこのEKDのライブを心待ちにしていたのだ。
そしてみんな最後のジプシージョーで日頃の鬱憤を晴らす準備は整っていたいたのだ。

最後のジプシージョーが始まると自然とモッシュピットができて
周りの、初めてEKDを見るような連中もつられて踊り出した。
オレも興奮してきた。
後ろから踊りながらアメちゃんがやってきてオレの肩を組んだ。
いつもはこんな風に真ん中に出てくるような人じゃないのに…。
これでオレはいっそうハイテンションになった。
激しく身体を動かしていると
今度は後ろからミスターがオレの腰のあたりに手をまわし、
大きな声で囁いた。
「げんちゃん、マイク!」
ハッとしたオレは我を忘れステージによじ登って
颯爽とギターをひくEKDの前のマイクを掴んで咆哮した。
観客は相当に盛り上がっていてオレは調子にのって叫んで、
そしてステージをかけおりるとまた、今度は声をあげて踊った。
曲が終わりステージ前で踊っていたみんなは抱き合うような、
幸せな空気に包まれていた。


オレがEKDを知ったのは昨年の秋頃だった。
その音を初めて聞いた時の衝撃は今も忘れられない。
すぐに脳裏にCLASHとMANU CHAOの存在が、
うっすら現れはしたが、その音は圧倒的に日本的でありオリジナルであった。
そしてストイックでワイルドでマイルドでメロディアスなギター。
なのにその全体はとても安っぽい音をしていた。

その頃オレは日本のバンドシーン、特に同年代のバンドに、
シンパシーというものを感じることがほとんどなかった。
だからこのEKDの音を聞いた時の心の動揺は相当だった。
丁度東京ファミリーストーリーのレコ発を企画中だったオレは、
すぐに、CDに書いてあったアドレスにメールを送りコンタクトを図った。

結局その行動がきっかけとなりEKDというミュージシャンと知り合い、
EKDを取り巻く多くの頼もしいクルーと知り合うことになり、
これまでの間沢山遊び、いろんなことを話した。
一緒にライブをやってそうして付き合って行くうちに、
やはりこのEKDというアーティストの才能と眼のつけどころには、
いつも尊敬の念を払わざるをえないセンスのよさを感じた。

EKDと知り合った頃、オレは絶望のどん底にあった。
今振り返るとどんだけの絶望だったのかもうよく分からないのだが、
とにかく絶望のどん底にいたのだ。
毎日、毎日、歯を食いしばる日が続くようなこともあり、
精神的にかなり消耗してしまっていた。
そしてオレはスーツを着てバビロンのオフィスに通うという、
自分は決してなるまいと想像したサラリーマン体験をしていた。
そこでオレは例えようのない焦りを感じながら働き、
その間ずっとEKDのメロディーとビートが頭から離れなかった。
頭から離れなかったというより、正確には、
あるいは意識的に自分の脳が鳴らしていたのかもしれない。
それはオレの、当時のチムレンガといってもよかった。

オレの大好きなミュージシャンでトーマスマプフーモという人がいる。
自らの音楽をジンバブエの大衆蜂起を鼓舞する音楽として、
バンドでずっとメッセージを唄い続けている。
彼の音楽を知ってから、そのチムレンガミュージックをオレは聞き続けた。
特に自分が凹んだり、壁にぶち当たった時には必ず聞いた。
オレにとって、マプフーモのボソボソと呟く地味なボーカルと、
印象的に飛び跳ねるハチロクのビートとサウンドのアンサンブルは、
静かな怒りと、消えそうで消えないしぶとい光と勇気をオレに与え続けた。

そしてEKDの音楽は、マプフーモが持つ音楽の特性に、
どこか通底する反抗性と美しさをひめていた。
だからオレはEKDのメロディーに随分と鼓舞されて、
その当時なんとか後ろ向きにならないように踏んばっていた、のだった。

EKDの2ndアルバム「fantasma」が先日リリースされた。
日本で今最も注目すべきラジカルな音楽である。
是非多くの人が聞いて何かを感じてほしい作品である。
そして是非多くの人とEKDのライブを楽しみたいモノである。


Fantasma

オレたちの道

オレたちはいつの間にか完全に独自の道を歩み始めていた。
バンドを始める頃はこういうバンドになりてえ、
という理想のバンドが幾つも浮かぶモノだ。
オレはそもそもジュンスカイウォーカーズのステージを見て、
それでバンドマンになろう、と決意したほどの、
以前はロマンチストだったのだ。
今オレがバンドでやっていることは
ジュンスカイウォーカーズとは全く異質なもので、
これだけ異質なものになってしまった自分にも呆れてしまう。
でもナルチシズムのことだけ考えれば、
遠からず近からずなのかもしれない。

オレとクラッチとブレーキーは毎週一回会って、
スタジオに入って、ということを続け、
そして常に現状の音楽シーンに満足していなかった。
これもバンドマンとしては珍しいことではないのかもしれないが、
オレらの孤立感は特別だったと思う。
オレたちはレゲエとヒップホップに衝撃を受けた後、
いろんなワールドミュージックを聞くようになった。
だけどオレの不器用さのパーソナリティーは、
いつも何かっぽくなることを自然と回避してしまっていた。
ライブハウスで見る対バンの音楽には、正直なところ、
こころよい反応ができない、という妙な時期がずっと続いた。
もちろん素晴らしいと思えるバンドも数えるくらいはいたのだったが。

ある日オレたちはお好み焼きBARに居た。
前から知っているところといえばそうなのだが、
いまだに謎の空間ともいえそうな、不思議なところだった。
ごく親しい人間が次第に集まってきて、
十五人くらいで満席になってしまった。
オレは月賦で買った十二万円のガットギターを握り、
クラッチはいつも通りエレキベースを握り、
ブレイキーは何故か電子ドラムの前に腰をおろした。
客、いやオレのトモダチ達は一曲毎に喚声を上げて喜んだ。
不思議のようでもあったが不思議でない気もしていた。
何しろオレ達は適度に酔っぱらっていたからだ。
その日、偶然にもカメラを回したオトコがいたな。
世の中というのは本当に不思議なものだ。


六日間お粥の刑

会社で歓送迎会があった。
社長夫婦宅でのアットホームな会で心が和んだ。
机に並んだ瀟酒な食べ物を、あまりガツガツしない程度に色々食べた。
酒はほとんど飲まなかったが、
ちょっと飲んだだけでもオレにとって酒は酒なので、
帰宅してベッドで横になると寝そうになり、
危ない危ない、と思いパソコンで事務的なことをして、
安心して自分の部屋に戻りベッドで横になると、
今度はやはりそのまま寝てしまった。
キノミキノママで寝てしまったのだ。

翌朝起きると何だか気だるい感じがした。
台所ではオヤジが朝からモロコシを茹でていた。
オヤジの茹でるモロコシ鍋の横には
姉貴が昨晩仕込んだらしいミネストローネ風スープがすましていた。
気だるいし食欲もそんなにないのだが、
姉貴のミネストローネ風スープもオヤジが茹でるモロコシ風スープも、
どちらも非常に魅力的に映り、
これらのメニューには一期一会の味があることを確信し食べることにした。

ミネストローネ風スープを何故姉貴が作ったかは大体見当がついていた。
数日前にオレが何かの料理に━━オレはそれが何の料理か思い出せないのだが、
トマト缶を使い、余った半分くらいのトマト缶の中身を別の容器に映して、
そして冷蔵庫で再度保存していたからだ。
冷蔵庫にトマト缶の余りがあるからよかったら何かに使って、
と姉貴に言ったことさえオレは覚えているのだった。
スープは気だるい身体には非常に優しい感じだった。
それだけでも十分だとも思えたがオレはオヤジのモロコシにも手を伸ばした。

オヤジが何故モロコシを茹でていたのかは分からないが、
体調が悪いからかモロコシの味は、悪くはないが、
おいしい、と言い切れるモロコシの味ではなかった。
が、オレはそれを二切れも欲張ってしまった。

せわしくお出かけの準備をしている姉貴に
「あのミネストローネ、うまかったよ」
と伝えると、
「そう? あれミネストローネじゃないけどね。適当に作った」
という謙遜を踏まえたようないつもの姉貴の反応だった。

姉貴も、そしてモロコシを茹でていたオヤジも
いつの間にかどこかへ出かけてしまい、
オレは実家に一人取り残された。
すると携帯で友人から連絡が入った。
その連絡によりオレは2時間後に渋谷に行かなくてはならなくなった。

突然便意を催したのでトイレで一仕事済ませた。
しかし矢継ぎ早に次の便意がきて、
その内容は一気にオレの身体の容態の変化を気づかせる内容であった。
所謂しゃーしゃーの水便だったのだ。

その後五、六回便器への往復を繰り返し、
いったいこの身体で渋谷に行けるのだろうか。
しかしなんとか一旦症状は止まったので自転車ででかけた。

渋谷での用事はとりたてて報告するほどのことではないが、
わはは本舗の本拠地の中だったことは特筆すべきかもしれない。
さておき用事の間は便意も控えてくれて、
帰り際に一度地元の駅のトイレの世話になるだけで済んだ。

帰宅すると微熱があるようだったが、
晩メシはオヤジと姉貴が共同で仕込んだツミレ鍋だったので、
風邪には丁度いいと思い、食べた。
すごく旨いが、塩が若干キツい印象だった。
ダルいので10時頃からぐっすり寝てしまった。

翌朝何故か早朝、起きると依然身体がダルいし便も水様だ。
今日はバンドの練習日であったので不安になり
B氏とC氏に、体調不良で今日は休むかもしれない、
との予告をしておく。
まだ7時だがとりあえず昨日のツミレ鍋の残りだけチビチビ食べて、
もう一度寝る。疲労に眠りはつきものなのだ。

昼前に起きると少しいいようなのでB氏とC氏に
やっぱり大丈夫そうです、という前言撤回メールを。

練習中、もちろんダルかったのだが、
一応、唄うのは気持ちいな、と思えるほどの、
まあいつも通りの練習ができはした。
帰り際に急に例の便意がきて、
スタジオのトイレの世話になった。
便の容態のヤバさは、その連続性で明確になっていたが、
C氏の、オレも基本は水だね、という大胆な発言の前に、
オレは特に自分の不運を愚痴ることを忘れ二人と別れた。

晩メシは、鰯の丸干しがあったのでそれにした。
姉貴は一週間ほど前に仕込んで冷凍してあったシュウマイを食べたが、
オレは下痢が止まらないのでサカナを食べたのだ。
それほどシュウマイを羨ましくは思わなかったが、
姉貴はそんなオレの体調を哀れんでいた。
鰯の丸干しはそれでも━━弱ったオレの身体でもっても、
非常に旨かった。
思えばオレは鰯ばかり食っているようだ。

その夜からまた激しい下痢が始まった。
オレはベッドとトイレの往復を十数回は繰り返していた。
それは初めての経験ではないが、まさに地獄だった。
そんなベッドとトイレとの往復の間の浅い眠りには夢を見るものなのだろうか、
ちょっと眠りについたと思うと、激しい便意を催す夢からさめて、
オレはふらつく足をそのままにトイレに駆け込んだ。
トイレの中でふらついて、一度は壁に激しく頭を打ちつけた程だった。
すでに腹の痛みは伴っていなかった。
ただ単に身体の欲望にまかせ、水分を放出しているような状態だったが、
実家に幸か不幸か完備されているシャワートイレのせいなのかいなか、
肛門は切れてシャワーが随分と痛みの感覚を刺激するようになり、
もちろん、拭いても痛いし、それが非常な苦痛で、
便意がくるたびに終わった後のその痛みを瞬時に予想しなければならなかった。

明け方会社に行くかどうか迷ったが、行くことにした。
流石に何か口にする気にもなれず、
割と寝起き顔のまま家を出ようとしたところ、
何も食わないで出かけようとしたせいか、
オレのダルそうな寝起き顔のせいか、
オヤジが、また寝坊したんだろ、と偉そうに口にしたのにはムッとした。
オレの地獄も知らないで。
それにオレは今の会社に遅刻したことは一度もないのだ。

会社までの道中、一度駅の便所に駆け込むだけで何とかなったが、
あきらかに体調はおかしい。
それは自転車を漕ぐのでも駅から会社まで歩く感覚でも明らかだった。
同僚には多少謙遜する努力は払ったが、
自分の身体の異変の経緯を早めに伝えておいた。
実際力が入らないし下痢は止まらないので後から出社してきた社長夫婦にも、
早めに伝えておいた。
トイレに通ううちに会社の皆様がオレを心配の眼差しで労るようになっていた。
昼休憩まで何とか持ったが、何か口にしないと動けなくなりそうなので、
コンビニでおにぎりと梅スープ春雨を仕入れて食べた。
おにぎりは苦しかったが梅スープは温かく優しかった。
少しだけ力が湧いたような気がしたが、
ついにオレの顔色に異変がみられたらしく、
皆さんが、無理しないで帰ったほうがいいんじゃない、
と口々にいってくれて、そうだな、
自分の次の一手を冷静に考えてもここは早退して病院に行った方が、
後々いいようにも思えた。
そして遂に、病院にこれから行こうと思います、
という脅し文句を前提に早退させてもらうことにした。

仕事場から出るとこんな身体のまま仕事に向き合わねばならぬ
プレッシャーからの解放か、
もう出る水分がなくなって頻度を減らした便意のせいか、
病院に行く程だろうか、とも思えたが、
明日以降のことを考えるとやはり不安なので自宅の近所の病院に、
会社で宣言した通り行くことにした。

S内科クリニックは妙な西洋風建造物であり、
内側からは何の活気も感じられない貧相な病院であったが、
一応営業しているようであった。
入ってみるとガラガラで、二人くらいのばあちゃんをみかけたくらいだった。
初めに看護婦が熱と血圧を測ってくれた。
特に問題はないようであったが、
診察の前に皆にやってもらっているという尿検査を、
オレもやらねばならないらしかった。
大の便意ばかり催していたので、
尿意はしばらく意識の外にあった。
しかしトイレに行ってみると少し出てくれたので、
それで診てもらうと、担当の、言葉に落ち着きのない医師は、
オレの身体の衰弱度は結構ヤバいことを教えてくれた。
尿の成分でそんなことが分かるそうだから西欧医学は大したもんだ、
と思ったし、同時に病院に来といてほんとによかったと思った。
その医師が、常人の2倍くらいのスピードでオレの容態を説明するのだが、
どうも外れたことは言ってなさそうなので、心配になり、
今聞いたことメモってもいいですか、と断って、
もう一度説明してもらったが、やはり早くてロクなメモにならなかった。
とにかく、身体のエネルギーになるカリウムとぶどう糖が極度に欠乏して、
普段は登場しないケトンタイ、とかいう危険なヤツが、
体液に異常発生しているようだった。
下痢の脱水症状に対して単純に水分ばかりとってると、
余計によくないのだそうで、こんな時にはポカリかアクエリアスを飲め、
とのことだった。
それからいろいろ薬を処方され、いろいろ今後の献立に対する指令を受け、
その献立に対する指令に興味を持ったオレはその指令を
しっかり覚えようと意識を集中させたが、
やはり医師の発言のスピードが早すぎるので、
ちゃんと記憶できなかった。
が、なにしろ三日間は梅干しのみのお粥、
その後の三日間はネギと豆腐くらいのお粥というのが大筋だった。
後半の三日間で、間違っても卵を入れちゃダメだ、というアドバイスが印象的だった。
だいたい皆さん栄養つけようと思って卵なんか入れるでしょう、
それが大失敗なんです、お腹の回復には時間がかかるもんなんです。
病院に来る前にオレは粥に卵を入れるのは
お腹にどうなのか、ということを図らずもボンヤリ考えていた矢先であったので、
その医師の言葉はばっちりオレの心を捉えたのであった。
しかし、食欲というのは恐ろしいもので、
オレは六日間お粥の刑に耐えうるだろうか、非常に心細くもあった。
薬を飲み、お粥を食べて二日目くらいで便が正常に戻ったとしたら、
オレは残りの五日間をお粥で我慢していられるだろうか。
そんなことを心配しながら病院からの帰り道、
家の近所のイーオンで2リットル入りのアクエリアスと、
お粥用の梅干し(紀州南高梅塩分7%)を購入したのだった。

アクセル長尾弾き語り

いや、弾き語り、マジ最強だから、
としきりにミノケンが言っていた。

ミノケンと改めて仲良く付き合い始めた頃、
高田渡の話しで盛り上がったのは随分前のことになるんじゃなかろうか。
それからしばらく経って、ミノケンがしきりにそんなことを言い出したのだ。
彼はオレのトモダチで、彼とは最初パンクで知り合った訳だけど、
彼と改めて仲良くなったのは、パンクの価値観以外の美的価値観が、
とてもよく似ていたからだったんじゃないだろうか。
オレもミノケンも表現活動を続けていて、
オレもミノケンもパンクロックはやらなくなったけど
何か人生の柱となるべき価値観が常に近いところにあるようである。
おかしなことだが、それは図らずもパンク的価値観なのかもしれなかった。

そんな付合いになったミノケンが、
弾き語りって最強だよ、とやたらオレに吹聴する時期があって、
それは弾き語りというシンプルな表現を、凌ぐものが他に考えられない、
という意味だったと思う。
数人で演奏するバンドと比べても、
ミノケンが常に取り組んでいる絵と比べても、という訳である。
彼はよく音楽をやっているオレに、表現として音楽が持っているチカラが羨ましい、
絵だとなかなか音楽みたいに伝わらない、というようなことを言った。
それを聞いて、ふむなるほど、日本において音楽はポピュラーな芸術で、
絵画はそれに比べて敷居の高い芸術だからなんだろう、とオレも思った。
音楽鑑賞が趣味の人と絵画鑑賞が趣味の人とでは
数字に大きな開きがあるだろうことは想像できそうだ。

それにしても、弾き語りって最強だよ、
という些か乱暴なミノケンのメッセージも、
オレには完全に否定できないところもある。
何故ならオレは弾き語りがそもそも好きだし、
声とギター(一般的に)だけで、余計な装飾がないから、
言葉の持つ力が最大限に発揮される。
じゃあアカペラはもっとシンプルだから最強の最強となるけど、
アカペラはオレ達にはポップじゃないから、
絵画以上にマニアックな表現になりかねない。
器楽独奏も然りである。

まあ、要はその弾き語りの善し悪しなんだけど、
弾き語りってすげえ難しいもんでさ、
オレは高校生の頃から弾き語りをやってるけど、
いつまでたってもやり損ねる感じ。
しかも人前に1人で立つってのは、
なかなか腹括る必要があるし、
それなりのナルシスチズムも必要なんだから。
自分が大好きな人間じゃないとなかなかできないよ。

オレなんか緊張してもともと下手なギターが
よりいっそう弾けない。
唄ももともと下手なうえに緊張しちゃうから声も震える。上ずる。
想像ではもう少しまともな弾き語りができると思ってたんだけど、
全然うまくいかないんだね。
それでも諦めだけはとことん悪いからずっと続けて、
数えてみたら高校生からだからざっと10年以上の歴史ができた。
10年以上ひとつ事を続けると、喰えるようになるとか、
モノになるとか、オマエの武器になるとか、
よく聞くけど、それは言い得て妙というんでしょうか、
オレもどうやら弾き語りがあまり緊張しないでやれるようになった。
「もう弾き語りなんてやりたくないな」と怖じ気づいたことさえ、
何度もあったような気がするけど、
やっと力まずにやれるようになったんだねえ、よくぞ頑張った。
演奏がうまくなったというよりは慣れただけなんだけど。
何しろ最近オレの弾き語りを久々に見たブレイキーが
いやあ最高に演奏が下手だったねえ、と指摘してくれたくらいなんだ。

ところで赤い疑惑にしろねろにしろ長く続けているうちに、
信じられないようなフォロウをしてくれる人物が現れるもので、
ついに史上初、ねろの映像を公開!
ミノケンとマイクに感謝。



プロフィール

アクセル長尾

Author:アクセル長尾
赤い疑惑の活動報告
およびアクセルの手記
赤い疑惑WEB

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