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LA JAM

フランスの恐らくレゲエバンドでLA JAMAというバンドがいて、
こういう具合にすごくかっこいいわけです。



で、このバンドの新曲をたまたま知る機会があったんだけど、
これが白眉というか、なんというか、何故かレゲエから、
ムバカンガという南アフリカの大衆ダンスミュージックに変化してて、
まあ、たまたまそういう曲ができたんだろうけど、
とにかくこれが素晴らしくて、元気が出ます。
とりあえず観てみて下さい。

アクセル長尾拝

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日記読んでますよ

と最近またよく言われるようになった。
以前、まさしく阿呆のように長たらしい文章を頻繁にブログしていた時期があったが、
その時はシリアイに会うとよく、読んでますよと言われ、毎回のように焦った。
嬉しいのだが、複雑な気分なのだ。
監視、または盗み見されたような恐ろしさが伴ったりして複雑な感じ。
自分でそのように仕向けているにも関わらず。

それやこれや、オレみたいに私生活をさらけ出したり、
私的感情をさらけ出したりしているといろいろ面倒なことになったりして、
それで一時期はブログを放り出した。
それから随分楽チンな気がしていたが、面倒くさいことに、
段々と今度はまた自分の「さらけ出したい癖」が脳みそをストラグルするようになった。

本当に一番いいのは、本を出版して売りつけるというのがベストだと思うのだが、
そんな面倒くさいこと、アホらしくてなかなかチャレンジできない。
それよりもCDを作ったり曲を作ったりすることことの方が優先的順番を勝ち得ているようである。

「音の谷」で岐阜の山奥まで行ってきた。
電車の駅から車で三四十分だから不便なところだ。
初日大トリを飾った赤い疑惑のステージは奇跡的な盛り上がりをみせた。
先頭列にいたのうしんとうのメンバーの1人が興奮の末
誰もいないアスファルトにむかって果敢にダイブしたシーンが頭に焼き付いている。
自分達の演奏を前に大暴れのモッシュピットが形成された瞬間、
オレはいいようの無い可笑しさがこみ上げてきて、
同時に「ライブの善し悪し」は決して演奏のうまい下手ではないのだな、
ということに、弾けないギターをぶら下げながら思ったものだ。
それは前々から感づいていたことだけど、
その夜のライブ程そのことに感じ入った時はなかった。

アンコールを済ませたオレたちのステージの前には握手を求める人の列ができていた。
握手する時、みんな瞳孔開き気味の眼でオレをみつめていた。
オレたちはただいつも通りライブをやっただけだぜ、
今日のライブでいったい何が起こったのかなと思うと
不思議にエキサイティングな悦楽に誘われるようだった。

いいライブをやった赤い疑惑は翌日も人気者だった。
昨日赤い疑惑のライブで感動した人と同じイベント空間でふたたび顔を合わせるからだ。
TシャツやCDを持ってサインを求めに来る人や、写真を撮ろうとする人やがいた。
オレたちはサインの練習をしているからそつなく対応することに成功したが、
どうもお人好しな赤い疑惑の面々は誰かメンバーが不在だと探しにいって
ファンの労力を軽減することに献身的だった。

サインを書いたりすることは腹の足しにはならないが、
腹の足しになるようなことがあったので驚いた。
メインステージから曲線を描いて伸びていく放物線状のゲレンデを
ステージを背にして登っていくとテントエリアを通過するのだが、
気分転換にそのゲレンデを歩いて登っていくととあるテントで声をかけられ、
赤い疑惑の方ですよね、と話しかけられた。
話してみるとどうやら以前仙台で対バンしたことのある青年だった。
そして話しているうちに、ラーメン食べませんか、と彼は言うのだった。
見ると同じテントで野営をしている彼の仲間が小さなガスコンロと
安物のテフロンのフライパンでラーメンを作っていた。
オレは嬉しかったのでそのラーメンをいただくことにし、
なるほど人気者になるとお恵みまで与えられるのだな、と感謝した。
しかし彼もまた、ブログ読んでますよ、とオレに伝えてくれるのだ。
そうして、最近、更新がちょっと……、と控えめな含み笑いを浮かべるのだった。
それは、もっと更新してくださいよ、というジャブだったので、
オレは一瞬面食らったが、はあ頑張りますとか何とか答えたようだ。

さて、今回の音の谷で一気に親好を深めたのうしんとうのライブ━━
2日目の19時頃までの━━を見終えて、
オレたちはのうしんとうのメンバーと無駄に抱き合って別れた。
帰途は往路でうんざりし、当然復路でも覚悟していたETC割引による
国民の不景気ぶりを露骨に露呈した大渋滞もなく、スムーズにいった。
撮影で同行していたマイクと、久しぶりの快音ライブに満足げな様子だったブレーキーを
送り届けた後、クラッチがそのマイクとブレーキーの、
一見すると分からない因果な共通性または共通項を
鋭く(少なくともオレには鋭く)射抜いた見解を語ってくれて、
途中合流したタッチーもしきりにその見解に頷いているのだった。
それにしても送り届けた際━━それもしんと静まりかえった丑三つ時に見た、
上げ底で凹凸の無い、四角ばったブレーキーの新居(正確にはブレーキーの親の新居)
は彼が指摘した通りの隔絶された土地にあり、その隔絶感は、
実に計画的であり見事であった。
彼はすでに「芸能人」から「ご隠居」のレベルに、
当人の意志等には関わり無く、何物かの大きな力で取り込まれていくようであった。


ソンハローチョ

これ、ヤバくないスカ?
ソンハローチョというメキシコの音楽。
現地の人とレイジのザックの共演ということらしい。
詳しくはこちらのブログ参照。
興奮します。

バックパックとギター

今日は平日ライブなので職場に無理を言って早退。パンパンのバックパックを背負って、エレキにしては重い部類に入るであろうフェンダーのテレキャスターを肩から担いで電車に乗ってオレは下北沢に向かう。新宿を経由して小田急線で向かう。車内のドアよりの一隅、オレが立っていたドア際の位置からオレの視線に入っていたオバちゃんが列車発車後から何だかソワソワしている。オバちゃんどうしちゃったのかな、と少し気にしていると、おもむろに━━イヤホンで音楽を聞いているオレに向かって何事か尋ねてきた。初め、よく聞こえないなと思って右のイヤホンを外して、何でしょうか、とこちらから逆に問い合わせると、
「この電車は藤沢に行きますか」
と不安げな顔でまた質問してきた。オレは小田急線はアウェイだから咄嗟にはよく分からない。オレは下北沢に行けさえすればよかったのだから。しかし基本的にオバちゃんに弱いオレは、オバちゃんの不安には誠心誠意答えたいと思った。ふと視界の片隅にあった電光モニターに「for FUJISAWA」と表示されてるのを、その瞬間たまたま発見できた。
「大丈夫。これは藤沢行きですから。」
「はあ、そうですか」
それでも数秒間、まだオバちゃんは不安げな顔を続けたが、どういう心境なのか、すぐに安心した表情に変わって微笑んで、ありがとう、と言った。よく見るとオバちゃんは右手に杖を持っていた。
杖を見るとオレはアサヒ染色━━オレが以前バイトしていた染色屋の社長を思い出す。オレはそのオバちゃんに惚れ込んでいた。話すことが男勝りの豪快さに溢れ、オンナの、オレがまだあまりよく知らない母性、というものを全面にたたえていたから。目の前のオバちゃんはアサヒ染色の社長よりは幾分上品でおっとりとした感じであったが愛嬌があった。オレはこの後、下北で降りてまだ意義をみつけきれていない謎のイベントに出演する為いろいろのことを考えていたわけだが、この目の前の、藤沢行きのオバちゃんと接触して何だかいい気分になった。

疑念の拭いきれない、本日のイベントは、オレにとって、またはクラッチンブレーキーにとって、非常に学ぶところの多い体験だった。う~む、いったいこれは何であろう、始終オレは考え続けた。中学生の頃、または高校生の頃、オレはこんなノリを観た気がするし、それを大変な事件として楽しんでいたことをふと思い出す。軽音楽部の先輩とスパークスゴーゴーのライブに行った時のこと。あれは何ていうスタジアムだっただろう。とにかく若いネエちゃんがわんさかステージの前方にひしめき合ってキャアキャアやっていた。オレはスパークスゴーゴーを楽しみたかったのにノリノリのネエちゃんの腰とか尻とかに圧迫されて苦しかったことを思い出す。アイドルとは何であろうか。何故、人にはアイドルが必要なのであろうか。そしてアイドルの前で人はどういう態度でいるべきなんだろう。

イベントの中身の空気よりオレが妙に感じたのは楽屋の中の息苦しい感じだった。デカい鏡が置いてあるような楽屋だ。トイレもオトコ用オンナ用、冷蔵庫にテーブルに椅子。オレたちがこういう楽屋に入るのは初めてじゃない。それにしても音楽や芸能を銭っこにしている方々と音楽や芸当が銭っこになってないオレ達とが、ひとつ屋根の下に押し込まれるというのは妙な気分である。出演者やスタッフがオレ達にまで気合いの入った挨拶をしてくれる。誰が出演者で誰がスタッフなのかもよく分からない。分からないこと尽くしだ。オレは、君は、音楽で一体何がしたいのだい?

地元の東小金井からの帰途、最近トモダチにもらったCDRをウォークマンに差し込んでそれを聞きながら自転車に乗る。CDR盤面にはそのトモダチのメモで「波」と書いてあった。途端、ザザーと波の音が始まった。(ホントに波だ)、と思い、(でもそのうち波をフィーチャリングした心地よいアンビエントのような音楽が始まるのだろう)と勝手に期待していたが、いつまで経っても波の音はずっと波の音だった。つまらないけど心地いい音だな、それにしても荷物が重すぎだな。ゆっくり漕ぎながら小金井公園をすり抜けようとすると後ろから何か近づいてくる気配、しかもそれがポリスだということが、不思議だが咄嗟に分かった。ポリスの携帯している懐中電灯がオレとオレの自転車を煌々と照らし出した。波の音が爆音で鳴り続けているイヤホンを外す
「すいません。自転車の防犯登録だけ確認させてください」
「……」
「すぐ終わるんでね。ちょっと」
「……ほんとにすぐ終わるんすか」
「すぐ終わります。ちょっとご協力お願いします」
こういうアルバイトみたいな取り締まりをしているポリスは妙に低姿勢なヤツが多く、それが逆に鼻についてオレは大嫌いだ。
「それは何ですか?」
「……見たら分かると思うけどギターです」
「今日は練習か何かで?」
「……」
この後しばらく、そんなことオマエ、ホントに知りたいと思ってんの━━例えば、「へえ、ちなみにギターの型は何なんですか?」「……え、……フェンダーのテレキャスですが」というような、白々しい機嫌取りのような会話が続き、しまいにはバックパックを指差し「それには何が入ってんですか?」ときやがった。オマエ、さっき防犯登録だけ確認させてください、って言わなかったっけ。その時点でオレも随分イライラしていたのだが、このポリスメン(いかにも善良そうな顔してる)にも家族がいて、養う人がいるかいないか、とにかく同じ人間であり、生活のためにこんなバイトみたいな取締りしてるんだな、と思うと喰ってかかる気にもなれない。だけど、一応
「見せなきゃいけないんですか」
と切り出すと
「隠さなきゃいけないようなモノがあるんですか」
と売り言葉に買い言葉、常套句で返してくるので、畜生と思い、
「いや、でもオレそういうこと(権力を利用してプライバシーを踏みにじるようなこと)反対してる人間なんで」と頑張る。確かポリスにそんな権利などないはずなのだ、多分。
「お気持ちはよく分かりますが最近物騒なモノ持ってる人多いんですよ」
「……物騒なモノって何なんですか」
「いやね、ナイフとかね、最近多いんですよ。あの秋葉原の事件なんかがあってからね」
ナイフか、確かにそんなモン持っているヤツがいっぱいいるなら物騒だよな、結局オレはそれでも煮え切らないがバックパックの中身を見せてやった。ポリスは懐中電灯を使ってオレの荷物を調べながらこれは何だ、それは何だ、と聞いてくる。いったいプライバシーの侵害などと表面では文明面している日本国は何なんだ。大体こんな大荷物もって、ギターを担いで登山姿のような人間のバックパックからナイフなんて出てくると思ってんのか。そんなご苦労な犯罪人がいるのか。バカバカしくて悲しくなってしまう。
「はい、ご協力ありがとうございました。じゃあ、時間とらせて申し訳なかったです。夜道お気をつけて」
最後まで誠実顔の二人のポリスに「ご苦労様です」と告げ、自転車のペダルに足をかける。イヤホンを耳に戻すと「ザザー」と波の音が続いてる。(ホントに波の、波の音だけのCDなんだな)ボンヤリ思いながら、田無高校前の急坂をゆっくり滑りおりていった。

チェ・スダカについて

面白いワールドミュージックをブログで紹介していきたい、
と常々思っているのであるが、
いざブログにアップするとなると、なかなかそれに向かう気力および体力が伴わず、
ついつい毎日が怒涛のように過ぎていく。

しかしやはりオレが見聞き知った現在のワールドミュージックは面白い、
と強く思うことが多く、どうか日本の、特に若い人達がこの面白い音楽を
もっともっと聞いてほしいと感じている。

以前、関西で知り合った赤い疑惑ファンの少年(青年?確か十代だ)と
ライブの打ち上げで話してた時のことだ。
「長尾さんがブログで紹介してたスタッフベンダビリリ、
すごくいいっすね。僕買っちゃいました。」
S君は目を輝かせながらオレにそう語ってくれて、
「もっといっぱい紹介してください。」
とかなり興奮気味で、オレはS君の興奮ぶりに圧倒されて、
それなりのリアクションもできず、ただ、そうかそうか、と感じ入ってしまった。
こんなオレでも役に立つのかな、と思うと己の厭世的思考傾向を、
改めて考え直さざるを得ない気分になった。


チェスダカの存在を知ったのは未来世紀メキシコおよび、
ショーゴ氏にもらったCDがきっかけであった。
その3曲入りのCDに、若々しくやんちゃなエネルギー以外特に感じるところはなく、
なんとなく名前だけ覚えていたが、
その後いろいろなタイミングで彼らの存在を意識する機会を多く持ち、
そしてあれはいつだったか、EKDのライブが新宿の小さなバーで行なわれた時だ。

その催しはグローバリズムや利権に関するシンポジウムというか、
そのようなイベントだった。
先日参加した渋谷宮下公園ナイキ化反対イベントの主催のおがわてつお氏も
そのイベントで「企業が公衆のものを巧みに私有化する」という問題について語ってもいた。

そこに以前紹介したRADIOCHANGO JP(日本支部のような存在)のスタッフが
参加していた、のか主催していたのか、は今はちと思い出せないのだが、
とにかくその場に来ていた。
RADIOCHANGO JPというのはスペイン、バルセロナのメスティソシーン
(混血シーン━━ヨーロッパはアフロ系の移民やアラブ系の移民が多い、
また、オレはここでメスティソシーンという言葉を
勿論音楽シーンのことをさして言っているのである)
の発信基地的なwebサイト組織のことである(恐らく)。
それで、当のチェ・スダカというバンドはRADIOCHANGOの看板バンド的な存在であり、
未来世紀メキシコのみんなが衝撃を受けたバンドであり、
一方オレはその時まではあまり注意を払っていなかったバンドなのであった。
しかし、たまたまなのか、RADIOCHANGO JPのスタッフはチェ・スダカのCDを持参していて、
かなり割安な金額でそれを売っていたのだ。
なかなかいいジャケットだし、未来世紀メキシコのみんなが衝撃受けてる、
てえのは気になるので、それで買ってみることにし、
ついでにRADIOCHANGO JPのスタッフに赤い疑惑の宣伝をもして帰ったのであった。
(後日このJPのスタッフは親切にもバルセロナのRADIOCHANGO本部に
赤い疑惑のことを仔細に紹介してくれもしたのであった)

本題はチェスダカであった。
オレはそのイベントから帰った夜、どんなもんかいな、と思ってチェスダカのCDを
我が部屋(6畳未満、足の踏み場2畳未満)で早速聞いてみた。
さっき、オレはその時まではチェスダカの印象を
「若々しくやんちゃなエネルギー以外特に」と書いたが、
補足して言うと、その時まではチェスダカがパンク・ハードコア出身のバンドであり、
そこにラガ(ラガマフィン━━レゲエのボーカルスタイル)がかぶさったり、
少し異国情緒(それまでスペインの音楽をあまり知らなかったので)が感じられる、
そういう程度の、なんとなくの先入観しか持っていなかった訳だが、
そのCDを聞いた時はホントに吃驚した。

パンク・ハードコア、ラガ、スパニッシュというキーワードが何か変化してる訳ではないが
とにかくメロディーと曲の仕上がり具合、曲間の繋ぎ具合、過剰じゃないやんちゃ具合、
これらが絶妙に、なんとも、、、いかん、音楽を語り出してしまった。
とにかくオレは感動しちゃって涙がこみ上げてきた。
(オレは三十歳にもなって、ロックでこんな興奮できる感受性があったのか)
と自分で自分を疑う程、心をグラグラ揺らされた。
それは上等な音楽、とか下等な音楽とかいう感じ方じゃなくて、
感情が先走ってしまい、いささか冷静さを失うといった心の揺籃であった。
聞いた後興奮抑えきれずEKDに突然の「ありがとうメール」を打ち、
その後、もう一回聞いてみたがやっぱり感動的だった。
(オレはそれまで否定していた、ギターにシールを貼ることを
特別に肯定して我がギターにチェスダカのシールだけは貼ってしまった…)

チェスダカのそのアルバム(3rdアルバム)の何かのレビューに
「バンドが化けることがある、というが、
このチェスダカはこのアルバムで化けた」
というくだりがあって、遡って1stと2ndを聞いていたオレは、
その言葉に深く同意せずにはいられなかった。
同時にこのチェスダカの名盤3rdアルバムが完成したのは
オレが大学卒業当初に出会った
━━しかもアジア貧乏旅行の途上、カンボジアの湖畔にあった安宿の、
風通しのいいロビーで欧米のヒッピーに教えてもらった、
マヌチャオの存在がなければなるまい、とも思ってもいた。

日本にはあまり入ってこない地域の熱いロックのハナシであります。
ではyoutube。


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アクセル長尾

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