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ONDA VAGA

某レコードショップ店員に教えてもらったアルゼンチンのバンド。
こりゃもしかするとオレより年下かもしれないな。
いろいろと感じるところの多いキャラだちです。

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疑惑のアコースティックライブ

職場から五日市街道、井の頭通り、環七を走り抜けて新代田駅界隈の裏路地に原付を止めた。時間に余裕があれば電気のコジマにも寄りたかった━━10月末で期限が切れるポイントを使って目覚まし時計を買いたかったのだが、赤い疑惑アコースティックライブの時間が迫っていたのだったからそれは断念して、フィーバーという、とてもバブリーな名前のライブハウスに直行した。環七の横断歩道で松田クラッチと遭遇した。

ライブ会場に1人で乗り込むのと、メンバーと一緒に乗り込むのは大変大きな違いがあるのだ。ツアーなんかでメンバー3人、車に乗って高速道路をひた走って地方の都市に潜入して、一緒に会場入りするあの時に感じるバンドの結束感というのは味わい深いものだ。ライブハウス入りする時だって、例え横断歩道からフィーバーまでの至近距離でも松田クラッチと目的地のゲートをくぐれるということは頼もしいことなのだ。

ライブハウスはフィーバーだけどオレたちがライブをやるのはフィーバーじゃなくてポポだ。ライブハウスに併設された、打ちっぱなしコンクリートがこじゃれた感じのラウンジスペースであるところのポポだった。すでにトップバッターのシュウヘイが弾き語りをやっていて、疑惑クルーもチラホラいるようだし相当久しぶりに会うようなトモダチもいるらしかった。ジュンジュンが突然「アコースティックってどういう意味なんですか」と聞いてきたので、ハッとして、オレは今日の赤い疑惑はアコースティックライブのつもりでやることをそれで思い出したのだが、アコースティックとはどういう意味なのか正確に説明できる自信がなかったので適当にごまかしを言った。

リハで音だしを始めるとPAの方が「今日は音量制限がありまして…」と言う。その話しなら主催者から再三聞いていたので、うるさいな、と思ったけどこらえて、丁重に存じております、という受け答えをした。そう、今日はアコースティックライブなのだから初めから爆音で勝負しようとは思ってないのだ。アコースティックのつもりでやるのである。

音だしが済むと客がいる同じ空間で着替えを済ませ手拍子を始めた。オレは手拍子を始めたけどクラッチもブレーキー煙草をふかしてやがる。随分呑気な連中だなと改めて感心しながらオレは手拍子を続けた。その間、曲順をどうするかなどの内輪モメをしていたのだが、オレはもう早くライブを始めてしまいたいので無理矢理切り上げて、行進を始めた。

「ツキノワ」という数えるばかりの疑惑クルーの間で「あれは名曲だ」と評判の高い曲を2曲目にやったら、力んでしまってうまく演奏できない。名曲だと言われたことが思わぬプレッシャーになって脳が硬直している。う~ん、ライブは難しいモノだなと俯きがちになるが、次の曲で落ち着きを取り戻すことができて、いつもよりやかましくない我々の演奏と唄を、段々と生き生きと表現できるようになった。お客さんもなかなか楽しんでくれているようである。さあさあ、赤い疑惑のライブショーを存分にお楽しみください、と最近一番時間をかけて練習している新曲の、しかも佳境の部分に突入。「どういう訳だか赤い疑惑!」と叫び「トオキョオー」とメロディーをつける。ブレーキーが「トオキョオー」とハモる。あれ、おかしいぞ、と思う。クラッチのベースがいきなり消えた。おかしいな、と思ってクラッチを見るとオレに両腕でバッテンを向けている。そうしてオレも演奏を中断する。

急にライブ演奏を止められると、オレはアクセルと長尾玄武の間を彷徨う。現実を捉え直すのに身体の変な部分の機能を使うのだろう、オレの血液が戸惑っている感じ。
「警察が来てる」
苦情が来たようで、松田クラッチがそう教えてくれてやっと状況を把握し、現実に引き戻されていくようだった。どういう訳だか知らないが、先日群馬でライブをやった時も警察が来たのだ。それより少し前にもオレがDJをやっている時にも警察が来た時があった。その時はとりあえず音楽を消してマイクでボソボソ実況中継をしていたらクラブバーの屈強な店長に激しく怒られたので肝を冷やした。警察の前でマイクを使うということは相当なタブーだそうで、よく考えれば当然のような気もするのだった。そういうことが最近あったので、こういう時は大人しくしているのがベストなのだ。だから結局ライブは打ち切りにしてお客さんもその状況を是認するよりしかたがない様子だった。

結局警察はすぐに帰ったみたいで、しばらくして最後に出演予定だったバイトがライブをやって、それ以上警察の介入はなくイベントはどうにか幕を閉じることができたのだった。撮影してくれていたツダ君が疑惑ライブ中断の直後、「どういう訳だか赤い疑惑」と唄った直後でしたね、と事件を振り返ってボソッともらしたのが印象的だった。どういう訳だか赤い疑惑というバンドを組んでオレは熱心に唄を歌い続けているのだ。

久しぶりに疑惑のライブを観たら、ホントに今日、観れてよかったと思って、と帰りしのアイちゃんがオレに感想をぶつけてくれて、その感想が不器用だけど明確に主張の伝わる内容で、オレもすごく嬉しかった。アイちゃんと知り合ったのはもう6年くらい前のことで、オレが開催してたヨガ教室にも顔を出してくれたり、いまだに付き合いのあるトモダチを紹介してくれたり、彼女が働いているライブハウスで顔を合わせては世間話をしたりして、とそういう間柄で、だけどアイちゃんは生の赤い疑惑のライブを久しぶりに見て感動してくれていたのだ。「変わっているけど、変わってない」というのが赤い疑惑の彼女の評価で、それは彼女が力を込めて言った「これからもずっと続けて下さい」というセリフに直截的に繋がっていた。いろんな評価のされ方をされてもこういう言葉はすごく貴重なモノだと思った。その彼女の気持ちに答える術は「うん、頑張って続けていくよ」という言葉と、それから握手しか思いつかなかったので固い握手をした。握手はいいものだ。握手をした後も一言二言交わし、今度はアイちゃんが再度手を差し出してきたのでオレはもう一度握手をした。

さっきからみんなが旨そうに食べているカレーが気になっていた。オレは今週腹の調子が悪くて昨日今日はおかゆとうどんを食って凌いでいたのだが、夕方くらいから少し具合がいいようなので何か食いたい。そのカレーが食べたい。丁度イワサキ君がカレーを食べるというのでオレも便乗して腰をあげた。「出て来るまでに20分くらいかかるよ」と、すでにオーダーしたカレーをやっと手中におさめたクラッチとトールが口々にオレたち(オレとイワサキ君)に警告した。たまたま具材が切れてしまって時間がかかったのだろうよ、と甘くみてポポ特製のカレーを頼んでみると、本当に20分くらいかかってカレーが出てきた。カレーというのはご飯の上に仕込んであるルーを温めてかけるだけなのにどうして20分かかるのか、それは最後まで謎に包まれたままだった。イワサキ君が特製カレーに対する評価を二言三言並べているのをオレもうんうんと聞いていたが、とりわけ「遊びが足りない」という彼の感想は意外性を帯びていて新鮮だった。確かに遊びが足りないと言えば遊びが足りないような気もするのだった。だけどオレはそれよりもちょっと塩辛いな、という印象の方が強く、それでもルーに使われているヒヨコ豆の固さはオレにおいしく感じられるのだったからオレは幸せかもしれない。

帰り際、オレとブレーキーとイワサキ君とトールとノザが、帰るタイミングを揃えて一団をなした。オレは帰途のBGMにマプフーモを選んで、皆に別れを告げてCDウォークマンのイヤホンを耳にねじ込んで歩き出した。そしたら後ろで別れを告げた一団が横断歩道まではオレのルートとみんな一緒だったらしく、別れを告げたのにまた信号待ちで合流した。オレは面倒くさいのでイヤホンは外さないでみんなで横断歩道を渡ったがノザはもう自転車であっちの方へ走って行ってしまうのが見えた。猛烈なスタートダッシュだった。猛烈なのはスタートダッシュだけじゃなく、そのまま猛烈に環七のあなたに小さくなっていってしまった。それを見て一団の誰それが「はえ~、やっぱメッセンジャーは違うわ~」と嘆息を漏らしているのがイヤホン越しに後ろの方から聞こえた。ああ、そうか、ノザはメッセンジャーの仕事をしているのだとか、いつか本人から聞いたことがあったな。初秋のちょっとした冷え込みが少し物憂く身体に染みわたった。

そういえばもうすぐ

コロンビアのクンビアパンクユニット(?)ボンバ・エステーレオが来日します。
好き嫌い別れるかも知れませんが、
オレは大好きなので楽しみにしています。
未来世紀メキシコのイベントでよく聞くな、と思っていたら、
今働いている会社でもガッツリ取り扱っていたという…。
僕もDJで何回か使っています。
この感じ今までありそでなかった感じだと思います。
イベント詳細はこちらです。
以下は彼等のPV(最後のライブ映像が安っぽい(笑))。



ボーッとしていられない

ボーッとしているうちに人生は過ぎていく。オレはよくボーッとしている顔をしているらしく、度々人に笑われる。昔はそのようなことを言われると不当な気がして腐っていたが、もうそんなことで腐ることもなくなった。

ボーッとしているのかもしれないけど前付き合ってた人に言わせるとオレは頭を使い過ぎらしい。たまにはボーッとしたら、くらいのことを言われていた気がする。そう言われてみると頭を使い過ぎのような気もするし、最近もまた霊気という気功を勉強している人に「緩めよ」というようなことを言われた。整体の世界では「緩める」という感覚があって、これは身体のいうことに耳を傾けて、緊張しているところ、疲労がたまっているところを「緩める」ということなのだ。頭を使い過ぎの人は頭に両掌を乗せるといいらしい。気の世界は面白い。オレはきっかけがあって気の世界を信用している訳だけど、その「緩める」ってのがなかなか容易なことじゃないんだね。

数年前、勤務中に重大な交通事故を起こしたことがあった。居眠り運転で赤信号で停車中の車に真っ直ぐ突撃したのである。「ボン」という鈍い爆発音で気がついたら車の中が白煙と妙な臭いで充満していて、オレの眼の間にはエアバックが膨らんでいた。それで唇が切れて眼鏡が中央から真二つに割れて足下に転がっていた。オレに突撃された車の運転手は「少し首が…」というので、その事件の後、保険屋さんやポリス屋さんなどの手を一通り煩わせたその後で、一度見舞いに行って、そうしたら首はなんともなかったようで、やっと胸をなで下ろすことができた。

その醜態は己の生活態度を見つめ直す大きな契機となり、それまではがむしゃらに(アルバイトとバンド活動と交友活動を)やって、寝る時間を極端に切り詰める、という生活を自分に無理強いさせていたのだが━━ある人の助言もありそうすることで夢に少しでも近付けると思っていたのだが、その事件をきっかけに睡眠時間を改めてやっと生活スタイルがまともになった。何しろその頃のアルバイトは配達の仕事もあって車に乗る機会が多かったのだが、毎回のように睡魔と闘いつつ、という危なっかしい状態だった。それが少し平均睡眠時間を増やしただけで改善されたのだから身体を休めるということがどれだけ重要か痛感した次第。

しかしどうもオレは根がせっかちなのか、ボーッとしてるような顔をしているだけで、ボーッとしていることが苦手なのかもしれなかった。いや、以前よりはいくらか改善されて、公園に行って寝転んだり、そのまま眠ったりする心地よさなんかを肯定的に捉えつつはあるのだが、それでも、(自分の)ブログが更新されていないと気になるし、バンドがうまく進行しないと焦るし、結局時間に追われていることが多い。

「緩める」ということは大変贅沢なことで、猫が日向ぼっこしている心境は驚異的に羨望を感じる。猫のように人間も日向ぼっこしている気持ちで生きていてもいいのだ。ただ生きているだけなのだ。ただ生きているだけなのに、何か意味づけをしたり、意義づけをしてないと気が済まない。人間は非常にやっかいであり、それが分かっているから身体の神秘のことも考えるのだ。どっちに転んだとしても「達観しているヤツ」は信用ならん。諦めの美学も夢を追いかける美学をも、オレはどちらも信奉しているのであり、それ故なかなかボーッとしていられないらしい。困ったものだ。
プロフィール

アクセル長尾

Author:アクセル長尾
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