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次はワンマンで会いましょう

あっという間に2009年が終わってしまった。あと数時間で「2010年」という、どうも現実味のない数字の時代が始まります。う~んこまったこまった。

実際は差し迫って困ってもいないんだが、年明け一発目の赤い疑惑のライブが何と初のワンマンショーということになっていて、それだけは目下の心配事である。いったいお客さんは集まってくれるのだろうか。赤い疑惑のライブは集客が毎度微妙なのだ。

それにしても何でワンマン、しかも小岩で、と思う方があるかもしれないので説明しておくと、小岩のBUSHBASHという新しくできたライブハウスは、以前、別のライブハウスで働いていたカキヌマ君とキクチ君がそこを離れて新たに創設したハコで、そのBUSHBASHにはカキヌマ、キクチ両氏のハートが、愛情が、信念が注ぎ込まれているのであった。大袈裟な口調になってしまったが、とにかく素晴らしいハコなんだ。数年前から対バンなどで2人とは個人的にも仲良くなっていた━━2人ともそれぞれ自身もバンドマンであったので、今回のワンマンライブはBUSHBASHからの提案だった。

小岩BUSHBASHは2010年の1月、つまりジャニュアリーの平日は全日程、好きなバンドにワンマンをやらせるという。何という面白い試みだろう。通常のライブハウスではワンマンなんか出来ないような(悪い意味ではなく)バンドにワンマンライブという新しいステージを提供しようというのだ。まあ、平日なのでそもそも集客が心配でしかたないが、とにかくオレはお前達を信じてるぜ。何を言ってんだバカ野郎。

そういえば以前、実は1回赤い疑惑アコースティック名義でワンマンライブのような体のイベントをやったことがあった。前座というカタチでDIEGOのクボ君が唄って、その後1時間くらい、みっちり赤い疑惑をやったんだ。南阿佐ヶ谷駅の真上にある目立たぬビルの3階にあるお好み焼きバー「さんはうす」という小さな店が現場だった。お好み焼きバーという段階ですでに笑ってしまうが、それで名前が「さんはうす」というのだからマスターのセンスに脱帽である。マスターは音楽好きで店内には楽器やマイク、簡単なPAセットが完備されていて、ここでお好み焼きを食いながら酒を飲んでライブを見る、というのだからシュールさ半端なし。しかも店内はウエスタン風で、結果大成功に終わった赤い疑惑アコースティックライブの当夜も、ほぼ赤い疑惑の身内が集まっていたこともあり、これってアメリカンホームパーティー?と一瞬疑いたくなる程のアットホーミーな空間ができあがっていたのだ。

余談になったがそのアコースティックライブを除けば、赤い疑惑初のワンマンライブということになる。ワンマン、といえば昔は、なんかすげーよな、と思っていたけど、実際にワンマンやることになっても昔ほどの興奮はない。何分くらいやるの、と数人のフレンズに聞かれたけど多分1時間以上はやるんじゃないかな。オレたち、昔からプログレ体質なのか、曲の展開が激しくて、最近じゃ5分以内に終わる曲がないのよ。よいのか悪いのか、わからないが、だから10曲やったら1時間くらいだから多分それくらいでしょう。何分くらいやるの、と尋ねてくれたフレンズは当日来るつもりなのかね。オレは集客が心配なんだ。

この間の赤い疑惑企画「東京チムレンガ」のステージは満遍なく大好評だった。普段ちょくちょく見に来てくれてるような人が、いやあ、今日のライブはよかったよ、と口々にしててくれていたので、実際いいライブだったんだろうなあ。「今日はトールがよかったって言ってくれたから今日のライブはよかったんだよ」とブレーキーがオレにしみじみ漏らしていたが、説明しとくと、トールというのはオレたちの大学の後輩で同じようにバンドやっているヤツで、とにかく正直でいいやつなんだが、親しい間柄だからこそいつも冷静なライブレビューをブレーキーに伝達しているらしく、そんなトールが絶賛してたという訳だからブレーキーも満足だったのだろう。

確かにあの日のライブはよかった。企画のコンセプトや思い入れや意気込みが、空回りせずに作用した、気がした。企画というと、いままでは余計な気合いの空回りが露呈することがしばしばあった。しかしあん時は無駄なチカラを入れずにやることができた。集まってくれた対バンやお客さん全体が温かかった。ハートを信頼することのできる人間が集まってくれていた。そういう人間を集めることができるようになったのかもしれない。お客さんの熱気はギュッとしていてそれが視覚的に思い出されるほどだ。それで大量の汗をかいた。大量の汗をかいた時は大体いいライブだ。

そういえばDJのアメちゃんも、DJやってて体中から汗が湧いてくる瞬間があって、それがDJのやりがいなんだ、というようなことを真剣な調子で言ってたな。アメちゃん(ワンマンライブでDJをやってくれる)とは奇遇な縁で2009年はイベントの現場でも、また悲しきかな生業の現場でも随分と親しくさせてもらった。同い年で、表現スタイルは異なれど、辿ってきた道は異なれど、だけど心の中の重要なビートがオレを安心させてくれる。同時期に仲良くなったDJのリョウ君も然り、辿ってきた道は異なれど、というタイプ。ついでに言うと職場で知り合ったこれまたDJをやっているshhhhh君もそうだな。

だらだらととりとめもないことを書いた。集客が心配で仕方ないなどと弱音を吐いているが、振り返ってみると2009年の間に急激に赤い疑惑に接近してくださった方々がいっぱいいたなあ。励ましてくれる仲間がいっぱいあったなあ。昔は来てくれていたお客さんが今来なくなってしまった感じ。そういうことは事実としてあるけど、これだけ次から次へと強烈な出会いがあるのだからバンドは止められねえよなあ。出会い程デカいモンはないっすヨ、オレなんかそれしか無いっすもん。2009年の晩夏、EKDのライブが行なわれた海の家で、そんな風にオレに照れくさいことをわざわざ口にして伝えてくれたリョウ君の言葉が思い出される。オレもそうとしか思えないよ、リョウ君。

そういう訳でね、1/22金曜日、小岩で行なわれる赤い疑惑ワンマンライブはね、はっきり言って来ないと損だよ、特にオレのブログを陰で読んでいて、まだ実際のライブは観たことないの、なんて人が隠れていたら特にね。イヒヒヒヒ。

あけましておめでとう
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la mal coiffee

フランスのオクシタンという地域に残るポリフォニーコーラスというのがあり、
その音楽を現代的な感覚で貫いている女性グループがla mal coiffeeという。
何故か、このオクシタンの音楽というのは、ブラジルの北東部ノルデスチの音楽と
不思議なことに非常によく似ている。根拠まではオレは調べてないが、
オレはどちらの音楽も大好きだ。
会社で彼女達の音源に触れて、初めはなかなかいいなあ、という程度だったが、
家に持ち帰って聞き込んでみると、グイグイと引き寄せられた。
何だか背筋が伸びる、素晴らしい音楽だと思える。
トラディショナルや、フォルクローレと呼ばれる音楽があるが、
その中でも、今、この時代だからこそ、モダーンに聞こえたり、
逆に田舎臭く聞こえたりする音楽というのと2種類ある気がする。
このオクシタンのコーラスは何故か古くさく聞こえないのは不思議だ。

全部つながってたよ

オレは、恋をしているのかもしれない。はっと、そのように、心臓の動きのなんだか激しい我が身を振り返りながら、早足で西武新宿駅脇のマックドナルドを通り過ぎる。スーツを着たサラリーマンやルンペンやいろんなのがいる。いつもここでオレを引き止める「オニイさん、マッサージ」のアジア組のネエさん達もいる。歌舞伎町は2009年師走年の瀬の現在も賑やかである。

マーズに行くと、当たり前のことだけどみんながいた。嬉しい。たった一年前に知り合った人達ばかりなのに、なんだろう、この安心感は。今年は随分一緒に遊ばせてもらったミスターが隣にきた。ミスターは不思議なヤツだ。ミスターの耳元に、ステージの爆音ライブのさなか、「何か恋をしてしまったみたい」と伝えてみると、ミスターはだらしない最上級の笑みを浮かべてオレの耳元で何か返答をしてくれたが、聞こえない。もう一度聞き返すと、「いやっ、イイと思います!」と、わざわざ背筋を伸ばして言ってくれた。そうか、そうだよな、やっぱりオトコとオンナのハナシというのはみんな嫌いではないよな。

ミスターのリアクションでは物足りないので今度はアメちゃんに「どうも恋しちゃったみたい」と伝えると、また彼は彼でいつもの満面の笑みで快く応じてくれる。やっぱりみんなオトコとオンナのハナシは好きなんだ。アメちゃんの次の言葉を待ってたら「いやあ、長尾君、僕は逆に…」と、とても意外なことを言う。アレ、おかしいゾ。アメちゃんが? う~ん。何だか分かったようで分からない。

今度赤い疑惑のイベントに出てもらうフリータンガスのライブが始まる。80sなルックスである。このバンドと一緒に対バンか~、としみじみ数曲聞いて楽しんだ後時計をみるともう23時だ。いけねえ、約束の時間を過ぎている。急いで表に出て電話をかける。先日、約10年振りに連絡があった実家のマンションの幼なじみであるワキと、これから会うのである。「じゃあ、コマ劇の前で」とワキに言われたのでコマ劇の前でしばらく待つ。寒いので身体を伸ばしたり縮めたりする。いろんな人が目の前を通り過ぎるが、オレはワキの風貌を、想像することしかできないから不安である。10年前だって電話で話したくらいだった気がするし、オレは中学生の時のワキしか分からない。すると見慣れた風貌のオトコが向こうから手を振ってやってくる。松田クラッチだ、アレ。

よく見るとその隣にユウジ、他に2人分からないオトコがいる。でもそのうちの1人はよく見ると、どうも幼なじみのワキだ。アレ。松田クラッチがニヤニヤ笑いながら近づいてきて当惑してるオレに「全部つながってたよ」と、運命論者めいた口調で上から目線で言ってきた。いや上から目線というより、酒ですでに上機嫌なようである。とにかくオレが今不思議に思っている、松田クラッチとオレの幼なじみワキとの同居という、確率的にはほぼあり得ない邂逅が、世間は狭いネ的な、何か運命のいたずらのようなものでもたらされた当然の結果だ、というようなことをその松田クラッチの「全部つながってたよ」というパンチラインは物語っているらしかった。

ともあれ、オレはワキとの再会を握手で喜びあい、そしてもう1人隣にいた、オレが知らない、と思っていたオトコが、オーちゃん、といって、オレは前に何度か会ったことのある人物だったことを知った。4人は何らかの神のいたずらめいた縁で繋がっていて、今日、ここでオレと会う前まで一緒に飲んでいたようだ。だからもう既に4人ともホロ酔い加減で上機嫌なのかもしれなかった。ワキと2人ならどっか喫茶店でも入ろうかと思ってたが、すでに上機嫌な4人だから丁度いい、マーズに戻ってもう一杯という感じなった。

マーズに戻り爆音の中でワキといろいろ話したが、ワキの声はこういう場所では通りづらいのか、あまり聞こえないので何回も聞き返す。ワキも一生懸命話そうとするのでワキの唾がいっぱい飛んでくる。どうやら仕事で映像をやっているが会社の仕事はつまらないので赤い疑惑を被写体に何かいろいろ撮らせてほしい、ということだった。ふ~む、そうか。人生は面白い。オレは昔ワキからいろんな音楽を教えてもらって、かなり彼に対してリスペクトの念を抱いていたのだが、そんな彼が今こうしてオレの活動に眼をつけてくれたのだから。それにしても赤い疑惑は最近、映像を撮ってくれる人に恵まれている。嬉しいが、実際のところどうしたらいいのか、オレにもよく分からない。みんなで協力していいモノができるならそれにこしたことはない。みんなで協力して楽しいことができればそれでいいのだ。

「次に出るEKDってトモダチのバンドなんだけど、超かっこいいから」といってワキをダンスフロアーに連れて行く。ユウジが「玄ちゃん、サイコウだね」と満足げに、酒と音楽に酔いしれている。イチコさんが小学生くらいの女の子と手を取り合って踊っている。オレとクラッチがそれに加わる。楽しい。こういう場所に東京で出会えたことが嬉しくてしょうがない。人生とは何なのであろうか。オーちゃんも楽しそうにしている。幼なじみのワキも。もしこういうパーティーが10年くらい継続して行なわれていたらすごいことになるかもしれない。人生は何が起こるかまったくわからないのだ。そんなことを考えているとEKDのライブが始まった。

終電を逃しそうになりバタバタとライブハウスを後にして西武線に飛び乗る。中央線の駅に自転車を置いてきたので本当は中央線がよかったのだが、中央線の終電は終わってたのでやむを得ず西武線に乗り込んだというわけだ。最寄りの駅は田無だから西武線で一度帰宅して、車で中央線の駅まで自転車を取りに行けばいいのだ、いざとなれば。オレのチャリは小さいから我が家のノアで簡単に運べちゃうのだ。そうすれば明朝の出勤に差し障りはない。

よし、そうしよう、と考えて電車に揺られていたら、CDウォークマンを持ち運んでいるショルダーバックがないことに気づき、ジリジリと焦り出した。う~ん、ライブハウスに忘れたのか、いや、あそこであのショルダーを置いた記憶がないゾ、そうすると会社だろうか、うん、会社に違いない。オレの身体は明らかに疲れていたが車で自転車を取りに行くついでに会社まで行っちゃってショルダーが会社にあることを確認して安心してから寝よう━━そんなことをしなくても明日出勤すれば結果は同じなのであるが、そう決心したらハートがメラメラと燃えてくるようだった。

田無駅に着き、オレは実家までの徒歩で約15分の道のりを、止せばいいのに、ジョギングスタイルで走り出した。時々こんな風に妙なところでテンションが上がる自分がいるということは前々から自覚していたが、今日の無駄なテンション(特にこんな夜中の1時に車で会社まで繰り出して、一時的に紛失中のショルダーバックがそこにあるかを確認しにいくなどという)は、もしかしたらオレが今、恋に陥っているからなのかもしれないゾ。オレはバカなヤロウだゾ。いちこさんがさっき「NO.1バカ!」というメールをくれたことを思い出す。

約1時間後西荻の会社に行ってみるとオレのショルダーバックはなかった。オレのシナリオだとここにショルダーバックがあって、ふう、と胸を撫で下ろして満身の疲労を感じながら帰宅して健やかな睡眠を貪る、という段取りだったが、そんなにうまくはいかないもんだね、ダーティーサーティー。まあ、でもこういう無情な結果も嫌いじゃないんだよ、だってこんなもんだもんな。自分に言い聞かせながら帰途に着く。明方、松田クラッチから「ショルダー預かってます」というメールが来た。何だ、全部つながってたよ。

東京チムレンガ vol.1

ジャポニクスのショーゴさんから、12月に来日するバンドの、
ツアーサポートを赤い疑惑やらないか、と仄めかされたのは3ヶ月ほど前であったか。
ショーゴさんには日頃、大変お世話になっているので、
これは、と思い、快諾し、久しぶりの赤い疑惑企画を立ち上げるに至った。

自主企画というものは現在、インディーバンドにとって必要不可欠な存在だ。
自分達にとって対バンしたら有意義だ、と思われるアーティストを集め、
お客さんに自分達の色や空気や友情を感じてもらい、
成功すれば確実にファンを増やすことに繋がる。

我ら赤い疑惑も過去に「夢よ!もう一度!」というシリーズ企画をやっていた。
社会に飛び出して、世間の荒波に揉まれて、バンドもパッとせず、
歯がゆい思いをしていた頃、誰かトモダチにもらった大阪土産かなにか、
タイガースグッズのジャンク菓子の包装紙に
「夢よ!もう一度!広沢克実」とあった。
オレは小学生の頃はヤクルトスワローズの大ファンで、
当時ヤクルトの2大スターだった池山と広沢は無条件に尊敬していた。
広沢は阪神の前はヤクルトにいたのだ。
ヤクルト時代の全盛期は池山とともにホームランをガンガン打っていた広沢だったが、
気づいたら人気も成績も低迷し始めて、その後オレの野球熱がロック熱に変わってからは、
オレも野球のことに一切興味がなくなって、
それからの広沢のことはあまり知らないが、
恐らくもう年だし往年のチカラを発揮するなんてことは
もうもはや不可能であることは百も承知であろうに、
「夢よ!もう一度!広沢克実」と決意表明をしてみせる広沢克実野手に、
必要以上な感情移入してしまったバカな私がいた。

別に広沢じゃなくてもいいけど、「夢よ!もう一度!」という、
単純純粋無垢で、前のめりにドリームを夢見ている(ドリームを夢見るとは変だが)
といったようなそのスローガンに、本能的にグッときてしまい、
丁度日本語ロックの抽象的歌詞表現に苛立ちを覚えていたオレは、
大変にこの言葉が気にいって、結局企画の名前にしてしまった。

「夢よ!もう一度!」は数回やった後、結局三日坊主でやらなくなってしまったが、
その記念すべき第一回「夢よ!もう一度!」に赤い疑惑が集めたメンツは、
二階堂和美、降神、spedial others、group_inouといった錚々たる顔ぶれだった、
今ではメジャーな存在になってしまったヤツらばかりだ。
企画をしたオレたちがメジャーな存在になっていないのはおかしなハナシで、
これは今でもバンドメンバーの間でも苦笑の種なのだ。

さて、話し戻って、今回ショーゴさんの言葉に触発されて改めて赤い疑惑企画を考えた時、
企画タイトルに「夢よ!もう一度!」はそぐわないゾ、と思った。
「夢よ!もう一度!」というコトバは今でも滑稽でいい名前だとは思うが、
その企画名を命名した時のオレがバンド活動に込めていた気持ちと、
今現在のオレがバンド活動に込めている気持ちにギャップがあると感じたからだ。
それで思いついたのが「東京チムレンガ」だ。

早速オレがシンパシーを寄せる数少ない東京のバンドとDJを集めた。
ディエゴのクボ君も、シャムキャッツのナツメ君も、
ブレイクファストのモリモト君も、RYO君もアメちゃんも、
「赤い疑惑の企画に出てくれないか」というオレの誘いに、
2つ返事でオーケーをくれた。
2つ返事でオーケーを出す、というのはレアなことであり、
みんな赤い疑惑のことを信頼してくれている、
ということが何だか伝わってくるようでオレはものすごく嬉しかった。
みんなホントに素晴らしい人間性をもった人々なんだ。

フライヤーを頼んだのは、
2008年にオレが衝撃を受けたDJクルー、未来世紀メキシコの
ビジュアルワークを担当しているアルイである。
アルイの作るフライヤーには今までに見たことないような
大胆な発想と絶妙なセンスが潜んでいた。
だから、赤い疑惑のフライヤーをいつか頼んでみよう、
と企んでいたので、やってくれないかな、と頼んだら、
これまた2つ返事でオーケーだったので、
オレはまたまた嬉しくなってしまった。
協力してくれる人間がいっぱいいることが奇跡のようだ。

アルイとは実際に会ってハナシをして、
オレがこの企画に込めている想いと、チムレンガの意味を直接伝えた。
アルイは質問を交えながら真剣にオレのハナシを聞いてくれた。
それで数日後できたのがあのフライヤーで、
アルイがイメージした「東京チムレンガ」は、
オレのイメージと見事にリンクするところがあったので、
嬉しくて印刷サイズをフライヤーとしては些かデカいA4サイズにして刷った。
インパクトを出したかったのだが、デカ過ぎたかもしれない。

フライヤーができて嬉しいのでいろんな人に配り始めたら、
貰ったトモダチは「チムレンガ」って何、と口々にするようだった。
オレはいちいち、それは、と言って説明を始めるのだが、
大体話し終わるとみんな「へえ~」と嘆息をもらして感心していた。
トウキョウチムレンガ、って響きがいいね、と褒めてくれる人もいて、
オレも何だかワクワクした。

チムレンガというのはジンバブエの言葉だ。
「蜂起」という意味合いのショナ語(ジンバブエの言葉)だそうで、
白人の支配や独立後の独裁政治に対する民衆の「蜂起」をチムレンガと呼んだ。
ジンバブエの英雄(でありオレの英雄)トーマス・マプフーモは
そういった民衆の権利や悪政を歌い続けた闘争の士であり、
彼が作り出した独特の音楽(それはしばしばチムレンガを支持した)は
チムレンガ・ミュージック(闘争の唄)と呼ばれるようになり、
そういう一連の事実とマプフーモの音楽、それにチムレンガという言葉を知ってからというもの、
それらの存在はオレの頭から離れず、レベルミュージックという言葉と併行して、
オレが音楽を作る時の拠り所になっていった。

オレは昭和、平成をまたいで、生を受けてから30年という歳月を東京で過ごした。
東京には、今思うと、何でもあった。
モノが、ありすぎる、という程あった。
安定した治安もあった。
「夢を持って自由に生きろよ」というスローガンは当り前だった。
オレはそんな日本で、夢を持って自由に生きようとしていた。
だけど年を重ねる毎に「夢と自由」という言葉を疑い、
恵まれた国、先進国日本、資本主義日本を疑うようになった。
母親がガンになって死んだ時、オレの中で何かが決定的に変わった。

確かに日本、そして東京には不満を漏らせないほどの文明と情報があり、
衣食住ですら、大きな不運に恵まれないかぎりは保証されているようだった。
だけど、オレが過ごした20代と、その10年間、オレの眼に映った東京は、
なかなかシビアでグレーだった。
しかし「不満は漏らしてはいけない」というような社会体制ができ、
漫然と保たれているかにみえた日本の平和と
その裏で常に不安定であり続けた日本の因習政治は、
若者に「何をやってもムダだ」というような意識を洗脳的に植え付けた。

オレも「何をやってもムダだ」という虚無主義にとりつかれていた。
しかし、そんな刹那的虚無主義のオレでも、バンドをやり、
歌を唄うという行為には、なにか象徴的な運命的なモノを感じるようになっていた。
トーマス・マプフーモの唄声に触発されたオレは、
その意味と運命をさぐりつつ、東京における闘争の唄を模索した。
こんな曖昧な自分自身を何とか前向きに鼓舞する歌を歌ってみたい。
そしてそれが、それこそがオレが社会に果たす小さな貢献になれないものだろうか。
オレを、みんなを、過保護に包み込んでいるかのようにみえる社会に対する、
何らかの意志表明になれないものだろうか。

時は年の瀬12月26日土曜日。
オレが中高生の頃から慣れ親しんだ街吉祥寺。
北口風俗街をくぐり抜けた路地にWARPがある。
クリスマスをモノともせずオレたちは
オレたちのチムレンガ・ミュージックを鳴らすのである。
みんなの参加を心より待つ。

東京チムレンガ

セバドー 「ブランニューラブ」

オレの音楽ライフは手持ちの二、三百枚のCDと、
ハードディスクに保存した数千曲の音楽ファイルによって管理されている。
CDはピークの折(大学卒業時前後)、恐らく今の四倍の量であったが、
東南アジアへの貧乏旅行体験以降、すっかりコレクター癖がそぎ落とされ、
膨大な量のCDを見ていると何だかイライラして、
それからというものディスクユニオンに通ってはCDを売り、
本当に聞いていたいものだけを残してたら結局今の量になって落ち着いた。

だからアイチューンで曲を取り込んでPCに保存しておくというのは、
そういう「物持たな主義」が染み付いてしまったオレには大変都合がよかった。
でも結局音楽ファイルを増やしすぎると、結局モノが増えているような気がするので、
なるべく整理しようと心がけている。

オレが音楽を聴くのは通勤の自転車での往復二回と、
約十時間弱の勤務中(ワールドミュージックの会社で働いているので)と、
家に帰ってから一、二時間、と大体そんな感じで、
そうやって振り返ってみるとほとんど音楽を聞いて過ごしているようだ。

今はこの文章を書きながらアイチューンDJという機能に頼って音楽を聞いている。
オレはこのアイチューンDJで勝手に呼び出された曲を何の疑いもなく聞いているのだ。
何と怠慢なことなんだろう、とも思う。
しかし慣れは怖いもので、オレは今もこうして何の疑いもなく
アイチューンDJを聞くのであるが、オレの手持ちの数千曲のストックの中には、
オレの音楽史から厳選された精鋭達が詰まっているのであり、
それぞれの歴史は振幅が広く、油断をするとユニコーンの曲など、
オレが中学生の頃に聞いてたような曲まで飛び出す。
大多数はここ数年で取り入れた音楽たちなのだが、
安直「物持たな主義」的整理好きのオレでも(この曲は捨てられねーな)と
思った名曲は少数だがずっと残されてる。

ところで最近はワールドミュージックばっかり聞いて、
昔聞いてたようなオルタナティブロックなんて今はまず聞かないんだけど、
アイチューンDJで油断してたらオレが高校生の時に金玉を鷲掴みにされた
セバドーというアメリカの田舎のバンドの
「ブランニューラブ」という曲が流れてきてしまった。
セバドーはアメリカの90年代オルタナギターロック~グランジを通った人なら
知らぬものはいない、乱暴に形容すると裏ニルバーナ的、とでも言える程、
地味で渋すぎるのに、そのメロディーのよさから結構有名なバンドだった。
振り返ってみると当時のオレはイケイケドンドンで悩めるニルバーナより、
オタク臭全快の冴えないルックスで悩めるセバドーの方に、
明らかに多大なシンパシーを寄せていたようだ。

久しぶりにこのメロディーを、ギターの音色を、
途中で壊れてしまうギターの音色とを聞いて、
当時この曲に震えていた自分と、その自分が抱えていた音楽観と、
当時の青臭いオレの存在とをふっと思い出し、
苦い気分になりつつも、やっぱりこれはいい曲だな、と思った。

蛇足だけどこのセバドーのルーバーロウという人は宅録
(1人で重ね取りをして音源を作る)界の草分け的存在でもあったのだが、
彼が宅録で録った作品に感銘を受けたオレは、自分も、と思い、
MTR(宅録を可能にする機会)を購入して、
ねろという弾き語りソロユニットを結成して作品を作った。
今では懐かしいことのひとつである。

プロフィール

アクセル長尾

Author:アクセル長尾
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