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神童

オレの尊敬するギタリストの小沢あきさんが
ミクシーの日記に以下の動画を貼付けていて、仰天した。
スペインの天才ギタリスト少年だということだけど…。



ちょっと。どういうことですか?

そういえば去年似たような感じで日本の天才少年を観た。
久保田麻琴さんが沖縄の伊良部でみつけたというナイスキャラの少年。



その名も譜久島雄太。
名字に「譜」が付くなんてのは、西アフリカのグリオみたいなものかしら。
実際去年の夏に久保田さんが宮古島のおばあやらおじいやら、
大勢東京に招いて草月ホールでコンサートを開いて、
そこにスペシャルゲストで出てきたこの譜久島少年を生で見たんだけど…。
ホントに天衣無縫というかなんというか、
満場のお客さんの前で、本番中に演奏を間違えちゃって、
そこからどうやら頭が真っ白になってしまったらしい彼は
遂に両手で目を覆って泣き出してしまった。
可哀想に、頑張れ、というお客さんの想いやら声援やらに励まされて、
結局復活して演奏をやりおおせたんだけど、
その後ロビーで目撃した彼はもうさっきの己の醜態のことなどすっかり忘れて、
野方図にふざけ回ってる。その、人目を気にしない堂々とした振る舞いは、
あっぱれに映りもし、また少し腹立たしくもあった。
(そういえば冒頭のスペインの少年もあっぱれにも
小憎たらしくも見えるよなー。偶然かなあ。)
何はともあれ、この譜久島君、何となくレベルな臭いを放ってますね。

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飛田新地

飛田新地というところが大阪の西成地区にある。
有名な場所なので赤い疑惑の関西ツアーの折に寄ったことがあり、
噂通りの異様な磁場を感じてオレは内心ドキドキしていた。
狭い土間の向こうに年増のオンナの人が毛布をかけて座っていて、
その脇に電気ストーブがあり、その電気ストーブの向こうにはおばちゃんが座っていた。
そんな気がするだけで、実際はどうだったか定かには覚えていないし、
ジロジロと観ていいモノではないという本能的認識が働いていたので、
あまりしっかり視界に収めた訳ではなかった。

その飛田新地(いわば浮き世から決壊で隔てられたようなアソビバ)のことを
ラップにして唄っているヤツがいてビックリした。
オレの大好きなSHINGO西成だった。
それにしても完成度の高いPVだな、と久々に国内アーティストの動きに刺激を受けた。
前々からヒップホップのPVは力作が多いよな、となんとなく感じていたけど、
このビデオを観てそれを痛感したし、そういうヒップホップの文化
(楽曲からプロモーションまでを全部自分達のクルーで賄う)に感心せざるを得ない。
SHINGO西成の所属しているライブラプロダクションだろうか。

映像が綺麗で思わずうなった。
この、飛田新地の、清潔に整然と並んだ建物としての美しさ、
実際行った時にはわからなかったそういう部分を描いているのが凄いな。
昔、ブルーハーツが円周率をずっと唄い続けるふざけた曲があったのを思い出したけど、
この、店の名を羅列したラップと、関西弁でしか出しえないこのSHINGO西成のフロウは、
円周率の唄よりずっと面白いな。
まあ、とりあえず、見てみてよ。


ワンマンライブ 小岩での奇跡

前日、マーズでラジカルミュージックネットワークの祭があって、オレはそのイベントに、出演しないにも関わらず熱を入れて参加してしまったため、新宿歌舞伎町にて終電を逃し、しかし疲労の為ひとりになりたかったので仲間に暇を告げてマンガ喫茶で夜を明かしたのだった。始発で実家に帰りしばし就寝。十時頃再び起き出して準備を開始し、十二時からのスタジオ練習へ出発。車にはギター二本、エフェクターケース、物販の赤い疑惑グッズ、ステージ衣装等が積み込まれた。今日は我らが赤い疑惑のワンマンライブなのだ。

スタジオ近隣のクラッチ邸へ向かう途中で、前売りチケットの予約リストメモを、うっかり部屋に忘れてきた事実に気づいて狼狽した。乗り込んできたクラッチに、オレは今これこれこういう訳で不安なんだ、と伝えて同情してもらった。クラッチはまだ起きたばかりのような、ぬぼーっとした顔をしていた。オレもよく、ぬぼーっとした顔をしていると言われるようだが今は関係のないことだ。

ブレーキーから、一時間十五分程遅刻する旨のメールが来たので、オレとクラッチは、それでは仕方がない、とばかりにスタジオのベンチで世間話を始めた。昨日のマーズのイベントはやっぱりヤバかった、とか、そうそう、クラッチが帰った後リョウ君と酔っぱらいがケンカになっちゃって、とか、主にハナシは、前日新宿マーズで行なわれたラジカルミュージックネットワークについてであった。それにしてもクラッチはそんなハナシをしている間もタバコを本当にウマそうに吸うのだ。オレが今タバコを吸わなくなったのは身体に合わない感じがするからなのだが、クラッチのようにタバコは、どうせ吸うのならウマそうに吸うべきだと思う。

ブレーキー到着後、今日のワンマンでやるセットリストの通しリハーサルをやってみる。約九十分を予定したセットリスト全曲を通すことはできなかったが、まあ、後はやるだけだね、といういさぎのよさ、あるいは諦めの早さをいつの間にかオレたちは身に付けてしまったのか、大して焦りもしない。だって、もう後はやるだけだからさあ。

撮影クルーのツダ君とコンタクトをとって初台で彼を赤いワゴンに乗せ、四人で東東京小岩シティーに向かう。運転は車の持主の倅であるオレ、アクセルが担当しているのである。首都高で新宿御苑から地下に潜り、霞ヶ関(そこがどこなのか把握していないが)などを通り抜け、ビルの合間を縫うようにして走る高速道路からの眺めに、不思議とうっとりと幻想的な気分になる。このコンクリに支配されたマチは一体ナンナンダ。

完全に東東京エリアに入っても、見渡す限りビルや住宅が隙間なく広がっている東京の異様さを改めて感じながら、しかしその辺から道路が空いてきたので、後は現場のブッシュバッシュまでスイスイと車は走った。ブッシュバッシュに着いたオレたちは皆空腹だったので、丁度いい、キクチ君のゴハンはおいしいから、とオレが交渉してオープン前のラウンジでキクチパスタを食べさせてもらう。オレは豆乳カルボナーラ。残りの三人はネギソーズのパスタを食べた。

お腹がくちくなったところで、本当ならボーッとしてたいところだが、リハーサルをやらなけりゃイベントが始まらないので気合いを入れ直してリハーサル。ブッシュバッシュの“気持ちのいい”スタッフがテキパキと対応してくれる。今日はいつもの三倍くらいの持ち時間で、途中エレキギターからガットギターに持ち替えてみたりなど変則的なアクションもあるので通例より長めにやる。対バンがいないので焦らなくてもいいのだ。イヒヒヒヒ。

それにしてもオレは今日はイベントDJもやることになっているのだ。ブースのサウンドチェックをしてそのままオープンにしてもらった。DJを去年ひょんなことで始めてから、月に一、二回はDJをやる機会を得るようになったのだが、いつまでたってもDJミキサーの使い方に四苦八苦しているようだ。お客さんがチラホラと入ってくる。クラッチがニヤニヤとオレのプレイをチェックしている。クラッチはビールを飲んでいるようで(これもタバコと一緒でウマそうに)、随分リラックスした感じだが、今日のライブはちゃんとやってくれるんだろうか。

DJとして今日来てもらったアメちゃんが二杯目のカレーを食べている。「昨日帰ってからほとんど何も食べてなくて腹がへってしょうがない」とさっき顔をしかめていたくらいだから驚くことではないのかもしれない。しかし二杯目に突入したのはアメちゃんだけじゃないようだ。ふと目をやるとブレーキーまでもが、さっきはパスタだったのに今度はキクチカレーにとりかかっているではないか。さっき、お腹がくちくなった、と書いたのにブレーキーには全然足りなかったのかもしれない。キクチ君のゴハンがおいしいことの証明にもなったようだけど、オマエそんなに食べてこの後ドラムをちゃんと叩けるの?

そんなことを考えていたらクラッチが寄ってきて、同じくらいのタイミングでアメちゃんもオレの方へやってきて、二人で口を揃えて「玄ちゃん!(ナガオクン!)、反対の音も出てるよ」と注意している。どうやら本当なら出てはいけない、次にオレがかけようとしてる曲までスピーカーから出ているようだ。気がついて慌ててフェーダーを下げる。このっ、モグりディージェーめ! しかしここで尻込んだら終わり。「オレがディージェーアクセル長尾だぜ~、イエ~イ」オレはマイクを握ってほとんどお客さんのいない会場で自己紹介を開始。オレが、今日のディナーショウの張本人、アクセル長尾なんだ。よろしく頼むゼ。

お客さんがまた少し入って来た。ので、DJをアメちゃんにバトンタッチ。ごキゲンなヤツをお願いします。オレはご来場してくれた知り合いと挨拶をしたり、またアメちゃんの隣に行ってマイクを握ったりしながら、自分の中では落ち着いてるつもりで、だけどきっと「傍から見たら落ち着きない行動」を繰り返しながら時間を過ごした。意外とお客が集まってきているみたい。ああ、よかった。これで一安心。後はやるだけなんだ。

楽屋に行ってステージ衣装に着替える。打ちっぱなしのコンクリートと、何故か敷かれていた業務用の青ビニールシートと、床の赤黒いシミの跡とが、殺人現場を思わせる、とはいえ、明るい蛍光灯の照明のせいで、結局はただの楽屋だな、という印象に落ち着いたところの楽屋で、上半身はちょっと前に購入したラテン風シャツ、下半身は約十年前にベトナムでゲットしたカーキのズボンに着替える。クラッチとブレーキーも後からやってきてオレと同じように着替えをする。赤い疑惑はいつもステージ上がる前にこうやって変身しなければならないことになっている。最近はそんな楽屋の光景をツダ君がレンズに収めているようだ。

アメちゃんがかけている曲のテンポに合わせてオレたちは楽屋を飛び出す。赤い疑惑のワンマンライブが始まる。フロアに出るとお客さんは瞬発的な早さでオレたちのお囃子に同調し同情してくれている。それをすぐに感じ取り、今日はもう大丈夫だ、そう思った。そう思ったら一気に余計なチカラが抜けていくのを感じた。ドゥーワッ、ドゥワッドゥーアーカイギワック、ドゥーワッ、ドゥワッドゥーアーカイギワック。いろんな方角からオレや、クラッチや、ブレーキー以外の声が聞こえて来ている。ラウンジを通過し、ライブスペースへ、まるで何とやらの笛吹きのごとく、オーディエンスを引き連れてお囃子は続く…。


今、ステージ前のフロアーで、ブレーキーのボイスビートにのってクラッチと二人でラップするオレは、今年三十二歳になる、昭和五十三年生まれ東京育ち。ロックに人生を狂わされ、ロックに人生を捧げた、お人好しの厚顔無恥であり、ナガオカズメヒコという偉人の倅、アクセル長尾であり、オレは今、ここでこうして声を張り上げて唄うことを精一杯楽しむために、毎日毎日、変哲のない日常を潜り抜けて生きている。そうじゃないのか? だったら楽しめばいいんだよ、精一杯。もう一人のオレがそう囁いている。オレは、うるせーな、とそのもう一人のオレを払いのけながらも、(…でも確かにオマエの言う通りだ、そうでしかない、そうするに決まっているじゃないか)ともう一人のオレのメッセージを再び噛みしめながらオレは笑顔を浮かべていた。オレが、ここでこうやって好き放題ふざけている姿を、その場にいるみんなが温かい笑顔で見守ってくれている。いや、見守ってくれているだけじゃない。一緒に声を上げてくれている。手を挙げてくれている。身体を揺らしてくれている。顔をクシャクシャにして泣いてるヤツもいる。


田無の実家までの帰りの赤いワゴンは、ビールでアルコールが入ったオレに代わって姉が運転してくれた。姉貴はオレの、かけがえのないトモダチのような存在だ。赤い疑惑が何を目指しているのかどうか、そんなこと関係なく、赤い疑惑をとりたてていい、とも悪い、とも評論することなく、ただそばにいてくれる。これが兄弟というものなんだろうか…。赤いワゴンに初めて乗るアメちゃんと、何度か乗ってるサトシと、時々乗っているホウヤと、いつも乗ってるクラッチと、賑やかに喋りながら夜中の東京を横断するドライブは、大成功だったライブの疲れとあいまってものすごく尊い時間に感じられたのだった。

スタッフ・ベンダ・ビリリがやってくる!

以前紹介したスタッフベンダビリリ(以下SBB)というコンゴのバンドの来日が決まったようです。
SBBはコンゴの首都キンシャサのゲットー地域の路上生活者によるバンドで、
メンバーは皆ポリオ(小児まひ)を患ったために車椅子で生活しています。
日本の車椅子の場合タイヤを直接手で動かしますが、
彼等の車椅子は手でペダルを回して動かすので何だかバイクを乗りこなしている風に見えます。
どうやら彼等はストリートチルドレンを指導するような、風紀委員のような役割をしているらしく、
子供達に慕われていて、映像を見ると彼等の車椅子を子供達が、
当り前のように押してあげながら一緒に行動している様子が映ってます。
彼等の音楽はコンゴのトラディショナルと南米ラテンの要素を掛け合わせたような音楽ですが、
何故か、それでは説明のつかない熱量を感じる気がオレにはします。
現在進行形で鳴らされている音楽だというのもとてもしっくりくる。
だけど聞いたことのないテンションがあり、勝手な個人解釈ではありますが、
彼等の音楽に確固たる「パンク」が潜んでいるような気がするのです。
このバンドのPVを貼付けて以前紹介した時、普段音楽のハナシをしない友人が、
「あのバンドやばいねー」と感心していたことや、
その後大阪で知り合った、普段はそんなにワールドミュージックを聞かないという、
赤い疑惑ファンの青年が「あのバンドのCD僕買いましたよ」とオレに伝えてくれたことは、
オレにとって驚きでしたが、それはSBBの音楽の持つパワーの所以だろうと後で思いました。
まだまだ来日は先ですが、興味ある人は是非チェックしてみてください。

来日公演情報



↓ SBBに節のつけかたを教わったという一弦ギター弾きの少年に注目!


2010年元旦、太陽を拝む

2010年の幕開けを象徴する初日の出は素晴らしかった。一昨年、初めて訪れてよりそこの磁場としてのパワーを感じ、昨年、そしてまたぞろ今年も、元旦の夜中に我家を抜け出し、青梅の山奥、御岳山へ日の出を参拝に赴いた。去年も一緒だったコヤマと、他にまだ御岳山未体験の輩3名を道連れに、氷点下三度の厳しい寒さの中、背筋を伸ばしての軽い登山である。

凍結寸前の山道を車でひた走り、ケーブルカーの駅の駐車場に到着。日の出時刻に合わせ準備を整え出発。昨年のこの山から眺めた、感動の日の出を思い出しているオレやコヤマの積極的な足取りにつられてか、みんな、これから眼にするであろう美しい景観を胸に描きながら、割合スイスイと頂上の御岳神社まで登った。境内からは果たして、山頂から東方を見下ろす、東京バビロンへと続く素晴らしい景観が広がっていて、すでに空は深い紺色を排し、地平線から上方へホウズキ色から青へのグラデーションを映しており、早くも胸ぐらがソワソワしてくるようだった。

しかし、神社の境内は人々でゴッタ返し、日の出を拝む方角には五重、六重ほどの人垣が視界を塞いでいる。日の出時刻ギリギリに到着した不逞のアラサー5人組にとって、もはやそこで格好の日の出スポットを見つけることは困難であった。かといってこの山のことをそんなに知っている訳でもない。山頂手前に一カ所、ここよりは人が少ない展望スポットがあったのを思い出し、そこまで戻ろうか、どうしようか、などとコヤマと相談しながらウロウロしていたら、「長尾平 ここから徒歩5分」という看板にぶつかる。長尾平?そうだ、その名前は出発前にネットでこの山のことを調べた折に記憶していた景観スポットのひとつだ。携帯を見ると日の出まであと10分くらいだ。迷ってる暇はない。みんな本能的にその看板の指す別れ道を辿った。あたかもそここそがオレ達の求めている素晴らしいスポットであると確信しているかのように。

急な階段状の崖をヨチヨチ降りていくと不思議な地形の山腹に出た。緩やかな尾根を整備した山道が前方に広がっており、10メートル程の幅で真っ直ぐ続く道の両脇は思いっ切り山肌。迷うこたあない、ここを真っ直ぐ進め、先には素晴らしい場所が待ってるぞ、といわぬばかりの雰囲気。右にも左にも、明方の控えめな光に薄く色付けされた隣山の山肌が麗しく迫っている。

長尾平、と呼ばれている場所━━恐らくこの尾根道の突端━━を目指し早足で、何度目かの林道を抜けようとしたその時、人々の歓声と共に低い鼓の音とホラ貝らしい低音の笛の音が同時にオレたちの耳に飛び込んできた。林道を抜けるとそこは180度視界の開けた、まさにその尾根の突端であり、恐らく「長尾平」であった。そして白装束というか祭装束というのか、とにかく白い衣を身にまとったおじさん方(太鼓、太鼓、ホラ貝と思われる笛、という構成の3名)が長尾平の中心からやや右に寄った位置取りで日の出を祝う演奏をしているのがわかった。その周りには20人から30人ほどの見物客が同じ東方を向いてその場にいたが、地の面積と人の数からいって、先ほど訪れた御岳神社の境内に比べれば俄然ゆとりがあり、むろんオレ達のスペースも十分用意されていた。

東方より太陽が頭のテッペンの、ほんの氷山の一角たる一部分を地平線から覗かせて、すると一瞬にして辺りの空気が一変する。何かが始まる瞬間が凝縮された尊い感覚に捕われる。太陽の頭のテッペンがもたらす非常に逞しい細い光線はオレたちの皮膚の表面を溶かして柔らかく包みこむ。ギラギラと輪郭を波打たせながら、ジワジワ光の面積を広げていく。オレは心の準備が出来ていた筈なのに、やはりこの光景に感動してしまい(おじさん方の素晴らしい演奏にもかなり打たれたためか)胸が締め付けられ涙がこみ上げてくる。地平線からその低点を切り放し、すっかり姿を露にしたお天道様とそれに照らされた、目の前に広がる御岳山からのパノラマはまさに「いよっ、ニッポン!」としか表現しようのない感じであり、オレは日本に生まれた日本人であるのだな、ということを噛みしめない訳にはいかなかった。おじさん方の演奏がその想いへの演出的役割を果たしてくれていた事実と、同時にその演出的役割にみえるおじさん方の演奏は、そもそも演出なんかではなくて、恐らくこの地で当然のように続けられてきた日本人の伝統なのではないだろうか、という推測とがオレを荘厳な気持ちにさせてくれたのではないだろうか。

太陽を拝む、ということが動物である人間にとってどれだけ価値のあることなのか、それが実感できる。それを元旦に仰々しく迎える姿━━例えば今回御岳山長尾平で日の出を仰々しく迎えた人々の姿━━というのは冷静な現代的、文明的な感覚からみたら宗教的にも映るかもしれない。だけど、宗教というよりも当然のこと。宗教みたいに言葉はいらない。言葉にならない。つうかそういうことだから、としか例えようが無い。そんな風に思える程、今回の初日の出参拝は奇跡的で、でも当り前の奇跡とでも呼びたくなるほど不思議な時間だった。そのおじさん達の演奏は10分くらい続いたろうか。鼓のビートがテンポを急激に落とし、フェイドアウトしていくように演奏が終わるとその場にいた人々の間から自然と拍手が起こり(それでオレはまた胸を熱くしてしまう)、一息つくと人々は三々五々立ち去っていく。

そこから休憩に寄った茶屋までの道のりで、オレ達は今眼にした感動の光景の感想を述べ合った訳だが、皆興奮を隠し切れず、すごかった、という表現しかできなかったが、言葉にはならなくても得たモノ(ヴァイヴ)が大き過ぎたので、皆満たされた気分であった。「いやあ、まだ夢見心地で…」と嘯くサトシの言葉も疑う余地がないほど、オレも先ほどのご来光に酔い痴れていた。

何故、初日の出という言葉があるのか。何故、登山信仰というのが日本にはあるのか。わざわざ元旦の夜中に抜け出して山を登り、初日の出を拝んでみればそのことが分かる。オレも一昨年御岳山に自主的に訪れるまで、「初日の出」というのは正月に関する言葉の、ひとつの概念でしかなかった。「初日の出」という言葉を知らない人は少ないと思うが、実際に「初日の出」を観てない人は多いかもしれない。初日の出を拝む素晴らしさを実感していない人がいっぱいいるのかもしれない。それはもったいないことではないだろうか。例えば盆踊りのように、なんとなく昔から続いている日本文化の意義を見つめ直すべきではないか。輸入の文化━━例えばそんな元旦の一週間前にむしろ盛大に行なわれているクリスマス信仰などに代表されるような━━に押されがちな日本の伝統達は、ちゃんと味わえば絶対に輸入文化より身体に染みるはず。パスタとかフランス料理とかいくら「隣の芝は青く」見えたとしても、やっぱそういう料理って飽きるよな。豆腐とか煮物とかひじきとかみそ汁、結局そういう料理がベストだと思ってしまう日本人の感覚と同じようなもので。蛇足で付け加えると、結婚式なんかもね。その内あのオレの苦手な「チャペルでハッピーウェディング」というのが飽きられてみんな神前式になるんじゃないかね。

ノーフューチャーを標榜しても御岳山の初日の出にはかなわなかった。2010年、引き締めて迎える覚悟を新たにし、今年一年も全力で質素に生きようと思う。素晴らしい一年の幕開けを与えてくれた御岳山に感謝を込めて。

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アクセル長尾

Author:アクセル長尾
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