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トーマス・マプフーモ

トーマス・マプフーモ(以下マプフーモ)というのはジンバブエのアーティストであり、
オレが最も心惹かれるミュージシャンである。
彼は1960年代から活動しているのでもう約半世紀くらい唄っていることになる。
リリースされてるアルバムも数え切れないくらいあって、
日本に出回っている音源で20枚くらいあって、
日本まで届いてない音源も相当あるらしい。

オレは多分20代の半ばにマプフーモの音楽に出会って、
その時の衝撃はいまだに忘れられない。
アフリカ音楽にハマりたての頃で、アマゾンで片端からアフリカをキーワードにCDを探して、
視聴できるヤツはガンガン聞いて、ということを飽きもせずにやっていた。
その中で特別にオレの心を打ったのがマプフーモの曲の数々だった。
他のアフリカ音楽に感じる魅力とは少し異なり、
もうちょっと、ジャンルとかで分別しきれないエモーショナルな部分がオレを刺激するようだった。
確かにジンバブエのムビラ(親指ピアノ)の音楽やマプフーモ以外のジンバブエのポップスには、
オレの琴線を刺激する何かがあったわけだが、
マプフーモの音楽だけはいつもそれらとも違う特別なオーラを感じてしまい、
以降病み付きになった。
そのマプフーモの曲の存在感を分かりやすく言ったら、
ボブ・マーリーの唄が他のレゲエの唄と一線を画するような感じだ。

実際マプフーモはボブ・マーリーからも影響を受けていて、
ジンバブエの独立記念に公演で訪れたボブ・マーリーを
マプフーモが実際目にしてショックをうけたのだそうだ。
そういうこともあってか、マプフーモの音楽にはレゲエに影響を受けた節も伺えるのだ。
ちなみにボブ・マーリーは「ジンバブエ」という曲をその頃リリースしている。

オレは初めてマプフーモの音楽を聞いた時、その音楽の不思議な力に、
しばし痺れいってしまい、パソコンの前で呆然としたものだった。
どこかまったく知らない土地に飛ばされたような、オリエンタルでも、エスニックでもなく、
どちらかというと、知らない土地なのにノスタルジックな感じだった。

それからオレは中古CD屋でマプフーモのCDをみつければ即買いし、
買って聞いては毎回新鮮な気持ちで感動していた。
毎回新鮮な気持ちになるのが不思議なくらい、マプフーモ音楽は同じ空気感なり、
同じ音階なのだけど、何故か一曲一曲が同じに聞こえない。
高田渡の唄にも似た部分がある。
オレは飽きない自分を時々疑いながらも今日まで聞き続けている。

マプフーモは定期的に音源をリリースし続けていて、
1990年前後のワールドミュージック・ブームの折には一度日本にも来ているし、
数枚は国内盤として日本でも紹介されているが、
バブルに由縁するワールドミュージック・ブームの衰退以降は
日本では完全に忘れ去られてしまった。
だからインターネットでも日本語のレビューページは少ない。

オレが未来世紀メキシコのイケちゃんやドクターと仲良くなった時、
二人ともマプフーモのアナログを持っていたので、
それだけでオレは二人をすぐに大好きになってしまったくらいだ。
チンネンもマプフーモ好きだった。
これはものすごいレアなことなんですよ。

2007年にリリースされたアルバムの冒頭の曲は、
そんなマプフーモの曲の中でも際立って斬新で、
際立ってポップな唄だったので、オレはその時改めてマプフーモブームに憑かれ、
その当時同棲していた恋人と一緒に何回も繰り返しその曲を聞いていた。
オレは辛い時、何度もマプフーモの曲に勇気づけられてきていたのだが、
その時は恋人も一緒になってマプフーモの曲に勇気づけられていたのだ。
その曲をこの間久しぶりに聞いた時、別れた恋人と一緒に聞いたことを
強烈に思い出してしまって大変だった。

実はその2007年にリリースされた「RISE UP」というアルバムの冒頭曲を、
「アフリカ・コーリング」というDVDで映像で見ることができたのだ。
現在進行形のマプフーモの映像を見るのはその時が初めてで、
マプフーモの特異なボーカルスタイルにグッとまた魅せられてしまった。
ポリティックな唄を唄って投獄までされた過去のあるマプフーモの老化は激しく、
観た感じ爺さんだった。
昔のレコードに見られるドレッドヘアはなく剃髪されたツルツル頭で、
マプフーモはマイクを持って少し中腰になったまま動かず、
視線は斜め下の一点を見据えてボソボソと唄っているのだ。
後で詳しい人から、「あれはマプフーモのスタイルなんだよ」と教えてもらい、
あれが基本的な彼の唄い方らしいということを知った訳だが、
初見はかなり衝撃的に映った。

その後マプフーモの情報はまったく入らない。
ミクシにコミュニティーがあったので入ったけど100人以下で誰も情報を知らない。
だから書き込みも少なく、ほぼ機能してなかったので、オレもチェックしなくなった。
時々インターネットで調べてもオフィシャルのホームページが、
まったく更新されていない。

数少ない情報の中、誰かのブログ記事にぶつかったことがあった。
どうもそのブログの記者はアメリカ
(マプフーモは祖国ジンバブエを追われ現在アメリカで活動している)
に留学中の日本人学生だったようで、
「トーマス・マプフーモというミュージシャンのライブが大学であって、
たまたま観たら結構よかった」
という感想が書いてあった。
(結構よかった、じゃねえよバカ。ああ羨ましいなあ)
と一人ごちて、興奮しながら、というか興奮のあまりブログの記者にメールを出してみた。
マプフーモのライブを生で見たんですね、羨ましい、
というような内容であったと思うが返事はこなかった。

先述の2007年のマプフーモ映像を観た時に、この人が今生きているのは奇跡だと思い、
同時に、いつ死ぬか分からない、というような不安に襲われた。
マプフーモの風貌があまりにもカリスマ的に年老いていたからだ。
だけど、インターネットでも情報がなかなか見つけられないので、
いったいどうしていることだろうと時々思いながら過ごしていた。

そしてたまたま昨日久しぶりにyoutubeでマプフーモを検索したら、
以前より多数の映像がアップされていて、
その中で2009年のライブ映像を発見することができたのだ。
オレが知っている限り、ずっとピンボーカルだったマプフーモがギターを握っている。
既に初期バンドメンバーは他界している人もあり、彼はそれでも唄を唄い続けている。
状況によっては自分がギターを弾いてでも彼は唄い続けたいに違いない。
その姿はまたオレに鮮やかな感動をもたらしたし、
なにしろその曲がまた新しい境地に辿り着いているのが分かり、
もうそれ以上言葉にできない。

さっきミクシのマプフーモのコミュニティーを久しぶりに見たら
2009年の6月の書き込みがあって、その曲が新曲であったこと、
そして新しいアルバムができたらしい、という新事実が明らかになった。
うっかりミクシのコミュニティーは全然チェックしてなかった自分を反省したが、
重要なことは、その2009年にリリースされたらしいマプフーモの新曲は、
これまでと同じように、オレの心をしっかりと捉えた、ということだった。
2010年2月27日土曜日の、バンド練習から帰ってきて、実家の食卓でオヤジとメシを食って、
酒を煽るオヤジと中南米音楽とギターと日本の教育界などについて語り合った後、
パソコンをこうしていじるオレの心をもしっかり捉えるのであった。

赤い疑惑ファンと公言するいちこさんが
━━赤い疑惑の音楽を聞くと、アタシの細胞が泣く、
という賛辞をオレにくれたことがあり、細胞が泣く、という表現が、
何だか上等過ぎる褒め言葉だと思って恐縮しつつ嬉々としたものだが、
どうやらオレはマプフーモの唄を聞くと、勝手に細胞が泣き出すらしい。



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ところが

そのコロンビアの大衆音楽であるクンビアという音楽が、
今、一部のDJの間でもてはやされていて、クールな音楽として受け入れられてるんだけど、
ところが、こういう映像を見ると、クールというものではなくて、
なるほど本当に大衆音楽なんだな、というのが分かるのです。



ちょっと長いですが、このオーディエンスの異様な盛り上がり、焦りますよね。
何だかお下品な感じで、しかも民放の音楽番組っぽい。
日本でいうところのジャニーズのコンサートみたいだけど、
このオーディエンスの異様な盛り上がり方は、もっとリベルタッドな感じ、
暴れたいだけ暴れる、というような趣きすら感じて、その下品感が
結局一回りして、やっぱりこれはクールだろう、とオレは感じるわけです。
特に3曲目4曲目で突如登場する演歌のような歌。
それを若者達が大声で合唱しているシーン。
これにはかなりの焦りを感じると同時に、
直後妙な感動すら胸を襲うのです。
ダマス・グラティスというアルゼンチンの人気クンビア・バンドがありますが、
彼等のライブ映像はもっともっとお下品でキョーレツだった。
よかったら皆さんもクンビアを聞いてみて。
日本にも「恋のクンビア」という曲が昔あったんですよ。

クンビア

クンビアというのはコロンビアの大衆ミュージックで、
そのリズムと太いベースラインが中毒性の高い音楽で、
中毒性の高さ故、コロンビア以外の南米一帯に伝染していった音楽らしい。
オレもEKDとの出会い以来、このクンビアにかなり刺激を受けている。
勝手に貼付けます。
ごゆ~るり堪能されたい。

野暮天のバンドマン

一昨日インディーズマガジンのイベントでDJをやって、その時インディーズマガジンの最新号をもらったのでパラパラと目を通していたら、「ライブハウスの現状」的な内容の対談があって、それを読んでて、「ライブハウスが急増してて横並びになってる」というような内容のくだりがあって、そうそう、確かにそうなんだよな、と同意してしまった。ライブハウスが無個性化してて面白くない、と書いてある。そうなんだよ。バンドとは関係ない生活を送っている人にはどうでもいいことなんだろうけど、オレみたいにライブハウスを活動拠点としているような人間にしてみれば切実なことなんだよ。ちょっとは心配してくれよ。

ライブハウスは非日常的で面白い空間、というバブルの時代においてそうであったようなライブハウスの秘境然とした認識はすでになくなってしまったのに、白無垢の無印良品的なライブハウスが急増しているのだ。それは保守的なライブハウスビジネスがまかり通ってしまっている証なのであって、そういったライブハウスの増殖は、不況だ、不況だ、とウルサい時代において尚更異常なことだと考えざるをえない。そうではありませんか。

何でライブハウスビジネスが儲かるのかっていうのは、どうもライブハウスのチケットノルマ制度(バンドがライブハウスに払う税金)だったり、時代性にそぐわない入場料やドリンク代の設定だったりするのだと思うのだけど、後者の金額的な問題は切実で、大体東京のライブハウスの相場の入場料である2000円という金額が現実的じゃない。そりゃ、いい音楽だったり、楽しい空間だったり、何か魅力がありゃそりゃ2000円だって高くないけどね。ドリンク代だってウマいドリンクだったら500円出しても目をつぶってやるけどね。

ところで時々訳の分からない組織から定型のメールで、宛名だけ「赤い疑惑様」とかいうふうに適当に上書きして、「テレビに出て夢をつかみませんか」とか「このイベントに出演して各メディアでアピールしてみませんか」とかいう内容のメールが来ることがあるんだよ。初めは何だろう、なんて思ってたけど、これだけ長くバンドを続けていると、本当にこんなメールはクソだな、ファックだね、って思って即行削除しちゃう。バカにするんじゃねえ。「成功してやろう」なんていうバチ当たりなことを考えやすい━━まさしくオレもそうだったのだが━━20代前半のバンドマン諸兄には呉々もこういった類のお誘いにはご注意を、と忠告してやりたい。バカなこと考えるんじゃないよ。バビロンシステムに利用されるための、まったく愛情のないご提案なのだよ。まるで自衛隊の勧誘と変わらない。

仕事帰りに久々にみなとさんから電話があって、本当にお久しぶりだったのだけど、お付き合いしていた3、4年前の時の感覚がまだ残っててフランクにいろいろ話してたんだ。
「どうなの。最近、赤い疑惑は?」
「やってますよ。むしろ昔よりもなお一層気合いが入ってます」
みなとさんはそんなオレの声を聞いて快活に笑っている。ヘブンズを辞めてイベンターとして再出発したのだそうで、自分のイベントに赤い疑惑を呼びたいと言ってる。
「いやあね、赤い疑惑も随分長くやってきて、実際名前はすごく知れ渡ってきてるんだけどね、実質的な人気はないんだよねー。集客力全然ないですもん。いまだに」とオレ。
「な~に言ってんのー。赤い疑惑だったら二三十人くらい簡単に集めちゃうんでしょ?」と意地悪なみなと氏。

冗談じゃなくて赤い疑惑の集客はいまだに一桁の日がほとんとだ。これじゃ人気バンドだなんてハッタリだな、まったく。みなとさんが誘ってくれたイベントは平日だったので「平日ですかー。基本的に土日を優先してるんですけど」とオレは答えて、でもそういうのもサムいよなあ、と考え直して「…でもメンバーと相談してお返事します」と言って電話を切った。超久しぶりに話したのになんでこんなに気の置けないバイブスなのだろう、と突然数年ぶりに現れた元ライブハウス・ブッキングマネージャーの存在に少し心が躍るようだった。人間付き合いというのは面白いものなんだ。

夜メールをチェックしてたらノギオから「今度のライブは赤い疑惑周りで何人くらいお客さん来そうですか?」という野暮天な質問がきたので焦った。ノギオというのは今度の地球屋ライブの首謀者でバンドマンだ。いくら集客が心配であってもイベントの出演者にそんなことを聞くイベンターはいないゼ。

そう思いながらオレはさっきみなとさんと話したばかりの赤い疑惑の集客の心もとのなさを振り返り、どう返事をしようかと思ったがサバを読んでもしかたないので、今のところ来るということになっている人数を答えた。撮影のツダ氏を含めて5人である。メールの最後に「集客力なくて申し訳ない」と添えた。

ノギオのアドレスは携帯だったのですぐにオレからのメールに対する返事が来た。そうじゃないんですよ、今度のライブは予想以上にお客さんが入りそうだから地球屋大丈夫かなと思って、というような内容でオレは不意をつかれてしまった。そうか、嬉しい悲鳴ってやつだな、とノギオの悲鳴をオレは受け取った気がした。(沢山お客さんが入るのか、そりゃ~いい)と思った。同時にさっきノギオのメールを野暮天だな、と断じた自分を恥じた。すまなかったノギオよ。土曜日は素晴らしい夜にしようではないか。

右も左も分からずに

青梅街道を、エレキギターとエフェクターを積んだオヤジの車で走行しながらオレは何となく、久しぶりに聞くセクバ・バンビーノ・ジャバテの曲のをカーステレオで聞きながら、(ひさびさだけど、やっぱりいいなこのCDは)と思いながら(だけど、オレはこの音楽のどこが好きなんだろう)という経過を辿り、(ところでこの音楽はレベルミュージックだろうか)という妄想へと誘われた。

レベルミュージックという言葉にオレはいささか過激なニュアンスを感じており、しかしながら同時に多分に憧憬的ニュアンスも含んでいるようでもあり、どう解釈していいのかいまだによくわからない。

いまだによくわからないからオレは今日もそのアフリカの曲を聞いているうちに、勝手にそんなことを考えてしまっているのであった。カーステレオから流れる曲のリズムに耳を傾けた。そういえば、とオレは思い出した。

赤い疑惑の練習で家を出る前にオレは先日録画しておいた高田渡のNHK特番を観ていたのだ。その番組を観るまで「高田渡はレベルミュージシャンなのか、はたまた単純に日本語の粋を心得た器用なただのミュージシャンなのか」その部分が分からなかった。だけどその番組を観て、やっぱりこの人はレベルミュージシャンだったんだ、ということがはっきりと分かってオレは興奮を抑え切れなかった。そして高田渡は「民衆の唄」を歌ったと番組はナビゲートするのだが、「民衆の唄」というのはつまりオレがここ数年、最も希求している音楽だったはずであり、その番組を観たことはオレをして啓示的であった。

ところでその番組を観終わった後に何となく長尾家のテレビチューナーのハードディスクに録り溜められたオヤジの映画コレクションに目を通すと、チェ・ゲバラに関する番組やら映画やらが3つも並んでいて、ふ~ん、と思った。ただ、すぐに家を出発しなきゃという時間でもあったので、ふ~ん、だけで済ませたのかもしれない。

そのことを青梅街道を運転中に何となく思い出したのだが、よく考えてみれば、オヤジはチェ・ゲバラというアイコンが好きなのだろう。それはオレにとっては意外なことでもあり、もっともなことだとも思えるのだ。

姉貴のハナシによるとどうやらオヤジはケーブルテレビの映画チャンネルの気になる映画をとにかく片っ端から録り溜めて結局ほとんど観てないらしく、だから、オヤジがチェ・ゲバラの番組なり映画なりを実際に見るのかは分からないのである。オヤジにとってチェ・ゲバラの存在はきっとその程度なのかもしれない。

それにしてもなんとなくでもチェ・ゲバラに敬意を持っているだろうオヤジの、オレはムスコなのだよな、と改めて思ってみたら妙な気分になったのだ。「レベルミュージック」とか「民衆の唄」とか考えてるオレは完全にオヤジの血がそうさせているのじゃないのか、と無駄に胸がアツくなってくるのだ。オヤジがチェ・ゲバラをどこまで好きかなんてことはここでは問題ではないのだ。

オヤジの実家は宮本常一(この人もオレにレベルな衝撃を与えた偉人だが)氏と同郷の山口県周防大島というところだ。オヤジの家は代々が神社で、つまり神主の一家なので、本来ならオヤジは神主として家業を継ぐ段取りであったが、ちょっとした運命のいたずらで神主はオヤジと十歳離れた弟が継ぐことになり、オヤジは東京で教師とギタリストをやって家庭を持つことになったのだ。

難しいことにはうかつに言及できないが神道というのは右なのである。しかしながら教師という職は左な人種もかなり多く、そしてオヤジは生き様的に見て、どう考えても左なので、その右左のことが気になってしょうがなくなった。そんなことが気になり出したのは最近のことだけど、あまりに気になっていたのでいつか酒の席の時に機をみつけて問いただしてみた。
「オヤジは右なの左なの」
「バカ野郎、左に決まってるダロウ」
オヤジは豪快に笑ってそう言ったので、そうだよね、聞くまでもないね、とオレも豪快に笑ったのだ。それでもオヤジは自分が神社のムスコでありその右左の問題は自分の中での矛盾でもあるということを幾分気にしてるようでもあった。

そんなことを思い出したりしながら西荻の駐車場に着くと沓沢ブレーキーの車と顔を合わせた。オレたちは実家車満喫連合会の一員なのだ。ブレーキーと口数少なめにスタジオに向かう。冬の空気は綺麗で引き締まっている。

遅刻して現れたクラッチと3人でセッションを開始する。もう何年も同じことをやっている。今ではオレにとってこの作業は何の疑問もない不思議な習慣であり、クラッチにしてもブレーキーにしてもそれは同じかもしれない。そしていつでも革命を信じている。恥ずかしくて人には言えないけど、オレはいつもそういうイメージでバンドをやっているらしい。ロックというものがそうなのかもしれない。革命が起こらなくても何かを信じて音を鳴らすのであって、それは言葉にならないがクラッチにもブレーキーにも伝染しているようにも思われる。

オレは帰宅後に早速オヤジが録ったチェ・ゲバラの番組を鑑賞した。オレは恥ずかしながらチェ・ゲバラについて「知る機会」を、なんやかんや逸していたので、新しく知ることが多く、素直に面白かった。

今日は何だかよくわからないけど、そんなことばっかりを考えさせられる日だった。オレがバンドをやる理由は一体何なのか。赤い疑惑のバンドとしてのアティチュードはどうあるべきなのか。結局右も左も分からずに転がってばかりいるのだが。

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アクセル長尾

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