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オンダ・バガ

オンダ・バガはアルゼンチンの恐らく同年代の5人組のバンドだ。オレが彼等のことを知ったのは都内某レコードショップ店員から「アルゼンチンの最近のバンドでこんな人達がいるよ」と言われて、実際その売場で彼等のアルバムを聞かせてもらった時だった。

フォーキーなギターのスパニッシュ風なバッキングに枯れた味わいのあるメンバー5人による多重コーラス、そして少しハズれた感じの間抜けなトロンボーンが程よい脱力を誘う。リフレインするメロディーはラテン風ビートルズ(ビートルズに思い入れはないのだが)か、と誇張していえばそれくらい耳馴染みのいい旋律だ。少々癖のあるラテン人特有の声質といい、パンクを通過した世代特有の、初期衝動に由来する「勢いで行け」感といい、世界のレベル・ミュージックシーンのキングことマヌ・チャオの存在を思い出さずにいられなかった。

個人的に気に入ったことと、ワールドミュージックを扱う仕事に携わっていることが後押ししてオレはそのCDを即座にゲット。それからは赤い疑惑のメンバーや未来世紀メキシコのメンバーにオンダ・バガの存在教えて、なるほどいいねー、という共感をもらって、オレはホクホクしていた。

その後妙ないきさつでそのオンダ・バガのCDをオレの働いているアオラ・コーポレーションで国内盤としてリリースする運びとなった。しかも解説をオレ、アクセル長尾が書いて、ということが決まったのだった。

提案をしてくれたのは同僚でDJとしてもキャリアのあるShhhhh君で、彼は、こういうアーティストをワールドミュージックとして日本に紹介するのは意義のあることだし、赤い疑惑のアクセルが紹介するのと固い評論家が紹介するのじゃ訳が違うから、という論旨でオレに提案してくれたのだ。オレも、現在のワールドミュージックシーンというのは世代の上の方々があーだこーだ批評してできあがっている妙なジャンル、という認識があるから、そのワールドミュージックというジャンルをもっと親しみやすいジャンルにできないものかと日々思っていたこともあって、その未踏の責務を受け入れることにしたのだった。

しかし、解説といってもオレは評論家じゃないし、自分でバンドをやっているような人間なので他人の音楽を解説するなんて、なんだかとてもおこがましいことぢゃないかしら、と何度も躊躇したのだった。そこで、特に「解説」にこだわることもあるまい、「解説」じゃなくて「ライナーノーツ」にしたらどうだろう、という考えにいたり、その旨を社長に相談して承認してもらった。ウチの会社は過去にもワールドミュージックシーンではそれまでほとんど眼を向けられていなかった、スペインはバルセロナの若いミクスチャー・シーンを、ZOOT16の渡辺俊美さんをセレクターにしてチョイスしたコンピレーションをリリースするなど、ワールドミュージックの権威的な部分からの回避を意識しているところ(これにはShhhhh君の血と汗の結晶が伺われる)があった。だから社長は、評論家やライターではなくて、売れないミュージシャン赤い疑惑のアクセル長尾がライナーノーツを書くことに、特に抵抗はなかったのかもしれない。それはオレにとって救いだった。

とはいえ、初めての、まあ、言ってみれば長いレビューのような文章を書くにあたって、オレはいろいろの不安を募らせ、その不安を少しでも解消させるために中南米の音楽を聞き漁ったり、中南米の音楽本を読んだり、日本ではあまり出回っていないアルゼンチン映画のDVDなどをインターネットで購入などしながら、迫る〆切までの時間を、焦りの中で、とはいえ、それを意外にも楽しんで過ごした。

その中でも印象的だったのは、オヤジとのコミュニケーションだった。というのも、オヤジは結婚する前からオレが小学生の頃までの十数年間、教師をやりながらギターミュージックという雑誌の編集に携わっていた。クラシックギターの雑誌だった訳だが、当時一世を風靡したフォルクローレ・ブームの影響で、中南米のフォルクローレもその雑誌でもかなり紹介していたらしい。最近になってオヤジが家に眠ってるレコードを捨てるというので、ちょっと待って、と呼びかけておいて、オレはその初めて見るオヤジのレコードをチェックした訳だが、おお、あるは、あるは。クラシックのレコードに紛れて中南米フォルクローレの知られざる日本盤レコードの数々。名前の知らないアーティストからハイメトーレスなど有名どころまでいっぱい出てくる。興奮して見ているオレに対してオヤジは(そんなもんが面白いのか)と驚いていたようだが、それなら、とばかりにそれらのレコードにまつわるエピソードなんかを得意気に話して聞かせてくれたりした。衝撃的だったのはアルゼンチン・フォルクローレの伝説、アタウアルパ・ユパンキの来日公演の際に、オヤジはユパンキにインタビューをした経験があるのだそうだ。オレが中学の時にロックに洗脳されてから、十数年、音楽リスニング行を一通り世界中に巡らせ、三十路過ぎてようやく到達したところである中南米フォルクローレ。その中でも今すごく惹かれている、ユパンキという伝説の人物にオレのオヤジが会ってインタビューをしていた経験があるとは。縁というのは恐ろしい程ドラマチックである。

また、「こういうのもあるぞ」と、オヤジが書棚から出してきた『事典 ラテンアメリカの音楽』(冬樹社)という著書は非常に素晴らしい内容で、これを会社の社長に見せたら「あ~、これね、名著だよ。もう絶版だけど」という反応。しかもしっかり会社にも同じ本がしっかりあったのだから驚く。オレは誘われるべくして中南米音楽に誘われているようぢゃないか。

とはいえ、そういった探せばいくらでも出てくる中南米音楽の膨大な資料やアルゼンチンの歴史/政治史の知識は、非常に面白い内容だとはいえ、カバーしきれる量じゃないし、オンダ・バガのレビューを書くのにその一夜漬けの知識を引用することも無駄に思えた。それより同世代の音楽好きやライターさんとオンダ・バガについて話しているうちに確かめられた共通の認識事項や、主観でオレが思ったことだけを書けばいいのかもしれない、という結論に達したのだった。

そうなって書き出したら目安の3500文字はあっさりオーバーしてすぐに5000文字くらいになってしまって、ちょっと文字が小さくなるけど社長のオーケーも出て無事校了。2、3週間の緊張から解き放たれてほどよい達成感であった。

さて、そのオンダ・バガなんだけど、彼等は実は元々アルゼンチンのオルタナティブなロックシーンにいた複数のバンドのメンバーが集まって出来たオールスター的なバンド。とはいえオールスターバンドにありがちな俗っぽさや、予定調和的な要素とは無縁で、とにかく初期衝動でやっている感じがシンパシーを誘う。しかもエレキでやっていた連中が意図的にアコースティックに持ち替え、剥き出しの唄、しかもそれを全員で合唱するというありそうで、まったくなかったスタイルには憧憬すら覚える。

彼等のmyspaceやホームページでいろいろ調べているうちに、彼等が先述のマヌ・チャオのアルゼンチン公演の前座を務めた、という事実がわかった(マヌ・チャオはアルゼンチンの若者の間でもカリスマ的な人気があるらしい)。彼等と直接メールのやりとりをすることもできたのだが、メンバーは全員マヌ・チャオ好き、だけどアルゼンチン以外の南米(例えばペルーやボリビアなんかの)フォルクローレにもやはり影響を受けているという。そういう事実が分かって、なるほど、初めてマヌ・チャオを聞いた時に感じたいい意味での違和感のルーツは南米フォルクローレでもあり、オンダ・バガのルーツも南米のフォルクローレなんだな、と気付く。

またマヌ・チャオの傑作「クランデスティーノ」のそれぞれの曲間がDJ的編集でブツ切りにならずつながっている、というスタイルが、このオンダ・バガのアルバムの造りにもリンクする気がする。それはバルセロナの怪物バンド、チェ・スダカの傑作3rdアルバムでも同じ手法が使われていたのを、点と線で結んでしまうのはオレのエゴか。だけど、未来世紀メキシコのドックも、オンダ・バガにもチェ・スダカと同じ同世代の空気を感じた、というからその点を線で結んでも文句いうヤツはそんなにいないだろうな。あわよくば、赤い疑惑もその点と線のひとつの点(日本に赤い疑惑あり的な点)になれればいいな、と思う訳であるが、それはオレのこれからの努力次第ぢゃないか。

本気で取り組んだことなのでついつい長くなってしまったけど、オンダ・バガ、素晴らしいバンドなので是非買って、聞いてみてほしい。USオルタナティブ/インディー(特にKレーベル、セバドー/ペイブメントやベック、その他グランジなど)に一度でもハマったことのある方にも強く推薦!

フエルテ・イ・カリエンテ
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3月14日

起床。天気がよいので布団を干す。シーツを洗濯する。昨日オヤジが買ってきていた「芳醇」を牛乳と卵に浸してフレンチトーストを作り、起きてきた姉貴と朝食を摂る。昨日作ったカボチャのサラダも食べる。

食後、「排水溝の掃除なんですが」という清掃業者の若者が2人ドカドカとやってきて実家の床に青いビニールシートを敷いていく。一人はマスクをつけているから花粉症だろうか。昨日山登りにいったトモダチも御岳山の杉花粉にやられていた。もうそんな季節になったらしい。

「すぐに終わりますから」と清掃業者の人は言っている。何だかよく聞くうさん臭いセリフだな。しかし排水溝の掃除とは何をやるんだろう。オレは普段から排水溝の臭いについては興味があったので、清掃業者の兄ちゃんの作業を横合いから見守っていた。何やらワイヤーらしいものが、キッチンの流しの奥に差し込まれている。あまりにも気になるのでつい尋ねてみた。マスクをつけた男のほうだ。
「中はどうなってるんですか」
「はい?」
「いや、あの中はどんな風になってるんですか」
「はい?…」
「いや、あの、どんな風に清掃しているのでしょうかと思いまして」
「あぁ、水圧で掃除するんです。」
「はあ、そうですか。水圧ね」
マスクのにいちゃんには明らかに、オレらに構わないでくれ、とでも言いたげな怪訝そうな顔で応対されてしまったので、オレも、聞きたいことは聞けたし、もういいわい、という気分になってバンド練習の準備をした。

清掃業者の2人はすぐに去っていってしまったが、「排水溝を掃除したために一時的に発生した排水溝の嫌な臭い」がしばらく残っており、その臭いとオヤジの便所から出てくるタイミングがリンクしたために、オレはオヤジのウンコが便所周辺まで漂ってきたのかと思い、あまりにも可笑しかったのでオヤジに「ウンコした?」と聞いたら、オヤジはウンコをしたのじゃなかったらしく、すぐにその臭いが排水溝清掃のための臭いだったのだなあ、と悟ってオレの勘違いを謝ると、姉貴もオヤジもオレも可笑しくて笑い出したのだった。

布団を取り込んで原付で西荻のスタジオへ。今日はオヤジの車が使えないのだ。井の頭通り、吉祥寺を過ぎて右手に吉祥寺南病院が現れる。トモダチが最近糖尿病の発症で一時的に入院してたとこだ。ここの先代は随分評判の悪い病院だったらしいが、その病院の少し手前の左手に見慣れない床屋が出来ていたが、そうだ、ここは以前はレゲエ専門のレコード屋だったとこじゃないか。入ったことはなかったが、(こんなマニアックなお店やっていけるのだろうか)といつも少し気になっていた店だ。(やはり)と思う。(お店をやるのはタイヘンなことだ)そんなことを考えていたらスタジオについた。

ブレーキーが遅れるというので、クラッチと先にセッションを始めた。最近作った曲だけど難易度が高い為にライブでまだ納得いくできができた試しがない━━そのせいで最近はライブでやっていない曲を繰り返し練習してみる。楽器を躍りながら弾いてみるといろいろ気付くことがある。通常のロックを志すと、躍りながらギターを弾くということはあまりないようだが、躍りながらじゃないと逆に表現できないフレーズもあるんじゃないだろうか。アフリカのアーティストがみせるあの動きはどうだろう。

ブレーキーが合流してからは、名古屋で初披露する計画の新曲をいっきに仕上げる。いっきに仕上げると書いてみたが、いっきに仕上がる訳ではない。あーだこーだ言いながらも、一応練習時間内に「じゃあこのバージョンでいこう」という仮案が決まっただけである。「じゃあこのバージョンでいこう」となっても、ライブをしていくうちに「やっぱりあそこはこうしよう」とかいう提案が出たりすれば曲はある程度、オレたちの違和感がなくなってくるまで変わり続けるようだ。だから曲は完成した訳ではないのである。

ブレーキーが親戚との食事に、クラッチがホワイトデーの奉仕に、ということで練習後特に用事がなかったオレは、やや寂しさ感じつつも2人に別れを告げ吉祥寺に向かう。ワープにフライヤー撒布をお願いしにいく。薬局でウオノメコロリを買い、VICで空のCDRを購入。楽器屋に足を伸ばしオヤジのギター用にシールドを購入。オヤジへの貢ぎ物である。

帰宅。近所にあるイーオンに買物に行く。家の近所にこんな大きなスーパーができるとはまさか思わなかったが、こん畜生、あると便利だから使わざるをえない。賑やかに品物が並べられた食品棚が規則正しく何列も並行に走っていて、こっちから━━つまりレジ側から、向こう側━━つまり魚やら肉売場まではかなりの実質的距離があるのだ。こんなアメリカ型スーパーがこの狭い東京で必要なのかどうか疑わしいな、などと毎回思いながらオレは買物を続けるのだが、今日は大豆の水煮と長ひじきと、しょうがと料理用の清酒を購入。それで明日からのウィークデーのおにぎり用に特製の大豆佃煮を作る。

昨日の残り物と姉が作って少し焦がしてしまったカレイの煮付け(味にはまったく支障なく、むしろ旨かった)と、朝少し残ったカボチャのサラダを食べる。姉と一緒に食べる。オヤジが世話をしているバラライカ奏者の翔君が「徹子の部屋」に出たということだが、その映像がDVDで残っているというので姉と、徹子の滑舌が覚束ないことに注意を払いながら、楽しく鑑賞した。

晩メシが終わると民放の5チャンネルをそのままダラダラ流しながら姉と雑談。5チャンネルを、オレも姉も普段見る訳でないが、水道に関する番組━━東東京の金町浄水場が新たなシステムで東京の水を以前よりおいしい水にした、ということをさえないお笑い芸人が紹介する番組━━を、他のチャンネルから避難するようにして見始めたオレに姉貴が、特に何も文句を言わなかったのでしばらく5ちゃんねるをBGMに四方山バナシや恋の相談などをしたのであった。

ドタバタとオヤジが帰ってきて腹が減ったな、と言っている。米はさっきオレと姉貴で食べてしまったので、コメがないけど、と伝える。オヤジは「げえ~」と唸ったかと思うと、「でも食パンはあったよなあ」と、ここからは独り言のようになったので、オレは対応するのをやめてカムイ伝を読み始める。カムイ伝を読んでいる左前方の机の上でパンと何やら残り物を貪っているオヤジの活動音が激しく伝わってくる。オヤジの活動音はオレと姉貴で時々話題にするほど騒々しいのである。あまり読書に集中できなくなったので部屋に戻る。その後パソコンをやりに居間を通り抜けるときオヤジがソファーに座ったままこっち向きに寝ている。オヤジは大体いつも、ベッドに就いて寝る前に一度酒に飲まれたまま居間で眠りのリハーサルをやるのだ。夜中の2時とか3時とかにリハーサルから目覚めて、おもむろに洗面所がやかましくなったな、と思うと今度は寝室での本番の眠りに就くようであった。

セクハラ教授に口頭注意のみ

「セクハラ教授に口頭注意のみ」、という見出しがヤフーニュースで眼をひく。
オレのインターネット起動時の画面はヤフージャパンが偉そうにしている。
なんとなく便利なのでヤフーにしているのだ。
ちなみにPC通は俄然グーグルを好むらしい。

「セクハラ教授に口頭注意のみ」とは何事か、と思う。
これのどこが主たるニュースなんだろう、と狐につままれたような気持ちになる。
よく読んでみるとセクハラ教授に対して口頭注意のみで済ませた奉行を批判しているのだろうか、
とそう読めてくるから不思議だが。

だがしかし、実にどうでもいいことではないか。
どうでもいいんだがついつい読んでしまいたくなるのがこのヤフーニュースの侮れないからくりだ。
このパンチの効いた下らなさをワンセンテンスの内に収める職人の力量に感心するばかりだ。
ニュースでっちあげ職人は幾らもらってるんだろう。

【】内はヤフーニュースからの引用である。

【宮崎市の宮崎公立大(中別府温和(はるかず)学長)で、女子学生にセクシュアル・ハラスメントをした疑いが強いとして、大学が男性教授に口頭で厳重注意していたことが分かった。】

ここでは何故セクハラをわざわざ「セクシュアル・ハラスメント」と書いたのかが疑問である。
セクシュアル・ハラスメントと書く必要はなかったんじゃないか。
セクシュアル・ハラスメントと言われるとセクハラっぽくなくなる。
あれ、当り前のことか。
それにしても口頭で厳重注意というのも曖昧な表現である。
まったく迫力にかける軽率な響きすらあるじゃないか。
大学が男性教授に口頭で厳重注意していたことが分かった、
と力んで言われてもオレは一向に驚かないのだ。

【大学によると、女子学生は昨年7月、教授にメールアドレスを教えると、教授から「毎日顔を見せてほしい」とメールを受け取ったり、「弁当を作ってほしい」と話しかけられたりした、と主張。2人きりの研究室で手や太ももを触られた、とも訴えている。】

「弁当を作ってほしい」とは普通であるが、
「毎日顔を見せてほしい」とは何事か。
オマエは故郷の母親か、と尋ねてみたい気持ちになる。
権力で弱いモノを我が者顔にするのは愚劣極まりない。
しかし2人きりの研究室とは淫らなくだりだ。
ヤフーニュースの本領がここに表れている気がするが
だとすればするほどこの女子学生は余計に気の毒である。

【女子学生が10月、大学に連絡。教授が事実関係を大筋で認めたため、大学は12月、厳重注意した。教授は「反省している」と話したという。】

ということは3ヶ月間、彼女は耐え忍んだのであろうか。
10月に通報が入ったのに12月に厳重注意とは何事だろう。
その2ヶ月オマエらは「この問題の処罰はどういたしましょうか」
などとのうのうと話し合っていたのか。
事情はどうであれ、時間がかかりすぎじゃないか。
教授は「反省している」と話したそうだが、そんなことはどうでもいいじゃないか。
いや、どうでもよくないのかな。

【女子学生は調査会の設置を大学に求めたが、大学は理事長の判断で設置していない。大学は「理事長が12月に学生に経緯を説明し、納得してもらったと考えている」と説明している】

調査会の設置とは何だろう。まったく呑気なもんである。
そしてこの理事長というのは黒幕なのか。悪そうなヤツだ。
理事長が学生に説明した経緯とは何のことを言ってるのだろう。
っていうか理事長って誰だよ。
まったく不親切なニュースである。

【別の女子学生1人も、この教授によるセクハラ被害を申し出ているという。】

なるほど。
ここではセクシュアル・ハラスメントとは表現しないようだ。
面倒くさくなったんだろう。

【同大では過去にもセクハラが起きており、中別府学長は「防止に取り組んできたのに、こうした事案が起き残念」とコメントした。】

通り一遍のコメントで、残念なのはこっちのほうだ。

そんな風にいちいち突っ込みながらオレは時々このヤフーニュースを読む。
会社ではちょこちょこ同僚のカネコ君と、
下らないヤフーニュースを見つけては報告しあったりして気を紛らわしたりしている。
そういう風にこのヤフーニュースはオフィスで気晴らしとして機能しているのかもしれない。
本当にくだらないことを書いてしまって残念である。

インターネット症候群

オレの生活はもはやインターネットに基づいている。
というよりパソコンそのものに基づいているともいえそうなのだ。
何しろ仕事の間はほぼずっとパソコンをいじるし、
帰宅してからも1、2時間は大体パソコンの前だ。
休日はそんなにいじるものではないが、それにしてもトモダチ以上コイビト以上。
何を言ってやがるんだ。

仕事から草臥れて帰ってきて、いつも大体同じ時間帯に帰ってくる姉貴と、
ささやかな晩ごはんを食べて━━オヤジの噂などをして━━談笑をした後は、
必ず決まってオレはパソコンを起動させる。
あまり遅い時間に帰ってきた時や、オヤジが早めに就寝してしまった夜は、
パソコンは起ち上げないで諦めて寝ることもあるが、余裕がある時は欠かさない。
オヤジが早めに寝てしまって困るのは、オレのパソコンがオヤジの部屋にあるからだ。
無線ランというものを使って自分の部屋にパソコンを置こうと企み画策したのだが、
立地条件または建造上のいたずらなのか、オレの部屋に電波は届かないようだった。
細かいことを言ったら、実際は電波は届いたり届かなかったりしていたのだったが、
「時々つながらない」というストレスは、オレにもう一度パソコンを
オヤジの部屋まで運び直すという行動へと誘った。
ちなみに今オヤジは隣の居間で酒を飲みつつテレビを観ている。
呑気なヤツめ。

パソコンを起ち上げてから終了を指令して電源を落とすまでの間の行動は決まっている。
行動、といってもパソコンの中で行動しているだけで身体は動かさないので安易である。
まずメーラーを起動してメールをチェックする。オレは寂しがりやなんだ。
いいライブの誘いが来てないかな、人生を変えそうなライブのお誘いはないかね、
なんてことを思いながらサーバーへの接続まで数秒を楽しむ。とことん楽しむ。
ティロリン、という音がしてメールが届く。
メールが来てない、という寂しい夜はほとんどないが、
アマゾンやヤフーや登録した記憶もないような不躾な広告メールなんかのせめぎ合いだけで終わる夜もあるのでそんな時はとことん落ち込む。
こんなことで一喜一憂していちゃオトコは務まらないのだ。

メールのチェックが終わったらいよいよインターネット症候群の本領発揮であります。
まず自分のブログをチェックして拍手が増えていないかどうか確認。
増えてないことを確認して軽く落ち込んだら次はミクシにログインしてみる。
メッセージが来ていないかなとか、コミュニティーのニュースは更新されてるかなとか、
誰かが面白いレスを立てていないかな、ということをチェックするのだが、
最近はミクシも盛り上がりに欠けてきていないかな、あんまり面白くない。
それで次はマイスペースにログインする訳である。
しかしながらマイスペースも最近は飽きてきてしまっているのだから人間は恐ろしい。
マイスペースは画像とか映像がベタベタ貼付けてあるから重くてストレスだね。
いや面白いんだけどねー。どっちなんだ。

それでお次は最近巷で評判のツイッター。
初めは(また新しいのが出たな)と思って警戒していた。
(そういえばフェイスブックなんてのも最近じゃ)などとも考えながら警戒していた訳だが、
同僚のカネコ君がツイッターのハナシをことあるごとにしていて、
(ツイッターか、オレはやらないけどね)と思っていつつも
(でもカネコ君が面白いって言うくらいだから面白いのかも)とも思えてきていたのだ。
そんなある日会社でツイッターを始めよう、みたいなノリになっちゃって、
つまりウチの会社は小さな音楽レーベルなんだけど、
そういう業種だったらツイッターが広報活動としてバカにならないんじゃないか、
ってことになって会社でツイッターのアカウントを取ることになったんだ。
それで実際オレも使ってみたら、なるほどこれは面白いかもしれない、
と思い至り、結局自分もアカウントを作って参加することになり、
それでかれこれ一週間くらいになるのかな。

そういう訳で最近はツイッターにログインして、
っていうメニューがオレのPCサーフィンのメニューに新しく追加されちゃった。
ツイッターは社交場みたいな場所になっていてみんなのつぶやきを閲覧できる。
やってない人はあんまりピンとこないと思うけど、
要はコミュニケーションツールなんであって、そういう点でいったら
ミクシともマイスペースとも同じ目的のツールなんだけど、
そのシンプルな仕様が「異様に今っぽい」のであり、
実際に「無料の告知」としては非常に有効なのであり、
例えば集団で親睦を深めるにはもってこいの道具なのであった。
だからツイッターはオレのパソコンサーフィンコースにレギュラー入りを果たした。

さて、そういうコミュニケーションを堪能して、
後はホームページの更新とか他もろもろパソコンでできる事務を済ませたら、
肩や首や眼の疲労何かを十分に感じながら自分の部屋に戻り、
後はギターを弾くか、本を読むかして眠りに就く。

そんな風にしてオレの一日はパソコン漬けだ。
こんなに一緒に居ていいのだろうか。トモダチ以上コイビト以上ってのは
さっき思いつきで書いちゃったけど、じゃあなんでこんなに一緒なのでしょう。
少し前のことだが、仲のいいトモダチがパソコン漬けになる自分を憂慮し、
「オレ、インターネットつないでないんだ。よくないよ、あれ」
と気焔をあげていたのをオレは今でも時々思い出す。
結局気分屋のそのトモダチはいつの間にかインターネットを再開して、
自分のホームページなんかもせっせと作って、といった風に、
簡単にネット生活に舞い戻ってきたのであったが、
インターネットに対して「よくないよ、あれ」と言ってのけたトモダチと、
同じような気持ちはオレも持ち合わせていて、
でもパソコンと仲良くなればなるほどその気持ちは
意識の底の、奥の奥の、底のほうへとおいやられてしまう。

しかしながらインターネット症候群になってしまった日本人のことを考えると、
いつだって可笑しい気分になる。
サムライ魂とか、いざカマクラとか、名を名乗れとか、神風特攻隊とか、
日本男児とか、そういうのはいったいどうなっちゃうんだろうか。
名を名乗れ、といっても相手はハンドルネームのままだぜ。
いざカマクラじゃなくて、いざログイン。

ツイットっていうのは「つぶやく」ということだそうだけど、
「つぶやく」という日本語は「人には聞かれないことが前提の」心境の発動のことを指すのじゃないかなと思うんだけど、
ツイッターに書き込まれる言葉は不特定多数に読まれることが前提なのだから、
もうつぶやきではないんじゃないか、という余計なことを考えたりする。
ツイッターやらそういったパソコンのコミュニケーションが増えていくと、
人と人が対面してコミュニケーションを図ることが減ってしまうんじゃないだろうか。
楽観的な人は、パソコンのコミュニケーションが
より多くの対面コミュニケーションを生み出すと考えるかもしれず、
オレもそういう風に考えなくもない。だけど反対の公算もある得る筈だ。

昨日メキシコのクルーと集まって畳の部屋に車座になって音楽を聞きながら話しをした。
オレはこうして畳の部屋で車座になってトモダチと話すのが好きだった、
ということを久しぶりに感じさせた。
一人暮しをしていた頃やコイビトと同棲していた頃は
トモダチが集まってはその「畳の部屋で車座」をよくやっていた。
特に西荻線路沿い風呂なし家賃4.1万円の時は頻繁に
大学時代のトモダチが2、3人、多い時は5、6人集まってその車座をよくやった。
こういう寄り合いみたいな集まりがどんどん減っていく日本社会のあり方は寂しい。
結婚したり、年取ったりするだけでトモダチと遊ばなくなるのは寂しい。
インターネットへ依存してもそれは解決しない。
けれども使い方によってはコミュニケーションを円滑にもするんだろう。
どうでもいいことと感じる人も多いかもしれないけど、
どうでもいいことではないかもしれないぜ。



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