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広島の

広島の赤いクルー

ご覧下さい。
バンドメンバーらしき3人が、
3人揃って赤い疑惑のTシャツを着て、
非常に愉快そうに笑っているではないですか。

以前、このブログでも紹介した広島在住の赤い疑惑ファンの皆さん。
ある日赤い疑惑の通信販売に広島の方からTシャツ4枚の注文があった。
赤い疑惑のTシャツを4枚も買うなんて何と罪深い、と思ったのだが、
注文メールに添えられたメッセージによると、
自分は3人組のバンドをやっており、4枚のうち2枚はそのメンバーの分で、
残りの2枚は自分の分なのだ、ということだった。
なるほど。

連絡をくれたのは写真右手のオガワ君だ。
Tシャツを送ってしばらく経ってから、先日突然オガワ君からまたメールがきた。
メールが突然くるのは当り前なんだけど、何とそのメールにこの写真が添付されてたんだ。
そりゃあもうビックリしたよ。
これで死んだ母ちゃんにもやっと顔向けができるってもんで。
母ちゃん、オレのバンドはこんなにでっかくなっただよ。

丁度メールをもらったタイミングが、オヤジの実家の山口に行くタイミングと重なった。
山口に行く時はいつも広島を通る。
それに今回は夜行バスで広島に行って、翌日の朝着いてから昼頃まで、
ちょいとした用事があって時間を潰さなきゃなんない。
よし、と思って広島のオガワ君にそのことを伝えて、
もしその午前中時間があったらお会いしませんか、
というお誘いをしたのだった。

するとすぐに返事がきて、
是非よろしくお願いします、ただその日はたまたまトモダチの結婚式があって、
9時何分の電車に乗らなければならないので云々。
オレの深夜バスの到着時間が8時だったので、
小一時間は会えますね、ということで実際にオレはオガワ君と、
広島駅新幹線口すき屋の前で感動の邂逅を果たしたのだ。

オガワ君はバンドではベースと唄を担当しているとのことだが、
オガワ君の隣にはギターのカマタ君も、どうぞよろしくお願いします、
と言ってかしこまっているのだ。
赤い疑惑のナガオさんが来る、ということで彼等の間では大事になっていたようだ。
2人ともこれから同じトモダチの結婚式に出るということでスーツ姿。
「いやあ、ホントはこんな格好でお会いしたくなかったんですけどね」
とオガワ君は言っているけど、オレはどっちでも構わないんだ。
それにしても今はまだ朝8時。陽は東の空なのだ。
休日の朝8時にオレに会いに来てくれるとはどういうことなんだ。

立ち話も何なのですき屋の隣のパン屋兼カフェに入った。
オレはスーツ姿でなんだか終始緊張しているような朴訥なオガワ君と
終始恥ずかしそうにしているカマタ君と、何を話していいか分からないけど、
とにかくバンドや音楽のハナシなんかをしてたらすぐに一時間経っちゃって、
オガワ君はすごく残念そうに、
「すみません、そろそろ電車が、、、」と言って悲しい眼を向けるんだ。
またいずれ、広島でライブでも、という感じで僕らは立ち上がって、
するとオガワ君はどっから取り出したのか、20センチ四方くらいの、
通常のよりは一回りは小さい、青い座布団をオレに渡して
「すみません。荷物になってしまうと思ったのですが、、、
僕の会社で生産しているコウハンパツ座布団です」
と言うのだった。
コウハンパツ? 高反発?
低反発というヒビキには馴染みがあったけど、
高反発というのは初耳だな、と思って驚いていると、
オガワ君は高反発と低反発の違いを若干営業マン風に説明してくれて、
「だからこの高反発座布団はいいんですよ」
と最後には些か得意気だった。

オレの荷物はいつも日常的に使用しているリュックサックひとつきりだったので、
その高反発座布団は、気持ちはすごく嬉しいが、現実リュックには入りそうもない。
しかし、嬉しい気持ちが買って、オレはその座布団を有り難くいただき、
その青い四角い高反発座布団を小脇に抱え、
彼等と別れた後やぼ用の控える昼過ぎまでそんな姿で広島の市内観光をしたのだ。
歩き疲れて、よっこいしょとベンチに腰をかける。
ここぞとばかりに小脇の青い座布団を敷いてみる。
石のベンチがそこだけソファのようになった。
う~むこれは、いける。高反発座布団か。

またしばらくしたある日オガワ君から連絡がきた。
是非赤い疑惑を広島のライブに誘いたいのだ、というハナシだった。
それは先述の感動のミーティングの時にもほんのり話頭にのぼったことだったので、
さほど驚きもしなかった訳だが、
オガワ君がメールに添付してれくた、その「ライブができる場所」の画像を見てビックリ。
所以は知らぬが「陸の孤島にあるカフェ」という触れ込みだそうだが、
何だかとてもよさげな場所ではないですか。
クラッチもブレーキーもこの画像を見せたら興奮していた。
オレ達にとって地方ツアーは特別な存在なんだ。

広島、陸の孤島カフェ
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父の実家の祭り

こんばんは。
お元気ですか。

僕は先週末父の実家の山口県周防大島というところに行って、
父の実家は神社なのですが、
その神社で25年に一度行なわれるという伝統的な行事に参加してきました。
その大島という島は瀬戸内海に浮かぶ割りと大きな島なのですが、
風光明媚な素晴らしいところで、一応観光に来る人もいるようなところなんです。
しかし今は過疎化が進んでいて、行く度に廃屋が増えてもいるようなんです。
僕は今回、暇をみて、父の実家の周囲を、丘に上がったり、ふらふら散歩したのですが、
その時にそういう、人が住まなくなって痛んだ家屋をたびたび、
自分の眼で見て確認して、すごく悲しい気持ちになりました。

僕は年を取る毎にその島の魅力や美しさを知るようになりました。
特に母が亡くなってからは特にそう思うようになったのです。
だからその島の過疎化が進んでいるのを目の当たりにするのは何だか寂しい。

今回の帰省でも僕は島の美しさと、
それに加えてその島の、父の実家があるその部落の人達の美しさに
たびたびハッとさせられました。
僕はフリーターでバンドマンという、
ましてそんな田舎だと余計にうさん臭がられがちな身分だったので、
その父の実家に帰るのは面倒臭い時期もあったのですが、
いろいろと時が解決してくれて、
今ではその島に帰れるタイミングが楽しみになっています。

今回帰省したのは、その神社で25年に一度行なわれるという、
そんな歴史的な行事に親族の一人として参加するためだったのですが、
そのお祭りというのが本当に愉快でした。
一通りの神道らしい儀式が1時間ほどで済むと、
そこからは神社の境内をふんだんに使った手作りのお祭り、という感じでした。
福引きがあって、そこに群がる原始人のような地元のばあちゃん、
普段はたこ焼きを焼いているという人がその日は臨時でやってる今川焼屋さん、
地元のおばちゃんですら「こんなのめったに作らないよ」といっていた、
擦ったゴマと味噌で作る「ごじる」なる汁物の配給、
神楽で出される幼児の出し物や、
ロボットみたいにこちこちになって津軽三味線を弾くばあちゃん、
ついつい興奮して自分も我忘れ殺到してしまった餅撒き。
どれをとっても新鮮で感動的でした。
人々が近所からその祭りに集まってきてる具合が、非常に具体的で自然で、
だからはっきり言ってしまえば東京もんで部外者である僕なんかでも、
退屈、という気分にもなることもなく、とても居心地がよかったのです。

プログラムの後半に剣道大会というのがありました。
これがまた新鮮で印象的でした。
実は僕は小学生の3、4年くらいまで剣道をやっていたのです。
神社と剣道というのは密接なんでしょうか。
神社育ちの父は自分もガキの時にやっていたからか、
僕にも剣道やらせたかったのでしょう。僕は嫌でしょうがなかったですが。
父より十歳下の、神主を継いでいる叔父も剣道が強くて、
それでその叔父の娘達、つまり僕の従兄弟も剣道をやらされているようなのです。
余計なハナシになるのですが、この従兄弟は6人で全部女の子だった。
神社だから跡継ぎが欲しかったのですが、男の子が生まれずに女の子ばかりが生まれました。
6人生まれた時点で遂に諦めたみたいなんですが、
その兄弟の一番上の子が僕より10歳くらい下ですから一番下はまだ小学生なんですよ。
それでその剣道大会にその6人の従兄弟の内2人が出場していた。
境内で行なわれた試合は予選を勝ち抜いた決勝戦6試合。
小学校低学年、中学年、高学年、中学校1年、2年、3年の部、
それぞれに分けられたクラスの決勝戦が6試合行われたのです。
その6試合のうちの2試合に僕の従兄弟が出てた訳です。
年少のナギちゃんは見事相手を打ち負かして優勝したのですが、
年上のミハルのほうはいつも勝てないという相手にやはり負けてしまいました。
試合が終わって両陣営でそれぞれの選手が防具を外しているのですが、
試合に負けてしまったミハルはというと面を取ったあと、
その面を外した両の手を地面に突っ張って、
肩ぐらいまでの髪を重力に委せるままだらりと垂らし、
自分の膝あたりをじっと見つめたまま動かないんです。
もしかして泣いている…、と僕は呆気にとられてしまったのですが、
僕が観戦していた隣で観ていた上から2番目の従兄弟のアキエが
「ミハル泣いちょるわ~、負けず嫌いじゃけぇあの子は~。かわいそう」
と同情しながら僕に教えてくれるのです。
僕は何だかとても涙もろくなってしまったのですが、
その従兄弟、といってもこんなに、まだまだ年端もいかぬ少女が、
今目の前で突き当たった壁と、その壁を越えられずにただ悔しくて泣く姿とに、
無い物ねだり的な憧憬の念を覚えてしまい、ついつい僕も泣いてしまった。

お祭りは餅撒きをしおに終わって、
後は境内の下にある、なかなか大きな日本家屋である父の実家の、
畳の3部屋をぶち抜いて作る大きな客間で、
祭の手伝いをしてくれた氏子奉賛会を労う接待宴をにぎやかに行ない、
21時頃には綺麗に終わったのです。

ただ祭りの感動を伝えたかっただけのつもりで筆をとったのですが、
やはり剣道大会の従兄弟の涙のことは書きたくてついつい長くなってしまった。
祖母は20日に一度退院、父は21日に東京に帰るそうです。
ではまた。

ノリ君

 御柱祭を観に行くことになった。それは松田クラッチが持ちかけた提案だった。初めは、二つ返事でOKするほどの魅力は感じなかったし、仙台ツアー、名古屋ツアーと土日は潰れがちだったしで躊躇したのだが、長野に行ける、ということと、オーガのメンバーに会える、ということを考えると断る訳にはいかない気がして行くことにした。後日、沓沢ブレーキーも一緒に行くことになった。何と、仲のいいバンドなんだろう、と思わずにはいられない。
 オーガというのはオーガユーアスホールというバンドのことで、彼等は今メジャーで活動している期待の星なのである。期待の星と形容したくらいだからまだ年齢も若い、オレ達より確か5歳くらい下なのだ。しかしメジャーで活動しているくらいだから赤い疑惑の10倍以上有名で、話していて驚いたことにミクシのコミュニティの参加者は一万人を越えるのだそうだ。さらに驚いたのはメンバーそれぞれのコミュニティまであるというのだ。で、そんなことに驚いていたらクラッチが「でもブレーキーのコミュニティもあるけどね」とちゃちゃを入れるのだった。でも、そう言われてみれば確かに以前、大阪に刹那的に熱狂的な赤い疑惑ファンがいて、そのファンに、何の冗談か知らないが、ブレーキーはコミュニティを作られてしまったのだった。しかもあまりにもマニアックなコミュニティだったのでほとんど誰にも気付かれなかった。
 ブレーキーの話で脱線しちまった。オーガに話を戻そう。
 オーガとは昔京都で対バンする機会があって、どういう訳だかメンバー同士仲良くなっちゃって、それから度々一緒に遊ぶ仲になっていて、特にクラッチとオーガのマブチが急速に絆を深めたようだ。クラッチは単独で長野に、オーガと遊ぶ、という感じで出かけることがあった。釣りなんかに行くようであった。
 ところでこのオーガでベースを弾くノリ君。彼は今回オレとブレーキーの御柱初日(発起人のクラッチは訳あって初日は不在だった)を完璧にエスコートしてくれた。つまり世話をしてくれた訳だ。翌日もオレたちが東京に帰る最後の最後まで一緒に居てくれて、しかも、自然に終始楽しそうにオレたちと時間を過ごしてくれた。ノリ君は空気のような軽さでフワッと寄り添うような感じで横に居てくれる。頼りない訳でもなく、主張がある訳でもなく、恐ろしいほどに嫌味がないのだ。ノリ君と話している時、オレは何故か小学生の頃のトモダチ同士のコミュニケーションの雰囲気を思い出すのだった。言葉ではうまく説明できないけど、とても貴重な感覚だった。
 ノリ君はオレとブレーキーを、彼の実家に案内してくれた。長野県原村の立派な農家のお宅だった。ノリ君の家にオレたちの車が着いた時、辺りはもう日が暮れていて街灯のほとんどない田舎道は真っ暗だった。車から降りて空を見上げると驚くばかりの星空が広がっている。ノリ君はおじいさんご自慢の庭を見せてくれた後、横に長く延びた日本家屋の左端の玄関入口からオレ達を招じ入れ、そしてすぐ土間に隣接している居間の扉を無造作に開けて、食後のまったりをやっているノリ君のご両親にオレたちを紹介してくれた。このタイミングではちょっと、と思われる程ご両親は夕飯を終えた膳を前にまったりな感じだったのだが、特に驚くこともなく対応してくれたノリ君のお父さん、お母さんが、あまりにもノリ君の雰囲気そのままの素朴な方々だったので、オレはしみじみ感じ入る他なかった。そしてその後案内してくれたノリ君の部屋が、ノリ君の雰囲気そのままの素朴なレイアウトだったことはもう言うまでもないことなのだ。

ジョンルーリー展

 ジョンルーリー展に行ったのは、イシコちんにたまたまフライヤーを貰ったからだ。イシコちんは確かそのフライヤーを折って、側面をホッチキスでとめて、洒落た包装紙として使って、オレに何かをプレゼントしてくれたのだが、そのプレゼントが何だったか、いま思い出せない。
 何気なく眼にした、その折れたフライヤーの絵が気になったのでよくよく見てみると、それはジョンルーリーの絵画展のフライヤーなのだった。ジョンルーリーといえば、あのラウンジリザーズの、ジャームッシュ監督の映画にたびたび登場していた、あのジョンルーリーなのだ。(これは、行くしかない)と珍しく即決。さらに(これはオシャレな臭いがするし女の子を誘って行くのも悪くないぞ)と思うのだった。
 イメージすると、どうも実行に移さずにいられず、オレは女の子をデートに誘ってジョンルーリー展を観に行ったのだった。デートなので、絵に集中していられるのかどうか、甚だ疑問がつきまとったが、実際にジョンルーリーの絵の数々を生で見てたら感動が止まらず、こんなに絵画展で楽しんだのは久しぶりの気持ちだった。
 ワタリウム美術館に行くのだ、と言ったら、「だったら」と姉貴が「こじゃれたカフェが近くにあるから、行ったらいいよ。ホットケーキが有名な」とオレに教えてくれたカフェに、実際にオレはそこへ誘った子と一緒に入って、ちょっと割高なコーヒーとホットケーキを一緒に食べた。ホットケーキは、確かに極上の味だったが、オレが半分も食べる前に女の子は「おいしい」と感動しながら完食してしまった。

3月21日

名古屋に行った。今回はツダ君が同行した。ツダ君はカメラで赤い疑惑を追いかけているのだ。東名高速までの下道と高速に乗ってからもほぼ断続的に渋滞が続いた。しかし、オレたちにはその状況をどうすることもできず、ただ周りの景色を見ながら話しをして音楽を聞いた。

結局リハには全然間に合いそうもない、ということが分かったが、オレたちは焦らなかった。焦っても仕方がないからである。しかし、主催者は心配しているだろうから一報入れようかな、どうしようかな、と思っていたら逆に主催者から電話がかかってきてしまった。マズいな。オレは渋滞で遅れている旨を伝えたが、主催者はソワソワしているようだった。

いつもはオレの実家の車で移動するのが例だが、今日はオヤジが車を使うというので代打として松田クラッチのオヤジの車が活躍していた。しかしいつもはカーナビがついているのに、松田クラッチのオヤジの車にはカーナビは搭載していないのであって━━それは松田家の男臭い方針に基づいているかららしいのだが、ともかくカーナビがないので、いつもは当り前に頼りにしている「到着予想時間」というのが分からない。いや、そもそもこの渋滞じゃ「到着予想時間」を考えることすら虚しいじゃないか。

主催者から2回目の電話があった。「今、どこですか」と言う。オレは標識を見て、どこそこというところです、と答えるのだが、そのどこそこという地名を主催者は分からないらしく、余計に焦りを露にしている様子。「ちょっと待って下さい」と言って主催者は電話口から遠ざかり、何やらハコのスタッフとあーだこーだ性急に言葉を交わしているようで、突然、オレたちがヒドい悪者のように思えてきた。「とりあえずリハの順番を交えて…」といって主催者は代替策を講じてくれた。「まあ、ゆっくり来て下さい」最後にそう言って電話が切れた。

主催者は学生で、今回のイベントに恐らく、一年か半年くらいの思い入れをぶつけている筈で、経験もないし、呑気なバンドマンと、正常にスケジュールを進めようとするハコのスタッフとの間に挟まれてしまって必要以上にあたふたしている様子だ。その後も何回かやりとりがあり、もういっそのこと赤い疑惑の本番の出番を変えるか、とか、いろいろの経緯を踏んで、結局最後の電話では「とにかく急いで来て下さい!」と、強い語気でぶつけられてしまった。さっきは「ゆっくり来て下さい」とオレたちの安全を気遣ってくれていたのに、ちょっとした間に「急いで来て下さい」という意見に変わってしまっていたのだ。急いで、と言っても渋滞でどうしようもないし、急いで事故にでも遭ったらどうしてくれよう。

オレたちが現場に到着した時はもう日が暮れかかっていた。ライブハウスの前に行列ができていて、それは入場を待つお客さんだった。こんな現象は東京でもオレは久しく眼にしない。しかもオレたちは出演者であって、その客の行列の眼の前を車で乗り付ける様は、正に芸能人のような感じになってしまい、オレたちは非常に恥ずかしい思いをしなければならなかった。寒空の中、けなげに入場を待ちわびて立っているお客さんの目線は、自然と我々に向けられなければならい。すると主催者がバタバタと降りて来て、挨拶もそこそこに搬入などをせっつかれてしまった。オレたちは肩身を狭くして諸々の作業をこなすしかなかった。オレはそれで肩身を狭くし、遅れてしまったことを申し訳ないな、と感じ小さくなりながらも、今日は何としても、リハこそ間に合わなかったけれど、最高のライブをぶちかまして、シメシをつけなければならないゼ、と思うのであった。あれだけ心配してあたふたしていた主催者に、ああ、赤い疑惑を呼んで本当によかったな、と思わせるような、他じゃ誰にも真似できないライブをやってやるしかないぞな、と自分に言い聞かせ、帯を締め直すのである。
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