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9/5は広島で

な、なんと衝撃的なフライヤー!
このパーティーは9/5(日)@広島波濤カフェにて!
食べ放題ってのがヤバいな。

9/5広島波濤カフェ
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西東京ノマディックピープル

フォギーに着いた瞬間にタグチ君がアツい握手で迎えてくれる。周りの人達も大体知ってる人で、よく来たね~、という感じで迎えてくれる。「ナガオさん来て、テンション上がりましたわ~、後で、マイクお願いします」「え、マジっすか」タグチ君がオレにマイクを依頼してくれたので、オレは喜ばなければいけないのだが、出たがりの癖に、やれよ、とかやってよ、と言われると、え~っとなる。とはいえ結局マイク依頼されたら、何糞いっちょやってやるか、ということになる訳だが、ちょっとした責任感が生じて焦るのは毎度のことだ。

オレがタグチ君の横で一生懸命マイクをやっている時、機材トラブルが発生して音がトんじゃう。ビート狂のみんなが大声を出して騒ぐ。オレはここぞとばかりにマイクでフリースタイルをかましてみるが長続きしない。こういうこともよくあるな。不甲斐ない気持ちのまましばらくするとスピーカーが復活。この時のみんなのアガリようは感動的な光景だ。オレも気を取り直してマイクをやっていたら、これもよくあることなんだけど、マイクを置くタイミングを見失って、結局マイクで朝方になってしまった。こんなに長居するつもりじゃなかったのにな。でもみんなとまた仲良くなれて、収穫の多い時間だった。

翌々日の月曜日。吉祥寺のバオバブに顔を出すと、ホテーさんにクリス、それからおとといフォギーで遊んだ人が十人以上いて呆然。何だかもう楽しいぞ。フォギーで会ったトモダチが口々に、「いやー、この間はアクセルさんがいたおかげで大助かりでしたよ」と労いの言葉をかけてくれる。そうだったのか、嬉しいな、ありがとう、ありがとう。

フォギーで働いてるアユム君をつかまえて話していたら、自分も実はバンドやってたんですよ、という。オレはまさかそんな風にアユム君を見てなかったので、ひとしきり驚いて、それからしばらく音楽バナシに。大体フォギーで働いてる時点でオレは興味津々だったけど、聞けば、最終的にはノイズをやってました、という。自分は美大とか行ってたんですけど、ノイズには視覚的な面白さがある、ということも教えてくれてオレは感心したけど、ノイズにいって、フォギーにいってクンビアを聞いた、という彼の過程こそが面白いと思った。オレはロック、パンク、ヒップホップ、レゲエ、ワールドとなってクンビアに辿り着いたんだから。

さらに音楽バナシは続く、僕は最初はスカにやられて、初めはスカコアのバンドやってたんですよ、という。スカコア? メロコア? それはオレの専売特許だよ、いやいや、実は僕も高校の時スカコアのコピーやってたんすよ、と即座にオレも応戦。さらに、東京にフルーティーってバンドがいて、そのバンドをウチのベースのやつとずっと追いかけてたんですよ、と言うと、「フルーティーですか?」とアユム君が一段と大きな声になる。僕、メチャクチャ好きだったんですよ、フルーティー。オレ達は固く手を握り合った。そして、フルーティー、スクールジャケッツ、ユアソングイズグット、と彼等がスタイルをどんどん変えていく姿に、音楽好きとしてかなり興奮し、考えさせられていたこともお互いに確認して、その後何回もアツい握手を交わした。

バオバブから帰るときチルちゃんが、んじゃあまた明日、という。えっ、あした? オレはビックリしてチルちゃんの顔をよーく見てみたら、あれ、待てよ、明日はレベルフィエスタかな、と思う。そうだよ、とチルちゃんが言う。明日かー、ちょっと最近出歩き過ぎだよなー、と思って難しい顔をしていると、じゃ、明日また会えるの楽しみにしてますよ、とチルちゃんは意地悪そうに言う。行けたら、と言ってバオバブを出たけど、すぐに、多分行くだろうな、と思う。

翌日仕事でアメちゃんと渋谷で会う。これでレベルフィエスタに行く環境は整ったわけだ。アメちゃんとのお仕事を終わらせて一緒にメシを食いに行くことに。店を探してる間にアメちゃんが意外に弁当派だった、ということを知ってオレはしきりに驚く。驚いているオレにアメちゃんは、シツレイだな~、とこぼしている。結局そばと丼の簡易食堂で並んでそばを食いながら、アメちゃんは、オレ買物とか好きだもん、とカミングアウトしてきた。スーパーで食材を厳選するアメちゃんの姿は面白すぎる気がするが、とにかくオレも弁当派、自炊派として、買物トークに応戦。オレは一人暮し時代に近所にあったツルカメ食堂の安い野菜を1000円で買ってきて、それで一週間もたせる、という生活を送ってた自慢をすると、1000円はさすがに、オレは2000円だね一週間で、ということを教えてくれる。近くにシナノヤというちょっと上品なスーパーがあって、そこでいい野菜を厳選するのが好きだという。ポイント10倍の日を狙ったりしてね。アメちゃんの眼は真剣そのものだ。

トラノコショクドウに行くといつものみんながいて、こいつは、面白い、と思わざるをえない。フォギーでも会った人がここにも5、6人いる。そして変わらず爆音のビートをおかずに酒を飲んでカラダを揺らしている。オレはレッドアイを注文してみんなに挨拶して回る。この挨拶というのが面白いのである。オレがここ一年のうちに知ったこのクラブカルチャーには、この挨拶という素晴らしい文化が息づいていた。たいして何を話さなくてもいい。ただ顔を合わせて挨拶して笑って、それだけで人間は生き生きとするのである。

いろいろと挨拶をして回って、最後にショーゴさんのところに行って挨拶したら、ショーゴさんの冗談抜きのロックトークが始まって、オレは真面目なモードに突入し、一人のロック人間として冗談抜きのロックトークを拝聴する。う~ん、毎度ショーゴさんのハナシは刺激的である。向かいで激しくカラダを震わせて挑発的に踊っているコが真面目モードに突入したオレに向かって、「オドッてる~?」と妙な声で挑発してきたので当惑した。オレはそういうオンナ嫌いナンダと、心で思いつつ、表面的にはカラダを少し動かして、オドッテルヨ~、と返答。ショーゴさん、オレも踊ります。時計を見ると終電がアブナい。帰りの挨拶はさささのさで、オレは渋谷のアスファルト小走りに。結局終電の一本前に乗車することができて、終電の一本前は意外にギュウギュウじゃないことを知った。

赤い疑惑、客3人

最近とても気になっていることなのだが、赤い疑惑のライブの集客が激減している。何、アホなことを唐突に、と思われるだろうか。オレは基本的に自意識過剰な人間だから人の目線は常に気になるのだから仕方ない。

赤い疑惑のライブにお客さんが集まらないのは、オマエらに責任があるからだろう、バカ野郎、というのが世間的な認識だろう。オレもそうは思うんだけどね。だけどね、赤い疑惑って、界隈では結構人気バンドとして評判らしいんだけど…。

この間、新宿でライブやった時の赤い疑惑のお客さんはというと、最近いつも来てくれてるいしこちんとその友人のシド君、それからオレがゲストで招待したタバケン、合計3人だった。これじゃあ、ライブに誘ってくれた主催者にも合わす顔がないというか、お客3人しか呼べなかったら普通のブッキングのライブハウスには出させてもらえないね、はっきり言って。

バンドやっている人しか知らないことだけど、日本のライブハウスのシステムっていうのは変な搾取システムがあって、まあ、俗にいうノルマというやつなんだけど、ライブをやるバンドは基本的にチケットノルマっての科せられる訳で、チケット何枚分の売上げ金をライブハウスに奉納しないといけない。オレ達は長年粘り強くバンド活動を続けてきたので、そういうチケットノルマ制でないイベントに定期的に出演させてもらうようになったから、そのノルマ地獄からは距離を置いてるけど、そういうシステムの中でライブ活動をして余計なお金を使っているバンドはいっぱいいると思うよ実際。

で、赤い疑惑のお客さんが激減してる、と言ったけど、ちょっと大袈裟だったかな。激減というほどもともといなかったのだ。安定して、ライブに10人以上お客さんを集めてた時期があったってハナシで、そういう風に書くと、やっぱり人気バンドではないよね。身の程知らず!

で、まあ仮に10人来てたのが3人に減ったとして、ファンが減ったことにしよう。ではどうして赤い疑惑のファンが減ったのかな、ということになるけど、これは簡単にはわからないんだ。でも一つ言えることは赤い疑惑のスタンスが結成当時から常に変わり続けた一点にあるのかな、と思う。バンドを始めた頃はパンクとかハードコアの世界にどっぷり浸っていたから、その時はそういう音楽ばかり聴くファンが周りにいた。だけどオレがそういう音楽に飽きてしまったので、意識的に音楽性を変えていった。そうしたら案の定パンク、ハードコア好きのお客さんはどんどん少なくなっていった。これはひとつの悲しい出来事。

でもその代わりヒップホップを導入してみたりしてるウチにパンクやハードコア界以外からのライブのオファーが沢山やってくることになった。オレ達はそれはそれで、むしろ嬉しくて、ほとんどどういうイベントでも断らずに何でも出演して、実際いろんな現場で面白がられた。だけど、常にファンは流動的で、必死で追いかけてくるようなファンはほとんどいなかったし。みだれ打ちのライブの結果集客は増えず、次第にライブに疲れてきて、オレたちは出演するライブをコントロールするようにし始めた。実際、イベントのクオリティーのピンキリもいっぱい知ったし、オレ達がいいテンションを保つためにはライブの数を減らす必要があった。

そうやって自分達のペースを作ってきた訳だけど、ライブを減らしたことは集客増にはなかなかつながらなかったので何とも歯がゆい。でもオレ達は常に自分達の音楽に面白みを見出していたし、その音楽に酔っていたので、辞めることもないし今もこうして粘って続けてる。固定客ができないのは非常に不安だったけど、オレはいつでも、まあ、しかたのないことだ、と思うようになったし、それはオレが生きるためでもあるのかもしれない。

赤い疑惑って今ライブやってるんですか、と聞かれて驚かれることがしょっちゅうあるけど、その原因は一度ライブ活動休止という表明を数年前に一度出したことが尾をひいているみたいだ。一度、界隈から離れると、その現場感を取り戻すのには大変な苦労がいることがわかった。でもあの活動休止もやむを得なかったとも思えるからしょうがないじゃないか。

いったい、オレたちはオレたちにしかできないことをやって、いろんなところで「赤い疑惑好きです」と言われるようになったけど、結局まだ固定客を掴めず四苦八苦している。mixiに600人以上の参加者がいて、twitterで150人にフォローされても東京でライブやってお客3人というバンドも珍しくないか。笑えるよまったく。

ところが、これが地方では事情がちょっと違う。東京のライブにお客さんは集まらないのに、東京以外の地方でライブをやると東京より盛り上がることが多くてびっくりする。これはいったいどういうことなんだろうか。オーディエンスのギャップなんだろうか。こうなるとオレ達は東京でライブをするのに躊躇せざるを得ない。オレ達はバビロン東京のことをよく唄っているのに、東京で受けないというのは、やっぱり笑うしかないじゃないか。

最近、大学の友人と話してたら「いや、玄ちゃんがDJやるとは思わなかったよ」という。確かに大学の頃のパンク資質なオレをいっぱい知ってる彼が、DJという一見相容れぬカルチャーに入っていったのに驚いたのはもっともだと思う。オレもDJをやるなんて思ってなかったし、30歳になってDJデビューなんてまったく格好つかないじゃん、と思って躊躇してたけど、誘ってくれたDJのコヤマ君やリョウ君はものすごく信頼できるヤツだったので、軽い気持ちでOKした訳だけど、オレがDJを始めたことに違和感を抱いた赤い疑惑ファンはいっぱいいたんだろうな、ということを改めて気付かされたし、オレもそういう人が出てきてもおかしくはないだろうな、とも思っていたのだ。

だけど、DJを始めて、オレの中にあったDJに対するおろかな偏見に気付いた時、オレの世界はひとつ広がったと言えるし、バンドをやることに関してもいっぱいプラスがあった。バンドマンやロックンローラー(といっても僕らの世代までかな)にとってDJという存在は、いわゆるフェイクな存在だった。他人の音楽を使ってかっこつけてるヤツ、くらいにしか思っていない。オレがある程度までそうだった訳だから、これは穿った見方でもないと思う。

ところがDJとバンドマンに境界はないと分かった。どちらも音楽が好きで貧乏なのが基本だ。なのにバンドマンはDJをむしろ<敵>と思ったりするらしい。ロックというビッグビジネスの悲しいサガだな。しかし、驚いたことに、反対にオレが接したDJ達は常に音楽に対して愛があってフラットで、バンドマンを<敵>となんて思う訳がない。むしろバンドマンよりも音楽に真面目なヤツを多く見る気がする。そんなことを思ってるのはオレだけかな。

まあ、最近思ったことをつらつら書いた訳だけど、昔赤い疑惑が好きだったとか言ってる人に、もう一度、生でライブを観てほしいなあ。何か勘違いしてる部分があるんじゃないかなー。勘違いしてるのはオレなのかな。

繰り返すファミリーストーリー

オレが実家に戻ってきたのは2009年の早春であった。結婚を誓った人と、少しのすれ違いで別れることになって、オレはすごすごと実家に戻ったのであった。オレは三十歳を過ぎていたので、何だか家族にも世間にも、申し訳ない、というか情けない、というかその辺の気持ちでいっぱいだった。

実家には60をとうに過ぎたオヤジと、30をとうに過ぎた独身の姉貴とが2人でつつましく暮らしていたのだ。母は5年前に亡くなったので元々4人家族だった長尾家の実家には、彼女と同棲していたオレを除くオヤジと姉貴の2人が暮らしていたわけだ。

「別れることになった」と、2人に素直に告げると、2人とも、えっ、信じられない、という風に過剰な反応を示した。当然だった。オヤジも姉貴もオレが結婚するものだと思っていたからだ。オレの所在なさはその時ピークを迎えたのであったが、2人ともすぐに、まあ、しょうがないね、という風にオレを庇ってくれた。オレは涙を垂らした。

オレは実家で暮らすことをオヤジに許されたので素直に従った。丁度無職になろうかという大事な時期だったので、自立心をオヤジに示すために無理して一人暮しをする選択は無駄が多い気がした。実家暮らしに戻る、という選択はオレの中では苦渋の策で、いたしかたなし、といったところであったが、この苦渋の選択は結果的にはオレにとって画期的なこととなった。

面倒くさいであろう、と思ってた家族との生活はまったくつつがなく、逆に家族といることの安心感を、オレは10年ぶりにくらいに思い出しているのであった。例え、自分が普段トモダチや彼女と話すような会話ができなくても、家族といることは何ともいえない安堵感があることを思い知ったのだ。それは、家族と仲良くしよう、と思うようになったここ数年の、自分の努力の甲斐も大いにあったようではあるが、オレは一人暮ししてた時と同じような自由な感じで生活することを、西東京市の実家の古いマンションで実践することができる人間になっていたのだ。そしてオヤジがマメに作る料理をせっせと食っているうちにオレは、実家暮らしを問題視する東京の価値観の異常性に気付かされた。オレは実家に戻ってから想像以上に調子がよかった。

実家に戻るタイミングで姉貴に一人暮しをススメた。それはオレが戻って姉貴を追い出そうという独善的な考えではなく、姉貴が前々から一人暮しをしたがっていたのをオレは知っていたからだ。姉貴は母が亡くなってからオヤジと2人になってしまったので、実家を出るタイミングを見失っていたのだ。オレが彼女と暮らしている間も姉貴は、苦手なオヤジのそばで寄り添ってくれていたのだ。

いびきがウルサいとか、生活音がうるさい、といったオヤジへの苦情は母と姉の共通認識となっていて、母がオヤジを煙たがっていたポイントは姉貴も受け継いでいるようだった。オレは実家を出ていた間、時々実家に戻っては姉貴がオヤジに対して冷たくあたったりするので、見かねて、姉貴にオヤジのチャーミングな部分を少しずつ刷り込んでいく作戦に出たら、それが功を奏したのか、段々オヤジのファニーな点を認めるようになっていって、姉貴自身の人道的な努力にもよるのだろうが、オレが実家に戻る頃には2人はすごくいい関係になっていた。

やもめオヤジの側にはオレがいるから、心配せず姉貴は出ていっていいよ、という感じで一人暮しを持ちかけたら、うん、でも今はまだ準備が、ということだった。経済的な準備がまだ整ってないということだった。それにクロも心配だし、とも言うのだった。クロは長いこと長尾家で愛された飼い猫だが、最近眼に見える老衰をみせていた。姉貴は、それまで一番大事に可愛がり、世話をしていた母に代わって、クロを大事に可愛がり世話するようになっていたので、クロが心配でというのは当然だった。そういう流れで、オレと姉貴とオヤジの3人と黒猫1匹の暮らしが始まった。

オレはオヤジと、実家を出る前は考えもしなかったほど、いろんなことを話し合えるようになり、オヤジは少しずつオレの人となりを理解し始めてくれているようだった。姉にはシカトされるようなハナシでも、オレが食いついて拾うので、オヤジが嬉しそうなのは眼に見えてわかった。マメなオヤジはよく料理をして、オレはそれをうまいうまいと言って食べた。時々濃い雑な味付けの料理が出てもオレはうまいうまいと言って食べた。オフクロの味、というけど、オレの中ではオフクロの味よりオヤジの味の方がこのままカラダに染み付いてしまいそうなほど、オヤジの作るものにはパワーを貰ってばかりいるのであった。

姉貴とは昔から変わらず仲がいいので、10年前一緒に暮らしていた時と同じように、くだらない、どうでもいいようなハナシを食卓で交わすようになった。会社の同僚がアニオタでキモい、とか、ちょっとイイナと思った人が結構ハゲててどうしよう、とか、オレはオレで、最近ちょっと気になってる子がいるんだけど、とか。姉貴は赤い疑惑のライブにも来てくれるので、「昨日のイベントに来てたあの変な帽子被ってた人誰?あの人ちょっとコワくなかった?」「あ~、あいつヤバいでしょ、見た目。でも話すとすげーいいヤツなんだよ」とか。

それから姉貴とはよく、オヤジの噂バナシで盛り上がった。オヤジが作ってる家族新聞に一緒に突っ込み入れて大笑いしたり。料理作り過ぎたり、食材を買い込み過ぎたり、酔っぱらい過ぎたり、オレや姉貴には過激に映るオヤジの言動にいちいち突っ込みを入れては笑ったり。

長尾家の3人は三者三様のマイペース人間で、3人とも食事も何も無理して合わせようとしないし、いつ出ていっていつ帰ってきても、誰も驚かないし、その辺は母を失った点もデカいかもしれないけど、とにかくみんな自由に活動し、みんなでそれなりに家事をするので、オレはすごく楽に暮らすことができて、本当に実家に戻ることにしてよかったよな、と何度も思った。

3人暮らしが始まってまだ間もない頃、飼い猫のクロが死んだ。クロは母親になついていたけど、母亡き後は姉貴がよく可愛がったので姉貴になついた。姉貴はオヤジとの2人暮らしの間も随分クロを可愛がり、その分クロにも癒されていたようだった。オレが小学生につれて帰ってきちゃった猫だからもう相当な老人であることは確かで、オレが実家に戻った頃には相当に運動能力の減退を感じさせた。昔はジャンプしてあがったようなところで、飛び上がろうと思案はするけどやめちゃう。日中の運動量も極端に少なくなっていた。オレは生物の老化を改めて考えさせられる思いだった。

オレが実家に戻る少し前から、クロは便秘ぎみだったというが、排泄が不便そうで、その苦しさまぎれかわからないけど、いろんなところでウンチをしちゃうようだった。昨日クロのウンコ踏んじゃったよ、といつだかオヤジがあっけらかんと言って、思わず吹き出してしまった。その便秘時期が続いていたある日、クロは妙な痙攣発作を起こすようになって、オレ達家族は慌てふためいた。横に倒れて息も絶え絶えに手足をバタバタさせるクロの姿はあまりにもショックだった。特に姉貴は気が気でないみたいで、オレはそんな優しい姉貴も心配になった。痙攣発作は数秒続いて止むのだが、その後決まって、ふらつく肢体を奮って起き上がり、何かに憑かれたようにフラフラと部屋の中を徘徊し始めるのだ。眼が見えてないのか壁でも家具でも前方の障害物に額からぶつかって、ふらついて倒れる。また起き上がって歩き出す。その行動は見てる方としては悲痛そのもので、クロが疲れて眠るまでオレ達は見守った。

それからクロが死ぬまでは一ヶ月くらいだったと思う。その間姉貴は献身的な看病を仕事をしながら続けていた。なかなか役に立てないオレはなんだかいたたまれない気持ちだったが、それまでは知らなかった姉貴の母性愛をまざまざと見せつけられてオレは心底感動し、変わってないな、と思ってた姉貴がやっぱりオトナになっていることに恥ずかしながら改めて気付かされた。

クロは近所の深大寺に埋めた。調べたら深大寺にペット用の共同墓地というのがあったのをオヤジがみつけてくれて手配したのだ。クロを焼く日は、オレも姉も半休をもらってオヤジと3人揃って深大寺に行った。人間と同じように窯で焼いた後、納骨して共同の墓に入れてもらった。晴れた天気のいい日でオレ達は、オヤジのトモダチが経営してるという、深大寺の茶屋に入って団子を食って休んだ。オレはその時、何故かすごく満たされたシアワセな気持ちだった。看病疲れしてた姉もすがすがしい顔に戻っていて安心した。

クロがいなくなって何だか家が寂しくなった。クロの骨は、母を祀った神棚に並べられた。母が亡くなってからというもの毎晩オレ達は神棚にお祈りをするので、お祈りの度にクロにも挨拶したような気持ちになれるので、初めは寂しかったけど、すぐにみんなはまたマイペースな暮らしぶりに戻っていけた。

2010年、今年の初めに姉貴が「一人暮ししようと思う」ということをオレに相談してきた。「えっ、いつごろ?」「う~ん、5月くらいかな」
5月か、随分先だな、と思ったけど姉貴のマイペースぶりを改めて感じつつ同意した。オヤジに告げるより先にオレに伝えたのは、家族間の関係性を考えれば至極妥当な筋かもしれない。オレは、今まで家を守ってくれた姉の希望に添えるようバックアップ体制に入った。姉貴の一人暮し案を、突然聞かされたオヤジは案の定反対した。何で、今さら出てくんだ、というオヤジのいい分はもっともだけど、姉貴が出るタイミングを逸していたり、前々から企んでいたことを知ってたオレは、オヤジの興奮を抑えて説得に加わった。

しかし思ったより簡単にオヤジは姉貴が出てくことを許すともなく許した。オヤジの、去る者追わず、といった一種の優しさをみて、オレはまた感動した。オヤジのことを高校生の頃から恐いヒトだと思い込んでいたけど、こんなに優しいオッサンみたことないよ、っていうくらい優しい人だな、と思った。そういう優しさに気付くように、自分がなっただけなのかもしれない。時々説教めいた口調になるけど、本質はそういうところじゃ分からないもんだ。

5月になって姉貴は本格的に物件探しを始めて、オヤジはいよいよ、ホントに出ていくのか、などとこぼした。出ていくことは認めたけど、やっぱり寂しいんだろう。考えてみれば当り前だけど、オヤジの情を思うとオレも少し不安になった。それでも姉貴は意外とあっさり物件をみつけて具体的に引越すことが決まってしまった。

姉貴は引越費用の節約のために引越人足として、オレとオヤジの協力を求めた。オレもオヤジも予定を明けて引越を手伝うことにした。デカい家電などは新調するというので、そこまで大掛かりな引越でもないし、姉貴は実家のワゴンで2往復くらいして済ますつもりだったらしいが、当日の朝になって、オヤジが2往復するのはアホくさいので軽トラでも借りよう、と言い出した。オレも賛成だったのでレンタカーを探したのだが、当日ということもあって生憎2トントラックしか空いてなかった。ちょっと割高だし、荷物の嵩を考えても大き過ぎる気もしたが、2往復する面倒を考えて結局2トントラックを借りることにした。ただしオレは運転する自信がないので、運転はオヤジに任せる、と先にオヤジにお願いをした。オヤジは2トンくらい乗ったことあるぞ、と自信気だった。

引越は、板張りのベッドマットと大きい棚以外は段ボールばかりで、そのベッドマットと大きい棚だけは、オレとオヤジが必死の形相で運んだ。オヤジは大汗をかきながらも一生懸命に動いていた。やっぱりすげえオヤジだと思いつつ、オレも負けじと頑張って動いた。オヤジが尻餅ついたり、オレがよろけたり、2人とも世間相対的には非力な人足に違いなかったが、姉貴の引越に対するオレとオヤジの協力心は力強かった。

荷物をトラックに積み込んで出発した。途中で姉貴が奢るというので、ロイヤルホストで昼飯を喰った。オヤジは、奢りか、と言って嬉しそうにメニューと格闘してハンバーグと海老フライとコロッケが鉄板にのっかって出てくるような、この店では一番豪華そうなヤツを頼んだ。1500円だけどいいか、というオヤジに、こんな店でお金の心配しないでよっ、と姉貴は冷ややかな眼をむけた。ライスは大盛りにしますか、という店員の提案にのっかって、オヤジは大盛りを頼んだが、結局、ちょっと多いなと、ライスとフライドポテトを残したので、オレと姉貴でフライドポテトだけつまんで食った。

2トントラックは、運転席と助手席の間にも人が座れるので3人仲良く横に並んで座る。案外オヤジが、余裕の顔で2トントラックを操るのをオレは心強く思いながら、こうして3人で並んでいる不思議さと嬉しさを感じ、同時にものすごい悲しさも味わわなければならなかった。よく考えてみたら、オレはまだしも、姉貴がこのまま、もし誰かとうまくいって結婚することになったら、オヤジはもう随分、姉貴と別れ別れにになっちゃうんだな、ということに気付いて何だか急に不安な気持ちに襲われた。だけどそんな気分に浸る暇もなく引越先に到着して、またオヤジとの共同作業が慌ただしく始まってしまった。

また、さっきと同じように必死になって、今度は2階の姉貴の部屋に棚とベッドマットを運びあげた。その頼りなさに、見るに見兼ねた姉貴も脇から入ってきて一緒になって運びあげた。オレもオヤジも簡単な擦り傷を拵えて、それでも案外順調に引越は完了した。姉貴をその新しい住まいに残してオレとオヤジは、帰りは2人きりで空の2トン車に乗った。いったい、家族とは何だろうか。家族が出ていくってのはどういうことなんだろうか。オレは今さらながらポッカリ何かをなくしたような、悔しいような気持ちになった。

任務完了後、帰宅して草臥れて2人で交代で風呂に入った。それから静かな晩餐を迎えた。神棚にお供え物をして、また今日も母とクロにお祈りをしたが、何だか、今日のお祈りは自然と、出ていった姉貴の存在が離れなかった。オレは、手を合わせて姉貴が無事にやっていけますように、とお祈りすると、先に腰をあげたオヤジが「さっちゃんがいっちゃったよう」と心もとない声で呟いた。神棚の母に泣きつくような、クロに一方的に話しかけるような、寂しい言い方だった。ふいをつかれてオレは、目頭が熱くなった。オレにも姉貴にもあまり漏らさなかったけど、やっぱりオヤジは相当寂しいのだ。初めは反対もしていたし、寂しいのに、あんなに一生懸命に引越作業に取り組んでいたオヤジのことを思い出し、しばらくオレは呆然とした。姉貴がいた部屋は空っぽになり、あれから一週間がすぎた。やっぱり家の中は、何だか前より寂しいみたいだ。
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アクセル長尾

Author:アクセル長尾
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