大きな地震が起こった
大きな地震が起こった。初めに大きく揺れた時シャチョウが、「次また揺れたら外にでるぞ」と言った。オレは体験したことのない揺れに何だか興奮していた。余震はあるだろう、と思っていたらやっぱり大きな揺れがきて、会社の棚のCDが一カ所崩壊して落ちた。シャチョウがいつにない真面目な顔で「出るぞ!」と言いながら玄関に立った。その真面目な顔が可笑しかったが、取り残されてはならない。オレもスリッパのままマンションの廊下に出た。
廊下に出ると、隣のオフィス(か住宅か)の人間が同時に表に出てきたところで、お互いに「大丈夫ですか」と声を掛け合っている。オレは会ったこともないし、シャチョウだってそんなに話したこともないだろう相手だったはずだが、その時の「大丈夫ですか」は全くわざとらしくない調子だったのにオレは驚いた。しかし足下はまだ大きく揺れていて、まるで船の甲板に出てきて船外を眺めるような感覚で、隣のマンションのベランダを見つめていた。オレはその間、「まだ揺れますね」くらいのことしか発しなかったし、内実動悸が高鳴っていた。
地震の後、しばらくメールや電話も不通であったが、家族の安否だけは確認がとれた。しかしその日の晩に予定されていたDJの舞台は、イベント自体が中止になった。会社も19時で定時上がりを決めたが、都内の電車は動いておらず、各地でパニックになっているとツイッターを通じて知った。幸い、オレは普段電車通勤のところ、その日はたまたま原付で会社まで来ていた。朝、自宅を出遅れた時の非常手段である。おかげでオレは苦労せずに帰途に就くことができた。
エンジンをかけて五日市街道に出ると、明らかに普段より多くの人間が路上におり、大体が西に向かって歩いてる。電車がないから歩いて帰るに違いないのであるが、オレは何だかいつもと違う武蔵野の雰囲気に少し酔った。大変なことが起こったのだな。
帰宅してオヤジとテレビを見た。想像以上の被害が東北地方を襲っていた。黒い土石流のような津波が村を飲み込んでいくのだ。テレビの報道はパニクっていて同じ影像を繰り返しているので、ツイッターを見たり、テレビを見たり、オレは家の中を行ったり来たりした。オヤジは、ツイッターを見る必要も習慣もないので、いつも通り焼酎を飲んで顔を赤くしながらニュースに見入っている。
姉貴と電話が繋がった。電話越しに、明らかに不安な声を聞いた。オヤジが「ウチに来させろ」と言ったが、交通手段を考えると賢明でないので、二転三転、姉は下高井戸の叔母の所に身を寄せることになった。
オレは非日常的興奮で疲労し、溢れる情報に疲れたので早めに寝た。翌日は原発災害のニュースが乱れ飛んだ。これはいよいよヤバいな、という感じが明らかに漂っていた。その日予定されていた赤い疑惑のライブも飛んだ。しかしライブ前に予定していたスタジオ練習は決行。西荻にメンバーで集まった。
テレビでは地震の凄惨な影像が流れ続けるだけで、オレは不安だった。地震の影響で練習スタジオの方でも「今日に限りスタジオキャンセル無料」というスタンスを取っていたが、メンバーも集合できそうだったので決行にした。二人と顔を合わせたかっただけなのかもしれない。
ライブがなくなったので、短めに予約していた練習時間を延長し、何の為の延長かも分からずにただ演奏をした。休憩中、クラッチとブレーキーに、それぞれ地震の時どこにいてどうだったのか、ということを聞いた。ブレーキーは、とにかく祭壇が倒れないように必死で祭壇を抑えていた、と言った。クラッチは、一度クレームつけられた奥のオフィスの人間から「大丈夫ですか」と案じられて感動した、と言った。
地震の翌々日は、赤い疑惑新作の最終調整が行われた。エンジニアの方と地震のあれこれを話したり、「こんな時にねー」などと言いあいながら曲間の長さなどを調整した。作業は速やかに終わり、皆でガストに向かった。特に予定もないのでメシを、ということになったのだが、携帯にオヤジから連絡があった。
面倒くさいことが起こって、オレは三茶の姉の寓居まで、すぐに向かわなければならなくなり、何を食おうか迷ってるクラッチとブレーキーに暇乞いをし、まず田無の実家に帰宅。そして車のスペアキーを掴んでバス停まで歩いた。バスと電車を乗り継いで三軒茶屋向かう。姉と三軒茶屋で合流し、無事車にエンジンをかけ、また田無の実家に向かう。ハンドルは姉が握った。突然調布のレコーディングスタジオから一旦田無の実家に戻り、さらに三軒茶屋まで奔走したオレに、姉はしきりに「ごめんねー」と言って労をねぎらったが、同時に「どうも風邪っぽい…」と別のことを呟き、不安を煽るようなことを言うのだった。
三茶の寓居から、しばらく実家に身をよせることにした姉と、再度田無の実家に帰宅した。しかしオレは何だか心がソワソワするのと、大切な日曜日の夜がこのまま終わってしまうことへの焦りから、観に行きたいと思っていた映画を観に行くことにした。こんな時、映画を観に行くのは不謹慎じゃないか、と自分を疑ったが、何故か震災の報道を見続ける気持ちになれなかった。ネットで劇場のHPを見ると、特に地震の影響で上映してない、という告示は見られなかったのでオレは出かけた。
西武新宿線にはほとんど人が乗っていなかった。それでも新宿に着くと、飲んでへべれけになりしヤンチャ風な若者達がギャーギャー騒いでいたりした。深刻に事態を見続ける世間に対して、彼らなりの生き様の表明にも映った。オレはこの若者達にシンパシーは感ぜぬとも、不謹慎だとは思わなかった。これから地震と何にも関係ない映画を観に行く自分と大差ない。
それでもその夜の新宿はやはり静かだった。映画の前に腹ごしらえをと思い、さぬきうどんを出す食券スタイルの安メシ屋に入り、全部乗せ、的な500円の豪華なぶっかけうどんを頼んだ。出てきた、全部乗せ、的なうどんは、写真の三分の一くらいの豪華さで、オレは非常に悔しかった。三分の一くらいの豪華さ、というのは正直に言えば500円にしてはショボ過ぎる、ということだったのだが、映画が始まるまで時間がないので、とにかくほうばり、満ち足りないのでカウンターに並べられた2個入り100円のおいなりさんを追加し、むしゃむしゃと食べた。
急いで映画館の入ったビルに行くと、劇場のある3階まで客を運ぶエレベーターが消灯して、明らかに停止状態になっていた。オレは(HPでも確認したのだし、やってるはずだ)とそれでも思い、階段で行けないか、階段を探したけど階段には鎖がかかっている。もう一度エレベーターに戻ると脇の貼紙に「本日のレイトショーは急遽、休映とさせていただきます」と書かれてあるのを見つけた。見つけてしまった。
エレベーターの前でしばし呆然とした。やっぱりこんな時に映画を観にきたオレが間違ってたのか。胸がまた動悸で高鳴った。オレはこのまま踵を返して家に戻るのが悔しかったので、性懲りもなく付近の映画館を回った。しかしテアトルもレイトショーを自粛していた。オレは諦めずにコマ劇に向かった。
歌舞伎町に入るとすぐにキャバクラのキャッチが近寄ってきた。「どうですかオニイさんキャバクラの方は」変哲もない茶髪の兄ちゃんだ。オレは時々するように、絶対に行く気ないのに、歩きながら兄ちゃんと話した。今地震の報道を観てない国民と、ちょっと接触したかったに違いない。「いや~、オレこれから映画観に行くんですよ」などと言いながら肩を並べて20メートル程歩いた。「そっすか、また、今度お願いしますね」と言ってキャッチが離れていった。
随分馴染みがなくなったもんだが、コマ劇周辺は随分変わっていた。中学生の頃、映画と言えば歌舞伎町、という認識があった。実際この界隈に大長編のドラえもんを、近所の友人と、その友人の兄ちゃんに連れられて観に来たことをはっきり覚えている。しかし、今やコマ劇は閉館し、周りの棟も封鎖され、震災の影響か人もほとんど歩いていないコマ劇周辺は、どこか廃墟と化した街のような臭いがした。映画館として残っている劇場も、その時間に上映している気配はなかった。
コマ劇の広場を後にし、駅に向かった。西武新宿駅は、もうすぐ側なのだ。オレはこれ以上意地を張るのは止めにし、やっぱりこんな時に映画を観になどやってきたオレが間違っていた、ということにし、大人しく帰る決意をした。電車は問題なく動いていた。田無に着いて、何か満たされぬオレは普段近寄ることのない、まだ営業していたミスタードーナツに足を運び、ドーナツを買って食べた。家に帰ると、飲み屋から帰ったオヤジが買ってきたと思われるミスタードーナツの箱がテーブルの上に置かれてあった。
廊下に出ると、隣のオフィス(か住宅か)の人間が同時に表に出てきたところで、お互いに「大丈夫ですか」と声を掛け合っている。オレは会ったこともないし、シャチョウだってそんなに話したこともないだろう相手だったはずだが、その時の「大丈夫ですか」は全くわざとらしくない調子だったのにオレは驚いた。しかし足下はまだ大きく揺れていて、まるで船の甲板に出てきて船外を眺めるような感覚で、隣のマンションのベランダを見つめていた。オレはその間、「まだ揺れますね」くらいのことしか発しなかったし、内実動悸が高鳴っていた。
地震の後、しばらくメールや電話も不通であったが、家族の安否だけは確認がとれた。しかしその日の晩に予定されていたDJの舞台は、イベント自体が中止になった。会社も19時で定時上がりを決めたが、都内の電車は動いておらず、各地でパニックになっているとツイッターを通じて知った。幸い、オレは普段電車通勤のところ、その日はたまたま原付で会社まで来ていた。朝、自宅を出遅れた時の非常手段である。おかげでオレは苦労せずに帰途に就くことができた。
エンジンをかけて五日市街道に出ると、明らかに普段より多くの人間が路上におり、大体が西に向かって歩いてる。電車がないから歩いて帰るに違いないのであるが、オレは何だかいつもと違う武蔵野の雰囲気に少し酔った。大変なことが起こったのだな。
帰宅してオヤジとテレビを見た。想像以上の被害が東北地方を襲っていた。黒い土石流のような津波が村を飲み込んでいくのだ。テレビの報道はパニクっていて同じ影像を繰り返しているので、ツイッターを見たり、テレビを見たり、オレは家の中を行ったり来たりした。オヤジは、ツイッターを見る必要も習慣もないので、いつも通り焼酎を飲んで顔を赤くしながらニュースに見入っている。
姉貴と電話が繋がった。電話越しに、明らかに不安な声を聞いた。オヤジが「ウチに来させろ」と言ったが、交通手段を考えると賢明でないので、二転三転、姉は下高井戸の叔母の所に身を寄せることになった。
オレは非日常的興奮で疲労し、溢れる情報に疲れたので早めに寝た。翌日は原発災害のニュースが乱れ飛んだ。これはいよいよヤバいな、という感じが明らかに漂っていた。その日予定されていた赤い疑惑のライブも飛んだ。しかしライブ前に予定していたスタジオ練習は決行。西荻にメンバーで集まった。
テレビでは地震の凄惨な影像が流れ続けるだけで、オレは不安だった。地震の影響で練習スタジオの方でも「今日に限りスタジオキャンセル無料」というスタンスを取っていたが、メンバーも集合できそうだったので決行にした。二人と顔を合わせたかっただけなのかもしれない。
ライブがなくなったので、短めに予約していた練習時間を延長し、何の為の延長かも分からずにただ演奏をした。休憩中、クラッチとブレーキーに、それぞれ地震の時どこにいてどうだったのか、ということを聞いた。ブレーキーは、とにかく祭壇が倒れないように必死で祭壇を抑えていた、と言った。クラッチは、一度クレームつけられた奥のオフィスの人間から「大丈夫ですか」と案じられて感動した、と言った。
地震の翌々日は、赤い疑惑新作の最終調整が行われた。エンジニアの方と地震のあれこれを話したり、「こんな時にねー」などと言いあいながら曲間の長さなどを調整した。作業は速やかに終わり、皆でガストに向かった。特に予定もないのでメシを、ということになったのだが、携帯にオヤジから連絡があった。
面倒くさいことが起こって、オレは三茶の姉の寓居まで、すぐに向かわなければならなくなり、何を食おうか迷ってるクラッチとブレーキーに暇乞いをし、まず田無の実家に帰宅。そして車のスペアキーを掴んでバス停まで歩いた。バスと電車を乗り継いで三軒茶屋向かう。姉と三軒茶屋で合流し、無事車にエンジンをかけ、また田無の実家に向かう。ハンドルは姉が握った。突然調布のレコーディングスタジオから一旦田無の実家に戻り、さらに三軒茶屋まで奔走したオレに、姉はしきりに「ごめんねー」と言って労をねぎらったが、同時に「どうも風邪っぽい…」と別のことを呟き、不安を煽るようなことを言うのだった。
三茶の寓居から、しばらく実家に身をよせることにした姉と、再度田無の実家に帰宅した。しかしオレは何だか心がソワソワするのと、大切な日曜日の夜がこのまま終わってしまうことへの焦りから、観に行きたいと思っていた映画を観に行くことにした。こんな時、映画を観に行くのは不謹慎じゃないか、と自分を疑ったが、何故か震災の報道を見続ける気持ちになれなかった。ネットで劇場のHPを見ると、特に地震の影響で上映してない、という告示は見られなかったのでオレは出かけた。
西武新宿線にはほとんど人が乗っていなかった。それでも新宿に着くと、飲んでへべれけになりしヤンチャ風な若者達がギャーギャー騒いでいたりした。深刻に事態を見続ける世間に対して、彼らなりの生き様の表明にも映った。オレはこの若者達にシンパシーは感ぜぬとも、不謹慎だとは思わなかった。これから地震と何にも関係ない映画を観に行く自分と大差ない。
それでもその夜の新宿はやはり静かだった。映画の前に腹ごしらえをと思い、さぬきうどんを出す食券スタイルの安メシ屋に入り、全部乗せ、的な500円の豪華なぶっかけうどんを頼んだ。出てきた、全部乗せ、的なうどんは、写真の三分の一くらいの豪華さで、オレは非常に悔しかった。三分の一くらいの豪華さ、というのは正直に言えば500円にしてはショボ過ぎる、ということだったのだが、映画が始まるまで時間がないので、とにかくほうばり、満ち足りないのでカウンターに並べられた2個入り100円のおいなりさんを追加し、むしゃむしゃと食べた。
急いで映画館の入ったビルに行くと、劇場のある3階まで客を運ぶエレベーターが消灯して、明らかに停止状態になっていた。オレは(HPでも確認したのだし、やってるはずだ)とそれでも思い、階段で行けないか、階段を探したけど階段には鎖がかかっている。もう一度エレベーターに戻ると脇の貼紙に「本日のレイトショーは急遽、休映とさせていただきます」と書かれてあるのを見つけた。見つけてしまった。
エレベーターの前でしばし呆然とした。やっぱりこんな時に映画を観にきたオレが間違ってたのか。胸がまた動悸で高鳴った。オレはこのまま踵を返して家に戻るのが悔しかったので、性懲りもなく付近の映画館を回った。しかしテアトルもレイトショーを自粛していた。オレは諦めずにコマ劇に向かった。
歌舞伎町に入るとすぐにキャバクラのキャッチが近寄ってきた。「どうですかオニイさんキャバクラの方は」変哲もない茶髪の兄ちゃんだ。オレは時々するように、絶対に行く気ないのに、歩きながら兄ちゃんと話した。今地震の報道を観てない国民と、ちょっと接触したかったに違いない。「いや~、オレこれから映画観に行くんですよ」などと言いながら肩を並べて20メートル程歩いた。「そっすか、また、今度お願いしますね」と言ってキャッチが離れていった。
随分馴染みがなくなったもんだが、コマ劇周辺は随分変わっていた。中学生の頃、映画と言えば歌舞伎町、という認識があった。実際この界隈に大長編のドラえもんを、近所の友人と、その友人の兄ちゃんに連れられて観に来たことをはっきり覚えている。しかし、今やコマ劇は閉館し、周りの棟も封鎖され、震災の影響か人もほとんど歩いていないコマ劇周辺は、どこか廃墟と化した街のような臭いがした。映画館として残っている劇場も、その時間に上映している気配はなかった。
コマ劇の広場を後にし、駅に向かった。西武新宿駅は、もうすぐ側なのだ。オレはこれ以上意地を張るのは止めにし、やっぱりこんな時に映画を観になどやってきたオレが間違っていた、ということにし、大人しく帰る決意をした。電車は問題なく動いていた。田無に着いて、何か満たされぬオレは普段近寄ることのない、まだ営業していたミスタードーナツに足を運び、ドーナツを買って食べた。家に帰ると、飲み屋から帰ったオヤジが買ってきたと思われるミスタードーナツの箱がテーブルの上に置かれてあった。
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