HISAICHI
ゴールデンウィークを利用して、3.11の被災地である石巻にボランティア作業に行ってきた。
その時の写真をとりいそぎUPしたい。
まず、石巻の東側にある万石浦という比較的被害の少なかった地。
しかし地盤沈下のせいで沿岸部の地域はいまだに海水の冠水に苛まれている。


JR石巻線の線路。
ヴェネチアへ向かう線路よろしく両側を海水に脅かされている。
もちろんこの区間は運休状態である。

その線路の脇の光景。
恐らく本来は陸地であろう場所。


今回石巻市内を移動する間たびたび目にすることになった田んぼの光景。
至る所に車が転がっている。
ガソリンやら海水やらで汚れた田は三度水洗いしないと使い物にならぬと聞いた。
途方もないことである。

海岸線の道路から映した光景。
巨大なアルミ缶のようなタンクが大胆に変形して転がっている。
道路とともに塩水を浴びた松並木が海に沿って伸びていた。
この辺は被災地特有の海水まじりの腐敗臭がもっとも酷かった。

その巨大タンクの隣の光景。
倉庫か工場か、とにかく強烈に中身をえぐりとられている。

ここは今回の案内役となっていただいた木村さんに特別に案内してもらった女川という地。
原子力発電所のある場所なので覚えている方も多いだろう。
この女川は集落ごと津波にさらわれた。
入り江という地形上、波が行き場を失い水かさを増した。
そのため何とか形を留めた3階建て、4階建て、といった頑丈な建物の上に、
あろうことか乗用車がのっかっていたりした。
それ以外の建物は骨組みから何からすべてがなくなっていた。
残っているのは建物の土台だけ。
峠を超えてこの壊滅した女川の湾が眼前に広がった時の衝撃は忘れ難い。




残った建物の土台の上に潰れた乗用車。

施設の表札のみが虚しく…。

見渡す限り荒廃した風景。
まるでやけのはら。


茶碗…。

昭和かたぎなかわいらしい茶碗…。
生活の遺品ががれきの中に。

冒険王。

もはや原型を留めぬ車が乱暴に積み重ねられている。

エレキギター…。



足早に女川の地を後に。
オレはカメラのシャッターをただ無造作にきっただけだ。
アングルなんて考える余裕はなかった。
誰かに伝えようと思って無心にシャッターを押した。
心はずっと震えていて涙がにじんだ。
満潮時は冠水で通行も危険な地域に案内してくださった木村さんに感謝。

ボランティア2日目が終わった後に木村さんが連れて行ってくださった日和山から。
日和山は桜の名所でもあり、神社、公園もあることから普段は観光客で賑わう、
石巻の街を一望できる眺望スポットであるそうだ。

本来ならこの木々の間からは街が眺められるはずである。
しかし、もはや何もない、のである。

眺望台から石巻の西部を映している。
広い範囲が廃墟と化しているのがお分かりいただけるであろうか。
今回ボランティアでは実際に被災し、浸水してしまったお宅の、
床板はがしとガレキ、ゴミ出しなどを行った。
床板はがしは海水で駄目になった畳を運び出しあとの作業だが、
行政が行っているボランティアの斡旋では作業の危険性から初心者にはやらせない作業らしい。
しかし今回動向した鳶職を生業とする通称「岩ちゃん」の適切な指導のもと、
バールなどの工具を使い比較的にスムーズに作業が行えた。
下の一枚はお手伝いをさせてもらったお宅のご夫婦との記念撮影。
後列左から2番目の御仁が「岩」ちゃんです。

もし、被災地を実際に見てみたいという人がいたら、
是非積極的に行ってみてほしい。
ボランティアセンターの受付を通せば日帰りの作業もできる。
安全長靴やマスク、ゴーグル、手袋などの最低装備品の手配は必要だが、
貴重な体験への投資だと思えば決して高くつくものじゃない。
今回お世話になった木村さんも
「見学目的でも何でもとにかく実際に来て現地の状況をみてほしい」
ということを強調してました。
被災地の光景は当然強烈なモノだったけど、
同時に現地で当り前のように生活を続ける人々と、
なんとか元に戻していこうと踏んばる人々の表情と触れ合うことができたのは、
代え難い貴重な体験だったと思う。
義援金を送るだけが支援になるのではないことを痛感。
石巻の寿司、旨かったナ。
その時の写真をとりいそぎUPしたい。
まず、石巻の東側にある万石浦という比較的被害の少なかった地。
しかし地盤沈下のせいで沿岸部の地域はいまだに海水の冠水に苛まれている。


JR石巻線の線路。
ヴェネチアへ向かう線路よろしく両側を海水に脅かされている。
もちろんこの区間は運休状態である。

その線路の脇の光景。
恐らく本来は陸地であろう場所。


今回石巻市内を移動する間たびたび目にすることになった田んぼの光景。
至る所に車が転がっている。
ガソリンやら海水やらで汚れた田は三度水洗いしないと使い物にならぬと聞いた。
途方もないことである。

海岸線の道路から映した光景。
巨大なアルミ缶のようなタンクが大胆に変形して転がっている。
道路とともに塩水を浴びた松並木が海に沿って伸びていた。
この辺は被災地特有の海水まじりの腐敗臭がもっとも酷かった。

その巨大タンクの隣の光景。
倉庫か工場か、とにかく強烈に中身をえぐりとられている。

ここは今回の案内役となっていただいた木村さんに特別に案内してもらった女川という地。
原子力発電所のある場所なので覚えている方も多いだろう。
この女川は集落ごと津波にさらわれた。
入り江という地形上、波が行き場を失い水かさを増した。
そのため何とか形を留めた3階建て、4階建て、といった頑丈な建物の上に、
あろうことか乗用車がのっかっていたりした。
それ以外の建物は骨組みから何からすべてがなくなっていた。
残っているのは建物の土台だけ。
峠を超えてこの壊滅した女川の湾が眼前に広がった時の衝撃は忘れ難い。




残った建物の土台の上に潰れた乗用車。

施設の表札のみが虚しく…。

見渡す限り荒廃した風景。
まるでやけのはら。


茶碗…。

昭和かたぎなかわいらしい茶碗…。
生活の遺品ががれきの中に。

冒険王。

もはや原型を留めぬ車が乱暴に積み重ねられている。

エレキギター…。



足早に女川の地を後に。
オレはカメラのシャッターをただ無造作にきっただけだ。
アングルなんて考える余裕はなかった。
誰かに伝えようと思って無心にシャッターを押した。
心はずっと震えていて涙がにじんだ。
満潮時は冠水で通行も危険な地域に案内してくださった木村さんに感謝。

ボランティア2日目が終わった後に木村さんが連れて行ってくださった日和山から。
日和山は桜の名所でもあり、神社、公園もあることから普段は観光客で賑わう、
石巻の街を一望できる眺望スポットであるそうだ。

本来ならこの木々の間からは街が眺められるはずである。
しかし、もはや何もない、のである。

眺望台から石巻の西部を映している。
広い範囲が廃墟と化しているのがお分かりいただけるであろうか。
今回ボランティアでは実際に被災し、浸水してしまったお宅の、
床板はがしとガレキ、ゴミ出しなどを行った。
床板はがしは海水で駄目になった畳を運び出しあとの作業だが、
行政が行っているボランティアの斡旋では作業の危険性から初心者にはやらせない作業らしい。
しかし今回動向した鳶職を生業とする通称「岩ちゃん」の適切な指導のもと、
バールなどの工具を使い比較的にスムーズに作業が行えた。
下の一枚はお手伝いをさせてもらったお宅のご夫婦との記念撮影。
後列左から2番目の御仁が「岩」ちゃんです。

もし、被災地を実際に見てみたいという人がいたら、
是非積極的に行ってみてほしい。
ボランティアセンターの受付を通せば日帰りの作業もできる。
安全長靴やマスク、ゴーグル、手袋などの最低装備品の手配は必要だが、
貴重な体験への投資だと思えば決して高くつくものじゃない。
今回お世話になった木村さんも
「見学目的でも何でもとにかく実際に来て現地の状況をみてほしい」
ということを強調してました。
被災地の光景は当然強烈なモノだったけど、
同時に現地で当り前のように生活を続ける人々と、
なんとか元に戻していこうと踏んばる人々の表情と触れ合うことができたのは、
代え難い貴重な体験だったと思う。
義援金を送るだけが支援になるのではないことを痛感。
石巻の寿司、旨かったナ。
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