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大きな地震が起きて

3月11日に大きな地震が東北地方を襲った。M9を記録した揺れは関東圏にもおよび、オレも、周りのみんなも、肝を冷やした。あの恐ろしい津波の被害を被らなかった地域でも東日本に住む人はもれなくその恐怖を感じたはずだった。

地震の直後に福島県にある原子力発電所が爆発してさらに大変な騒ぎになった。オレは東電や国、政府などの酷い対応や、メディアや企業の隠蔽工作などがツイッターを通して、洪水のように流れてくるのに必死で目を通しながら落ち着かない日々を過ごした。ツイッターと新聞やテレビの報道内容が食い違っているので、普段は新聞とテレビに頼るオヤジと、意見がまったく食い違ったりするので焦った。

事故から連鎖的に発生した電力不足騒ぎや、甚大な東北地方の被害やらが一体となって世間が落ち着かない雰囲気なのは誰が見ても明らかだった。景気もまた悪化に拍車がかかるだろう、というような噂は社会経済に疎いオレでもなんとなくそんな気がしていた。

知り合いの中には事故でばら撒かれた放射能の被害を恐れて東京を離れるものもでてきた。事態はかなり深刻で、戦争を知らずに生きてきたオレが覚えてる中では、確実に最もショック度の強い出来事であると思ったし、それは上の世代の人間も同じようなことを言っているのだ。

事故の直後はみんな今後のことが不安で、知り合いや友達を訪ねたりしながら情報交換をし、多少の安心を得ようと努めていた。オレも常にソワソワしながら過ごしたが、ライフワークとして信じていた音楽でさえも、こんな状態ではそのものの価値が分からなくなったりした。継続的に行っていた作曲活動もあまり身が入らない。

それから約2ヶ月後、オレはトモダチを連れ合って宮城県、石巻市の被災した地域にボランティアで復興作業のお手伝いに出かけて行った。そんなことをしたというと、周りから「偉いねえ」とか何とかやたらと讃えられたりしたが、オレは善意より興味の方が先行していて、とりあえず被災地をこの眼で見ておきたいと思って行ったのだ。そしてその体験は地震と津波がどれほどの猛威であったのかをありありと想像させるほどの風景であり、そこで避難する人や復興にあたる人達の動きを生で見て感じることができてとても有意義だった。

オレはその時撮影した写真を数点ブログにアップしたが、実はその記事以外ほとんどブログを更新できずにいた。それまでもすでに更新のペースは緩慢になりつつあったが、原発事故以降は物事の価値観がグラついてしまったおかげか、まったくブログを更新する気力はおこらなかった。

ツイッターを介して各地で原発に反対するデモが行われるのを知った。東電や国や政府、メディアに学者、企業にそのほか、いろいろなことに腹が立っていたオレはすぐにデモに参加することにした。それまでデモなんて野暮ったいイメージしかもっていなかったし、自分は(そういうのはどうも)と思っていたのだが、今回の原発事故に関してはあまりにも我慢できない項目が多すぎる気がしたし、周りの人間もほぼ同じような見解だった。

それから数回いろいろなデモに参加して声を張り上げたりしているのだが、その効果というのはすぐに分かるものでもないし、地道な活動の継続が必要になりそう、という参加者の共通認識があったので、これはとにかく頑張り続ける以外にないのかもしれない。

原発の是非、デモの是非に関しては世代で大体似たような感覚があるようであるが、先日「反原発デモに反対」という具体的、明確な意見を持った同世代の人と酒を飲む機会があり話し合ったのだが、オレは論戦というものが苦手なのか相手の言い分にほとんど抗することができなくて始終押され気味で最後までそんな調子だった。オレはそれでも引き続きデモに参加しようと思っているが、デモ反対派の眼が意外と近いところにもあり、そういう主張をする人間がいることも心しておかねばならないだろう、と思った。

3.11で日本が変わった。そんな風にいろんな人が口々にするし、オレも何となくそんな風に感じている。あたかも日本が引っくり返って、金持ちが転覆して、金のないヤツと同じ地平に立つ時がやって来た、という浅はか過ぎる想像を頭に浮かべながらソワソワしていたのだが、そんな革命は起こるはずもなく、どうやら、金持ちは収益が少し減って、金のないヤツは今までにも増して苦しくなるだろうということだと分かってオレは落胆した。

そして音楽業界の端っこで働いていたオレはCDが売れない状況に拍車がかかりそうな気がしたことと、職場の内部事情に辟易して仕事を辞めてしまった。こんな不景気な状況で先のことを考えず辞めてしまったのだからオレも余程脳天気なのだろうか。

ところで3.11の衝撃を挟んで製作されていた赤い疑惑の新作「オレ達は日本で生きている」は多くの賛辞をいただきながらリリースされる運びとなったが、これが想像以上に売れない。1500円とリーズナブルな価格設定を心がけたが売行きは前作と同様たいして伸びない。1000枚刷ったCDの残り在庫が虚しく家に積まれている。

ライブの動員もちっともよくならないし、イベントに誘ってくれる方々に毎回申し訳ないなと思いながら活動している。ところがノリがイケイケではない赤い疑惑のメンバーは、沢山ライブをやると曲も作れないし、モチベーションの維持ができないということでお誘いに対する返答も「出ます、出ます!」といったものではない。メンバーの腰の重さは年々確かなものになっていく。そこで、僕らは思い切って「そろそろギャラの交渉をしてみてはどうか」という決定がくだされた。

赤い疑惑も10年くらいになり、どんなバンドとも似つかない強固なオリジナリティーを確立したと自負しているし、ギャラくらい交渉してもいいだろう、ということになったのだ。ただ慣れないことなのでこれがなかなか難しい。先日は京都の某イベントに招待されて、なかなか豪華そうなメンツの出るイベントなのでこれは出たかったのだが、こっちがギャラを提示すると、しばらく返信がなくなり、返事がきた、と思ったら「今回は条件があいませんでしたのでお誘いを見送らせていただくことになりました」というものでずっこけた。

そういえばたっぷりと失恋を唄った「オレ達は日本で生きてる」をリリース後、なんと恋人ができたのだ。もう恋愛に関しては諦めが先行していた矢先だったので心を躍らせたのは口にするまでもない。しかし何の因果か知らないが彼女ができたその日、訳あってマンガ喫茶で夜を明かした俺が地元の駅に降りたち、自転車でいつもの道を寝ぼけ眼で進んでいき、通る度に毎度癒される小金井公園の中で物騒なモノにぶつかったのだ。

それは首吊りの現場だった。(アレ、警察がこんなところで何してるんだろう)と前方に二人の警察官が立ち話をしているのが視界に入った。その警察官の脇を自転車で通り過ぎようとすると二人の向こうの木の茂みにもう一人の警官が写真機をぶら下げて、ストロボをたきながら写真を撮っているのが見えた。そのカメラの向こうには黒ぶちメガネをかけた若者の姿が、すーっと浮かび上がったのだが、その首からは上方の木の枝に向かって紐が伸びていたのだ。

オレはそこで吃驚して数十秒自転車を止めて、(確かにこれは首吊り以外の何物でもない)ということをその情景から判断し、(何で彼女ができたなんていう目出たいタイミングでこういうモノを目撃するのだろう)と余計な憶測、意味付けを試みたが頭が回転しないので、すぐに自転車を漕ぎだした。朝の7時前後ですでにチラホラと公園を周遊するランニングじじばばや、ウォーキングじじばばの姿が見え出していた。近くをすれ違って首吊り現場に眼を向けているオバちゃんに何となく声をかけた。この現場が夢ではなく現実のものだと確かめたかったのかもしれない。

「ね~え、何だかねえ。そうみたいねえ。」
そんな風な返答をオバちゃんがしてくれたので、(はっ、やっぱりこれは現実なのだナ)と思った。オバちゃんは何故か少し口元から頬にかけて笑っているようにもみえた。それは無論、首吊り現場を笑っていたわけではなくて、自然とそういう表情になってしまったような感じだった。その顔を見てオレは少し安心したのだが、「インタビューに答える被災者の人が何故かちょっと恥ずかしそうに笑ったりするんだよね。アレ、おかしいよね。不思議だよ。日本人の特徴なのかな。」とテレビの被災地映像などに対するコメントを残したイワサキ君の言葉を思い出してオカシな気持になった。

オレはボーっとした頭を引きづりながら帰宅し、彼女ができたことをオヤジに報告するとオヤジは随分と嬉しそうな、イヤラシイ表情を返したのだったが、隠すこともできず、小金井公園で見た自殺現場のことも報告せざるを得なかった。
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