天邪鬼とSNS
世の中に携帯電話という代物が普及し始めるまで、短い期間であったが、ポケットベルという通信装置が出回っていた。ポケットベルはポケベルと略され、若い人を中心に流行った。片手で握れば掌中に収まってしまうような小ささで、デジタルの小さい画面に、決められた上限の文字数で簡単なメッセージのやりとりができるというものだった。
ポケベルが流行ったのは私が高校生の時だった。流行り物には流されないぞ、という天邪鬼な性格の自分は初めはとてもその通信機器の存在を警戒していたのであるが、周りの友達がどんどんポケベルを携帯するようになり、そのやりとりの楽しそうな図を見ていて、いつかたまらなくなって私も持つようになったのだが、その主たる目的のひとつには異性とのコミュニケーションがあったことは間違いない。
携帯電話が普及するまでは異性と連絡が取りたい場合は相手の実家の電話番号を知る必要があったし、更にそのご実家に電話して相手のご両親やご家族が出た場合は当の相手を呼び出してもらわねばならず、それは大変勇気のいることだった。拠ってポケベルの登場は若者の恋愛活動を円滑化し、また多々破局をも生み出したであろう。
天邪鬼というのはいいようでも悪いようでもある気がするが、とかく直し難い人間の性質である。同じく高校生時代に初期携帯電話を持ち始める者がクラスにチラホラ現れ始めた。わざわざ休み時間などに、これみよがしに「携帯で通信する」ことをひけらかしてるような流行り物好きを見て苛立ちを覚え、変な理屈をつけては「自分は携帯は持たない」というスローガンを掲げ、私は大学の3年くらいまでポケベルを大事に握っていた。
しかし、携帯の普及の仕方はポケベルの比ではなく、気づけばポケベルを持つ者など変わり者扱いになり、自分はその変わり者扱いされるのに気分をよくしていた部分もあるのだが、単純に「便利そう」と思い直し負けを認め、いよいよポケベルから携帯に乗り換えたのももう遥か昔のことに思える。そして予想以上に携帯の便利さ、文明の利器の凄まじさに恐れ入り、携帯を忘れたりすると不安になる、という非常に小市民的な俗物に自分が落とし込まれて行く気がした。
ミクシというSNSが出てきたのはいつ頃か? はっきりしないがその存在を知った時も天邪鬼は平気でオレにミクシへの不信を煽った。ネット上で趣味の近い人が集まる、という閉塞的な側面ばかりに注目し、いかがわしさを見出して反対派を表明した。ところがミクシにハマる身近なトモダチは割と多くて、話しを聞いてるうちに、(自分のようなマニアックな趣味を持つ人間には最適かもしれない。何か運命的な出会いがあるかもしれない)と思い直し、早速態度を軟化させ実際にトライしてみた。ところがこれは自分の性に合っていなかったのかほぼ三日坊主的にいじらなくなってしまった。人には向き不向きがある訳で、これは自分向きではないと思えた。
さて時は流れてしばらくすると今度は「フェイスブックがヤバイらしい」という声がどこからともなく聞こえてきた。こういう声はどこからともなく聞こえてくるのだ。すかさずオレの天邪鬼が反応し、(フェイスブック?眉唾だぞ…)と、しばらく様子を見なければならなかったが、特に音楽をやってる仲間や、海外好き、旅好きの輩からの声はやや魅力的に響いた。
とどのつまりフェイスブックって何なの?と聞いても、説明するのは難しい、こういうのはやってみないと、という反応ばかりで要領を得ない。それでも私は何となくミクシ的な不向きを感じそうだったのでスルーすることに決めていた。そんな中今度は「ツイッターがヤバい」という。しかもヤバいよ、と教えてくれたのが信頼を置いているトモダチである。早速、長年の友、天邪鬼氏が「まあ、しばらく様子を見ろ」という。それで様子を見るのだけど、誘ってくれたトモダチの「ツイッターを楽しんでる様子」にいても立ってもいられない。
丁度当時務めていた職場が販促のためにツイッターアカウントを取る、ということになったので、「会社のために」を建前に天邪鬼を制し、会社のアカウントと一緒に個人のアカウントを作ってみたのだった。初めは使い方がよくわからなかったが、人間の対応力というのは凄まじい。すぐにツイッター脳が降臨して私はツイッターの虜となった。そして、311の震災以降はツイッター中毒である。その頃にはインスタグラムとかタンブラーとか、いろんなSNSと呼ばれるサービスがあっという間に世の中に広まっていた。
初めの頃はSNSというヒビキにも天邪鬼が反応して(何がエスエヌエスだっ)とそういう存在をバカにしたが、ツイッター中毒になり惰性でフェイスブック、インスタグラムも始めると、それなりにそれぞれの勘所がわかり始め、ソーシャルネットワークサービスと呼ばれる概念について、なるほどと思わざるを得なくなり、今ではSNS中毒。
さらにスマートフォン、アイフォンやなんかがダメ押しの如くに普及したのでSNS中毒に拍車がかかる。移動中なんかは絶えず携帯を睨んでいる。役立つ情報が星屑の如く現れては消えてゆき、それに一喜一憂したりしながら今オレは生きているのだ。この下らないオレの通信履歴だって全部アイフォンで書いたのだ。歩きながらだって書けるんだぜ。その内アイフォン文学なんてのが現れるかもしれない。
とにかくSNSには翻弄されてるといってよいが、翻弄されるだけじゃなくて、結局プラスになっていることも多い。ツイッターやフェイスブックを介していろんな出会いがあったし、実際トモダチが増えてしまって楽しいことになってる。震災の時はツイッターは頼みの綱だったし、テレビと新聞の嘘報道に惑わされずに済んだのはひとえにツイッターのおかげだった。しかもカミさんと仲良くなるためのステップにツイッターがあったことをオレは隠さない。
ツイッターで余計な発言をして恥をかくこともあるが、どうしてもプラス要素の方が優っている。フェイスブックのイベント告知で微力ながらライブの集客ができることもある。使い方は人それぞれあれど、要は使い様でSNSは様々に威力を発揮することは否定の余地がない。反原発デモもそうであったが、ウォールストリートの占拠運動やアラブの春も然りSNSは政治や市民運動にも影響を及ぼしてもはや世界を動かしつつあるのかもしれない。
今ではポケベルを持つのに逡巡していた自分が懐かしく思い出されるばかりであるが、さてオレは何を書きたかったのかまったく分からなくなってしまった。多分新しいモノ、流行りモノへの逡巡を迫る天邪鬼と、結果的にSNSの虜になってしまった自分の滑稽を書きたかったに違いない、多分。
ポケベルが流行ったのは私が高校生の時だった。流行り物には流されないぞ、という天邪鬼な性格の自分は初めはとてもその通信機器の存在を警戒していたのであるが、周りの友達がどんどんポケベルを携帯するようになり、そのやりとりの楽しそうな図を見ていて、いつかたまらなくなって私も持つようになったのだが、その主たる目的のひとつには異性とのコミュニケーションがあったことは間違いない。
携帯電話が普及するまでは異性と連絡が取りたい場合は相手の実家の電話番号を知る必要があったし、更にそのご実家に電話して相手のご両親やご家族が出た場合は当の相手を呼び出してもらわねばならず、それは大変勇気のいることだった。拠ってポケベルの登場は若者の恋愛活動を円滑化し、また多々破局をも生み出したであろう。
天邪鬼というのはいいようでも悪いようでもある気がするが、とかく直し難い人間の性質である。同じく高校生時代に初期携帯電話を持ち始める者がクラスにチラホラ現れ始めた。わざわざ休み時間などに、これみよがしに「携帯で通信する」ことをひけらかしてるような流行り物好きを見て苛立ちを覚え、変な理屈をつけては「自分は携帯は持たない」というスローガンを掲げ、私は大学の3年くらいまでポケベルを大事に握っていた。
しかし、携帯の普及の仕方はポケベルの比ではなく、気づけばポケベルを持つ者など変わり者扱いになり、自分はその変わり者扱いされるのに気分をよくしていた部分もあるのだが、単純に「便利そう」と思い直し負けを認め、いよいよポケベルから携帯に乗り換えたのももう遥か昔のことに思える。そして予想以上に携帯の便利さ、文明の利器の凄まじさに恐れ入り、携帯を忘れたりすると不安になる、という非常に小市民的な俗物に自分が落とし込まれて行く気がした。
ミクシというSNSが出てきたのはいつ頃か? はっきりしないがその存在を知った時も天邪鬼は平気でオレにミクシへの不信を煽った。ネット上で趣味の近い人が集まる、という閉塞的な側面ばかりに注目し、いかがわしさを見出して反対派を表明した。ところがミクシにハマる身近なトモダチは割と多くて、話しを聞いてるうちに、(自分のようなマニアックな趣味を持つ人間には最適かもしれない。何か運命的な出会いがあるかもしれない)と思い直し、早速態度を軟化させ実際にトライしてみた。ところがこれは自分の性に合っていなかったのかほぼ三日坊主的にいじらなくなってしまった。人には向き不向きがある訳で、これは自分向きではないと思えた。
さて時は流れてしばらくすると今度は「フェイスブックがヤバイらしい」という声がどこからともなく聞こえてきた。こういう声はどこからともなく聞こえてくるのだ。すかさずオレの天邪鬼が反応し、(フェイスブック?眉唾だぞ…)と、しばらく様子を見なければならなかったが、特に音楽をやってる仲間や、海外好き、旅好きの輩からの声はやや魅力的に響いた。
とどのつまりフェイスブックって何なの?と聞いても、説明するのは難しい、こういうのはやってみないと、という反応ばかりで要領を得ない。それでも私は何となくミクシ的な不向きを感じそうだったのでスルーすることに決めていた。そんな中今度は「ツイッターがヤバい」という。しかもヤバいよ、と教えてくれたのが信頼を置いているトモダチである。早速、長年の友、天邪鬼氏が「まあ、しばらく様子を見ろ」という。それで様子を見るのだけど、誘ってくれたトモダチの「ツイッターを楽しんでる様子」にいても立ってもいられない。
丁度当時務めていた職場が販促のためにツイッターアカウントを取る、ということになったので、「会社のために」を建前に天邪鬼を制し、会社のアカウントと一緒に個人のアカウントを作ってみたのだった。初めは使い方がよくわからなかったが、人間の対応力というのは凄まじい。すぐにツイッター脳が降臨して私はツイッターの虜となった。そして、311の震災以降はツイッター中毒である。その頃にはインスタグラムとかタンブラーとか、いろんなSNSと呼ばれるサービスがあっという間に世の中に広まっていた。
初めの頃はSNSというヒビキにも天邪鬼が反応して(何がエスエヌエスだっ)とそういう存在をバカにしたが、ツイッター中毒になり惰性でフェイスブック、インスタグラムも始めると、それなりにそれぞれの勘所がわかり始め、ソーシャルネットワークサービスと呼ばれる概念について、なるほどと思わざるを得なくなり、今ではSNS中毒。
さらにスマートフォン、アイフォンやなんかがダメ押しの如くに普及したのでSNS中毒に拍車がかかる。移動中なんかは絶えず携帯を睨んでいる。役立つ情報が星屑の如く現れては消えてゆき、それに一喜一憂したりしながら今オレは生きているのだ。この下らないオレの通信履歴だって全部アイフォンで書いたのだ。歩きながらだって書けるんだぜ。その内アイフォン文学なんてのが現れるかもしれない。
とにかくSNSには翻弄されてるといってよいが、翻弄されるだけじゃなくて、結局プラスになっていることも多い。ツイッターやフェイスブックを介していろんな出会いがあったし、実際トモダチが増えてしまって楽しいことになってる。震災の時はツイッターは頼みの綱だったし、テレビと新聞の嘘報道に惑わされずに済んだのはひとえにツイッターのおかげだった。しかもカミさんと仲良くなるためのステップにツイッターがあったことをオレは隠さない。
ツイッターで余計な発言をして恥をかくこともあるが、どうしてもプラス要素の方が優っている。フェイスブックのイベント告知で微力ながらライブの集客ができることもある。使い方は人それぞれあれど、要は使い様でSNSは様々に威力を発揮することは否定の余地がない。反原発デモもそうであったが、ウォールストリートの占拠運動やアラブの春も然りSNSは政治や市民運動にも影響を及ぼしてもはや世界を動かしつつあるのかもしれない。
今ではポケベルを持つのに逡巡していた自分が懐かしく思い出されるばかりであるが、さてオレは何を書きたかったのかまったく分からなくなってしまった。多分新しいモノ、流行りモノへの逡巡を迫る天邪鬼と、結果的にSNSの虜になってしまった自分の滑稽を書きたかったに違いない、多分。
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