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マリアッチ2セット

 起きると曇天。今日はオヤジのラテン歌謡のライブサポート2本立て。こんな日がやってくるとは、思春期にオヤジの、この酔狂に見える音楽活動を妙な気持ちで眺め、何となしに聞き流していた過去を思い返すとどうも人生は不可思議である。

 朝メシは食わずに原付で実家に赴き、実家メシをつまみ最終リハーサル。オレはコード進行だけを覚えて適当に伴奏するだけであるが、普段コード進行を見ながら演奏することすらないので、今日の本番の為に5回ほど打合せを重ねてきた。完璧ではないけど余興として体をなすくらいのレベルにはなっただろうか。

 午前10時半、車で出発。オレとオヤジはもうすでにマリアッチの衣装を着ている。白いスーツの上下。スラックスの外側には裾の方から腰の下あたりまで金の金具が等間隔にあしらわれていて、これが所謂メキシコのマリアッチの衣装。オヤジはこれを上下2セットも、どこで調達してきたものか、昔から我が家にあったことだけはオレも知っている。

 会場でなく家を出る前からこんなに目立つ衣装で出かけようとするオヤジの采配には、第一ステージである国学院大学のキャンパスをこの姿で練り歩いて少しでも集客に貢献できれば、ということらしかった。さすがオレのオヤジ、というかやはりオヤジの目立ちたがりには中々かなわないと思った。いやいい勝負かな。マリアッチの格好した親子が運転席と助手席に乗っている姿は異様だろうと思うが、横を通るパトカーも別段オレ達を止めない。そりゃそうだ。

 道が混んでいて集合予定に少し遅れそう、となるとオヤジがアクセルを吹かす。オヤジはこんな時、粗い運転で疾駆することがあるが、俄然乱暴な運転になるのだ。だから、そこに同乗した母や姉が、「お父さんの運転は怖い!もっと静かに運転してよ!」としょっちゅう苦情を入れてたことを思い出したりした。もう母は亡くなり、姉は実家を離れたのでそんな苦情もただ懐かしく思い出される。オレはどうせ本番には間に合いそうなのだから何とかなるだろうと平然とデカい顔をして助手席に座っている。

 国学院大学に着くとオヤジが学生時代在籍していたというギタークラブのOBなど、仲間や後輩が集まってきてギターやボンゴや衣装ケースやらを分担で手際よく運んでくれている。オヤジが余程慕われていることがこういう部分に垣間見られる気がする。キャンパスは学園祭の只中。我々の余興も学祭内での親睦イベントの一環であるようだった。

 案内されたのは何とかホールといって割と新築なのだろう、まだ綺麗で瀟洒な建物上部階に広がっている多目的スペースのような講堂である。入れば300人くらいは集まりそうなそのホールには大学の卒業生やら関係者やらがせいぜい30人くらいだろうか、疎らに座っている。入り口付近で紙パックのお茶が振舞われていて、どうやらここは卒業生に向けて解放された親睦スペースらしい。いろんなサークルが出し物をやったりして場を繋いでいるようだ。オヤジはギタークラブのOB代表としてこの場でのパフォーマンスを依頼されたのだという今回のブッキングの細かい背景が漸く把握できた。

 ステージに上がって音出しやらして客席を眺めると広さの割に客がいないことと、どうやら僕らの演目に大して興味を持ってない連中がほとんどのようで早速余興感とドサ回り感を味わうがこんなことは赤い疑惑やら数々の己の活動で沢山体験してきたことなのでへいちゃらである。

 ステージに用意したボンゴをイトウさんというオヤジの後輩が叩いてくれるという。同じギタークラブの仲間らしくオヤジが歌うトリオロスパンチョスのレパートリーを大体知っているらしかった。

 12時半、時間になるとオヤジがマイクで得意の挨拶。約40年間教壇に立ってきた話芸はかなりのもので、緊張とか焦りの類いは一切感じさせない。横で安心して観察していると、「今日は倅を伴奏に立たせました」となかなか誇らしげである。

 こんな格好をしてオヤジの伴奏を喜んでやっている己の姿を20代前半までのオレなら想像し得なかったであろう。オレは8年前に母が死ぬまではオヤジとこんな風に心を通わせることができていなかったのだから。

 このステージの為に私物の小さなギターアンプを2台持ってきていたが歌うマイクは司会用のショボいマイクしかなかった。そのせいか、オヤジの美声は少しくぐもって聞こえるようだが、まあまあ演奏も大きく乱れることなく淡々と進行した。曲が進むに連れてオヤジの顔汗が盛んに溢れてきている。何事にも全力投球、会場が大して盛り上がっていなくても関係ない。

 予定時間を10分ほどオーバーしながらプログラムを終えるとさっき搬入の手伝いの労にあたってくれた数名が今度は撤収やらに手際よく着手してくれる。みんなオヤジのこういったステージは見飽きているのか、よかったです、素敵でした、等の言葉は聞かれない。とにかくオレもオヤジも着替えを済ませ会場を後に。

 荷物一式を車に詰め込みお疲れの一杯、という流れかと思いきやオヤジとOB仲間はそんな風でもなく、屋台でもなく学園祭中も通常営業している学食の、ひとつテーブルにどっかと腰を下ろし、まったく特別な盛り上がりもなく定食を食べ始めるので、オレもその横に腰を下ろし「鶏の変わり揚げ定食」をつつく。食べ終わって10分ほど茶を飲んだりしていたのだが、久々に集った仲間の割りに会話が乏しい様子はオレが大学生の頃ふざけて立ち上げたサークルの集まりを思い出させた。あの頃は毎日のようにキャンパスで顔を合わせては意味もなくただただ集ってはくっちゃべっていて、それでも一緒にいる時間が長過ぎて何も会話がなくなる、なんてことがよくあった。

 それじゃ、ワタシはこの辺で、と言ってオレもガキの頃からよく知っているコバヤシのおじさんが暇を告げると、じゃあ解散するか、とみんな席を立つ。

 本日の第二ステージは夜遅いので一旦帰宅しようと、今度はオレの運転で西東京に向かう。オヤジは久々に歌ったとのが余程楽しかったか、または歌い足りないのか、車内でもしきりに歌を歌った。

 運転しながらピーのケータリングのことを思い出したオレはオヤジに断わって回り道をしてケータリングの現場に寄り道した。生憎パラパラと雨が降り出していたので現場につくとピーとタラちゃんが寒そうにパラソルの下で番を張っていた。
「どう?売れてる?」
「うーん…」
オヤジはピーのケータリングの現場を初めて見るのでしげしげとあたりを見回していた。ピーが特製の鳥ハムを取り出してオレとオヤジにくれる。昨日セロリとラップと格闘していたピーを知っているオレはその味を染み染みと味わった。

 一度帰宅し夜の出番までやりかけのことをボチボチやろうと思っていたが眠くなってきたので投げ出して仮眠。19時になって実家から車でオヤジが現れ、そのまま吉祥寺に向かった。その車内でもまだオヤジは発声やら歌やら、ステージにかける意気込みを見せるのでオレは感嘆し、同時に閉口した。

 バオバブに着くとヨースケさんが歓待してくれ、普段こういう場所に馴染みのないオヤジは店内の装飾やらを珍しそうに眺めたりしている。これがDJだよとカウンターに併設されたDJブースを指し示して教えると、なるほどなるほどと感心してる。オヤジの中でDJはキュっキュとレコードを擦ったりするヒップホップDJのイメージしかないのだ。

 20時から22時くらいの時間帯でお客さんの入りを見ながら2セットの予定だったが思うように客席が埋まらず、結局22時まで待って1セット長めに、という段どりになり、それまで我慢してたオヤジに酒を勧めると、飲むか、といってコロナビールを煽った。オレも手持ち無沙汰で、ケータリングを終えたピーとメシを食ったり、なんやかんやしていると次第に酒好きそうな陽気なお客さんがワラワラと集ってきた。

 昼のあのステージよりは絶対盛り上がるから、とオヤジに期待を持たせてしまっていたオレはようやく胸を撫で下ろし、じゃ、そろそろ、とオヤジに囁いてキッチン奥の楽屋で今日2回目の変身。ソンブレロを被ってステージに戻ろうとすると通路が狭くてソンブレロがひっかかる。オヤジはハゲ頭を晒してステージに向かい、オレはその後に従った。

 オレらがマリアッチの派手な衣装でステージに上がると店内のお客さんが、カワイイ、だとか適当なことを言いながら早くも盛り上がっている。ワールドミュージックが好きなマニアックなお客さんもオヤジのレキントギターと朗々とした唄声に興を示しているのが分かる。

 一杯酒を入れたオヤジの声は格段に昼のステージより伸びやかになっているのが分かる。オレはコード進行を追うのに必死だが、隣で唄うオヤジは前半からとんでもない汗量を顔面に滴らせている。いつもの話芸も酔った客には受けがいい。クックルッククーパロマの曲では店内でどこからともなくコール&レスポンスが起こり徐々に徐々に会場全体が熱くなっていった。

 終盤の曲間でとめどなく流れる顔汗を拭こうとステージ下のテーブルにあったおしぼりを取ろうとしたオヤジが足し元を取られて倒れそうになった。オレは定年退職後に色んなシーンでこうやってオヤジがすっ転ぶ姿を何度も見ていたので手を差し伸べることもしなかったが、そばにいたピーは駆け寄って心配した。ステージにもう一度上がったオヤジが「ワタシももう歳で68だから」と言うと会場がどよめいた。もう少し若いと思われたのだろうか。

 縁もたけなわ、最後にノリのいい「バンバ」をやると奥の女子会チームが立ち上がって踊り出し、何ともハッピーな空気に包まれていった。拍手喝采でアンコールをいただいたオレとオヤジは、もうラテンのレパートリーがないので、隠し球の演歌「兄弟船」を披露したらイントロから大盛り上がり。気持ちよく演奏しながらも、やはり日本人には演歌なのだ、という避け難い確信がオレを興奮させた。何しろオレがオヤジの伴奏で初めて演歌の伴奏というものをやった時、それまでは(何かいいよね演歌って)と思っていたイメージが一気に、(何だこのフィット感は)という形容しがたい心地よさとして演歌が改めてカラダに入ってきたことを最近覚えたところであったからだ。「熱い血潮はヨー、オヤジ譲りだぜぇー」と最後のフレーズをオヤジか歌い上げるといよいよ盛り上がりもマックスに。オレも泣きそうになってしまった。

 会場にBGMが流れ、終演を迎えるとスタッフがソンブレロを持って投げ銭回収に回ってくれる。やり切って衣装のままでお疲れの一杯をやってるオヤジのところへ、マニアの兄ちゃんやノリノリのギャルちゃんがオヤジに声をかけて労っている。すっごい素敵でした〜、と漸くその言葉をかけられてるオヤジを見てオレも心の底から安堵することができた。

 夜も更けてしまったので帰り支度を始めた。裏で投げ銭を受け取ったオレはオヤジに申告して渡そうとしたが、要らない、金額だけ分かればそれでいいよ、と言う。意外といえば意外だったが親心なんだろかと調子よく受け取ったオレはそれを懐に捻じ込ませた。

 運転役のオレは駐車場に車を取りに行き店の前につけて荷物を詰め込んだ。ヨースケさんがオレと握手をして、オヤジにも頭を下げた。オヤジは余程気分がよかったのだろう、逆に、ありがとうね、と声をかけていた。

 ピーを助手席に乗せてオヤジは後部席にカラダを投げ込むようになだれ込んだ。弁天通りから井の頭通りに抜け、走り始めるとすぐに安らかなオヤジの寝息が聞こえてきた。そうだよな、オヤジは朝から晩まで、今日は2ステージも歌い切ったのだもんな。オヤジの寝息を聞きながら、車は井の頭通りを西に走っていった。
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