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赤旗まつり親子でニアミス

 昨年の11月、我らが赤い疑惑が共産党の赤旗まつりに出演したことは既にブログでも書いたし、自分も自慢気に話し散らしたのでご存知の方も多いかと思う。「jpck the red flag」と題されたイベントはそもそも311以降に新たに勃興した市民運動の中心的な役割を果たしていた非共産党系の30代、40代のスタッフが、共産党と交渉し、反安倍闘争としての結束を確認して、赤旗まつり内で若者向けの音楽イベントをやらせてもらう、というコンセプトの下に開催されたモノであった。
 なので僕らが共産党本部から直接オファーを受けた訳ではなく、間接的に声がかかったという体であり、赤い疑惑が共産党、ということではない。赤い疑惑の赤は共産党の赤でしょ、と言われて反論してみてももはや説得力がないくらい、私の反体制症候群はメラメラと燃えているので、逆に共産党なの?を否定してみるのも大したメリットはない。
 311以降、共産党の主張にシンパシーを感じて近所の共産党のジイさん、Aさんに気に入られた私は、「結構ですから」と言って断ったのにAさんがいつも投函してくれる赤旗日曜版などを読んでいるウチにもはや「共産党ではないですよ」と断わりを入れることに重要性を感じなくなってしまった。何しろAさんを始め、出会った共産党の人だちがみんないい人ばかりだったし、共産党が常に時代に合わせてその党是を見直し、また更新している柔軟な政党であることが分かってきたからだ。
 Aさんは赤旗新聞を持ってくるに留まらず、共産党、不破委員長が書いた分かりやすい著書を、是非読んで感想を聞かせてください、と私に押しつけて置いていったこともあるし、お互いに、いただいたりして持て余していた野菜やらをお裾分けし合ったりするようなこともあった。Aさんはしまいには、ここ北原町には「9条の会」がないので有志で立ち上げることにしたが、長尾さんも呼び掛け人になってくれないか、というオファーを持ちかけてきた。私はそんなに暇ではない、と最初思ったが、時勢が時勢だし、共産党に入党するという訳でもないし、自分が少しでもチカラになれるなら、と思い直して首を縦に降ることになった。

 話しが逸れてしまったが、赤旗まつりの話である。奇遇と言えるかどうか、そこまでの偶然性ではなかったのかもしれないが、「赤い疑惑が赤旗まつりに出ることになった」ということを父に伝えたら「えっ!何だオマエもか、オレも出ることになった」というまさかの返答。よくよく聞いてみると最近父が面倒を見ている若手バラライカ奏者北川翔の伴奏で父はギターを弾くことになったそうだ。
 父は翔君とはもう何年も演奏を続けている。ロシア民謡は歴史的に共産党と親和性があり、そういう訳で翔君に赤旗まつりから白羽の矢があたったのだ。その伴奏を父が務めるのは不思議でもなんでもないが、なかなか面白いジョークである。何しろ父は元々自民嫌い、共産党シンパだったにも関わらず、アベノミクスにより株で儲けたからとか、彼は同郷のよしみだ、とかいう保守的な理由で、あの最低な安倍総理を支持していて、私と何度も論争になっていたくらいである。そんな信条でよく赤旗まつり出演を快諾したものだな、と私は肚で笑っていたのだ。まず親子で赤旗まつり出演というのもギャグみたいな話であるが。
 父は長年、人情肌の教諭を全うしてきた人間で常に共産党や日教組などの人種に囲まれていたので、それで自民嫌いになったのだろうし、国家斉唱の強要に反対して処罰された同僚を庇ったり、などの話しも聞いていたので、人間性的にも左寄りだと思っていた。そうかといって共産党に入ってた訳でもないし、学生運動なんかとは距離を置いていたらしいし、ノンポリを自称することもあったので、朝日新聞を購読する自称リベラル、というくらいのものだったかもしれない。
 それにしても、である。震災後の政府の対応に怒り狂って私がデモに行き始めた時の父の反応は冷笑的だった。左寄りなら私の怒りに賛同してくれるかと思っていたが、むしろそんな行動をバカにするような態度だったのでがっくしきた。TVと新聞の報道だけでは放射能の危険性も被曝者に対する政府の杜撰な対応もそこまでわからないのかもしれない、とも思ったが、父にネットニュース記事のことを説明してもなかなか理解を得られなかった。
 民主党から自民党に政権が戻って、かのネトウヨ総裁安倍晋三政権になってからの弱者切捨て、国威発揚ぶりに更に怒りがおさまらない私は、安倍晋三という暴君はどうなんだ、とまた父に詰め寄った。同世代の人間とはほとんど反安倍で合点がいくのだが、どうも年配の世代と意見を一致させるのは容易ではなさそうだ、ということが分かってきていた折、せめて自分の父くらいは分かってくれるだろう、と望みを抱いていたからだったが、父の答えは「オレは安倍晋三は悪くないと思ってるぞ」だった。
 私は呆然としたが、すぐに激昂してしまい、酒を飲みながらの席で父と激しく言い争うカタチになってしまった。リベラルの父はどこに行ってしまったのだ、と悲しくなった。私の言葉遣いが激して父の声もデカくなったので同席していた妻には辛い想いをさせてしまった。それからもしばしば論争が繰り返されたが話しは最後まで平行線だった。
 いろいろ議論をしていて気づいたのは父が「安倍と同郷(長州)」であるという、私にとっては理解し難いようなシンパシーを持ってること、そして何よりも資産運用の為に手を出した株の調子がうなぎ登りに良くなったという、まったく利己的な理由で安倍晋三を評価しているだけ、ということだった。しかし私が下らないと思っていても父にとっては大事なことなのかもしれなかった。
 最終的に私は父を説得するのに絶望し政治の話題を上げないように心掛けた。その話題では喧嘩になったがそれ以外の話題ではいつもの親子に戻ったし、逆にすぐに良好な関係に戻ることができる父の存在を不思議に思ったりした。
 安倍政権の話しを控えていたにも関わらず、親子喧嘩の原因である安倍晋三はそんなことにもお構いなく暴走を続け、遂に集団的自衛権行使容認の憲法解釈を、閣議決定という訳のわからない方法で強行した。そしてそのことに私が怒りを抑えきれず父に、集団的自衛権の行使容認をどう思うかを問い質そうと、またぞろ詰め寄ってしまったのだ。が、しかしやはり父はこれにも容認的な態度を示し「現在の国際社会の中で日本は何にもしてこなかったのだから、現実的には国際的な要請に日本も貢献しないといけない」という参戦論者の門切り型の答えを言ってのけたので私の絶望感は推して知るべしである。
 私は無駄な抵抗は止してまたしばらく父には黙った。そしてそんな中で赤旗まつり、「jack the red flag」からのオファーをもらったのだった。冒頭に書いたように、私が欣喜雀躍してそのことを父に嫌みたらしく報告した、という経緯だった。

 で、ようやく赤旗まつりまで辿り着いたのであるが、この日の日記はこのブログで既にレポートしたので詳細は割愛するがザッと要約すると、父はバラライカ奏者北川翔の伴奏ギターで赤旗まつり内のうたごえ広場を3箇所回ってCD販売のドサ回り。赤い疑惑の出演は夕刻を予定しており、父はドサ回りをすべて終わらせて愚息のライブを見に若者広場にやってきていた。後で聞いた話だと、そこで教諭時代の知合いに再会したり、などのドラマもあったそうである。
 さて、私がその時点で父との関係をどんな風に思っていたか、はっきり覚えてないのだが、父と政治的見解で対立していたことは絶対にMCで触れようと思っていた。何しろ家族ネタは、反則か、と思わせるほどどんな風に喋ってもほぼ滑らない、ということを経験的に知っていたし、オレの目立ちたがりのルーツである父はそんなことで引き合いに出されても絶対に怒らないと確信していたからだ。
 会場のお客さんはギッシリとはいかなかったが皆温かい眼差しで赤い疑惑の演奏を応援してくれているのがバリバリ伝わってきていた。近所の共産党のAじいさんも勿論見に来てくれていた。演奏の途中でMCを挟んだ。粗方喋ることは考えていて、自分がデモなどの市民運動に参加するに至った流れを話した。そして付け加えるように「今日はそこに父が来ています」と紹介し、父と安倍政権について意見が食い違うことを笑えるように話した。
 会場は大いに受けていて良かったが、オレに紹介されて照れパフォーマンスをしてくれていた父が、共産党シンパに囲まれたあの不利な状況で株儲け安倍シンパと揶揄されて内心怒ってないか、終わった後で少し心配になった。しかし、ライブが終わってから今に至るまであのMCに関して責め咎められることはなく、いつも通りの親子関係がただ続いていった。

 そしてこの親子ドラマはまだ終わらなかった。先日実家に行った時、帰り際に父から、父が長年、月に1、2回のペースで発行し続けている家族新聞「なぎのや」を4号分ほど渡されていた。この家族新聞についてもブログで何度か書いているので割愛したいところだが、初めて知った方のために説明すると、この「なぎのや」と呼ばれる家族新聞は父が20年以上にわたり発行し続けている家族新聞で、起ち上げ当初は長尾家の父、母、姉、私の4人でそれぞれ記事を書いていたのだが、数ヶ月で言い出しペの姉と面倒くさくなった私とが脱落。直に母も書かなくなり、遂に長尾家に関することを父が1人でレポートするようなオヤジ新聞へと変貌していったのだが、筆まめの父は今までずっとほとんど休むことなく「なぎのや」の発行を続けてきているのである。
 私がブログを書くようになってからは父が勝手にオレの文章を家族新聞に(父流に編集して)転載したりしながらとにかく今まで続いているのは脅威である。この新聞「なぎのや」は私の知る限り最盛期で200部弱が刷られ長尾家の親戚一同、それに留まらず父の友人知人などに郵送される仕組みになっていた。私が学生の頃は家族を重要視していなかったので家族新聞があることすらほとんど人に言わなかったし、何となく恥ずかしくも思っていた。あけすけに家庭内のことを父が流暢に書き上げるので姉や母からは度々ブーイングがあった。
 しかし大人になってふと友人に父の作っている家族新聞を見せると眼を丸くして感心されることとなり、なるほど、確かに段組みやキャプションや限られた紙面に読ませる文章のクオリティーなど父の努力の賜物は半端じゃないことに気づいて私も見直すようになり、実家に行って「なぎのや」を渡されると何となく目を通すようになっていった(逆に言うとそれまではほとんど読んでいなかった)。
 そんな訳で先日渡された4号分の「なぎのや」になんとなく眼を通していると、「赤旗まつりで親子ニアミス」という特集が目に止まった。オヤオヤ、と思って注意深く読んでいくと、何と私のMCと、オヤジと意見が対立し云々や、株で儲けた父が云々やということを倅に壇上から揶揄されたことを正直にレポートしてるので私は驚きと可笑しさと痛快さとで思わず、おおっ、と声を漏らしてしまった。勿論、父を揶揄する反体制的な私のことが親戚やらに知られることで嫌悪したのではなく、反対にこの親子のバカらしい政治論争が、恐らくノンポリ層である多くの「なぎのや」読者達に伝わり、議論のネタになれば嬉しい、という想いから私は興奮したのだ。
 父がその点をどこまで考えていて記事に掲載したかは計りかねるが、安倍政権に関して有りか無しか、そんなことを考えるきっかけ作りに、この長尾親子の対立は大いに貢献するだろう、ということは検討がつくではないか。オレはほくそ笑み、父に感謝した。あの、不愉快な親子喧嘩は徒労ではなかったのだ、と思った。そしてあんなことを脚色なく偏重的でもなく素直に記事にしてくれた父に改めて尊敬の念を抱いた。父は心のどこかで薄給で質素に生きる私に同情しているのかもしれない。そしてそんな私の主張を婉曲的にサポートしてくれたのだろうか。

「なぎのや1」

「なぎのや2」

「なぎのや3」

補足1)アクセルのブログはもう少し短くまとめれば評価できるよ、と先輩に指摘されましたがなかなか短文の小気味いい文章が書けません。ご了承ください。
補足2)父の政治的見解は、辺野古の強行工事をどう思うか、という私から父への詰め寄り辺りから様子が変わり、安倍批判をするに至ったかどうかは置いといて、さすがに私の安倍に対する批判的な視点も理解してくれるようになりました。
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