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バンドマンに憧れて 第5話 中学3年生

 邦楽、洋楽とロック信仰を高めていく中で、当然自分もバンドを始めるであろう少し先の未来を思い描き始めた。バンドをやるなら自分は何ができるだろうか。歌はあんまり自信ないけど作曲ならやれそうだし…、やっぱりギターかな。

 ここでギターをやりたい、と思い至る動機として父がギタリストであることは大きな要因だった。父は本職は夜間定時制の古典の教諭で公務員だったが、大学の頃からクラシックギターを嗜み、教師をして家庭を築いてからもラテンギターに手を出したりしながらとにかくギターの演奏と、たまに歌うことをライフワーク的に続けている人間だった。

 ギターを通じて知り合った母とは、休みの日に家で合奏したりする光景もたまにあったし、また、そんなに大声で歌ってもいいのかな、と幼心に世間の眼が心配になったくらい父はソウルフルに歌を歌うことがあった。大抵、そういう親の力の入った趣味や活動に対して、年頃の子供の眼は冷酷である。私も同様に父のそのような音楽活動に対して軽蔑こそせぬが、尊敬を抱いてはいなかった。ロックに目覚めた頃にはなおさら、父のやっている音楽と自分が目覚めたロックとは別物であって、一緒にしないでほしい、とすら思うようになっていた。

 しかし、とはいえ、家にギターがあるという事実は確かに大きなきっかけだったのだ。しかも母のギターも含め、普通のクラシックギターに加えレキントギター(ラテンで使う高音のギター)も入れると4、5本のギターが家にあった。触っても特に咎められなかったので私は、そういうきっかけでギターを手にするようになった。

 クラシックギターは楽譜を見ながら演奏するものだが、ロックンロールは楽譜など見ない。ひたすら覚えるのが常である。しかし初めはみんな弾けないのでバンドスコアなる代物を楽器店で購入し、それをもとに練習することになる。

 バンドスコアのギター譜はタブ譜というもので、左手がフレットのどこを押さえるのか、また、どのタイミングでそれを弾くか、ということが数字と記号で表されている。タブ譜は楽譜を読めないロック少年たちの強い味方なのである。私は当時夢中になっていたユニコーンのバンドスコアを買って早速父のクラシックギターで練習をし始めた。

 しかしながらギターを弾くというのは当然生易しいものじゃなかった。コードを押さえることだけで四苦八苦。テッシー(ユニコーンの超絶ギタリスト)のギターソロなんてチョロっとも弾けそうにない。結局私はコードと歌だけで成立する曲を選んで何度も練習した。リフっぽいギターのフレーズだけ弾いても、バンドで演奏しないと全然盛り上がらないことが分かったからである。

 沸々とバンドへの意欲が高まるなか、中学校内ではあまりロックの話しで盛り上がれるヤツがいなかった。XやB'zはヤンキー系を中心に相変わらず人気があったが、私がやりたいものとはまったくかけ離れていた。ブルーハーツは人気があって、教室で数人で口ずさむ、などという現象すらあったが、sparks go go(スパゴー)は誰も知らない。ジュンスカやユニコーンなどを経てスパゴー信者と化していた当時の私は、ブルーハーツもいいけどもっといろいろあるぞ、と思っていた。そしてその時早くも、私だけが凄い音楽を知っているんだ、という自意識過剰な孤立感と、そこからくる軽い被害者意識とに酔い痴れる、という妙な癖がつき始めた。

 もともと周囲の人間と違った行動を取りたがる天の邪鬼な性質が自分の中にあることは子供ながらに気づいていたが、そのように音楽の好き嫌いに関してもその天の邪鬼な性質は大いに影響を与えたらしい。私はみんなの知らないスパゴーをカセットに落として、こいつなら分かってくれるんじゃないか、という友達に配ってはスパゴーの良さを吹聴した。

 スパゴーで反応してくれた2人の友達のことを思い浮かべながら私は妄想した。私がギターを弾いて、あいつはベース、あいつはドラムか。そうなるとボーカルはどうしようか。ボーカルがいないなー。妄想は膨らんでいったが、学歴社会における学園生活は残酷なもので、進路という壁が眼前に立ちはだかってくるのを避ける訳にはいかなかった。学歴社会では中学で高校受験をするのが当たり前なのであった。

 ロックンローラーになることに決めたはいいが、高校はどうする? ロックンローラーになるにはどうすればいいんだ? その答えは霧の中にあるような感じがした。野球の選手になることよりも道筋が不明確な気もした。中学時代に聞いていた日本のロックバンド達はしきりに「夢」とか「希望」とか「信じること」とか「個性」を、また「青春」を美しく歌っていた。私はそれらをすっかり信じながら生きていたので「ロックンローラー」になることを「夢」と描いたが、はてどうすればいいのか分からない。

 私は生真面目なところがあり、イメージ通りのツッパリハイスクールロックンロール的な不良とはかけ離れて、ネクラではないがガリ勉タイプだった。学校の勉強を愛していた訳でもないが、課題や宿題はしっかりやるし、成績も(苦手な体育以外)優秀な方だった。中学3年で塾に通い始め、そこで出された偏差値なるものに私はたぶらかされた。自分が高い偏差値を出したこととロックンローラーになりたい、ということとの間に全然整合性が見つけられなかった。

 私は思春期なりに悩んだ。両親はもちろん勉強ができる息子ということに満足していただろうし、私も鼻が高かったが、同時にロックで楽しくやっていきたい、という私の想いとソウルはその良い子ちゃんとしての私に矛盾を突きつけてくるである。その頃、山田かまちという幼くして亡くなった画家、詩人の存在を知った私は、悩める思春期の山田かまちの詩や絵画にすっかり触発されてノートに詩を書いてみたり、落書きをかきまくったりした。惚れ易いタイプだった私は当然のように初恋や女子への憧憬などでも煩悶した。

 天の邪鬼なのに前に出たがりでもあった私は学級委員をやったり応援団をやったり、周りの友達にも割合好かれたが、ロックンローラーになりたい、ということに関しては誰とも気持ちを共有することができなかった。そんな中学生の曖昧模糊な将来の夢を誰が本気にするだろうか。当然、親は鼻で笑って聞く耳を持たなかった。

 結局私は周りのほとんどの友達がそうするように高校受験をすることを決めた。が、調子のいいもので、どうせ行くならなら男女共学で、さらに軽音楽部があるということは絶対条件にしたい、とそこは超現実的にリサーチを始めることになった。偏差値主義に少なからず毒さていた私は、自分の出した偏差値を目安に共学で軽音楽部のあるところを探したところ、その条件に適う学校は1校しか見当たらなかった。

 私は一度決めるとその決意に邁進するタイプでもあった。そしてそのお目当ての高校に入る、という決意に集中した。母もその意気込みに安心したのか、受験を成功させた暁には「エレキギターを買ってあげる」という条件をだしてくれたのだ。私はひのき進学教室に通い、ひたすら頑張った。この頑張りもすべてはロックンローラーへの道なんだ、という無理筋な動機づけをし、今思い出すとパワハラ的嫌がらせの伴う過激な塾通いに耐え抜くのだった。 

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