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コトコト1週間 1話

8/18

 朝起きると見知らぬ生き物がピーと私の間に横たわっている。いや、見知らぬ生き物ではない。これは私の娘、こと子である。昨日、オヤジと車で、山形のピーの実家からピーとこと子を連れて帰ってきたのだ。

 こと子の名付け親は私である。確か30以上あったと思うが、私が挙げたあまたの候補が次々とピーに却下される中、「ことこ」は可愛いかもと言うので決まった。

 響きだけで決めたので漢字を当てるか考えたが「琴」だと意味が限定的すぎる。「言葉」「言の葉」の「こと」もあるな、とも考えたが「言子」だと変である。そこでどちらの意味も緩やかに含ませようと平仮名にすることに思いついた。

 「こと子」。いいじゃないか。思いついて平仮名の元の漢字を調べたら「己止子」となった。己を止める、というのはつまりエゴを抑える、という様にやや強引に解釈し、ワガママにならないように、という願いもトリプルで含ませて「こと子」。

 ピーがカレー好きだからコトコト煮込んで、こと子、というのも1番最後に付け足した。名前を聞かれて「こと子と言います」と紹介したらそれだけで可笑しい。

 朝メシを簡単に済ませて出勤。仕事が朝から忙しかった。太っちょのカップルが住んでいた部屋がカビと汚れが凄かったので、ツネさんとほぼ1日その部屋の整備に尽力した。

 私はタイルカーペットの張り替え。ツネさんは壁紙の張り替え。ツネさんは仕事の大先輩で、段取りが非常に上手く、私はツネさんの助手のような立場で働いているのだ。

 作業中、物凄い雨と物凄い雷に見舞われ、なかなかエキサイティングだった。整備が終わらず少し残業になったが、これはいつものことである。

 19時半に会社を出て、赤ちゃん用のボデソープを買って急いで帰宅した。急いで帰宅したのは早くこと子に会いたいからである。こんなにワクワクする仕事の帰り道は生涯初めてだと思った。

 その日の夜、私はこと子を初めて風呂に入れた。

8/19

 6時半に起きる。隣にこと子がいる。家族が増えたのである。またまだ不思議だ。可愛いな、可愛いな、と思いながら昨夜ピーが浸水させた玄米を炊く。

 炊いてる間にゴミ出しと庭の鉢の水やり、そして洗濯機を回す。庭の鉢にはミニトマト、白オクラ、春菊、枝豆などが育っている。素人菜園だからロクなもんではないが植物が伸びるのを毎日眺めるだけでも楽しいものだ。

 洗濯物を干す余裕がなかったので残りを、授乳しているピーにお願いして出勤。快晴。

 人形町の大きな物件に住んでた若い、ややワガママな女性客の苦情対応でイレギュラーの引越し業務。恒さんと20時半まで残業して何とか完了。よく汗をかいた。

 急いで帰宅しこと子の風呂。遅くなったのでベビーバスで洗ってやって済ます。晩飯は玄米リゾット。こと子とピーの就寝に合わせて寝る。

8/20

 仕事休みにつき8時半頃起床。夜中も明け方も泣けば授乳しているピーには頭が上がらない。

 こと子がオシッコで布団を汚したので天気が心配だが洗濯。朝ご飯の用意。カボチャサラダとナメタケソーメン。

 今日は久しぶりの赤い疑惑ライブで14時に家を出るので、それまでに用事を済ませようとピーとこと子と田無駅まで。ピーが散髪の間、私がこと子を預かり、内祝いの買い物など済ませる。

 初スリングで赤子を抱いたが腹巻きより温かくて気持ちい。こと子もよく寝てて私は助かった。散髪後のピーと帰宅途上ゲリラ豪雨に見舞われ、余計な傘の買い物。こと子が濡れないようにと、庇いながら帰るとバッグも靴もぐちゃぐちゃ。せっかく洗った洗濯物も濡れてしまい、急いで取り込む。

 そして、また大慌てで下北へ向かうも赤い疑惑のライブリハに遅刻。

 今日のイベントは出会って20年くらい経つ友人、DIEGOの久保君企画。彼にはずっとお世話になっている。彼のお母さんにもお世話になっている。そしていつも久保君の企画は最高である。

 昔馴染みのバンドや、大好きなSUPERDUMBも出てて始終楽しく、幸せな夜だった。

 赤い疑惑のライブも快調で沢山褒められた。Tシャツが久々に3枚も売れたので売上げをメンバーに手渡す。

 ライブが終わって、また急いで帰宅する。玄関にGが出た、というピーの悲鳴がLINEに流れた。帰宅早々G掃討作戦に乗出すも見つけ出せず、面目果たせず。

8/21

 弁当持って出勤。ピーさん得意のワッパ飯が復活。快晴。

 そば屋のそば運搬手伝い業務、閉鎖物件の閉鎖処理業務に専心。ここのところ運搬業務が続いており、やや腰に違和感あるので細心の注意を払う。

 業務の中途、ホームセンターでゴキ対策グッズを数点購入。これでゴキ出現の阻止を図りたいところだが、そう簡単に解決しないのがG問題の悩ましいところである。

 少し残業して急いで帰宅。ゴキ忌避スプレーを玄関に撒き、ブラックキャップを設置。ゴキの侵入口としてはどうも玄関が怪しいのでその辺を重点的に。

 晩飯にアサリとトマトのペペロンチーノ、カボチャサラダ、味噌汁、ぶどう。こと子を風呂にいれ、自分も風呂に。

 久しぶりにネットでCDが売れたので対応と出荷作業に着手するもこと子が泣き出し、ピーと私で代わり番こに抱っこしてあやす。最終的にはおっぱいで黙らせ就寝。出荷作業を明日に回し草臥れたので就寝。

8/22

 遅番。台風で朝から嵐。田無駅に行くまでに傘が崩壊す。防水性のトレッキングシューズと雨具という出で立ちで出勤。

 大島、錦糸町、門前仲町で作業。雨風ともに油断ならず、SNSで西武多摩湖線が崖崩れで脱線の報。防水性のトレッキングシューズもすぐに浸水して用をなさない。

 夕刻、入谷の閉鎖作業を終わらせ御苑のランドリーを清掃し帰社。雨足は大分落ち着いてきた。

 デザイナーの友人とミュージシャンの友人を私の仲介で引きあわせる、という呑みがあり、退勤後職場付近の中華で一献。私が主催だが、実は子供が戻ってきたばっかりでそろそろ、と22時頃締めてもらい帰路。

 帰ると子守に疲弊したピー。隣にはなかなか寝付かないこと子。状況を察しこと子を抱っこして散歩。北原六星会の路地をフラフラ歩きまわる。寝ついたかな、と思い部屋に戻り横に寝かすと、ふとまた起きてぐずる。折角ピーが寝ているのでまたすぐにこと子を連れ出す。

 そんなことを3、4回繰り返し、最終的にはママのおっぱいでようやく落ち着く。私も草臥れて就寝。叔父からのお祝いへのお礼を手紙で認めるつもりがズルズル後延ばしになっている。明日こそは。

8/23

 昨夜疲れてたのか9時まで爆睡。今日も遅番なので遅刻ではない。洗濯機を回しておかゆを食べる。出勤。

 本日は亀有で退室業務が2件。亀有はウチの会社でも1番遠い物件。高速を使っても1時間以上かかる。軽い旅行気分だ。

 大島で物件の漏水があり確認。お客さんのベッドが完全に濡れている。シェアハウス経営はボロい物件のリノベーションが多いので漏水なんかは頻繁に起こる。驚いていられない。

 恒さんに入谷物件の閉鎖業務確認をしてもらい、鶯谷でゴミを回収し、御苑のランドリーを掃除して帰社。本日も盛り沢山だった。

 白ごまと卵を買って帰宅。夕飯はソーメンと餃子。ピーの料理熱は子守りをしながらも健在で感心する。ピーが戻ってきてワッパ弁当も復活し大変助かっている。

 こと子を風呂に入れ、その後子守りを交代しピーを風呂へ。こと子は昨日よりは落ち着いていて、おっぱいで大人しくしてくれた。疲れ切ってまたも手紙を書けずに就寝。

8/24

 ちょっと発酵気味なカボチャサラダと義母が作った最高に美味いトウモロコシを食べて出勤。

 人形町の物件がネズミ騒動で閉鎖になるということで、閉鎖業務を兼ねた清掃。部屋の各所にネズミの糞が落ちていたので、実際頻繁に現れたのだろう。こんな部屋は貸し出せない。浴室のタイル目地に蔓延るカビが結構落ちるのでカビキラーでゴシゴシ。

 ピーのワッパ弁当を食う。ハマグリの様な焼き貝が入っていて驚いたが、後で聞いたらホンビノス貝だとのこと。聞いたことない貝だ。旨い。

 食後、蔵前で消火器交換、大島で雨漏りの原因を業者に見てもらう。漏れ部真上のバルコニーにウレタンの亀裂、サッシ周りのコーキングの亀裂などが原因では、とのこと。こんな小さな亀裂でも雨漏りの原因になる。

 退室者の対応をしてから門仲でカーテンの設置、電球交換をして帰社。こと子の守りがあるので急いで残務を済ませる。アスタでパクチーを買って帰宅。

 晩飯はアジの干物とキンピラ、キュウリの梅漬け、トマトとインゲンの鶏出汁スープ。田無駅近くの豆腐屋裏メニューで買う豆乳で作った特製プリンをデザートに。

 風呂を早めに入れてこと子と風呂に入り、ピーがおっぱいあげて私が抱いて揺らすと、今日はすんなり寝てくれた。と、思いきや、やはりその後何度かぐずり、抱き上げて胸の上でうつ伏せにさせて疲れさせたり、あの手この手でどうにか眠ってもらった。

 子どもができるとバンドどころじゃなくなると聞いていたけど、なるほど、こんな感じではなかなか自分の時間を確保するのが難しいはずである。しかし、何故か心地いい。今はとりあえずこれがいい。こと子と時間を過ごすのが楽しいのだ。
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初産奮闘記

6/28

 こと子(私とピーの第一子)の予定日6/27から1日経つがまだ置賜からの連絡はない。仕事帰りにオヤジからメシでも食いに来ないかと電話。時期が時期で特に予定を入れてなかったので気軽に応じ実家でオヤジと晩餐。オレはいつでも車で動ける様酒は飲まない。

 出産はまだなのか、などと四方山話をしてるところに置賜の父タカシから、瞳の陣痛が始まったのでこちらに向かってください、とLINEが入る。話題を無理やり遮ってオヤジにその旨を伝え、今から出ると。オヤジには勿論その経緯は事前に伝えてたのでそのまま車を借りて山形に向かう。22時頃出て深夜2:45くらいに米沢の病院に着いた。

6/29

 病院に着くと山形の母ヒロコが入院したピーに付き添ってくれていた。ピーはまだ余裕がありそうな表情だったが、実際10分置きくらいで陣痛がくるので私は心配でいたたまれない。陣痛が始まってどの位で生まれるのかという認識がボンヤリしていた私に、母ヒロコは大体明日(厳密には今日)の昼くらいだろうと予測を発してくれたのでそんなもんなんだろうと、またボンヤリ思った。

 陣痛を何度も繰り返すうちに何もしてないのはアレなので、ピーの臀部を(厳密には肛門周辺を)ボールで押す作業に乗り出す。これは先に出産立会いを経験した友人からのアドバイスだったのだが、実際ピーも痛みの軽減になるらしく続けてくれるよう頼むので、間断なくやってくる陣痛の度に私は一生懸命お尻を押した。腰をさするのもいいらしく、それをひたすら続けた。その役割を母ヒロコも時々交代してくれて手伝ってくれたがなかなか力のいる作業なので私がむしろ率先した。

 本来なら陣痛が始まって12~16時間くらいでいよいよ分娩に入るのが平均的だそうで、母ヒロコもそんな検討で昼頃、と予測したのだろう。しかし、通常陣痛と陣痛の間がどんどん短くなる経過であるはずが、ピーの陣痛の間隔はなかなか縮まらなかった。

 予測した昼を過ぎても様子は変わらない。主治医や助産師さんは陣痛の間隔が2分くらいになり、子宮口がしっかり開かなければ分娩には入れないという。ピーの子宮口はまだあまり開いてないのだという。なんだか不安な緊張感が我々を包み始めた。安産整体なども積極的にやったりしたのに、あんまり効果なかったのかな、と不安が不安を倍増させる。加えて昨晩から寝てない私と母ヒロコは付き添いだけで朦朧とし始めた。しかし1番不安で痛くて苦しいのはピーであるので付き添いもとにかく必死に言葉少なく、ひたすら陣痛が来るたびの尻押しやマッサージにあたるのみである。

 間隔はなかなか短くならなかったが痛みはどんどん強くなっていくようで、ピーの痛みに対する悲鳴もどんどん加速していき、陣痛が始まって24時間経過したあたりから、いよいよ我々は不安に包まれていった。24時間を越えたら難産、というくらいの認識はあったのでこれからどうなるのかハラハラした。主治医も助産師さん達も、まだまだですねえ、と言ったり、でもお腹の子は元気ですから、と数値を見ながら言ったりしたが、具体的なことはなかなか言わないので私は不安だけでなく医院に対する不満すらも巣食い始めてしまった。何しろ子を産まねばならぬピー自身が長引く陣痛の恐怖と痛みで戦意を喪失しかけていくのが明らかにかんじられ、ジリジリした空気が病室を満たし始めていたからだ。

6/30

 通例では子宮口が10cmくらいは開かないと分娩には入れないという。しかし6/30になって陣痛の痛み方が激しくなってきているのにピーの子宮口は3.5cmくらいまでしか開いてないらしく、それを知らされたピーはどんどん追い込まれた。私はもう眠気に苛まれて、意識は朦朧とするしピーの苦しみを見ているのも辛く、先が見えない不安の中で、キタ、というピーの陣痛の報せの度にハッと目を覚まして相変わらず尻を押したり腰をさすったりしていた。母ヒロコは時々ピーを言葉で励ますが最早疲労と眠気で疲れきっているのが分かる。それでも陣痛の間隔を測る携帯アプリで必死に記録を続けてくれた。

 このままどこまでこの終わりの見えない闘いが続くのだろうとテンパっていると、ピーの様子が変わった。陣痛の痛みを、助産師さんのアドバイスに忠実に呼吸法で克服しようと懸命になり始めたのだ。それまではマイペースに自分のやり方でやり過ごそうとしていたのだが、その呼吸法を意識的に取り入れ始めて今までより大人しくなっているようだった。私は眠気のあまりその変化に甘えてうたた寝を沢山していたような気がしたが後でピーから聞いたらあの時はとにかく必死に痛みをただ我慢していたのだそうだ。

 そうこうしている内に世が明けていったが、呼吸法の効果があるのかないのか再び陣痛ごとにピーは激しい痛みを訴えるようになり、もうムリ、とか、もうヤダ、とか、絶望的な調子が絶叫とともに吐き出されるようになると、時々は頑張れ頑張れと励ましていた私も絶望的に引っ張られてしまった。これだけ痛がってるのになかなか陣痛の間隔ぎ狭まらないし、それで、ここへくるまでは陣痛促進剤とか帝王切開とかは絶対やりたくない、と気を張っていたピーも、それらを使って楽になれるなら、と弱気な発言まで飛び出した。私も同様に促進剤や切開など避けて出産できると過信していたのに、ピーの苦しみを見ていたらそれらを全否定する勇気もなくなってしまった。

 しかし、光は決して我々を見放さなかった。朝の検診の段階で子宮口が遂に7.5cmまで広がってきた、もうあと少しだ、きっと昼頃には生まれますよ、ようやく主治医が具体的なことを言ってくれたのだ。そのセリフは疲労と不安と不満と、半ば絶望に包まれていた我々を一気に覚醒させた。終わりが見えるということがどれだけ力を与えてくれることか、我々はそれを身にしみて感じ体に残された体力と気力を振り絞った。

 絶望に包まれかけていたピーもそこから一気に前向きになった。叫んで苦しみながらもフー、フーと呼吸法を死に物狂いで続け、お腹の子と会えるその瞬間のためにとにかく頑張り続けた。その姿は私を感動させずにはおかなかった。天真爛漫だけど打たれ弱く泣き虫のピーにここまでの気力と意地と健気さがあったとは。私はその辺りから半泣きでずっとサポートを続けた。

 昼が近づき遂に分娩台に上がれるまでに子宮口が開いてくれた。先生の予測した昼頃というのは少し過ぎそうだったがあと1~2時間できっと赤ちゃんに会えるのだ、というところまできた。分娩室には1人しか付き添えないため母ヒロコは隣の控え室に残り、私だけ手術衣装に着替えさせられ分娩室に入った。

 一昨日の夜から休むことなく痛みに襲われているピーは疲労しきっているが赤ちゃんにもうすぐ会える、という希望が最後の踏ん張りをかなりパワフルなものにさせていた。陣痛のタイミングでいきむ彼女は別次元の女性に見えた。私は涙を垂らしながら付き添ったが、不謹慎にもあまりの眠気で何度か落ちそうになった。旦那さん、ご気分悪いですか?と助産師さんに言われたが、気分がわるいのではなく眠いのであった。

 14時丁度、我々の子供が生まれた。こんなにヘビーな出産になるとは私もピーも母ヒロコも予想してなかったので、その感動と達成感は並大抵のものではなかった。ことピーに関しては一生に一度か二度かの大仕事を達成したのである。あまりの苦しみのため本人も涙すら出なかった、と後で漏らしていたが、それくらいの難行だったのだ。

 新生児室に連れて行かれる前に私は赤子を抱っこさせてもらい、ピーは寝たまま赤子に乳を飲ませる儀式をした。その時のピーの安らかな表情は忘れ得ぬほど美しいものだった。
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