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扁桃炎闘病記3〜まさかの手術と退院

3日目、点滴が極端に減って一本になった。喉の視診による具合も良好で、午前の診療で医師に、もう大丈夫そうですね、予定通り土曜日退院で問題なさそうですね、と励まされて私もその気になった。昨日の時点ではステロイド剤の効き目もあるから明日の夕方くらいまで、つまり今日の夕方くらいまでの経過観察が肝要だと言っていたけど大丈夫なのかな、とチラッと心配したが、医師がそう言うなら大丈夫なんだろう、と楽観視に寄りかかることにした。職場にも経過良好で、と連絡を入れ、退院予定の翌日から出勤できる旨を伝えた。

そして外出許可も出たので午後は外出して自宅に帰った。こうなると、もう入院も退院もよく分からない状態で、私自身も困惑したが、ピーとこと子を2人きりにするのを少しでも回避できるので、有難くその状況を謳歌した。たった2日ぶりとはいえ、シャバの空気は清々しく冬の陽光は美しかった。自宅には2時間半ほど滞在したが、その間ネットフリックスで「深夜食堂」を観て泣いた。こと子は元気に這いずり回って私を楽しませた。

病院に戻って夕飯を食べてる時に、おやっ、と何だか喉の痛みがまたぶり返してるように感じた。アレだけ順調視されていたのにこの展開は私をまた戸惑わせた。同時に朝心配した、今日の夕方までの経過観察が肝要なはず、という昨日の医師の言葉を思い出し、私の不安はさらに募り始めた。ステロイドが切れてまさかのぶり返しが始まっているのでは。

その夜はぶり返した喉の痛みとその違和感による気道の異変で苦しくてまんじりともできなかった。眠りに就いたと思うと起きて、ということを繰り返し、起きるたびにどこかの病室のお婆さんの甲高い悶絶の絶叫が聞こえて心底恐ろしくなった。

翌朝、ニコニコとやってきて、どうです長尾さん、具合は、と満面の笑みでカーテンから顔をのぞかせたT医師に、痛みがぶり返してきてあまり眠れませんでした、と告白すると、T医師は血相を変えて、すぐに診ますっ、診察室に来てください、と言い放ち、本人も慌てて診察室に戻っていった。その時の医師の深刻な雰囲気だけで、私はもう絶望的な気分になり1階の診察室に暗い気持ちで降りていった。

口の中を診てすぐに、
「あー、また膿が溜まっちゃいましたね、すぐに切りましょう、ごめんなさいね」
T医師の判断は私にノーと言わせる隙を与えなかった。ごめんなさいね、というのは、昨日楽観的な判断をしちゃってごめんなさいね、ということだろうと、瞬時に推測しつつ、私は多少医師の軽率な判断を恨みがましくも思ったが、この医師の慌てようからしたら、一刻も早く膿を出さないと私のためにもならないのだ、とすぐに納得した。

「じゃあ、隣の部屋で同意書にサインしてもらいますね、ちょっといいかな」
同意書? 私は隣の部屋に移動させられ手術の同意書に名前を書かされることになった。手術には患者の同意が必要であるらしく、これから恐ろしいことが行われることへのサインであるが、あまりの展開の早さに私の頭は混乱したままだ。

サインをするとT医師は、じゃあすぐやりましょう、と言ってさっさと元の診療室に戻ってしまった。一刻も早く切って膿を出した方がよい、ということなのか、まだ朝一だし、これから通常の外来が始まるから焦っているのか分からないが、私も泣きそうな気持ちで後に続いた。

診療台に座ると年増の女性看護師が私の両側でせわしなく動き、私に薄いピンクのビニールエプロンをつけ、これを持ってください、と言い、底の浅い、歪んだ楕円のアルミの皿を、私に両の手で持たせた。オペといえばすぐ連想できるあの皿だ。私の心臓は恐ろしさのせいで一気に縮み上がりそうに思われた。

T医師が、まず局部麻酔を、と言って開かせた私の口に注射器を挿入し、ちょっと痛いですよ、と言う。私の口は押し広げられているのだから最早返答もできない。続いて針が刺さって何か注入されてるような不快な痛み。私の認識だと虫歯の治療などのように麻酔してから数分、その麻酔が効いてくるまで休憩があるはずだが、T医師は直後にまた注射針を刺した。

この時の記憶は、あまりの早業だったし、口を開けているため上を向いてるからはっきりしないが、恐らく初日に膿を出した時の注射器が挿入されたようだ。やはり痛い、痛い。T医師は、よしここだ、と言って刺した注射器を抜いたと思ったら何やら物騒な鋭機が、間髪入れずに口の中に入っていく、そして同時に信じられないような痛みが喉の辺りを襲いかかった。

私は痛みのあまり、ウグワァ〜、と声にならない呻きを挙げた。どうやら切開されたらしく、
「じゃあ、膿を吐き出してください!」
と誰かに言われたので口の中に広がった液体を、先ほど握らされたアルミの皿に吐き出した。私は痛みと血みどろの液体を前にして意識が遠のきそうだった。

T医師が、こんなに出ましたよ、と私にその血の混ざった膿の液体を確認するように促したようだったが、私は痛みのせいで動転していたし、最早そんなドロリとした液体を見る余裕などなく、無論そんな気分にもなれず一瞥して俯いた。私から皿を受け取った看護師が私を診療台から下ろして脇の中待合の席へ誘った。痛すぎて何も思考が働かない。私はまた呻いた。

看護師が、痛いですよねー、でも今がピークですから、と言って私の肩に手を差し伸べたようだった。気がつくと私は涙を流しているではないか。ホントに痛いと無意識で涙が出てくるのか。私は呆然としたまま数分の間、ただこの激痛がどうかなるのを待つしかなかったが、痛みは軽減する気配がない。が、ここにずっとこうしてる訳にはいかないし、と残りの根性で立ち上がった。医師は、切開したので、もう悪化することはないと思います、と言い私を安心させようとした。扁桃炎の菌は切開して空気に接触すると壊滅するらしい。

私の頭は回らないが、後は病室に戻って静養すればいいらしかった。痛さで自然と腰が曲がり、フラつきながらエレベーターに乗り病室に戻ってベッドに座った。一体何だったんだ、こんなに辛いのは十数年前に手術で脛を切った時以来だ、と思った。切った喉の奥の辺りに傷跡からの血や痰などが絡まっているような感じで、オエっと一気に吐き出したいが、痛くてそれもできない。気持ち悪いので何度も洗面台に行き、口に溜まってしまう何やら液体を吐き出した。

1、2時間するとようやく意識がまともになってきてスマホを観られるくらいになった。そしてまた抗生剤の点滴が始まって情けないことだが何となく安心した。痛みも徐々にではあるが減退してきてるようで、唾を飲み込むのも痛み方が傷に染みる痛みで、今までの引っかかるような強烈な痛みではなくなっている。私はようやく、これで良くなるのかもしれない、と希望の光を掴んだ。

しかし、昨晩からの喉の悪化、そして今朝の手術という流れで、私は退院予定の翌日と翌々日、つまり明後日と先明後日も朝、通院して点滴を受けに来るよう約束させられた。その為、明後日からの仕事復帰が難しくなったために、また職場に連絡しなければならなくなった。2日前に、経過良好につき、などという威勢の良い連絡を入れたばかりなので何だか気まずかったが、職場からは無理せず休んでください、と温かい返事。心苦しいことであるが、電通のようなブラック企業じゃなくてよかったと安堵した。

心配してこと子を抱いて午後やってきたピーとは、1階のロビーで面会した。病室だと文句を言われるからだが、何とも言えず切ない感じだ。点滴も効いたのか少し元気になってきた私はこと子を持ち上げて可愛がった。売店でプリンを買って2人で食べた。売店の脇の2列に並んだ長椅子の端に腰掛けて、同じように周囲に腰掛けた病人やお年寄りの中で密やかに小1時間をそうやって過ごした。

夕方、T医師がやってきて術後の経過を見たいので、とまた私を診察室に呼び出した。医師はその後膿が出てないかの確認ということでまた患部に針を刺した。膿は殆どなくなり、よくなっているという。患部に針を刺すのは一瞬で切開に比べれば何でもないが、もう痛いのは懲り懲りである。

結局、翌朝も患部に針を刺し、膿が出なくなっているのを確認すると私は晴れて退院の身となった。翌日、翌々日の通院と点滴を済ますと一週間分の飲み薬で私は驚く程に回復した。健康って何て素晴らしいことなんだろう、と私は初心に帰った。

その後職場で2人の同僚から、実は自分もほぼ同じ時期に扁桃炎やっちゃって、という話しを聞いた。2人とも通院と飲み薬で改善したという。さらに、保険のニッセイの担当女性から、私の弟が長尾さんが入院したのと同じ時期に扁桃腺に膿が溜まって同じ病院に通院していた、という話しを聞かされて驚いた。扁桃炎が、余程数奇な病気であって、それに罹患した自分の身体は何やら相当ヤバい状態なのかな、と悲観的になっていた私は、それらの話しを聞いてただ何となくよかったな、と思った。完
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扁桃炎闘病記2〜点滴による急回復

耳鼻咽喉科の医師による紹介状を受け取った私は、そのままの足で500mほど離れたN総合病院へ向かった。ここは私が幼い時に何度も通った病院で、建物は古ぼけていて、私の母がある時期ここの医師に不信を抱き、それ以来市内にもう1つあるS総合病院を利用するようになったため、私自身もN総合病院はあまり対応がよくないイメージだった。

しかし、もはやあれから20年ほど私は田無の総合病院の世話になっておらず、特にその病院に対する不信感なんかも忘却してしまっている。病院の気質も変わったかもしれない。今はもうこの喉の苦しみを解放してくれるならどんな病院でもいい。

入口を潜ると、見覚えのある景色が広がる。自動ドアが開くと、左手前を受付にして真っ直ぐに廊下が50mほど伸びてその左右に内科、外科、耳鼻咽喉科、小児科、消化器科、整形外科など外来が並んでおり、廊下中央と脇にズラーッと並べられた椅子にはむせ返る程の病人が座っている。こんな風に混み合った外来の様子自体が数十年前の光景と全く同じで、私はいささか困惑した。あまりにも不慣れなところに来た気がした。

受付に紹介状を見せる。チラっと隣の受付で慌ただしく接客を行なっているぽっちゃりした女子に目を奪われる。この顔、何処かで見たことがある、っつうか、絶対中学時代の同級生だ。そこまでは分かるのに名前すら出てこない。ただその澄んだような瞳が印象的で容貌を覚えているものの名前が分からない。

私は恥ずかしいので彼女に気づかれないように紹介状を受諾してもらい、そして耳鼻科の前で待つように言われた。入院患者枠は特別なのだろうか、大して待たされることなく私の名が呼ばれ、新たにN総合病院の担当医師となるT医師が、先ほどの耳鼻咽喉科の医師を更に上回るほどの爽やかな表情で私を迎え、先ほどと同じように鼻カメラチェックと、直接口を開かせて私の喉を検査した。

既に注射器による膿の吸い出しを終えた後だったので、
「とりあえず今日は点滴で様子を見ましょう。それで、もしまた明日以降必要であれば吸い出し、酷い時はちょっと切って膿を出しましょう。今日はもう嫌ですよね。注射、痛いですからね、アレ」
と爽やかにT医師が言ってのけた。私の苦しみを気遣ってくれるのは有難いが、最悪切開が必要なのか。私はやや暗澹たる気持ちになった。

診療はそれだけで終わり、私は入院患者として必要なレントゲン撮影、心電図、血液検査などもろもろの検査を受けて回り、昼を過ぎてようやく病棟に案内された。

病棟も病室も想像以上にボロく、また、私が入院した3階フロアにはほとんど末期を匂わせるご老人しかいない。何だか情けない気持ちになったが、入院病棟なんていうのはこんなもんだろう、とも思えたし、これまでの数えるばかりの入院体験でも似たような環境に置かれた気がしてきた。とはいえ、廊下を歩く度に、周囲の部屋の入口から自然と眼に入ってくる、干物のように痩せてしまい、苦渋の表情を浮かべて寝たきりになっている婆さんの姿などを眺めて、何だか凄いとこに来てしまったな、という感慨を払拭できないでいた。

すぐに、点滴が始まった。まだ8度代の熱があり、昨晩からろくにモノを口にしてないので点滴が有難い。しかし、これでもか、と生理食塩水やら抗生剤やらを含む何本もの液体を点滴投与され、少し不安になる。一体私の喉は治るのだろうか。

まだ頭がボーっとして横になると直ぐに寝てしまう。気がつくと連絡しておいたピーの声がしてこと子を抱えて姿を現した。着替えやら必要なものをたくさん持って来てくれている。インフルエンザが流行っているので乳幼児の面会はNGと聞いていたが、あっさり通過して入って来ている。私は念のため乳幼児はNGらしいんだけど、と伝えたがナースステーションの人にオーケーをもらったらしくもうよく分からない。

ピーにこれまでの治療の経緯や、大体5日目安の入院になりそうなこと、などを話す。さっきまで話すのもシンドかったのに話せるようになってる自分にも驚く。程なくして連絡しておいた父もやってくる。いきなり私のベッドが賑やかになった。

父は、自分も幼い頃扁桃腺をよく痛めて何度も病院に通ったこと、そして最終的に扁桃腺を切除し、それから以降は何ともなくなった、という昔話を披露した。私はそんな事は初耳だったので驚いた。昔は扁桃腺を切るのが普通で、今はそんな乱暴なことは容易にしない、という話しは何となく聞いたことがあったが、まさか父が扁桃腺を切っていたなんてことは露も知らなかった。

ピーと父が帰ってまた1人になったが抗生剤が効いているのか、喉の痛みがほとんどなくなってしまい、熱も下がってしまった。私は病院の治験に驚き、これならもう明日退院でもいいじゃないか、くらいに思った。

晩の病院食が何の苦痛もなく食べられて私は神に感謝した。思わず完食した膳に向かって手を合わせた。何でもないようなことが、幸せだったと思う〜、ザ・虎舞竜の曲が脳内で再生されるようだった。

その夜私は、やはりまだ身体が疲れ切っていたのだろう、消灯と同時に直ぐに眠りについたが、老人ばかりの病棟であるせいか、病室内がやたら暑苦しく感じられ、眠るたびに大量の汗をかいて頻繁に目を覚ました。ピーが沢山持って来てくれた着替えも底をつき、このままだと風邪を引いてしまうので、仕方なく汗だくのシャツを、洗面所に併設されたランドリーの乾燥機にかけて乾かしては着替え、また底をついては乾燥機にかけて、と夜中に病棟内をウロウロした。

翌日も体調はよく、病院食も問題なく食べられるし、思ったよりも楽勝なんじゃないか、と思わせた。T医師も、うん、経過良好ですね、このまま順調に行くんじゃないですか、と楽観的なことを言ってくれる。
「ただ、昨日から点滴してるステロイド剤はかなり強力なクスリなので明日の夕方くらいまで慎重に経過を見ましょう。ステロイドが切れてぶり返すことがありますから」
楽観的な一言の後にそう釘を刺した。

2日目もいろいろの点滴をしたが、本を読んだりスマホをいじったり、特段退屈しない。

午後、ピーがこと子を連れて面会に来た。しばらくお喋りしてたらこと子が泣き出して、何だか気まずいのでピーが帰り支度を始めてたら看護師がやってきて、乳幼児の面会はNGなんです、と怒られてしまった。昨日はスルーされてたはずなのに、うーむ、この問題はグレーゾーンなのだな、と思った。

表面的には院内でインフルエンザの感染が激しいので乳幼児の出入りを禁じているのだが、もしかしたら子どもの泣き声問題なんかも絡んでるのではないか。余計な詮索をしても仕方ない。明日からはまた別の対策を考えよう。

夕飯時に今度は父が慌ただしくやってきて、秩父に行ってきたのだか何だかで土産を乱暴に置いて帰った。ビニール袋の中にカブの千枚漬けとプリンが3つ入っていたが、そのうちの1つはカラメルが溢れ出していて大変なことになっていた。私のベッドには冷蔵庫など無いことにも気づかなかったらしく、仕方ないので窓の外にそっと土産袋をしまった。

その日の夜は21時の消灯後も全く眠れず、音楽を聴いたり、手元灯で内田百間の「第1阿房列車」を読んだりしたが眼が冴えてしまう。消灯前から隣のオジさんのベッドから漏れるテレビ音が気になっていたが、消灯後もずっと漏れている。どうやらイヤホンの音が爆音で漏れているような感じである。

私はテレビが嫌いで5年ほど前に捨ててしまって以来見てないので、恐らくテレビ音の不快については人一倍敏感である。特にバラエティ番組の騒音がイヤホン越しにシャリシャリ伝わってくるような事態はことさら質が悪いではないか。眠れない私は追い詰められた。

24時頃になってもまだ漏れている。その癖イビキも漏れてくるのを確認した私は、彼がもはやテレビなど見ていないのに、電源を落とし忘れて寝落ちしてしまってることを確信し、遂にナースステーションに泣きついた。看護師の姉さんは、ありがとうございます、と私に礼を言い、すぐに私の病室まで駆けつけてくれ、隣の男性に、これ消しますよ〜、と声がけしてさっさと消してくれた。もっと早く、消灯直後に申し出ればよかったな、などと思いながら、ネットで調べた安眠のツボを3つ試したら、バカみたいにあっさり眠ってしまった。つづく

扁桃炎闘病記1〜喉が痛い!まさかの入院!

1月9日、数日前より違和感があった右喉の痛みが一昨日あたりから激痛に変わり、唾を飲み込むのも痛くなった。一昨晩はそのせいで気道にも異変があるのか夜中何度も起きてしまったし、昨晩も同じく1時間毎に目が覚めてしまい苦しい夜を過ごした。

今日は仕事で、朝は幸い賄いの蕎麦だったので何とか食べられたが味がいつもと違って美味しく感じられなかった。勤務中から次第に声を出すのが困難になり出し、昼はパンを食べようとしたが喉の痛みはピークに達してきたようで口を開けるのも咀嚼も苦痛でしかない。買ってしまったモノだから無理矢理食べたが、味わうなどという贅沢な感覚は抱けず、泣きそうになりながら半端に咀嚼した固体を激痛を堪えて嚥み下すしかなかった。そして次第に痛みは右耳にまで達し始めた。

こんな日に限って仕事のスケジュールはハードで11時間くらい働いてクタクタになって帰宅。熱を測ると38.5度。ピーさんが用意してくれたお粥を口に運ぶものの結局それすらも苦痛でほんの数口で辞めてしまった。飲み物も飲めない、唾も飲めない、幸い明日から2連休なので明日の朝一で病院に行くと決意。風呂には入らず、ピーが風呂に入る間の子守りを余力で踏ん張るも、マスク姿で熱持ちの父ちゃんは嫌なのだろう、抱っこし続けてもずっと泣かれてしまう。

耳まで痛くなってしまったので、今度は横になるのも工夫が必要になった。私は普段腰痛の関係で枕を使わないで寝ているのだが、この喉と耳の痛みのせいで枕なしだとどうしても横になると苦しい。部屋にあった薄めの座布団を2つに折って右側を下にすると何とか横になれた。

日中から唾も飲み込めなくなっていて、唾が口に溜まるたびに何とかして吐き出していたのだが、そんなことでは眠れないのでバケツを枕元に置いて横になってみた。身体は草臥れているので眠ったが、やはり何度も起きては唾を吐いたりした。喉から耳にかけての違和感が尋常でなく、痰も絡んでいるような気持ち悪さが振り切れないのだが、痰をオエっと出すのも相当な痛みを覚悟する必要があるし、実際やろうとしても痛さでうまくいかない。

うつらうつらして、眠ったとおもったら呼吸が苦しくて目覚めて唾を吐き出し、時計を見て、まだ1時間しか経ってないのかよジーザス、とそういうことを繰り返して朝を迎えた。

熱は変わらず38度代を維持しておりボーっとしている。ピーさんが用意してくれたカリンの蜂蜜湯を痛みを堪えて少しずつ飲む。もちろん朝食は摂らずインタネットで予約した近所の耳鼻咽喉科に向かう。

実は2日前にこの喉の激痛は単純な風邪ではないかもしれない、と密かに思い始めていた。昨年の夏に、主に子供か、余程免疫力の低下した大人じゃないと感染しないという溶連菌、というウィルスにかかった時も似たような喉の激痛と39度代の高熱が出た。高熱が出るのが溶連菌の特徴なので、今回の場合は何だか違うような気がしていた。

何だろうと思いを馳せていた時、昨年同い年の同僚が扁桃炎という病気にかかり、飲食ができなくなって会社を休んだことがあったことに思い至った。扁桃炎じゃないか、他に喉の痛み系の病名を知らないのもあって私はそういう風に決めていて、溶連菌の時に親切にしてくれた保谷の内科に受診しようと思っていた。

しかし、昨日私のツイートを見た友人から、喉だけじゃなく耳まで痛いなら咽頭炎の可能性もありますから耳鼻咽喉科がいいですよ、とアドバイスをもらった。それで調べてみると確かに咽頭炎というのも疑わしいし、そもそも扁桃炎でも耳鼻咽喉科で対応してくれることが分かり、急遽田無の、行ったことはないが評判の悪くなさそうな、割りかし新し目の耳鼻咽喉科を予約したのだった。

ネットで予約したのでおよその待ち時間も把握でき、家を出るのも待ち状況を見ながらでよいので、受付をしてから程なくして診察してもらえた。

私より幾分若そうな、そして対応も嫌味のない医師で、私が書いた問診を見て、すぐにある程度予想がついたらしく、とりあえず口の中を覗き込んだ。
「これは扁桃炎が悪化してますね。扁桃炎には段階があって薬だけで治せる段階もあるのですが」
私の予想は外れてなかった。病名がついて何だか少し安心した。医師が続けた。
「扁桃炎が悪化すると扁桃腺の周囲までが腫れてきます。で、さらに悪化すると腫れている部分に膿が溜まっちゃうんですよ。長尾さんの場合、そこまで来てます」
私は安心したのも束の間、ことの深刻さに目の前が暗くなるようだった。
「これがさらに悪化すると気道を圧迫して呼吸困難に陥ります。可哀想ですが入院を強くお薦めします。」
おぉぉ、マジですか、まさかの入院宣告。医師がちょっと気道を見させてください、と俄かに細くて節のついた鼻カメラというのを、私の断りを得て鼻に押し込んでいった。違和感はあるが大して痛くもない。
「このモニターでカメラの映像を確認できるので是非ご覧ください」
というのでモニターに目を向けると私の鼻毛が極太にウジャウジャと、しかもハナクソを絡みつかせて投影され、大変見苦しい。鼻のテッペンまで行って折り返して、もうよくわからない肉の襞の連続である。そのうちに、コレが喉ボトケです、とM字の粘膜が写し出されたがM字の片方の山が明らかにだらしなく垂れ下がっている。それが膿で腫れた箇所らしく、応急処置として、そこに注射針を刺してできるだけ膿を摘出します、と恐ろしいことを言われる。

私は多少臆したが、この苦しみから少しでも早く解放されるのであればと容認。霧状の麻酔を口腔内に吹きつけられて、イキマスヨ、という医師の掛け声と共に針の刺さる痛みを覚えるがのたうち回る程ではない。刺した注射器を医師がそっと引っ張り何やら吸い出してる感覚が伝わる。これはなかなか痛い。はい、と言って引き抜いた医師が見せてくれた注射器にはドロっとして黄味がかった白い液体が溜まっていた。

どうですか、多少違いますか、と医師に尋ねられ、唾を飲み込んで見ると幾分引っかかりが緩和された気がする。それでもまだ膿は大分残ってるようで、後は入院先の医師にお任せする、ともう私の役割は終わったかのようなことを言う。残った膿は入院先で同様に針で摘出するか、ことによると切開で一気に取り出す必要があるかもしれない、とまた私を脅かし、では紹介状を書きますから、受付で待っててください、と締めくくった。

私は待合いに座り、もうすっかり入院することに観念していた。入院はしたくないです、などと抵抗する余地は幾らでもありそうではあった。しかし私自身がこの苦しみに相当に参っていたし、呼吸困難なる物騒なワードをちらつかされたら、いくら自然治癒力を標榜する私でもビビってしまった。入院となれば仕事を休まねばならなくなることとピーさんに迷惑かけることを、一瞬不安に思わないでもなかったが、事情を伝えればなんとかなるだろう、と大人しく医師の言葉に、はい、と首をうなだれるしか仕方がなかったのだ。つづく
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