代行運転
夕方父から電話が入る。私は外回りの仕事なのでプライベートの電話がかかってきても、比較的対応することができる。父の電話の用件は、「要らないと言ったけど、やはり車の代行を頼む」であった。
数週間前から車の代行を私に頼みたい旨の連絡があり、私は当日仕事だから遅くなるので断っていた。その代わりに姉が代行を引き受けたらしく、話はまとまったものと思われたが、姉が、「やっぱりできない」ことになったらしく、当日になって父はまた私に、遅くなっても構わないので、と電話してきたのだった。
父が代行運転を頼む時は、事情が毎度ほぼ同じで、父が顧問を務めるバラライカ楽団のコンサート本番の日である。コンサートが終われば楽しい打ち上げが待っているわけだが、楽団の機材庫と化した私の実家、つまり父の自宅から、毎度父が運転して楽団の機材を会場に運び込むことになっており、となると帰り父は酒を飲めないことになる。
飲兵衛の父にとって、打ち上げで酒が飲めないのは、コンサートに繰り出すモチベーションも楽しみも半減してしまうようなので、その事情を知っていて、尚且つたまに経済的支援、といってもいい歳して定期的な小遣いを貰ってるわけではないが、こと子のことやら何かと支援を受けている立場の私は、そんな父のお願いは断りづらい。
当日になって、やはり代行を頼む、とSOSを投げてきた父に、私は不承不承、遅くなってもいいなら、しょうがない、やりますよ、と答えて電話を切った。不承不承答えるのは父に恩を着せるためなのか、私がただ単に面倒くさいからなのか、自分でもよく分からないが、そのどちらもあるような気がした。
私が社用のハイエースで現場から帰社し、残務処理をしている間も、父から、今コンサートが終わって、とか、東新宿駅のイタ飯屋に入った、とか細かく電話が入るので閉口して適当に受け応えをしていた。
コンサートの会場は新宿文化センターで、私は以前にも1度代行で現地に赴いていたので何となく場所の検討はついていたのだが、それが東新宿駅から目と鼻であることには今回の件で初めて気づいた。東新宿駅なら職場から至近にある新宿西口駅から1駅分である。不承不承引き受けたものの、大した労ではないな、と考えながら大江戸線に乗ろうとしたところでまた父から着信があったが、どうせ、今どこだ、とか、まだか、などと私を急かせる連絡に違いないと推察し、わざわざ出るのをよした。もうあと10分もしないうちに着くのだから。
東新宿の駅を出て、言われた通りA3出口からエスカレーターで地上に上がってゆくと、上がったすぐ右手にそれらしい洋食屋があった。これかな、とガラス張りの店内を観察すると、それらしい団体は見当たらない。いつもなら20名前後の楽団員が集合して、やんや、と楽しそうに酒を飲んでいることになっていて、そんな集団はいないし、5、6人の団体がいたが違うよな、とその席から焦点を外そうとした時、その団体の、こちらから一等手前に座っている人物だけがこうべを垂れて眠っているらしいのに気づき、もしや、としゃがんでもう1度よく見ると、おお、オヤジじゃないか、もう潰れてるのかぁ…。
私は颯爽とイタ飯屋に入っていき、店の奥のその団体の席にグングンと近づいていった。「お待たせしましたっ!」と声をかけると、眠ったまま気づかない父以外のみんなが一斉にこちらを振り向いて、ああ、ハルさん、来た来た、と口々に騒いだ。打ち上げ途中で出来上がって就寝してしまった父を持て余していたのか、迎えにきた私は必要以上に歓迎されてしまった。
父は私が着いたことも、まわりのメンバーが私の到着を賑やかに歓迎したことにも気づかずこうべを垂れたままだ。何だかすいませんね、と私が代行運転のためにやってきたことを労って皆さんが口々に礼を言うので、私は、今日は何時から、と逆に聞き返すと、17時からです、とAさんが教えてくれた。なるほど、飲み始めてもう2時間半が経過している。帰った人もいるのか、始めはもっと参加者がいたのかもしれない。それにしても最近の父は飲み始めてから潰れるまでが早いのだ。人と飲む場合はより酒が進むのか、その加速度が増す。
私の挨拶が済むとメンバーが口々に、長尾さん、長尾さん、息子さんがいらっしゃいましたよ、と父に呼びかけてくれ、私は父の身体を叩く。すると目覚めた父が、ここはどこだ、と言わんばかりに焦点定まらぬ目つきで周りを見回す。そして私の顔を認識してきまり悪そうに微笑み、来たか、と感心している。私もきまりが悪いので父のバッグを持ち、行くよ、と声をかけるが、反応して立ち上がった父の足もとが怪しい。
テーブルを囲んでいたのは父を含めた男性3名と女性3名であったが、顔見知りの女性2人がすかさず立ち上がり、父を両脇から支えてくれる。本来なら私が率先して介抱するべきである気がするが、2人の優しさに甘えて私は歩き出す。
店を出て車が置いてある新宿文化センターの駐車場に向かう。私が歩く後ろを2人の女性に声をかけられガイドされながら父が千鳥足でついてくる。見事な千鳥足である。踏み出す足が交互に右に行ったり左に行ったりして、楽しそうである。面倒見る側は大変だが、酒に弱く、この程度までに酔えない私からすると何だか羨ましいようでもある。
Aさんが私を気づかってか、
「長尾さん、こんなんで同居は無理よ、絶対無理よぉ」
と私にも父にも聞こえるように言っている。これは私が娘を持つにあたり軽率に計画した同居プランがあっさり破綻した経緯を、Aさんが何かの拍子で知ったらしく、というよりバラライカ楽団の荷物を実家に置いている関係からか楽団メンバーは長尾家の事情をいろいろ知っているようで、その同居破綻の悲劇を少し軽妙な口吻のジョークとして言ってくれているのだろう。私は嬉しくなって、そうですかね、やっぱり無理ですよね〜、とAさんに相槌すると、
「無理よ。長尾さん、他人だからいいけど、家族だったら大変だろうなあ、と思うもん。推測だけどねぇ」
私は感心して聞いていた。AさんもBさんも、そんなことを言い合って笑いながら父を支えて歩いている。父は聞こえてるのか聞こえてないのか分からないが、半分寝たままフラフラしてて、実に愉快そうである。
「この先のエレベーターを上がれば新宿文化センターです。」
と、2人に教えてもらい、私は、ここまでで大丈夫です、と礼を告げた。半分夢見心地の父は2人の女性に挨拶しつつ抱擁、というか別れのハグをしている。私は父のこういう振る舞いはあまり目にしないが、酔った末にこうなることは想像に難しくない。父は愛の人である。Aさんが「長尾さんから愛を貰いましたので大丈夫ですから〜」と笑いながら上手に対応してくれている。優しい人達だ、と私はまた感心しながら自分も頭を下げて別れ、ベロベロの父を促してまた歩き始める。
新宿文化センターの駐車場入口に警備員がいて、千鳥足の父が進行方向に躊躇した私を追い抜いてその警備員に向かって右手を右のこめかみに掲げ、ご苦労様と言わんばかりに一瞬立ち止まって敬礼。そのまま千鳥足で駐車場へと通じる坂を下りていくのを、警備員が呼び止める。大丈夫ですか、と大きな声を出すので、代行で運転しますから、と後から警備員の脇を通る私が言うと、警備員も、ああ、そうでしたか、とまたオーバーに笑って安堵したようだった。
車に乗り助手席ですぐまた眠りについた父か、新宿を青梅街道から中野に抜ける辺りで急に目を覚まし、
「おい、ここはどこだ?」
と乱暴に聞くので、
「中野坂上!」
と私も乱暴に答えた。
「お前の会社はこの辺か?」
とこれも今日3回目くらいの質問なので
「違う、新宿西口!」
とまた乱暴に答えた。
南阿佐ヶ谷を通過するあたりと家に到着する寸前の中学校の前の路で、突然隣で寝てたはずの父が私の肩に手を伸ばしてきたので気味が悪くて条件的に振りほどいた。さっき女性とハグしたノリで変な夢でも見てるのかもしれない。
マンションに到着し、私のお役も御免になるかと思いきや、父が、楽器だけは下ろしとかないと、と呟き、千鳥足で荷台に向かう。荷台にはバスバラライカ、コントラバスバラライカ、バスドラムなどそれなりにデカい荷が積んであり、流石に私も見ていられず、デカいバラライカ2つを率先して運び、父はその千鳥足でバスドラムとボストンバッグかなんかを運んでいた。
車の鍵を戻して父に、じゃあ、と言って別れるともう21時近くになっていて、しかし、この実家から私のアパートまでの足はなく、30分弱くらいは歩かねばならない。私は早く帰宅してピーと晩御飯を食べてこと子を風呂に入れなければならないのだ。私はさっき車で来たのと反対方向に、母校である中学校沿いの薄暗い道を歩き出した。
数週間前から車の代行を私に頼みたい旨の連絡があり、私は当日仕事だから遅くなるので断っていた。その代わりに姉が代行を引き受けたらしく、話はまとまったものと思われたが、姉が、「やっぱりできない」ことになったらしく、当日になって父はまた私に、遅くなっても構わないので、と電話してきたのだった。
父が代行運転を頼む時は、事情が毎度ほぼ同じで、父が顧問を務めるバラライカ楽団のコンサート本番の日である。コンサートが終われば楽しい打ち上げが待っているわけだが、楽団の機材庫と化した私の実家、つまり父の自宅から、毎度父が運転して楽団の機材を会場に運び込むことになっており、となると帰り父は酒を飲めないことになる。
飲兵衛の父にとって、打ち上げで酒が飲めないのは、コンサートに繰り出すモチベーションも楽しみも半減してしまうようなので、その事情を知っていて、尚且つたまに経済的支援、といってもいい歳して定期的な小遣いを貰ってるわけではないが、こと子のことやら何かと支援を受けている立場の私は、そんな父のお願いは断りづらい。
当日になって、やはり代行を頼む、とSOSを投げてきた父に、私は不承不承、遅くなってもいいなら、しょうがない、やりますよ、と答えて電話を切った。不承不承答えるのは父に恩を着せるためなのか、私がただ単に面倒くさいからなのか、自分でもよく分からないが、そのどちらもあるような気がした。
私が社用のハイエースで現場から帰社し、残務処理をしている間も、父から、今コンサートが終わって、とか、東新宿駅のイタ飯屋に入った、とか細かく電話が入るので閉口して適当に受け応えをしていた。
コンサートの会場は新宿文化センターで、私は以前にも1度代行で現地に赴いていたので何となく場所の検討はついていたのだが、それが東新宿駅から目と鼻であることには今回の件で初めて気づいた。東新宿駅なら職場から至近にある新宿西口駅から1駅分である。不承不承引き受けたものの、大した労ではないな、と考えながら大江戸線に乗ろうとしたところでまた父から着信があったが、どうせ、今どこだ、とか、まだか、などと私を急かせる連絡に違いないと推察し、わざわざ出るのをよした。もうあと10分もしないうちに着くのだから。
東新宿の駅を出て、言われた通りA3出口からエスカレーターで地上に上がってゆくと、上がったすぐ右手にそれらしい洋食屋があった。これかな、とガラス張りの店内を観察すると、それらしい団体は見当たらない。いつもなら20名前後の楽団員が集合して、やんや、と楽しそうに酒を飲んでいることになっていて、そんな集団はいないし、5、6人の団体がいたが違うよな、とその席から焦点を外そうとした時、その団体の、こちらから一等手前に座っている人物だけがこうべを垂れて眠っているらしいのに気づき、もしや、としゃがんでもう1度よく見ると、おお、オヤジじゃないか、もう潰れてるのかぁ…。
私は颯爽とイタ飯屋に入っていき、店の奥のその団体の席にグングンと近づいていった。「お待たせしましたっ!」と声をかけると、眠ったまま気づかない父以外のみんなが一斉にこちらを振り向いて、ああ、ハルさん、来た来た、と口々に騒いだ。打ち上げ途中で出来上がって就寝してしまった父を持て余していたのか、迎えにきた私は必要以上に歓迎されてしまった。
父は私が着いたことも、まわりのメンバーが私の到着を賑やかに歓迎したことにも気づかずこうべを垂れたままだ。何だかすいませんね、と私が代行運転のためにやってきたことを労って皆さんが口々に礼を言うので、私は、今日は何時から、と逆に聞き返すと、17時からです、とAさんが教えてくれた。なるほど、飲み始めてもう2時間半が経過している。帰った人もいるのか、始めはもっと参加者がいたのかもしれない。それにしても最近の父は飲み始めてから潰れるまでが早いのだ。人と飲む場合はより酒が進むのか、その加速度が増す。
私の挨拶が済むとメンバーが口々に、長尾さん、長尾さん、息子さんがいらっしゃいましたよ、と父に呼びかけてくれ、私は父の身体を叩く。すると目覚めた父が、ここはどこだ、と言わんばかりに焦点定まらぬ目つきで周りを見回す。そして私の顔を認識してきまり悪そうに微笑み、来たか、と感心している。私もきまりが悪いので父のバッグを持ち、行くよ、と声をかけるが、反応して立ち上がった父の足もとが怪しい。
テーブルを囲んでいたのは父を含めた男性3名と女性3名であったが、顔見知りの女性2人がすかさず立ち上がり、父を両脇から支えてくれる。本来なら私が率先して介抱するべきである気がするが、2人の優しさに甘えて私は歩き出す。
店を出て車が置いてある新宿文化センターの駐車場に向かう。私が歩く後ろを2人の女性に声をかけられガイドされながら父が千鳥足でついてくる。見事な千鳥足である。踏み出す足が交互に右に行ったり左に行ったりして、楽しそうである。面倒見る側は大変だが、酒に弱く、この程度までに酔えない私からすると何だか羨ましいようでもある。
Aさんが私を気づかってか、
「長尾さん、こんなんで同居は無理よ、絶対無理よぉ」
と私にも父にも聞こえるように言っている。これは私が娘を持つにあたり軽率に計画した同居プランがあっさり破綻した経緯を、Aさんが何かの拍子で知ったらしく、というよりバラライカ楽団の荷物を実家に置いている関係からか楽団メンバーは長尾家の事情をいろいろ知っているようで、その同居破綻の悲劇を少し軽妙な口吻のジョークとして言ってくれているのだろう。私は嬉しくなって、そうですかね、やっぱり無理ですよね〜、とAさんに相槌すると、
「無理よ。長尾さん、他人だからいいけど、家族だったら大変だろうなあ、と思うもん。推測だけどねぇ」
私は感心して聞いていた。AさんもBさんも、そんなことを言い合って笑いながら父を支えて歩いている。父は聞こえてるのか聞こえてないのか分からないが、半分寝たままフラフラしてて、実に愉快そうである。
「この先のエレベーターを上がれば新宿文化センターです。」
と、2人に教えてもらい、私は、ここまでで大丈夫です、と礼を告げた。半分夢見心地の父は2人の女性に挨拶しつつ抱擁、というか別れのハグをしている。私は父のこういう振る舞いはあまり目にしないが、酔った末にこうなることは想像に難しくない。父は愛の人である。Aさんが「長尾さんから愛を貰いましたので大丈夫ですから〜」と笑いながら上手に対応してくれている。優しい人達だ、と私はまた感心しながら自分も頭を下げて別れ、ベロベロの父を促してまた歩き始める。
新宿文化センターの駐車場入口に警備員がいて、千鳥足の父が進行方向に躊躇した私を追い抜いてその警備員に向かって右手を右のこめかみに掲げ、ご苦労様と言わんばかりに一瞬立ち止まって敬礼。そのまま千鳥足で駐車場へと通じる坂を下りていくのを、警備員が呼び止める。大丈夫ですか、と大きな声を出すので、代行で運転しますから、と後から警備員の脇を通る私が言うと、警備員も、ああ、そうでしたか、とまたオーバーに笑って安堵したようだった。
車に乗り助手席ですぐまた眠りについた父か、新宿を青梅街道から中野に抜ける辺りで急に目を覚まし、
「おい、ここはどこだ?」
と乱暴に聞くので、
「中野坂上!」
と私も乱暴に答えた。
「お前の会社はこの辺か?」
とこれも今日3回目くらいの質問なので
「違う、新宿西口!」
とまた乱暴に答えた。
南阿佐ヶ谷を通過するあたりと家に到着する寸前の中学校の前の路で、突然隣で寝てたはずの父が私の肩に手を伸ばしてきたので気味が悪くて条件的に振りほどいた。さっき女性とハグしたノリで変な夢でも見てるのかもしれない。
マンションに到着し、私のお役も御免になるかと思いきや、父が、楽器だけは下ろしとかないと、と呟き、千鳥足で荷台に向かう。荷台にはバスバラライカ、コントラバスバラライカ、バスドラムなどそれなりにデカい荷が積んであり、流石に私も見ていられず、デカいバラライカ2つを率先して運び、父はその千鳥足でバスドラムとボストンバッグかなんかを運んでいた。
車の鍵を戻して父に、じゃあ、と言って別れるともう21時近くになっていて、しかし、この実家から私のアパートまでの足はなく、30分弱くらいは歩かねばならない。私は早く帰宅してピーと晩御飯を食べてこと子を風呂に入れなければならないのだ。私はさっき車で来たのと反対方向に、母校である中学校沿いの薄暗い道を歩き出した。
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