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アクセルの意気地記 第11話 ペッタンペッタン

こと子の成長を詳らかに記録するつもりでいたが、詳らかにするにはヒマが足りなく、またそれに伴う気力も持続するのが困難で、こと子も遂にこんなことができるようになった、などの発見は次から次へと更新されていき、どうしよう、どうしよう、と思っているうちに忘れていったり過ぎ去ったり。保育園の連絡帳のように毎日記録するくらいでないと、とっても間に合わない。

保育園といえば…こと子を預けているのは小規模保育の保育室というカテゴリーなので保育室と呼ぶが、その保育室が今年の3月をもって閉鎖されてしまうことになった。その保育室は60近くの室長先生の熱意に基づき運営されていて、室長先生の自宅のリビングが拠点であり、預ける時は我が家から歩いて5分ほどの、その先生のお宅に連れて行くことになっている。

ある日、私が休みの日で日中家にいた時だが、ピーの携帯に室長先生から電話があり、珍しく長話をしているな、と隣でそっと様子をうかがっていたらその内アイフォンを握るピーが、そうなんですか、としみじみ応えながら泣き始めてしまった。私はどんな会話が交わされているのか想像もつかなかったが、電話が終わって話しを聞いたら先生のお身体の具合が悪く、保育室を閉めなければならなくなった、ということを伝えられたのだそうだ。

お身体の具合というのは、どうやら元から患っていたガンの活動が身体的に顕著になってきた、ということらしかった。ピーも私もあの元気いっぱいの先生がガンを患っているなんてまったく気づかなかったし、そもそも身体の不調を認識しながら、でも元気なうちは大好きな保育の仕事に従事していたいという熱意によってあの保育室が運営されていたのか、ということを後から想像すると胸が詰まった。

先生はこういうカタチで閉鎖してしまい、保育室に預けてるご家族や子ども達自身に迷惑がかかってしまうことを涙ながらにピーに説明してくれたらしく、それでピーも涙腺が緩んで2人で泣きながらの会話になってしまったようだった。小規模保育というのは5人までの定員で2、3人の保育士がその子達の面倒をみる、というもの。ささやかな規模ながら、幼児と先生のバランスが濃密で、他の保育園より保育内容は行き届いたものであるだろうことが特徴らしかった。実際、私達はすっかり頼りにしていたのだが、元々小規模保育事業は2歳までの幼児が対象になっているのでこと子を預けられるのは2年しかなく、その後はいずれにしろ転園しなければならなかったので、転園が1年早まっただけ、という結論をいえばそれまでだが、せっかく保育室のお友達と仲良くなり、先生達のことも大好きになったこと子が次の4月から、また急に未知なる環境に放り出されることを想像すると不憫だった。

こと子は次から次へと言葉を覚えて発音するようになってきているのだが、たまに私の仕事が遅番とか休みとかで保育室までこと子を送りに行くと先生やみんなに「ハヨウ(おはよう)」と叫ぶ。元気で良いけど、トーンが少しキツめであまり行儀のいい感じではないのが可笑しい。

これに限らず覚えた言葉の中でも欲求を表現する類いの言葉はエゴイスティックな響きを帯びている。遠慮という概念を知らないのだから仕方ない。こと子は食い意地が張っていて保育室でもお友達の分まで食べようとするくらいらしいのだが、私がゴハンをあげている時なども、これまたぶっきらぼうに「ねえねえ!」という。語気に勢いがあるので何でしょう、と返すと、「もっとー!」と更に大声をあげる。見ると皿が空になっている。幼児の割に食べ過ぎじゃないかと心配して少しゴハンを追加すると、すぐにたいらげてまた「もっとー!」と叫ぶ。

とはいえ万事がそんなテンションな訳ではなく、絵本を持ってきて、読んで、という時には「これ、たい〜」と無愛想に小声で言う。これ読みたい、ということである。で、読んであげて、読み終わると大体「もっかい?」と語尾を上げて言う。語尾が上がるのは疑問形な訳ではなく、もう一回よんでくれませんか?という促しの語尾上がりである。この「もっかい?」ってのが飛び切り可愛いので私は毎度キュンとするのだが、これが何度も続いて3回も4回も同じ絵本を読まされると流石にシンドくなってくる。まあでも多くて3、4回。後はまた別の絵本を持ってくる訳です…。

この「もっかい?」がかわいいのでピーさんが私に、「これサンプリングしなくていいの?」とニヤニヤ迫ってきた。私は、確かにこれはサンプリングしてもいいかも、と思いアイフォンのガレージバンドを起ち上げたが、タイミングを逃して未だに録音できてない。スッパマイクロパンチョップ先輩は子供が出来てから音楽を作り始めたというけど、その感覚が多少なりとも理解できそうである。

そもそも私はこと子が生まれる何年も前から例えば「大きな栗の木の下で」や「大きなノッポの古時計」などの童謡を、そのメロディーの美しさを再発見して替え歌にしてカバーしたりしていたほどだが、最近こと子がハマってるYouTubeの幼児向け音楽なんかにも私の心を揺すぶるものがあるようである。中でも「ボウロのうた」というのが名曲で、私はこれもカバーしたいと考えている。しかもこと子のために買ったトイピアノで演奏したらさぞかしいいだろう、と密かに企んでいたりするほどである。他にも「どうぶつかぞえうた」っていうのも凄くよくってね。

ところでこのYouTubeの子供向けチャンネルに「東京ハイジ」なるチャンネルがあり、これには大変お世話になっている。というのはこのチャンネルでは幼児向けの唄やアニメが沢山見られるのだが、どれもクオリティが割と高くこと子もピーも私もお気に入り。歯みがきの歌、うんちの歌、お着替えの歌など、幼児の自立心を促すモノも多く、歯みがきもお着替えもこと子はこれらの曲のおかげで前向きに取り組むようになっていて感心してしまう。そして何よりこのチャンネルを流しっぱなしにしてれば、こと子は1時間くらいは飽きずにPCのモニターかぶりつきになるので、その間大人たちは家事や自分のやりたいことができたりするのである。

また、アイフォンも同様の便利さがあり、これをこと子に与えるとしばらく黙って没入していてくれる。幼児が画面のタッチやスクロールを瞬時にマスターするのを見ると改めてスティーブ・ジョブズの発明に嘆息が漏れる。こと子は特にピーのアイフォンに撮り貯められた自分の動画を見るのが好きで、1月の頭に西宮に遊びに行った時の動画を繰り返し繰り返し見て喜んでいる。西宮の友人は天然酵母のパン屋さんで、その友人の師匠のパン屋さんの軒先で行った餅つきの動画の中毒となってしまった。

当日こと子は小さいかいなで半ば無理矢理杵を握らされ、周りの大人たちに操られるように餅つきに参加した。餅つきを主導した3人の忍者が(サンニンジャーという洒落を連発していた)、こと子の餅つきに合わせて「ペッタン、ペッタン!」と威勢よく掛け声をかけた。そんな16秒の動画がこと子を虜にしたようで、当日の餅つきの時、本人は自分が何をやっているのか大して訳分かっておらずポーカーフェイスだったのに、後で自分が餅つきしている映像を見て興奮してしまったらしく、帰京後、なにかにつけてこと子はこの動画を見る見る、とうるさく言い募るようになってしまった。こと子は「ケータイ!」とか「ペッタン!ペッタン!」と事あるごとにねだるようなトーンで迫ってくるようになり、それが病的なレベルなのでピーも私も困惑している。

実はその同じ日のイベントで私はギターの弾き語りを頼まれたので、先述の「大きな栗の木の下で」の替え歌など何曲か歌ったのであるが、その動画もピーのケータイに残されていたので、こと子がこの動画を見ながら「大きな栗の木の下で」のメロディーと歌詞を覚えてソラで歌えるようになってしまったことは私としては嬉しいというか、なんというか。しかしそうは言ってもケータイ依存、YouTube依存は我々の危惧するところでもあった。目も悪くなろうし、そのほかの楽しい遊戯そっちのけになってしまったらピュアなハートを失ってしまうのではないか、などと考えながら。しかし私もピーもケータイ依存性だし、ケータイもYouTubeも我々の負担を画期的に軽減してくれるので、これは矛盾を孕んだ永遠の問いかけでもあるのである。
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