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アクセルの意気地記 第16話 こと子2歳になる

こと子は先日2歳になった。生まれてからこれまでの時間を10回繰り返したらもう20歳になると思うと恐ろしい。

ともあれ、こと子の身体は単純に生まれた時の2倍くらいの大きさになっている気がする。ピーさんとの間にちょこんと寝ていた時の大きさを思い出すとほぼ倍になってしまったようだ。

大きくなってくれて嬉しいが、大きくなってくれたおかげで私やピーが寝るスペースが徐々に削られていくのはなかなか恐ろしい。そのうち布団を分けなければならなくなるんだろうが、今のところ2枚の敷布団に川の字で寝ている。

川の字で寝る家族を私はどこかで憧れていたようなところがあって、これは未だに面白い。赤ちゃんの頃は赤ちゃん専用の布団に乗せて私とピーの布団がその両脇に並んでいたのだが、部屋も狭いし、こと子が人間らしくなって、もう親の寝返りくらいじゃ潰れないようになってからは、また赤ちゃん専用の布団を退けて私とピーの並べた布団にどうにかして3人で寝るようになった。

何が面白いのかよく分からないけど、1番最後に寝る私が寝室に入ると、こと子が真横になっていることがよくあって、私はどの隙間に寝ようかな、と思う。この辺が面白いような気がするのだが、あまりに酷い時はこと子の背中と首あたりにサッと手を差し込んで持ち上げ、すかさず川の字になるようにこと子を動かし、そして寝る。先日は私が寝る時には川の字が三の字になっていて、というか、私が最後の線になって三が完成するのであるが、それも面白い。そもそも三の字も違う方向から見たら川の字になってしまうのも面白い。

川とか三とかになっていれば平和であるが、ちょっと前までこと子の寝相は奔放で、気づくと布団からはみ出ていることがしょっちゅうだった。だから川にも三にもならないことがほとんどだったが、当のこと子はまるで確固たる意志のもと布団からはみ出ているように見えるので可笑しかった。

我が家は畳なので布団からはみ出て、畳に頭を擦り付けるようにして寝てることが多かったが、それが気持ちいいのだろうか。布団と押入れの間の狭い空間に落ち込んで寝てることもよくあった。整体的観点では幼児は寝相が悪いのが普通で、どんどん上へ上へ、要するに枕の方に向かって登っていくのは健康の証だそうで、私はそういうことを知っていたから何の心配もしないが、あまりにはみ出て哀れな時は、またサッと手を入れてこと子を布団に戻した。

そんなこんなで大きくなっていくこと子には最近流行りの遊びがいくつかあって、一緒に遊ぶ時は大体それらのパターンを繰り返すのである。その内の1つがブランである。これはこと子がそう命名したので私も同様にそう呼んでいるが、ブランブランとぶら下がるからブランである。

そもそもの始まりは近所の小さな公園にある鉄棒だったと私は睨んでいる。近所の公園の隅に3段に高さが異なる鉄棒があって、こと子を遊びに行かせると、ブランコ、滑り台と順に遊具で戯れ、最後に鉄棒のところへ向かう。初めは1番低い鉄棒でも手が届かなかったこと子だが、最近ようやく棒を掴めるようになった。そうすると、当然ぶら下がることになるのだが、こと子の場合、このぶら下がる行為に恐らく他の子ども以上にアツい何かを感じたらしく、以来この公園に来ると張り切って鉄棒にぶら下がりに行くことになり、ブランする〜、と言いながら実に楽しそうだ。

このブランは鉄棒を契機に、街中のあらゆるぶら下がれそうな高さの手すりなどに応用されるようになった。駅近のショッピングモールの階段の手すりや、駅の階段やエスカレーターの手すりを見つけると駆け寄ってぶら下がる。ぶら下がっている間は自由になった両の足を揃え、腹筋を使って前方に持ち上げてみせたり、大腿筋を使って後ろに反らせてみたり、体操選手のように自分の身体を試して遊んでいる。

何でこと子はぶら下がりにこれほど夢中になるのだろう、と考えていたら変なことを思い出した。私が小学生の頃のことだが、近所の市民グラウンドでスポーツ大会があり、私はおよそスポーツ大会のような類は嫌いなのだが、どうしてか、その時は参加していて、競技としては大変地味なぶら下がりに挑戦した。その時はどうにか出来るだけぶら下がってみたに過ぎないのだが、後で私の記録がその大会で1番になったのだ。

後にも先にもスポーツに類することで抜きん出た結果を残したのはこの時だけで、私は運動音痴で、短距離に関していえば学年でお尻を争う方だったし、陸上系のスピードを要するものは特に苦手で競わされるのは苦痛だった。球技や身体を動かすことはそれなりに好きだったのに、競わされることで私は体育が嫌いだ。

脱線したが、こと子のぶら下がり好きは私のぶら下がり実績と何か関係があるのかもしれない、と思っただけでそれ以上のことはない。ただスポーツ大会のぶら下がりで優勝したことをふと思い出したことが可笑しい。

また手すりがなくても、私に「ブランする〜」と言って万歳してくることがあるが、これは手を握ってこと子を持ち上げればいいのだ。よいしょー、よいしょーと、大体3回くらい繰り返すと私の上腕筋がどうかしてくるので、「もう疲れたよ!」とわざとらしく私はこと子に弱音を垂れる。

すると今度はこと子が手を引っ張ったまま後ろに倒れようとする。ともすると後頭部が地面につくくらいまで後ろに倒れる。腕を引っ張ってそれを支えてる私は倒れたこと子を引っ張り上げて元の立ち位置まで起き上がらせる。これが楽しいらしく、また後ろに倒れようとする。これを何回も繰り返すのだが、今度はヘルニア歴のある貧弱な私の腰が悲鳴をあげるので私は何回かやったら「もうダメだ〜」と逃げ出す。

ブランの他にこと子が最近ハマっているのがアルルである。ブランにしてもアルルにしても言葉の響きがいかにも幼児らしくて可愛い。

アルルは、男女が一緒に踊る時、男性が優しく掴んだ女性の手を挙げてクルっと回すヤツなんだけど、何ていうのかね。呼び方もルーツも分からないけどみんな知ってるあれね。こと子がそれをどこで覚えたかというと、数ヶ月前に連れて行った、父の友人が経営するメキシコ料理屋。そこではディナーに合わせてマリアチ楽団が、陽気で優雅なメキシコ民謡を披露することになってて、その演奏中に興が乗った客席の外国人カップルが立ち上がって急に踊り出した。

こと子は音楽に合わせてよく身体を動かすのだけど、その時も身体を動かしながら、こと子の視線はそのカップルの踊りに釘付けになってた。楽しそうに見てるな、と思ってたけど、たまたまそれを携帯でピーが撮影してたので、後になってこと子がその動画を選んで何度も見てた。何でアルルと言いだしたのか、恐らくその演奏か歌か、はたまたそのカップルの奇声だったのか、こと子にはアルルーという響きが一緒に記憶されたんだろう。

そういう経緯で「アルルする〜」と手を挙げてこと子が近寄ってくると私はこと子の両手を取り(こと子バージョンは両手を繋ぐ)、そのままクルッと右に回したり左に回したりしてやる。されるがまま回ること子はキャッキャと声を上げて喜んでいる。
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バンドマンに憧れて 第28話 フリースタイルラップあるいは即興

私にヒップホップを教えてくれた友人のDは、私やクラッチがラップに興味を示し始めたのを察知すると、私達の前で自分で書いた詩をラップするようになっていた。インストの曲をステレオから流して彼は自作のリリックをビートに合わせてラップした。彼は読書家でボキャブラリーも多く、言葉選びのセンスもよかったので、私達は感心した。CDで漠然と聞くラップと違い、目の前の友達が書いた詩がその場でヒップホップになったので、おお、これがヒップホップかあ、と興奮した。そして私は一計を案じ、Dのラップを赤い疑惑の3人で伴奏する、ということにトライすることになった。

本場アメリカでは生バンドでラップするthe rootsというグループがいることもその時には知っていたので、これはかなりクールなことになるんじゃないか、と何度かスタジオに入った。しかしながらDはその後ラップを辞めてしまった。自分は表現者にはなれない、ということを言い残してラップを辞めてしまったのだ。詩がよかっただけに残念だったが、そのことをきっかけに今度は私もラップに挑戦してみようと思い始めたのだ。

頭韻、脚韻、頭やお尻やとにかくリズムに合わせた一定の箇所で母音を揃えればラップになる。私の感覚では、オヤジが家族の中でウケ狙いでかますサムい駄洒落と、韻を踏むのが本丸であるラップは大して違わなかった。ラップの場合重要なのはその駄洒落を音楽の中に落とし込むタイミングに尽きた。上手い下手は分からないが私はDとフリースタイルごっこのようなことをして遊んだりするようになっていた。

フリースタイルというのを知ったのもMSCや降神を教えてもらうのと同時だった。即興で、その時の思いつきでラップを組み立てていく、素人から見れば曲芸のようなものだが、これを仲間と集まって輪になってやるのがサイファーで、相手を決めてラップで対決するのがMCバトル、ということも同時に知った。今ではこのサイファーもMCバトルも市民権を得て高校生や中学生にも広まっているのは驚きである。あの頃はまだヒップホップは若干マニアックな音楽の一ジャンルだったのに。

丁度その頃、アメリカ映画の「フリースタイル」という、ヒップホップのフリースタイルにフォーカスをあてた作品が日本で上映されていて、私とクラッチはブリブリになって観に行ったものだ。映画に出てきた本場のMCバトルがかっこよすぎて、映画を見終わった後クラッチと2人で、これからはコレだな、とか言い合って、クラッチも珍しく興奮して、オレもフリースタイルやるよ、と私に宣言したりして…。

クラッチのフリースタイルはその後すぐに封印されることになったが、私はこのフリースタイル、いわゆる即興の世界に非常にインスパイアされた。とはいえヒップホップに縁がなかった私にサイファーをする友人が他にいたわけではなく、いつも通勤の往き帰りとか、当時勤めていたバイト先の配送のドライブ中なんかにフリースタイルラップの練習をしていた。

実は即興に興味を持った経緯には下地があった。学生時代に仲良くしてもらった鉄割アルバトロスケットのパンクユニットのライブに、赤い疑惑の前身バンドGUTSPOSEが呼ばれたことがあった。その時対バンで出ていたバンドが、素晴らしく美しい大人の音楽を演奏していて、私はそのバンドでギターを弾いていた小沢あきさんに心酔してしまった。

小沢あきさんのギターはクラシック、ジャズ、フラメンコ、現代音楽なんかを通過していて、即興でどんな音楽にも瞬時に伴奏をつけられるようなテクニックを伴っていた。しかもあきさんが演奏していたのはクラシックギターで、私の父が家で弾いていたものと同じ、ナイロン弦のギターで響きが懐かしく、丸くて気持ちよかった。一方対バンで出たGUTSPOSEはローファイパンクだったので私は何となく恥ずかしかったのだが、我々の演奏を当の小沢あきさんがエラく気に入ってくださったのだ。演奏が終わった私にあきさんは「お前らの曲、オリジナルなんだよな?」と質した。私が首肯すると、あきさんは私の手を強く握ってくれたのだった。

それ以来私はあきさんのギターのファンになり、あきさんの参加しているアフロオーケストラのようなバンドや、ソロや、即興のライブに足繁く通った。私はあきさんにギターを教えてもらったのではないが、あきさんのギターを聴き続けていれば即興ギター演奏ができるようになるんじゃないかと思い込んでいた。しかし、絶対音感もない、その上ある程度に音痴で、しかもギターの練習が嫌い、という私に即興演奏の道は険しく、結局諦めてしまった。

たまに、あきさんの即興音楽仲間の飲み会に呼んでもらって遊びに行ったこともあった。集まっているミュージシャンの中には音楽で喰っている敏腕の人もいたし、かなり世代が上の人も多く、彼女や奥さんも集まってきていた。その雰囲気は、野郎ばかりでいつも集まって飲んだり吸ったりしてダベっていた私の交流とは次元の違う温かさがあった。

そういう席で、依頼仕事に柔軟に対応できる人や、それが嫌でできない人、楽器がバカみたいに上手くても、喰える人、喰えない人がいる現実を知ったし、「いいよな、お前は演奏でメシが喰えてんだから」と僻みなのか嫌味なのか冗談なのか、そういう会話があったりして、「音楽で喰えること」を至上の目標としていた当時の私には刺激が大きかった。

また、ある時、私は酒の席であきさんに悩みを打ち明けたことがあった。私がやっている赤い疑惑に関して、自分はバイトでチャンスを掴むまで頑張るつもりだが、メンバーをその道連れにしていいのだろうか、という弱気で情けない相談だ。私は根拠のない自信で、いつか音楽でどうにかできるようになるだろう、と考えていたが、もしそれがうまく行かなかった場合、メンバーの人生はどうなんだろう…。

バイトでバンドをやっているのは楽しさとスリルが伴うことだが、そのまま歳を重ねていって音楽による報酬がなかった時、メンバーの人生を保障するものは何もない、ということも私は分かっていた。しかし、そんなことを心配していても解決策などない。怖いならバンドをやめればいいだけだ。あきさんもそんな相談をされて困ったことだろう。ただ、私は音楽で喰う喰わない問題が、身近にシリアスな問題として存在しているようだったあきさんに、その辺のことを聞いてもらいたかっただけだったと思う。

いくら音楽が死ぬほど好きでも、ミュージシャンシップの違いで喰えるか喰えないかは変わってくる…。その中でも小沢あきさんは拘りが強く、金銭よりも自分の音楽をひたすら追い求めているピュアさに溢れていて私はそんなあきさんの姿にかっこよさを見出していた。

あきさん周りの飲み会で、みんなで酒を飲んで興が乗ってくると、楽器を持つ人、太鼓やらその辺のものを叩く人が出てきて、俄かに即興大演奏会が始まる。私も何か叩いたりして混ざっていたが、こんな時に自分も存在感のある即興ができればいいのに、と密かに考えて、地団駄踏んでいた。

そんな時に出会ったのがフリースタイルラップだった。これなら自分の個性を生かせる即興ができるのかもしれない、と考えていた。

その頃、MSCが始めたMCバトルがヒップホップ界隈で注目を集め始めていた。私がラップを始めたことを知った友人が、MCバトルへの挑戦を薦めてくれたこともあったが、大して自信もなかったし、逡巡して結局やらなかった。しかし、その後しばらくライブMCの時、気分次第でフリースタイルラップに挑戦することは何度もあった。韻が踏めなくて噛んでしまうことばかりだったが、予定調和じゃないスリルが生まれて面白かった。

結局、現在に至るまでフリースタイルラップをやり続けたわけでもなく、ヒップホップを聴き続けたわけでもないのだが、この時期にラップの練習をした経験は後にワールドミュージックのDJ業をやり出した頃に、手持ち無沙汰でやり始めたDJのサイドMCの時なんかにも生かされた。何の生産性も残さない無駄な努力は多いものだが、気づいたら武器になっていた、という努力も必ず存在する。ラップは私にとって無駄にならなかった努力であり遊びのひとつである。
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アクセル長尾

Author:アクセル長尾
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