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アクセルの意気地記 第22話 子育てとイヤイヤ期

子どもを育てることの面白みややり甲斐は形容しがたいほどに大きなものである。それは子どもが欲しい、と具体的に思うようになる前までの自分には到底想像のしようもなく、分かりようのないことだった。

昔、母が亡くなる前、胃がんで闘病していた時(私が25歳で15年も前のことだが)、私は足繁く実家や母の入院先などに通い、母との時間をできるだけ持つようにしていた。とはいえ実の親子で、母に死が迫ってるからといって、深いテーマの会話ができる訳ではなく、そんなに話せるトピックがあった訳でもないのだ。しかし、私は母にどうしても聞きたいことがあって、それはこういう時じゃないと聞けないことだった。

というのは、母にとって人生の中での生き甲斐、1番楽しかったこととはどういうことなんだろう、ということだった。母はいつも明るく、優しく、父や私と違って控えめで自分が前に出ることのないタイプの女性で、生涯かけて何か一つのことに夢中になっていたり、これといった継続的な趣味があった訳ではなかった(若い頃はクラシックギターを弾いていたが)。だからそれだけに私は母の生き甲斐がどういうものなのか分からなかったし、1番楽しかったことは何なのかということを聞きたくなってしまったのだ。

ガンの告知以降、母は目に見えて後向きになり、持ち前の明るさは影を潜めてしまった。何で私がガンになるのか、という答えの出ない問いかけから抜け出ることができないような感じで、また、その気持ちと比例して時とともに衰弱していった。そんな母を見ていて私は母の人生とはどんなものだったのか、どんなことが楽しくて生きてきたのだろう、という疑問が素朴に浮かび上がってくるのだった。

そして確かがんセンターの病室でだったと思う。私は俄かに母に聞いたことがあった。お母さんの人生で、1番楽しかったことって何、と。母は息子のストレートな問いかけに驚いていたようだったが、ちょっとの間考えて口を開いた「そうねえ、あんた達2人を育てたことかな」。2人というのは私と姉のことである。

私はあまりにも意外な返答にビックリした。まさかそんなことを言われるとは思ってなかったし、その母の喜びの中に私が登場していることを知って涙を禁じ得なかったが、泣いてる姿など見せたくないので必死にこらえた。私がビックリしたのは子どもを育てるのがそこまで大きな喜びなのだろうか、という率直な疑問だった。そしてそれをきっかけに私は子どもを持つ、ということに大きな興味を持つようになったのだ。

そして今こうして自分も子育てを始めて、あの時の母の返答が決して珍しいことでも突飛なことでも何でもなくて、至極真っ当な、偽りのない言葉だったのだな、ということが理解できるようになった。終わりの見えないようにみえる労苦と大変さを差し引いても、それくらい子育てはやり甲斐のあることのように感じる。今のところはね。

幼い頃ににほん昔話や、それに類する昔話で、しばしば登場していた「子どもを授かって家族仲良く幸せに暮らしました」というそれだけの描写を、子どもの頃はふーん、そういうもんかな、という風に思っていた。子どもが生まれて家族で過ごせるだけでそんなに幸せなのかしら、ということを半分信じて半分不思議に思っていた。しかし実際赤ん坊を抱いた時の尊い気持ちや、始めてこと子と手を繋いで歩いた時の感動とか、例を挙げれば枚挙に暇がないが、ただ子どもが家族の中に加わっただけでもたらされる喜びというのは計り知れないものがあるのだった。

そうやって考えると、人類が営々と脈々と、飽きず諦めずに子を産み育てることを繰り返してきたことにも、そうか、そうか、そうだったんだな、と何かを発見した少年のように納得してしまう。そして偽りだらけのこの世の中や、周囲の人々にも愛ある眼差しを向けることができるようになった、ような気がしている。

さて、イヤイヤ期という言葉は子どもが生まれる前からよく聞いていた。ただ、初めは私はそのふざけたようなネーミングが嫌で、(それは全ての子どもにやってくるのだろうか、ウチの子に限ってイヤイヤ期などなかった、なんてことがあるのではないだろうか)、と眉に唾をつけて聞いていたのだ。

しかし、それは日が昇って沈むように当たり前にやってきた。魔の2歳児などという言葉もよく聞いたが、魔の2歳はつまりイヤイヤ期な2歳ということのようだ。だから2歳になったら大変だろうと心構えをしていたが、こと子は2歳になる少し前からイヤイヤ期に突入していたのではないか、と振り返って思う。

親の言ってることが次第に分かってきて、言葉や文章を少しずつ真似するようになると同時にこと子に自我が芽生え始めたようだ。それは2歳になる前からだったと思うが、その頃から何か不満があるとギャーギャー泣いて自分をアピールするようになった。

これはイヤイヤ期と呼んでいいのではないか、そんな風に感じさせるほど、その、こと子の泣く姿はいささか執拗で激しかった。今(2歳半)より言葉の表現力が乏しく、自分の不満を親に伝えられないのもあったのだろう。泣き出すとなかなかなだめることが出来なかった。

おかしかったのは、寝る前だったかと思うが、こと子が畳の上に立って激しく泣き出した。イヤーーー、と嘆きながら泣き叫んでいる。私とピーで宥めたり見守ったりしていたのだが、本人は座ったり、バタバタ跳ねたりして泣き止まない。「嫌だ!」という拒否の構えを一向に崩そうとしない。バタバタと身体を振り乱したり、畳を叩いたり、理性にコントロールされたオトナから見ると滑稽に映るが、最終的には右足、左足交互に高く上げて跳ねるようにして、部屋の向こうまでドタバタ行ったかと思うと戻ってきてまた絶望的に畳に突っ伏した。私はこと子のそんな姿に半分呆れながらも、その有り余るエネルギーの放出の様に半分感動した。これはワガママであり、自分を通せない、また表現できない幼児の剥き出しの姿なのだ、と思うと感慨深かった。

最近はイヤイヤ言うのも大体何かしらの不満の背景があって、それを聞き出して取り除いてやるとケロっと機嫌を直すことが多いので少し慣れてきたが、ひとたび「ママがいい〜」で泣き出されると私は無力な父親に早変わり。たまに機転を利かしてこと子のイヤイヤを誤魔化せる時もあるがダメな時はダメでピーさんに登場してもらう。しかし「ママがいいー!」というからピーさんに来てもらっても「ママがいいー」と、もはや口癖のようにそのまま泣き続けることが多いのもイヤイヤ期だからだろうか。

イヤはイヤでも自分ができることを私やピーさんがやろうとして怒る時も多い。クツを履けるの履かせようとして「いやん、自分で!」と言う。ボタンできるのにボタンをつけてあげると「いやん!」といってもう一度外して自分でやり直す。エレベーターに乗って私がボタンを押すと、いやん、とこと子に言われるのが分かってからは抱えて押させてあげる。家に帰って鍵を開けようとすると、こと子が下からいやん、と言う。ピーが「自分で開けたいんだよね」といって鍵を渡してこと子を持ち上げる。こと子は覚束ない手先で鍵を挿して回して開けた。

この手のイヤイヤは自律に向かうイヤイヤなのだろうと思うと微笑ましい。オムツを替えるのも、服を着せるのも、保湿クリームで入浴後ケアするのも、歯を磨いてやるのも、初めは、めんどくせえなぁ、という感じだったが慣れてしまえば何でもない。家事と同じである。いや、家事とは違って終わりがある。それにしても私はこと子が女の子だからなのか、「イヤ」を表現する時にそうなってしまう「いやん」という言い方が、少し腹立たしくも、なんだかんだ好きである。
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バンドマンに憧れて 第34話 ハードコア出身の肩書き

26話で当時の音楽的趣味の大きな変遷があったことを綴った。それまでずっと崇めてきたハードコアパンクという音楽自体に次第に飽き始め、ヒップホップやレゲエ、ワールドミュージックを聴き始めるようになった時期のことである。

私は極端な性分なのか、飽きたと思ったら、時々思い出して聴きたくなる、ということもなく、事実上その頃からハードコアパンクはおろかロックやオルタナの類までほとんど聴かなくなってしまった。それでもその頃唯一平行してハマってたロックがニールヤング&クレジーホースで、それはジム・ジャームッシュが撮った『イヤー・オブ・ザ・ホース』という半ドキュメンタリー映画があまりにも面白かったからだ。

私はその映画を何度も観ながらクラッチ、ブレーキーと「同じメンバーでバンドを長く続けること」の美学を確認しあい、身体に染み込ませていった。その美学は、身近なところでは、尊敬していたレスザンTVの人たちが、年齢を気にせずにスカムな音楽や、およそ落ち着きのない音楽をやりたい放題やり続けているのを横目で見ていたことにも影響されていた。いつかオッサンになっても、いつかジジイになっても、たとえ売れても売れてなくても、とにかく長く続けていこう。そういう美学を我々3人は共有していくことになった。

さて、バンドを長く続けるのはいいが、ハードコアパンクに飽き始めた頃の私にはいろいろな問題があった。それらはいずれも今振り返ればすべて取るに足らないことだが、当時の私には1つ1つが悩ましい問題だった。

まず、その頃のライブの半数くらいは馴染みのハードコアパンク界隈のライブで、ということはライブに声をかけてもらうのは嬉しいが、対バンを見るのがシンドい、という問題があった。ハードコアパンク系のライブで、異ジャンルの音は交えずにハードコアならハードコアだけを集める傾向があったのは不思議なことじゃない。その頃は他のジャンルでも同じ音楽性のアーティストが集まるイベントの方が普通だったと思う。以前書いたようにECDやサ上とロ吉のようにパンク界隈のイベントに積極的に出るヒップホップアーティストもいたが、そんなエキサイティングなイベント(2010年頃からは異ジャンルアーティストが集うイベントの方が一般的になった)はまだラディカルな存在だったと思う。

という訳で赤い疑惑は「東京フリーターブリーダー」リリース以降いろんなタイプのイベントに声をかけられるようになったが、そのうち半分くらいを占めていたハードコアまたはパンク系のライブではほとんど「対バンを見ない」という高飛車な態度にならざるを得なかった。これは私に限らず、クラッチもブレーキーもである。

では、ハードコアやパンク系以外のイベントだとどうだったかというと、これは実はパンク系より酷くて、一応リハの時に音の感じを聴いたりして判断していたが、非パンク系で面白いと思えるバンドがほとんどいなかったため、結局対バンの演奏を見ない、という厚顔な判断を下していた。

また、そんな風に周囲のバンドやシーンに馴染めないでいるところに、「自分達はハードコア出身だから(ナメんなよ)」というプライドが頭をもたげていて、私たちは浮いていた(に違いない)。対バンの人とのコミュニケーションでも舐められないように、と思っていたし、自分は曲者であるぜ、ということを仄めかすような態度だったと思う。

ハードコアという音楽には歴然とした思想があり、「オレたちはそういう思想をベースに活動してるんだよ」という信念が私とクラッチの間には暗黙の約束事のようにあった。ちなみにブレーキーはパンクにもハードコアにも特別な思い入れがあった訳ではないので、我々のハードコアへの拘りは理解に苦しんでいる様子だった。どちらかというと「オレはレゲエのリディムを叩きたい」というようなことを漏らしていて私をイラつかせた(私もレゲエの曲を演りたいがどうやって作ればいいのかその時はわからなかった)。

またもう一つの些細な問題は、ハードコアパンクとは、音楽的にはかけ離れたラップやレゲエなどを導入することは、ハードコア界隈パンク界隈の諸先輩方並びに馴染みのバンドから非難の的とならないだろうか、という懸念であった。何という下らない思い込みに私は縛られていたのだろうか。結果的にジャンルを横断した曲調を披露したところで赤い疑惑が界隈の人に青い眼で見られることはなかった。ただの杞憂だったのである。

音楽的な好みとしてパンクやハードコアを聞かなくなったのに、自分たちがそういう音楽を作って演奏して楽しい訳がない。赤い疑惑結成当初は、よりハードコアパンク出身であることを強調しようとしていたが、音楽的趣味の変遷によってそういった拘りに齟齬が生じてきてしまったのだ。その葛藤の中で生まれたのが「東京フリーターブリーダー」で、このアルバムのリリースで、先にも書いたように我々の活動範囲は劇的に広がった。それまでハードコアやパンクの界隈の人達を中心に面白がられていただけだったのが、もう少し幅広い層のお客さんに評価してもらえるようになっていった。

その頃抱えてたハードコア由来の悩みがもう一つあった。それは、売れたいかどうか、という問題であった。

ハードコアパンクはDIYじゃないとあり得ない。だから商業的成功というのはハードコアパンクと対極的なものなのである。私はジュンスカイウォーカーズを見てバンドマンになりたい、と目覚めた訳で、その時出来上がった私の将来のビジョンはバンドマン、ロックスターであり、それを仕事に生きていることだったのである。

それが、いつの間にかパンクにハマり、ハードコアにハマり、インディーズやアンダーグラウンドの美学に開眼してしまった。それでいて「将来は売れてるだろう」という根拠のないビジョンが同居していくのである。コアでいて人気がある、そういう都合のよいイメージの中に赤い疑惑は活路を見ようとしていた。

しかし、仲良くしていたパンク、ハードコア系のバンドや先輩たちからは、私のように「もっと売れたい」という俗っ気がほとんど感じられなかったし、実際そうだったのだと思うが、そういう空気の中で私は「売れたい」という欲望から逃れられないことを後ろめたく思ったりしていた。だから杞憂であるのにその頃の私はハードコアパンクの呪縛に囚われているかのように錯覚していたのかもしれない。

今振り返ると、そんな風にハードコア出身であることにこだわっていたことが懐かしくも可笑しくも思えるが、音楽の趣味なんて押し付けられるものではないし、感覚的なもので、ジャンルそのものに飽きてしまったら、その時にときめく音楽に純粋にアプローチすればよいと思う。「東京フリーターブリーダー」リリース以降は、ではどうすればレゲエやワールドミュージックの要素を3ピースのロックバンド形態に落とし込めるだろうか、という試行錯誤の繰り返しとなった。ただ、ハードコアの思想的な部分はそれから現在に至るまで私の芯にこびりついているような気がするのである。
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Author:アクセル長尾
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