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バンドマンに憧れて 第35話 試行錯誤のパフォーマンス

「東京フリーターブリーダー」リリースから次のアルバムを出すまでの2〜3年間は最もバンド活動が勢力的だった時期で、遮二無二動き回っていたので思い出すことも多い。という訳でこの時期の回想がしばらく続く。

この頃までの私は、ライブにおけるMCを必要以上に重視しており、またライブ中に芝居染みた下らないコントや、ちょっとした仕掛けを盛り込んだりしていた。それはライブに笑いの要素を盛り込みたい、という当時のポリシーがあったからだと思う。

そんな笑いの要素と、かっこつけてMCも控えてクールを気取ることとは全く正反対の要素で、私はそのバランス感をよく考えていたが、それに対する答えは未だに出ていない。とにかくこの時期の赤い疑惑はいろんなことを試していた。

MCに関しては、漁港という先輩バンドや当時人気急上昇中だったロマンポルシェの影響を受けた。ハードコア系のバンドはMCで笑いを取ろうとすることは少ないし、そもそも不必要である。しかし私はハードコア的な外見をまとい、MCで笑える男気を見せる漁港やロマンポルシェを真似しようと思い、リハーサルが終わり本番が来るまでの長い空き時間(逆リハという制度があり、長い場合は5、6時間待たねばならぬこともあり、この時間をいかに過ごすかはバンドマンにとって重要な問題である)に1人で公園などに行ってMCのネタを緻密に考えていた時期があった。喋りたい内容を紙に書いて暗記するのである。

甲斐あってと言っていいのか分からないが、仕込んだネタをMCで喋るとそれなりに受けていた。それで調子に乗って毎回毎回仕込みに時間をかけていたのだが、MCが受けても肝心のギターや歌で力を発揮できない時がままあり、次第に喋ることを綿密に仕込んでいるのがバカらしくなってきて、段々とMCに割く時間は少なくなっていった。赤い疑惑の楽曲も初期の頃より作り込んだ長いものが多くなり、あんまり余計なことを喋ってると演奏時間がなくなってしまう、などの問題もあった。

芝居染みたコントと書いたが、それはいずれも赤い疑惑のアカペラ入場シーンに組み込まれた。歌いながら客席を縫ってステージに近づく過程でシュールな芝居を試みたりしていた。これも先述の漁港や、もっと前に書いた鉄割アルバトロスケットに感化されたものだった。例えば、傘をさしながら(何故傘をさしていたのか覚えていない)客席を歩き、途中で<胃腸虚弱なリーダーという設定の>私が倒れ、倒れた私にメンバーが養命酒を飲ませて私が復活する、とか、「振り返るなオンザロード」という曲を一曲目で披露する前に、私が<夢を追いかけがむしゃらに頑張る青年>役を、クラッチが<そんな青年を叱咤激励するヤクザな兄貴>役を務め、それぞれその役を大根芝居で演じてみせたり、「住基ナンバー」という(住民基本台帳の制度をディスった)曲の最後に、ステージに急ごしらえした紙めくりをめくって、事前にお客さんに配っていた数字と、私が紙をめくって現れた数字が同じ人がビンゴ、そのお客さんに景品を差し上げる、など、パンクバンドとしては相当意味不明なことをやっていた。

私はそれらを個性的なバンドの醸成に必要と考えていたのかもしれないが、そういう試みも肝心の演奏がおろそかになるという本末転倒な傾向を回避するために長続きせず終息していった。また、これらの意味不明なパフォーマンスも、自分が考えついたことをやっていたからよかったものの、芝居染みたことを他人に強制されるのは私は大嫌いだった。

というのはこの頃、我々のミクスチャーな音楽性と存在感とで、前回も触れたようにパンク系から始まり、インディーポップ系、ギターポップ系、アングラ系など毛色の異なるイベントに沢山出ていたのであるが、とある、<あからさまに売れたそうな雰囲気のバンドが集まる系のイベント>に出た時のことだ。私は、売れたくてしょうがないぜ、といった感じが表面に溢れ出ている対バン達をダセエな、と思っていたのだが、イベントの最後になって、リーダーが全員雛壇に出て行って今日のイベントについて面白おかしく感想を述べてイベントの締めを括るというようなことが予定されていた。

私は非常に戸惑った。やってください、と言われてないことをやって面白がられることは本意だったのに、面白いこと言ってください、という業界風な挑発ノリに対応するのは本意ではなかったので冷や汗をかいた。もはやどんな風に切り抜けたのかも覚えてないが自分はこういうことがヘドが出るほど嫌いなのだな、と悟った。

他にもこの時期には「わくわく赤い疑惑」というフリーペーパーを刷ってライブで配るということもしていた。フリーペーパーを作ることと文章を書くことは学生時代に散々やっていたことなので勝手は知っているし、お客さんからの反応もよかったのでこれはしばらく続いた。私がブログで書いているような雑文やライブ告知、そして沓沢ブレーキーのダメ男コーナーなど下らない内容で、チラシのようにして配っていた。

こうした音楽以外の部分の活動は、赤い疑惑というバンドの謎を深めるための装置として、また反対に、ちょっと怖い人たちと思われがちだった赤い疑惑がこんなにファニーな親しみやすいヤツらだぜ、という懐柔の装置として、私は半分意識的にやっていたのである。いずれにしても人気を得るために私が考えついた戦略だった。

それらの活動が功を奏したのかは分からないが、赤い疑惑の人気のピークというのはちょうどこの時期だった。誘われるライブの数も多ければ、お客さんの動員がある程度あったのもこの時期なのである。前売り予約メールが20名前後ある(そんなもんかと思われるかもしれないけど、これは今では考えられない数字)時もあり、ライブで知らないお客さんに話しかけられる、ということもこの時期が1番多かった。

赤い疑惑のズッコケ気味のキャラや上記のようなサブカル体質に近寄ってくる変わった女子達もいた。女の子にウケるということはこの時期に初めて体験した訳だが、鼻の下を伸ばすようなものではなかった。どういう訳かその頃近寄ってきた女の子お客さんには病んでる鬱系の子が多くて、握手を求められて出された子の右の手にはリストカットのキズ痕が何本も走っていたり。会ったことない北海道の女性からもらった長めの(重めの)メールに対して、割りと真剣に返事したら、相手からの苦痛メールや無駄話が過剰に送られてくるようになり謎のやりとりが続き、終いには自分はもう着ないから、というメモと共に男性用の紺無地パーカーがプレゼントとして送られてきたり(貧乏性の私はそれを普通に日常着として着ていた)。また、同様の、ファンです、の後に苦痛を訴える女性からmixiで連絡があり、またこのパターンか、面倒くさいな、と適当にあしらおうとしてたら、死にたい、というメッセージと共に手首に包丁を当ててる画像が送られてきたこともある。

さすがにこういう経験をしてお客さんとの距離の測り方を真剣に考えるようになったが、この時期が人気のピークだったので、それ以降その手のヘビーなお客さん問題にはほとんど巻き込まれていない、というのが現実である。
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