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アクセルの意気地記 第26話 『パプリカ』

夏の只中の頃だった。ピーさんがこと子と歌を歌っている。ユーチューブでPVを流して一緒になって歌っている。何だろう、と思ったが、私の嫌いな「歌謡曲」の類に聴こえた。しかも、子供達に歌わせてる仕様でおぞましい。私はその手の歌が苦手である。押し付けがましいという感じがするし、何より私はリアルタイムの歌謡曲を聴くのが苦手なのだった。

私はそういう時、よせばいいのに、「オレそういうの苦手…」などと言ってしまうのである。あ、そう、とピーさんには流されたが、それから頻繁にその歌を聴かされる。どうやら米津玄師という売れっ子SSW(シンガーソングライターのことである)が書いた『パプリカ』という曲で、2020年NHK応援ソングプロジェクトのなんちゃら、ということである。よく分からないが紅白歌合戦に出るほどの有名人らしい。私は気に食わない。

ある夜、こと子がその曲を歌いながら、私にダンスをしてみせた。こと子が曲を歌いながら踊るなんていうことは勿論初めて観るのである。だからすぐにピーさんを呼んだ。
「え!コッピ踊れるの!?」
と、驚いていて、
「じゃあ、ちゃんとやろう。コッピ、そっちの部屋から出てきて」
とこと子を向こうへ行くよう促す。そして続けて
「では、次は長尾こと子さんで、曲は『パプリカ』です、どうぞ」
こと子はニコニコしながらこっちの部屋に入り(といっても散らかった6畳間から散らかった8畳間へふすまの仕切りを超えただけである)、歌いながら振り付けを始めた。

手を振り上げたり、仰いだり、走る真似をしたかと思えばくるりと1回転。しゃがんでは立ち上がり、立ち上がってはシェー(おそ松くんのイヤミのね)のようなポーズ。その動きの一つ一つが渾身の振る舞いのように見える。一生懸命さに裏打ちされた拙い動きと、黒眼を丸々と大きくさせて、こちらに語りかけるように歌うこと子の表情に私は胸を打たれた。あえて喩えるなら、プロの合唱団の人達のあの、他を寄せ付けないほどの、怖いような、「作られた顔」である。

その顔は私とピーさんのみに向けられていて、我々は可笑しくて笑いながらも、真剣に聴かねばというプレッシャーとでまた可笑しくなって吹き出したりしながら、最後まで聴き終わると惜しみない拍手を送った。これは確かに感動の瞬間である。何しろこと子にとって、初めて人前で何かを表現する行為であり、彼女が表現した何かは欲のためでもなく、ましてや金のためでもないのであって、幼い子どもにしか出し得ないピュアな衝動によるのである。

笑いと感動とで涙を垂らした私は「じゃあもう1回!」という、恐るべきこと子の言葉を聞いた。涙しながらも私は嫌な予感がした。そして嫌な予感は的中したのだ。もう1回歌い、踊り終わり、我々が、わーっ、と拍手をすると、こと子はもう向こうの部屋に行って、また呼ばれるのを待っているのである。アジをしめたのだ。結局何回か同じパフォーマンスを聴かされることとなり、「初めて何かができた!」という子育ての感動は、その繰り返しの中ですぐに薄まることも分かってしまったのだ。

それからしばらく後のある日、我が家は新宿のIRAで行われたカレーパーティーに参加した。そこではカレー狂いの愛すべき仲間たちが集まってすごく素敵な時間が流れていた。カレーを食べ終えて数人で談笑しているところで話題がこと子のことになった時、私はまた、よせばいいのに、こと子が歌って踊れるんだよ、ということをみんなに話してしまった。

「えー、こと子ちゃんやってやって〜」
とみんなが調子を合わせてくれてこと子に注目が集まった。ただ我々両親だけの時と違っていろんな人がいるから恥ずかしいのかモジモジしてる。まだ歌詞も完璧じゃないし、俯いて固まっている。そこへ、曲の冒頭を知ってるユキナちゃんが、「曲がーり、くねーり」とこと子を促すように歌ってくれた。すると、ピンと来たのかこと子も一緒になって歌い出した。

まだ若干俯き加減のまま、恥ずかしそうに小声で歌い始めた。振り付けはない。そして歌い終わると、みんながお約束の過剰な声援を送った。すると、こと子のテンションはそこからブチ上がって、今度は振り付け混みで歌い出した。その様子を友人達が興味深そうに見守る。歌い踊り終わると、やんやの喝采。こと子はやはり調子に乗ってもう1回初めから歌い始める。

私はまた嫌な予感がした。終わらないループが始まったので、みんなが飽きてしまうことが心配になった。案の定3ターン目くらいから、こと子を囲んでいた友人達は元の大人達の談笑に何となく戻ってゆく。私はこと子がほっとかれたまま歌い続けているのが、バカみたいに心配になった。折角歌って踊っているのに誰も見ていなかったら幼いハートに傷が残らないだろうか…。

あちこちの談笑をよそに私だけはこと子のパプリカを、聴いてるよ、という風に見守っている。と思ったらもう1人こと子のパフォーマンスをまだ見捨ててない友人がいた。ゴミシュンだった。ゴミシュンは、こと子の3回目のフィナーレを、より激しく手を叩いて「こと子ちゃ〜ん!」とアイドルオタク風の過剰なリアクションで讃えた。私も手を叩きながらゴミシュンの優しさにグッときていた。

その後、その『パプリカ』は保育園でみんなで踊っていることが判明し、それを10月の運動会で発表するのだ、ということが分かってきた。こと子の歌と踊りを見た私の父はやはり目尻を垂らして驚き、喜んでいて、運動会は我々の当面の楽しみの1つとなり、少し大袈裟にも思えたが、世田谷で1人暮らししている姉にも声をかけた。私もその頃には「曲がーり、くねーり」と、こと子に促すようにそらんじる程に『パプリカ』嫌いから脱してしまっていて、むしろ米津さんにお礼を言いたいほどのこそばゆい気持ちにさえなっていた。

10月に入ると何やらとても大きい台風が近づいているという噂がどこからともなく耳に入ってきた。そしてそれはどうやらこと子の運動会の日に直撃しそうである、ということが会の数日前に分かった。そして3日前になると保育園より運動会中止が発表された。

延期ではなく中止? 私もピーさんもそこに引っかかり、中止の連絡をした父からも姉からも同じ質問をされた。何故延期できないのだろうか、私は疑問を抑えられず、こと子の登園を送りに行った際に保育士さんに問い合わせた。

こんな時私はモンスターペアレントのように高圧的には振る舞えない。ただ、延期にすることはできないんでしょうか?という質問を控えめにぶつけることしか出来なかった。
「我々としても非常に残念で、他の保護者からも同様の要望があるので検討しているところで…」
保育士は申し訳なさそうに答えてくれたが、頼もしい返答は期待できなさそうだった。
「子どもも練習した成果を親達に見せたいと思うんですよね…」
私はこと子のことを想像してそう付け加えて辞した。

台風は日本各地に甚大な水害を残して過ぎていった。私はこと子に何度か、運動会中止になっちゃったね、と話しかけたが、その意味が分かっているのか分かっていないのか、要領を得ないリアクションだった。(もしかしてこと子は運動会が中止になり、パプリカの発表がなくなったことに関してほとんど気にしてないのではあるまいか)と思った。それは日を追うごとに確信に変わり、こと子は何事もなかったかのように日々、わがままを言ったり、いい子になったり、つまり、いつも通り過ごした。

つい数日前のことだが、また保育園から運動会を順延開催するというお知らせが届いた。ただし4歳児と5歳児クラスのみ、という限定条件付きだった。なるほど、大きくなればなるほど運動会に向けた子供達の努力と期待はいや増すはずである。中止の落胆がより大きいのは確かに4歳児、5歳児の方だろう。道理は分かるが私とピーさんは落胆した。こと子の『パプリカ』をガチで鑑賞したかったのだ。

運動会1部順延のお知らせがあった次の日、私は休みだったので家族3人で珍しくファミレスに行った。安イタ飯で腹を満たした私とピーがドリンクを飲みながらまったりしていると、突然こと子が久しぶりに『パプリカ』を歌い踊り出した。ファミレスだし、いいか、と我々は止めずに眺めていた。歌い踊っていること子の顔つきは楽しそうで、運動会が中止になったことなどどこ吹く風、という恬淡さで溢れていた。私はもはやどうでもよくなっていた。
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味覚

好きな食べ物は何かという質問がある。自分の好きな食べ物を想像する訳だからわくわくするような質問である。力まずに楽しめる会話であり、聞く方もわくわくするが、大人になると普段は余程のことがないとそんな質問はしないしされない。

子どもの頃は自己紹介などで、好きな食べ物に触れられることがよくあった気がする。私は何と答えていただろうか。フルーツポンチ、どら焼き、カステラ、ミートソーススパゲティ。少し大きくなってから、私がはっきりと記憶してるのは麻婆豆腐である。

私が高校生の時、世間ではイタ飯ブームが起こり、私はスパゲティ(いつからパスタと呼ぶようになった?)の美味さに衝撃を受け、特にミートソースは大好きで、それで始めて料理に興味を持って自分で作るようになった(その勢いもあって大学1年の時、吉祥寺にあるイタ飯屋のキッチンでバイトした)。

丁度その、料理に興味を持ち出した頃、ミートソースに並んで、好きで時々自分でも作るようになったのが麻婆豆腐だ。ニンニクとショウガのみじん切りを油で炒め、具材より先に豆板醤と甜麺醤、コチュジャンをぶち込み、先に強い香りを出すのが私が参考にしたレシピだった(仕上げ時、鍋肌にごま油を回し入れるのもポイント)。ミートソースも麻婆豆腐も挽き肉料理で、つまり私は挽き肉が好きだったのかもしれない。

私が作ったミートソースも麻婆豆腐も、家族に美味しいと言われ、少し調子に乗った。それ以降料理は私の趣味の1つになっていった。

しかし、今回書こうと思ったのは料理の話や、好きな食べ物の話ではなくて、味覚についてなのだった。その、好きな食べ物は何、と聞かれた時に、記憶している限り私は麻婆豆腐と答えていたのであるが、それが大人になってから、麻婆豆腐は美味しいけど、それが1番好きな食べ物だろうか、というと分からなくなってくる、という感じになってきたのだ。要するに舌の好みというのは意外と曖昧で、常に変わるものだろう、ということなのだ。

麻婆豆腐が嫌いになる訳ではないのだが、自分でも料理をするようになったり、和食、洋食、アジア料理と、いろんな料理を食べる機会が増えてくると当然選択範囲は広がり始め、好きな食べ物といえば、アレも好きだし、コレも美味しいし、となってきて、1つに絞るのがバカらしくさえ思えてくるのだった。

また、大人になって、子供の頃苦手だった食べ物の旨味に気づくことがある。私の場合はシイタケやインゲンなんかがそうなのだが、地味な和食、例えばひじき煮やきんぴら、白和え、菜っ葉の胡麻和え。酒が飲めるようになれば、当然ガキのころはその旨みを想像もし得なかったような、ぬただとか木の芽和えだとか、銀杏だとか。

そんな風になってくるので好きな食べ物を1つ選ぶなんてことはやっぱりバカらしくなってくるではないか。それにその時の胃腸の具合や体調次第で舌が感ずる味わいが変わってくる、なんてことも歳を重ねると気づいてしまったりする。腹ペコで食べる何かと、満腹でさらに口にする何かでは感じられる美味さが異なってくるのも当然だろう。

味覚というのも千差万別だから、舌の経験値が高い人には深い料理の味わいが分かるだろうが、例えばいつも化学調味料がベースになった出来合いの惣菜とかコンビニ飯に慣れてる人は凝った料理の美味しさが分からない、なんていうようなこともあるだろう。これは音楽と一緒でいろんな音楽を聞き込んだ人の言う傑作を、歌謡曲しか聴かない人に聴かせてみてもピンとこないのと同じである。

さて、私は子供の頃、先にも書いたが、どら焼きやカステラが好きだった。菓子の中でも特別に好きだったので周りにも公言していたのを覚えているし、それで親が買っておいてくれることもしばしばあった。もちろんおはぎや団子も好きで、アンコが好きだったことに変わりはなく、成人して以降も自分でアンコを炊く、なんてこともやったりしていた(こんなに砂糖を沢山使ってるのか、とアンコのレシピを知って驚愕もした)し、アンコドットコムというホームページを作りたい、なんていう妄想をした時期もあったほどである。

然るに味覚、舌の欲求は長続きしないから、アンコブームは一過性で、30代になってからはアンコの甘さに若干飽きてしまい、何かのはずみで食べると美味いが、進んで買って、ということが少なくなった。

数年前、妻の実家で、その土地の名物でもあるらしいバターどら焼き(現地ではバターどらという名称で親しまれている)というのを食べた。その時私は話頭を得るために義母に「僕どら焼き好きなんですよ」と漏らしてしまった。言ってから(どら焼き好きだったんですよ、の方が良かったかも)と思ったが、深くは考えなかった。

バターどらはアンコの上の層にバターが挟まった逸品で確かに美味しいかもしれない。しかし、私は初めてそれを食べた時、美味しいかもしれないけどバターの油身とアンコの甘みがしつこいかもしれない、とも思った。(これは一個で十分だ)と思った。

それからしばらく経ってから妻の実家からの荷物の中にバターどらが箱で入っていた。何個入りだったか覚えてないが10個前後はあっただろう。私は呆然とした。バターどらはナマモノなので賞味期限が2、3日しかなかった。私は義母の老婆心に感謝しつつも、好きな食べ物を答えることに関してその時ほど恨めしい気持ちになったことはなかった。
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