アクセルの育児記 第34話 モテ期の春
人生には3回モテ期が到来する、というバカらしい物言いがあって、私もモテるタイプの男性ではないので気にかけたことがなかったが、今まさにモテ期を迎えてるかもしれない。2人の女子が私にまとわりついてくる。1人は4歳児のこと子、もう1人はもうすぐ1歳になるふみである。
私が仕事から帰ると、晩メシまでの間や食後のひと時にそのフィーバータイムが訪れる。ふみが這いずって私の膝に手をかけ、そのまま上半身を起こして立て膝で笑顔を振り撒くと、こと子も負けじと反対側の膝に腰掛けて、トト大好き、と言ったり言わなかったりしながら抱きついてくる。これをモテ期と言わずなんと云おう。そしてこれが仮に成人女性であったなら、と想像し、プレイボーイの罪深さに想いを馳せる。
小川町に越して来てからこれまで、2人の娘は保育園に預けることなく、日中はピーさんが面倒を見ていた。それ自体大変なことであるが、赤ちゃんがいて積極的に外出もできないので、こと子の方は元気を持て余しがちである。それで夜になって私が帰ってくるとこと子は遊び相手が来た、という具合に「遊ぼうよ」と私にせっつく。
私は帰宅して夕飯を食べた後は皿洗いの時間なのでそれが終わってから風呂まで、または入浴後のひと時をこと子との交流時間にしている。遊びのバリエーションは徐々に増えてきていてかくれんぼ、じゃんけん、絵本のほか「動物ごっこ」など◯◯ごっこの類で、これはごっこをつければ何でも遊びになるのでバリエーションは無限大である。
「じゃあ私がお姉さんで、トトは怪獣ね、で、ふみが怪獣に襲われてるね、いい?」
とこと子が設定すれば、それに従うだけである。この「いい?」という、設定の後に必ず添えられる確認の投げかけにNOはなく、私はいつも「いいよ」というだけだが、めんどくさくて気持ちが乗らず生返事のことがほとんどだ。ところが、私が棒読みで対応していてもこと子はあんまり気にしないらしい。
動物ごっこは定番で、私が動物にされてこと子が人になるか、私が人でこと子が動物になるか、という設定で私が動物にされた時はその動物になりきって私が人の時は動物になりきったこと子と接するのである。なにが楽しいのかさっぱりわからないが何回もやらされて、私も疲れてしまい、
「遊ぼう?」
「いいよ…」
「じゃあ動物ごっこね、いい?」
の後、YESではなく、
「ええ、やだなぁ、動物ごっこ面白くないんだもーん」
とNOを突きつけてしまった。
その後こと子がどういう反応したか判然と覚えていないのだが、最近はさっぱりやらなくなって私も安心している。
でそんなこと子の4歳なりのめんどくささと対照的にただ泣いて、時には百万ドルの笑顔を振り撒き、私やピーさんを癒す0歳児ふみの可愛さは天井知らずである。浮世で言われる「今が一番可愛い時ね」の真っ只中という感じで。
こと子がそれくらいの時にはいろんな大人に「今が一番可愛い時期ね」と言われるたび、(こと子が可愛いのは今だけじゃねえだろ)くらいのことを考えていたが、こと子を4歳まで育て上げて振り返ると、(確かにふみくらいの1歳前後の、笑顔を振り撒き始めたり、頑張って這ったり、立ったり、まだ言葉にならないお喋りをしたり、これくらいの時期が一番可愛いかもしれない)と、前言を撤回しなければならない。
しかし、これくらいの時期が一番可愛いからと、ふみちゃんカワイイねぇ、と私やピーさんが目を輝かせていると、脇にいたこと子が「ウチ(こと子の一人称はオラからウチになった)もカワイイよ」と嫉妬する。下の子ができると、大抵は両親がその赤ちゃんにかかりきりになって上の子は妬くという。それが酷くなると赤ちゃん返りといって、赤ちゃんの真似をして酷く手を焼かせるらしい。そんなことを知っていたので夫婦で事前から心配していたが、こと子は「私もカワイイよ」と主張するくらいで、「こと子ももちろんカワイイよ!当たり前じゃん」などとフォローすると、それ以上拗ねるようなことはなかった。
そんな風に一番可愛いだろう時期のふみも、母親の身体的事情があって想定よりだいぶ早く断乳することになった。普段おっぱいを飲みながらねんねする習慣の赤ちゃんが、断乳でおっぱいを貰えなくなるとそりゃあ大変な取り乱し様で、眠いのに眠れないから全力泣きである。そんな時は私の出番で、私がおんぶ紐というものを引っ張り出しておんぶをすることになっている。
こと子の時もそうであったが、ふみもおんぶがハマるのか、始めのうちギャアギャア泣いていてもおんぶをしていれば数分で静かになり、眠い場合すぐに寝息を立てる。手間取る時でも30分か1時間くらい頑張れば何とか寝てくれる。
問題は背中で寝た赤ちゃんを無事に着床させることである。抱っこで寝た赤ちゃんをそのまま床に伏せる時だって細心の注意がいるのであるから、おんぶであればさらに工夫が必要になる。おんぶの状態から紐を解いて抱っこの状態から寝かせるのがよいだろうと、初めはその作戦で対処しようとしていたが、失敗を繰り返し、つまりまた泣き出してしまい、もう一度背負う羽目になるので、最終的におんぶ紐で縛ったまま、できるだけ重力に振り回されない様に私も一緒に横になり、しばらく私の背中の温もりが赤ちゃんに触れている時間を稼いで、無事ふみが寝ついたなと思ったら、そっと紐を解いて私が抜け出す、という方法を編み出した。
とはいえ、それで朝まで寝てくれたらよいが授乳中の赤ちゃんは何度も目覚めてしまうので夜中に1、2回、多い時は3、4回、私も起きてあやしてみたり、もう一度おんぶしたり、どうしても身体的にきつい時は泣き疲れるまで泣かせて無理矢理寝かせる。
夜中にふみをおんぶしている時は、じっとしていると機嫌を損ねやすいので、私は畳の居間を歩き回る。これは修行のような苦しいものだが、そんな時私はいつもネパールのポーター(山岳地帯を歩いて重い荷物を運ぶ荷役)の少年のドキュメンタリー映画「コーラと少年」を思い起こす。その映画は主人公のポーターの少年が、あるクライアントからの依頼で、リゾート地のポカラまで何日も80キロのコーラの冷蔵庫を背負って運ぶ、という姿をひたすら追う内容で、その単純なロードムービー性に私は惹かれてすごく気に入った作品だった。
私は半年前から移住先の小川町で、植木屋の見習いになったのだが、作業がキツい時はいつもこの映画の少年のことを思い出して、あの少年の背負った重みに比べればこれくらい、という具合に奮闘の糧にしていたが、ふみのおんぶ業のたびにまた私はその少年のことを思い出すのだった。彼の荷は80キロで山岳地帯を歩く。私が背負う赤ちゃんは10キロ弱で家の中を歩いているだけである。そう思うと、何のこれしき、と頑張れるのだ。
さて、ふみとこと子は保育園に預けなかったと書いたが、本当は預けたかったし、こと子などは東京にいた時には保育園に通っていてその楽しさを知っているのでまた保育園に行きたがっていた。もちろん両親である我々もそれを望んでいたのであるか、移住後にこちらの自治体に掛け合ったら折り悪しくあぶれてしまったのだ。それで諦めていたら、新らしい保育園が来年できるというので、昨年から出していた希望が叶って、こと子もふみも入園できることになった。
そして先月(3月)、その新しい保育園の造成工事があり、閑散期の植木屋の、その場凌ぎの派遣労働者として、私はその土木工事に3日ほど土方をやりに行く羽目になった。いや、2人の娘が通う保育園を造る工事であるから光栄だし気合いが入るといえば入るが、何しろキツい肉体労働である。具体的にはその保育園の園庭のフェンスを設置する仕事で、20キロ弱のフェンスの基礎石を運んだり、それを埋める穴を掘ったり、その基礎石を固めるモルタルを練ったり、またそれを運んだりする仕事だった。私はそのキツい肉体労働の最中もコーラの自販機の少年のことを思い出していた。
これを書いているのも夜中の布団の中でさっきまでふみをおんぶしていたのである。そして明日は何と遂に2人の入園式なのであり、我が庭に植えられた立派な桜が見計らったかの様に満開に咲いているのだった。
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