アクセルの育児記 第35話 ふみ1歳、こと子もうすぐ5歳
季節は流れ、あっという間である、先日次女のふみが1歳になった。およそ1年前、彼女が浮世にやってくる頃、私はこの移住先の小川町の新居で、家族のいない1人生活を始めたのである。ピーさんが里帰り出産で、しかもコロナ禍における制約のおかげで、私は生まれた子に逢いにいくことが許されなかった。出産1ヶ月後に初めて顔を見た赤子は、両掌でそっと包めるくらい軽く小さかった。
それからすくすくと育ち、ふみは1歳になる少し前に断乳し、同時に食事への快楽を覚えた。ご飯の時間になると、すぐに気配を察知して、ちゃぶ台に並ぶ食膳に向かい、一直線にハイハイしてくる。腹が減っている時などは、ともすると奇声を発してやってくる。
初めはスプーンでやっていたが、そのうち自らの手でむさぼるようになった。どうやら、人に喰わせてもらうより、己の手を使って食べ物を口に運ぶ方が、その過程で脳が活性化するらしいのでいいのだそうだ。私はそんなことも知らなかったが、自然教育ではそんなものらしい。気がつくと右手も左手も、顔も服もご飯だらけになっていたりする。私はそういうのが気になるので、片端からその米粒を掴まえて自分が食べてしまう。ホコリや繊維がついているかもしれないが、毒ではあるまい。
しかしまあ食べる食べる。米だけに限らず、麺もツルツル、ズルズルと、まだ小さな一本の下歯しかない口の中に面白いように吸い込まれていく。素麺なんかは掌いっぱいに掴んで口に運ぶ。柔らかい麺を握ったまま口に運んで、その指と指の間から這い出るミミズのような素麺にしゃぶりつくので、机の上はまた大惨事となる。なお、素麺は乾くのも早いので、すぐにフキンで拭きとってやらないと、後で後悔することになる。
こんな小さな身体の容積と比較しても、どうもそれは食べ過ぎではなかろうか、という量を食べ切るので呆れるが、思い起こせばこと子がこのくらいの時期もまたこんな調子で、幼児の食欲に閉口していたのではなかったか…。母乳という完全食がなくなり、(まだ歯は圧倒的に足りないが)食べ物を咀嚼することで、舌や鼻腔から色んな刺激が流れ込んでくる。しかもその美味い、という刺激は快楽の方面であって、まだ他に器用に動けない赤ちゃんにとって、食事は大イベントとなる得るのだろう。
我々のような大人でさえ食事はなかなかに侮れないイベントであるから、他に刺激の得方をさほど知らない幼児にとっては一大イベントに違いない。そう思えば、ふみのその前のめりな食欲もまんざら納得でないこともない。
それから最近のトピック、ハイハイしかできなかった彼女が初めて立ったのだ。立った、立ったと私やピーが喜んで反応するので、彼女も得意満面な笑みを浮かべている。立った状態から、その姿勢に疲れてよいしょ、と座り込むと、あ〜、と嘆息を漏らし、今立ったわねアタシ、という具合に手を叩いたりする。何かができたりすると、手を叩くことを保育園かどこかで覚えたのだろう。その原初的な自己肯定の姿は、清々しくもあり、可笑しくもあり、私も一緒に手を叩いていしまう。
さらにまた少し遡るが、音楽が聞こえたり、私やこと子やピーが歌を歌ったりすると、ふみはそれにすぐ反応を示して、手や足腰など、身体を動かすことに気づいた。四つん這いの、ハイハイの姿勢から、かかとを畳につけて踏ん張り、音楽に合わせて腰を上下させていた時は、その大胆な姿にビックリしたが、その時の姿勢といい、背筋を伸ばして立ったまま、膝を軽く屈伸させる彼女が最近よくやる踊りは、まるでレゲエダンサーのようなのである。ロンパーズという赤子服を着ている時は特にセクシーである。
音に敏感なんじゃないか、我々の子どもだからな、などと思っていたら、先日、音楽好きの友人の家に遊びに行った時、結構デカい音の出るスピーカーの前に陣取って、またぞろそのレゲエダンスを始めたので一座を大いに沸かせた。大きくなったら父ちゃんとバンドやってくれるだろうか。
一方、長女のこと子とはいうと、自転車の補助輪を外して、ちょっとだけペダル漕ぎができるようになり、ひらがなをマスターし(読みだけで書きはまだだが)、ひらがなで書かれた絵本なら、気づくと1人で声を出して読んだりしている。お尻も拭けるようになったし、歯も磨けるようになったし、順調にすくすく、といった感じである。
4月からは保育園に通い始め(ふみも預かってもらえることになった)、友達たちと元気に遊び倒しているようである。同じ園に移住仲間のヒーさんの娘やクリスチャンの娘が通っているので、私達夫婦もあらぬ心配もせず、安心して預けている。
この辺りでは評判の、子どもファーストな自然教育を標榜する知られた園で、我が娘らがいきいき遊んでいる姿を見ると、田舎に来ていい保育園に恵まれたものだな、と嬉しい気持ちになるのである。最高、最高、と言いたいところなのだが、一つ困ったことがある。というのも、この園の教育の真髄ともいえるだろう、ドロンコ教育のことなのである。
いや、もちろん、ドロンコになってハッスルする子供の姿を否定するつもりはないのである。ただ、そう、ただ、ちょっと困っているのは、それによる持ち帰りのドロンコ服の量なのだ…。1日で3着、4着は当たり前、多い時は6着、7着、といった具合で、そのドロンコ服をウタマロ石鹸で予洗いするのは主に私の役割なのである。こと子のだけならまだしも、ふみの服もすっかりドロドロになって戻ってくるので10着以上タライにぶち込んでゴシゴシしていることはザラにあるのだ。
ある時、2人を送りに行ったら、開園間もない保育園の園庭に先生たちがホースでドロンコの山(園庭には造園屋が造った山やトンネルがある)にせっせと水をかけている。私は衝動的に、(何してくれてるんだ…)と内心穏やかではなかった。それをピーさんに報告すると、「そうだよ、いつもかけてるよ、水…」と当然知っているかのような口ぶりなのである。どうやらそれがこの園の基本スタイルであるらしく、ドロをドロドロにするのが彼らの仕事でもあるのだ。しかも、園の給食員をやっている友人の女性曰く、「先生達が泥山から園児が滑るのを煽ってるからね、さあ、〇〇ちゃん行け〜って…」。
ともあれ、畑や田んぼの体験教育もあれば、山を散策するような時間もあるし、何より縦割り保育で、0歳児から6歳児までが隔たりのない、ホールのような造りの、園で遊んでいる。こと子が仲良しのたねちゃんと、年下の園児などをよく可愛がってくれていますよ〜、という微笑ましい報告も先生から聞いたりし、ほっこりとした気分になった。そんな保育園に、頭が上がらないのも確かである。そういうことを考えれば、私がドロンコ服をゴシゴシする時間くらい何でもないじゃないか、と思い込むように私は暮らしているのである。
それからすくすくと育ち、ふみは1歳になる少し前に断乳し、同時に食事への快楽を覚えた。ご飯の時間になると、すぐに気配を察知して、ちゃぶ台に並ぶ食膳に向かい、一直線にハイハイしてくる。腹が減っている時などは、ともすると奇声を発してやってくる。
初めはスプーンでやっていたが、そのうち自らの手でむさぼるようになった。どうやら、人に喰わせてもらうより、己の手を使って食べ物を口に運ぶ方が、その過程で脳が活性化するらしいのでいいのだそうだ。私はそんなことも知らなかったが、自然教育ではそんなものらしい。気がつくと右手も左手も、顔も服もご飯だらけになっていたりする。私はそういうのが気になるので、片端からその米粒を掴まえて自分が食べてしまう。ホコリや繊維がついているかもしれないが、毒ではあるまい。
しかしまあ食べる食べる。米だけに限らず、麺もツルツル、ズルズルと、まだ小さな一本の下歯しかない口の中に面白いように吸い込まれていく。素麺なんかは掌いっぱいに掴んで口に運ぶ。柔らかい麺を握ったまま口に運んで、その指と指の間から這い出るミミズのような素麺にしゃぶりつくので、机の上はまた大惨事となる。なお、素麺は乾くのも早いので、すぐにフキンで拭きとってやらないと、後で後悔することになる。
こんな小さな身体の容積と比較しても、どうもそれは食べ過ぎではなかろうか、という量を食べ切るので呆れるが、思い起こせばこと子がこのくらいの時期もまたこんな調子で、幼児の食欲に閉口していたのではなかったか…。母乳という完全食がなくなり、(まだ歯は圧倒的に足りないが)食べ物を咀嚼することで、舌や鼻腔から色んな刺激が流れ込んでくる。しかもその美味い、という刺激は快楽の方面であって、まだ他に器用に動けない赤ちゃんにとって、食事は大イベントとなる得るのだろう。
我々のような大人でさえ食事はなかなかに侮れないイベントであるから、他に刺激の得方をさほど知らない幼児にとっては一大イベントに違いない。そう思えば、ふみのその前のめりな食欲もまんざら納得でないこともない。
それから最近のトピック、ハイハイしかできなかった彼女が初めて立ったのだ。立った、立ったと私やピーが喜んで反応するので、彼女も得意満面な笑みを浮かべている。立った状態から、その姿勢に疲れてよいしょ、と座り込むと、あ〜、と嘆息を漏らし、今立ったわねアタシ、という具合に手を叩いたりする。何かができたりすると、手を叩くことを保育園かどこかで覚えたのだろう。その原初的な自己肯定の姿は、清々しくもあり、可笑しくもあり、私も一緒に手を叩いていしまう。
さらにまた少し遡るが、音楽が聞こえたり、私やこと子やピーが歌を歌ったりすると、ふみはそれにすぐ反応を示して、手や足腰など、身体を動かすことに気づいた。四つん這いの、ハイハイの姿勢から、かかとを畳につけて踏ん張り、音楽に合わせて腰を上下させていた時は、その大胆な姿にビックリしたが、その時の姿勢といい、背筋を伸ばして立ったまま、膝を軽く屈伸させる彼女が最近よくやる踊りは、まるでレゲエダンサーのようなのである。ロンパーズという赤子服を着ている時は特にセクシーである。
音に敏感なんじゃないか、我々の子どもだからな、などと思っていたら、先日、音楽好きの友人の家に遊びに行った時、結構デカい音の出るスピーカーの前に陣取って、またぞろそのレゲエダンスを始めたので一座を大いに沸かせた。大きくなったら父ちゃんとバンドやってくれるだろうか。
一方、長女のこと子とはいうと、自転車の補助輪を外して、ちょっとだけペダル漕ぎができるようになり、ひらがなをマスターし(読みだけで書きはまだだが)、ひらがなで書かれた絵本なら、気づくと1人で声を出して読んだりしている。お尻も拭けるようになったし、歯も磨けるようになったし、順調にすくすく、といった感じである。
4月からは保育園に通い始め(ふみも預かってもらえることになった)、友達たちと元気に遊び倒しているようである。同じ園に移住仲間のヒーさんの娘やクリスチャンの娘が通っているので、私達夫婦もあらぬ心配もせず、安心して預けている。
この辺りでは評判の、子どもファーストな自然教育を標榜する知られた園で、我が娘らがいきいき遊んでいる姿を見ると、田舎に来ていい保育園に恵まれたものだな、と嬉しい気持ちになるのである。最高、最高、と言いたいところなのだが、一つ困ったことがある。というのも、この園の教育の真髄ともいえるだろう、ドロンコ教育のことなのである。
いや、もちろん、ドロンコになってハッスルする子供の姿を否定するつもりはないのである。ただ、そう、ただ、ちょっと困っているのは、それによる持ち帰りのドロンコ服の量なのだ…。1日で3着、4着は当たり前、多い時は6着、7着、といった具合で、そのドロンコ服をウタマロ石鹸で予洗いするのは主に私の役割なのである。こと子のだけならまだしも、ふみの服もすっかりドロドロになって戻ってくるので10着以上タライにぶち込んでゴシゴシしていることはザラにあるのだ。
ある時、2人を送りに行ったら、開園間もない保育園の園庭に先生たちがホースでドロンコの山(園庭には造園屋が造った山やトンネルがある)にせっせと水をかけている。私は衝動的に、(何してくれてるんだ…)と内心穏やかではなかった。それをピーさんに報告すると、「そうだよ、いつもかけてるよ、水…」と当然知っているかのような口ぶりなのである。どうやらそれがこの園の基本スタイルであるらしく、ドロをドロドロにするのが彼らの仕事でもあるのだ。しかも、園の給食員をやっている友人の女性曰く、「先生達が泥山から園児が滑るのを煽ってるからね、さあ、〇〇ちゃん行け〜って…」。
ともあれ、畑や田んぼの体験教育もあれば、山を散策するような時間もあるし、何より縦割り保育で、0歳児から6歳児までが隔たりのない、ホールのような造りの、園で遊んでいる。こと子が仲良しのたねちゃんと、年下の園児などをよく可愛がってくれていますよ〜、という微笑ましい報告も先生から聞いたりし、ほっこりとした気分になった。そんな保育園に、頭が上がらないのも確かである。そういうことを考えれば、私がドロンコ服をゴシゴシする時間くらい何でもないじゃないか、と思い込むように私は暮らしているのである。
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