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アクセルの育児記 第37話 星になったジィジ

12月のある日、その日はピンポン飯店が熊谷の夜市に出店する予定であった。夜の出店なので東京にいるオヤジに、子守り番として昼過ぎに来てもらった。手作り中華まんを販売する予定で、わざわざ昼過ぎに来てもらったのは、仕込み量が侮れず、我々が鋭意まんじゅう仕込みに取り組んでいる間も子らの面倒を見てもらうためだった。

次女のふみは、最近幾らか発語できるようになってきており、ワンワン、ニャンニャン、などと言う。ママ、パパ、ネエネなどとふみに続けて復唱させるのが最近の我が家の流行りなのだが、つい先日、こちらが言ってないのに、ママ、パパ、ネエネの流れでその後にジィジと発語した。我々は、アレ、今このひとジィジって言ったよね、と顔を見合わせて驚いた。ふみの中で、近くにいる人の認識としてオヤジが仲間入りしてたのである。ふみはオヤジとは月一くらいでしか会ってないのに不思議であった。

そんなことがあったからか、その日はふみがオヤジをジィジ、ジィジと呼ぶようになって私は癒された。オヤジもまなじりを垂らして嬉しくて仕方なさそうであったが、おかげで我々が血眼で中華まんを量産する間、ずっとオヤジはふみをあやしてくれていた。久々にオヤジの存在が頼もしく思え、またありがたかった。

結局その日の夜市では肉まんを売り切り、大満足で帰宅することができた。帰宅するとオヤジがすでに出来上がっていて、我々の帰宅を待っていた。そして、遅くなったけど、お前の誕生日祝いのケーキを買ってきたんだ、といい上機嫌に歌を歌って祝ってくれた。私の誕生日はすでに1ヶ月以上も過ぎていて、何だかこそばゆいというか、妙な気分だったが、いつにも増して、とにかく楽しそうに飲んでるオヤジを見て私も愉快な気持ちになった。

翌日、朝早く、あれだけ飲んで潰れたのにきっかり予定時刻にオヤジは起きて、ゴルフに行くということで別れた。まさかそれがオヤジの最後の姿になるなんてまったく思いもしなかった…。

突然死で苦しまなかったようだ、という警察医の話しを信じて私は静かにオヤジの死を受け止めようと努めていたが、まだ言葉も分からないふみはよいとしても、あれだけ懐いていたこと子はオヤジの死を受け止められるのだろうか。私の過剰な心配をよそに、こと子は意外と平気そうだった。死んだらどこに行くの、そうだね、空にいるんだよ、という会話くらいで、それ以上のことはあまり話さなかった。

ところが、葬儀の関係で、オヤジが単身暮らしていた実家に姉と集まった時、洋服箪笥の上部ガラス戸に挿し込まれ、こちらを向いていること子がオヤジを描いた絵の存在に本人が気づいた時、ふとこと子が泣き出した。急にヒクヒクと息を吸って泣き出すのでピーさんが様子をうかがうと、
「ジィジ、私が書いた絵を大事にしてくれてた…」
と、かすれ声でこぼして、またヒクヒクと泣いているので私もピーも思わず涙を垂らした。

それから数日後の車の中でも、急に、ジィジと一緒にまたお買い物に行きたい、行きたい、と繰り返し言って酷く泣いた。少し前にこと子の靴を買ってもらうのに、東松山のピオニーウォークというショッピングモールにオヤジと行った時のことを思い出しているらしかった。私たちはめったにそんなとこに行かないので、子どもにとっては遊園地に行ったかのような感覚だったかもしれなかった。キラキラと賑やかなお店が並ぶ中をジィジと手を繋いで歩くこと子の姿がすぐに具体的に思い出されて、私の視界がかすんだ。ジィジは天国にいるから泣かないで、そんな泣いてると天国のジィジが寂しいよ、と鼻声でピーが必死に慰めていたが、こと子が寝静まった後で私に、ツラいよね、ツラいよね、と涙をぬぐった。

この調子では、これから何度となくこのしんみりした時間を家族で共有しなければいけないのかな、と案じたが、以降、こと子がオヤジのことでジャミることはなくなった。

告別式を終え、ホッとして迎える新年は、私が年越しに何度も赴いている御嶽山に初日の出を拝みに行った。こと子はここに来るのが3度目だったろうか、ケーブルカーの駅から山頂までの登山を初めて自分の足で登った。私に似てひ弱体質に見えたが、どろんこ保育園でのハイキングや登山体験で大分体力がついたのかもしれない。1歳半のふみは私の背中に揺られ、超望台で日の出を待ったが寒さと眠気で機嫌が悪かった。

その時見た初日の出に、私は例年にも増して胸を掴まれた。地平線の向こうに少しずつ浮かび上がる光の固まりにオヤジの姿を重ねずにいられず、またそんな美しい陽をこうしてまた無事に眺めることができた喜びに嗚咽が漏れ、恥ずかしくてピーさんに慰めてもらった。

オヤジの居なくなった実家のマンションから、亡き母が祀られていた神棚を、小川町の新居に移して父を一緒に祀った。納骨まで朝と夕にお供えとお参りをすることになっているのだが、こと子はこのお参りを、5歳の子どもなりに真剣に、丁寧にやろうとするのが健気である。神道なのでニ礼二拍手一礼を私、ピー、こと子と食事前に行うのでついにふみも近くに寄ってきて真似するようになった。そして、お骨の脇のオヤジの遺影を指差しては、ジィジ、ジィジ、と嬉しそうに私に教えてくれるのであった。
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