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「長尾和彦さんを偲ぶ会」について

 12月12日、来たる父の初の命日に「長尾和彦さんを偲ぶ会」というコンサートイベントが開催される。

 発起人はバラライカ奏者の北川翔くん。翔くんが私に「長尾さんの追悼コンサートをやりませんか」と呼びかけたのがきっかけである。父はギタリストとして、また主にはそれよりもその茶目っ気とキャラクターにより、クラシックギター界をはじめ、勤務した学校関係者、青春を謳歌した学生時代の先輩後輩、出身地である周防大島の同人会など、さまざまな方面の方々から愛されていた。死亡後にそのことを、また新たに思い知った私が、その翔くんの呼びかけに応じないのは野暮だろう。私は、ほんの一瞬、めんどくさいなぁ、と不平がよぎったのを戒め、腹を決めて承諾した。

しかし、追悼コンサートである! 20代の頃はミュージシャンとして生きることを夢見た私のような人間からしたら何とも羨ましいことである。光栄なこと。立派なオヤジを持ったものである…。

翔くんは、クラシックギター弾き語り界(そんなものあるのか?)の第一人者とも称される原壮介さん、そして西荻窪にクラシックギター販売店を構えるG&M(奇しくも私のバンド<赤い疑惑>が20年間練習しているスタジオの斜向かいにある)の鈴木さんにも賛同を得て、私を含めその4人が実行委員として並ぶことになった。

何故ロシアを代表する楽器、バラライカの奏者である翔くんと父に縁があったのか、その点を説明しなければならない。

翔くんの祖父、北川剛さんは終戦後、シベリア抑留でロシア民謡に出会い、帰国後ロシア民謡を世間に広めた方。そして翔くんの父、北川つとむさんは、剛さんの影響でバラライカの演奏で開花し、日本のバラライカ奏者の第一人者となった。私の父はある時期から、この北川つとむさんと縁ができて、つとむさんのロシア民謡の伴奏者としてしばらくの間ギターを弾いたのである。

しかし、つとむさんがガンで若くして亡くなると、息子の翔くんがバラライカ奏者として後を継ぐこととなり、翔くんの楽団の団長として彼は父にその任を依頼したのだった。

父の音楽活動は学生時代から結婚生活が始まるまでクラシックギターであったが、私や姉が物心つく頃にクラシックからラテン(メキシコのマリアッチスタイル)に華やかに(?)転向し、その頃から急にメキシコの演歌のような唄(ボレロなど)を歌い始めるのであった(以降、父はメキシコに因んで自身のラテン芸名を長尾カズメヒコとした)。父がロシア民謡の伴奏をやるようになったのも丁度同じくらいの時期だったんじゃないかと記憶するが、とにかくその頃からオヤジはクラシックを演奏することはほとんどなくなり、ラテンとロシア民謡の二足の草鞋で活き活きと活動していた。

翔くんが何故歳が40ほども離れた私の父を団長に迎えたのか、その真意を聞いたことはないし、いかにも不思議なことだが、父に何かしらの魅力を感じていたのだろう。年老いてラテンの活動を休止してしまってからも、結果的に翔くんは、父の尻を叩きながら最後まで父を音楽人として生かしてくれ、かつ父の気の置けない酒呑み相手として濃い関係を築いてくれた。追悼イベントの声がけまで、感謝の念に絶えない。

実行委員であり、あの加藤登紀子さんと深い関係である原壮介さんと、バラライカ民謡を通じて加藤登紀子さんと交流のある翔くんは、偲ぶ会のスペシャルゲストとして加藤登紀子さんに出てもらえないかダメもとで聞いてみようということになった。私は父が加藤登紀子さんのことを、さも知り合いであるかのように妙に馴れ馴れしく「オトキサン」と呼んでいたのをよく覚えている。直接のつながりというより翔くんの父、つとむさんがロシア民謡を通じて加藤登紀子さんと親しくなった結果、父も何度か現場で顔を合わせていたらしい。残念ながら年末は自身の「ほろ酔いコンサート」の全国ツアーが忙しいということでにべもなく断られたそうだが…。

翔くんに、「折角なのでハルタケさんのバンド(赤い疑惑)も演奏しませんか?」と声をかけられたので断る理由もなく参加することになった。何を隠そう我が赤い疑惑は幾度か父と共演し、録音した曲も残している。枠も長くないのでその曲を演奏して少しトークを入れれば間が持ちそうである。

翔くんと原さん、鈴木さんとミーティングを重ねるうちに、折角だから、長尾さんがやってたラテンの定番曲を最後に皆んなで演奏したいですね、という話が出た。

父を知らない人には説明するのが難しいが、父のラテンへの熱の入れようは…、例えて言えば私がロックにハマって無我夢中でバンドをやってきた、それくらいアツいモノがあったと思う。「べサメムーチョ」や「キエンセラ」など日本の人によく知られた曲もあるが、それらを演奏し、歌う時の父の表情はなかなか味わいのあるものだったと思う。いわゆるラテン人のセンティミエント(南米の人たちが持つ特有の感情、情感)をしっかりカバーしていたのでは、と倅が評価してしまうほどエモーショナルだった。

若い頃、ロックを否定された経緯から、私はある時期父に、また父の音楽(ラテンを唄い出すようになってから、休日に手加減なしでビブラートを効かせた父のがなり声が家中に鳴り響いた時期はとんだ迷惑だった…)や音楽性に反発していたが、歳を重ね、私が南米音楽に惹かれるようになってからは、父のやっていることにリスペクトを抱けるようになっていった。

親が本気で楽しんでいる姿を見る、ということはとても大切で貴重なことでもある。いつか子育てをするようになった私も、娘らに、私が人生を楽しんで生きているところを見せられれば大した教育などしなくても、きっとよい道を見つけてくれるのではないか、とそこまで思う。私が今こうして家族と田舎暮らしを満喫できているのも、母や父が人生を謳歌した姿を見てきたからだろう、と思う。

「長尾和彦さんを偲ぶ会」はライブハウスではなくコンサートホールで行われる。勝手知ったるライブハウスとは違い、チケットは事前に販売してお客さんに渡す必要がある。バンドをやり始めの頃体験したチケットノルマを苦々しく思い出す。先日200枚のチケットが我が家に届いた。赤い疑惑で客集めても10人くらいが関の山だというのに200枚は…。

とはいえ、これはノルマではなく意気込みの量。捌けるだけ捌いてくれ、という訳であるが、なんと当日はど平日の月曜日。平均的勤め人はまず来られない設定であり、父と同世代、または現役引退世代以降の動員に期待するしかないのですが、もしこれを読んで、行ける、という方がいたら是非ご連絡を。

このイベントが終わるまで私の喪は明けないような気がしている。

長尾和彦さんを偲ぶ会チラシ案
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