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脱サラリーマン物語(後前編)

急展開で田舎の中古家をローンで購入した直後、2022年4月1日、政府がコロナウィルス蔓延を受けて「緊急事態宣言」なるものを発表し、日本国内の移動が極度に制限され、外出時のマスク着用などが厳格に呼びかけられた。

政府による、そんなヘンテコな行動制限を受けたことは生まれて初めてのことだったが、この宣言を受けて国内の会社組織は、社員の通勤を規制して減らす、または自宅勤務を励行していくようになった。そしてこのような政府による規制は世界規模で同時多発的に進められ、当然飛行機による出入国もシャットアウトされた。

私が勤めていたシェアハウス管理会社はインバウンド、つまり外国人を相手にした商売だったので、かなりの被害を被ることになった。海外への行き来ができなくなったことで新規のお客さんはゼロとなり、その時まで滞在していたお客さんは逆に日本から出られなくなった。会社の売上げは日本から出られなくなったお客さんの宿泊費だけとなり、先行きは霧の中だった。

そして会社は、お客が減って仕事も減ったので、ちょうどいい、世間並に正社員の勤務日数を半分ほどに減らした。緊急事態宣言が発令されていたので、政府は、喫緊の用事以外ステイホーム、つまり、家で静かにしてろ、と警告していたが、バカヤロウ、と私はそんなことを無視して、ボーナス的に発生した休日は、移住先の小川町に通って、新居のリフォーム作業にあてられたので、緊急事態宣言は私にはかえってラッキーだったのかもしれない。

購入した家での滞在時間は、むき出しの自然と家を買った高揚感で常に楽しかったが、会社出勤日の勤務中は常に不穏な空気感に苛まれた。経営陣はイライラしている。いつも通り外回りに出ると都内の電車はガラガラ。すれ違う全ての人がマスクをしている。何だか人の視線が今までと違う気がする。みんながそれぞれ警戒感を携えているような…。

そしてトラブルが発生した。グループ会社の会長、つまり1番偉い人、利益至上主義で守銭奴のクソおじいさんのパワハラが炸裂したのだ。その、クソおじいさんのパワハラは有名で、そのせいで彼のグループ会社社員は常に激しい入れ替わりを繰り返していたほどだ。

勤めていた会社の中でも、私が所属していたメンテナンス部は比較的、その会長から目をつけられ辛い部署だった(標的にされるのは大体営業部だった)ので、私なども油断していたほどなのだが、コロナショックで頭に血が昇った会長に突如呼び出され、理不尽な因縁で激しく罵られた。私はそこでプツっと何かが弾けるのが分かった。もうこんな感じなら、いっそこの会社を辞めてしまおうかな…。

そこから私の胸中は激しく揺れ始めていた。実際、小川町から新宿までの通勤時間は2時間弱とタフなものだった。これじゃ子育てもピーさんにストレスかけるしな…、田舎暮らしが期待した以上に最高だから、思い切って地元でできる仕事を探すか…。そうは言ってもな、さて、薄給だけど何とか生活できる収入を得ていたサラリーマンを辞めたところで、オレに何ができるか…。ホントに家族を養っていけるのかおまえさん…。

ピーさんに、思い切って今の仕事辞めようと思う、と伝えたところ、案外あっさり、いいんじゃない、という感じだった。私は不安ではあったが、行け、行け、という天の声に従って会社に退職願いを提出した。

遂に退勤日も決まった。私はこの時はまだ、正社員という生活スタイルを諦めていなかったので、小川町の正社員の求人に応募したり、車で通えそうなエリアの求人もチェックしていたが、断られたりうまくいかなかった。

そんな中、東京時代のとある友人が移住したなら植木屋がいいよ、とSNSでアドバイスをくれた。そうか、植木屋か。植木屋さん、それまでは、その職業のことはもちろん知っていたが、まさか、自分がやるなどということは考えもしなかった職業だ。しかし、私がその頃親しくなった先輩バンドマンにもラスタの植木屋さんがいて、私は彼の野良仕事ぶりを自分の目で見る機会があったのだが、それがとてもかっこよかった。軽トラ1台で1人親方として自営で働いているようだった。

どうせ、脱サラするのだから…。植木屋に興味を持ったのはそれだけではなかった。中古で購入した私の古民家の敷地は約200坪と結構デカく、こまめに管理しないとボウボウの藪になってしまうことが素人目にも予想できた。敷地内には梅、栗、柿、ユスラウメなどの実を食べられる木や、桜、楓、ツバキ、桃など、愛で甲斐のある植木も結構植っている。

せっかく田舎暮らしを堪能するなら庭木の管理も自分でできたら…。私の植木屋転職熱はジワジワと高まっていき、遂に小川町で募集をかけている植木屋に応募してみた。植木屋なら髭なんかも文句は言われないだろう…。

初心者歓迎、というコピーを頼りにネットで応募すると、すぐに電話がかかってきて、一度会えますか、ということになった。驚いたのは履歴書は要らないです、と言われたことと、私がオタクまで行きますから、と先方に言われたことだ。知り合いのツテでバイトした時以来、履歴書なし、などという面接は初めてで、私はかなり興奮した。何しろ長いフリーター時代や、転職を繰り返していた私にとって履歴書を、ましてや職務経歴書など、そういった自己PRのための書類を書くのが心底嫌いだったのだ。

私が面接地に赴かず、向こうでこちらに来てくれるという面接も初めてだったが、Mさんという親方は軽トラでやってきて、仕事の面接は、家の前の路上で行われた。何を聞かれて何を答えたかも覚えてない。とにかく、じゃあとりあえずまずやってみましょうか、ということになり、私はその日から植木屋見習いとなった。

初出勤の現場は隣町のとある空き地の草刈りだった。草刈り機は田舎暮らしに必須、と聞いていたので既に持っているものがあった。しかし、草刈りと言ってもその空き地の草は、おそらく一年以上放置していたのだろう、自分の背丈よりデカい雑草が所狭しと生えていて、草刈りというより開拓という感じだ。

私は都会から来たヘタレと思われたくない一心で無我夢中で草刈り機を振り回していたが、何と藪蚊の数が物凄く、グローブと長袖の間にささやかに顔を出した腕の皮膚や、グローブの上からも、ヤツらの集中放火にあい、かゆいの何の、初日じゃなければ耐えられなかったかもしれない。秋口であったが汗だくで働いた。大変といえばむちゃくちゃ大変な仕事だが、終わった後の達成感にどこかときめくところがあった。

今までこんなにフルで身体を動かす仕事をしたことがなかったが、仕事後の疲労感はデスクワークの疲労感とは別の次元で私はかえって元気になっていくような気がした。

頑張っているうちにいろんなお宅の庭木を刈り込んだり剪定するようになり、チェーンソーを使った伐採なんかも覚えて面白みも出てきた。木を切ることがこんなに楽しいことなのか…。私は日々汗を流し新たな境地にいる自分を発見した。

植木屋の仕事の面白みを確かめていた頃、ピーさん(奥さん)のキッチンカーの話しが浮上した。軽トラの荷台に木造のキッチンを乗せてたこ焼き屋をやっていたおっちゃんからヒントを得た。軽トラを買えば植木屋でも使えるし…。

移住をして、脱サラして、というような新たな世界への足どりが、私を変に鼓舞し、新たなチャレンジを更に促してくるようだった。そしてボロボロの軽トラを15万円でゲットし、移住後に勢いづいたDIYのモチベーションを元に、夢のキッチンカー作りに舵を切ったのだった。(後後編に続く)
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