合縁奇縁 ある友人との交歓
縁は異なもの味なもの、ということわざがあることを、こと子が保育園から支給されたカルタで遊んでる時に知った。縁は不思議である、という意味であると思ったが、どうもこのことわざは男女間の縁のみを指す表現だそうた。
検索すると、他に縁は奇なり、合縁奇縁なぞという表現が出てくる。まあ、どれでもよいのだが、縁は不思議である、という事実は、歳を取れば取るほどに明らかになってくる。皆さんもそうじゃないだろうか。私はまだ40代だが、この先50、60と積み重ねていくほどにその思いは確信へと膨らんでいくのだろう。
私が父と母の子として生まれてきたこと、赤い疑惑という3ピースのバンドを組んだこと、結婚して子どもが生まれたこと、今小川町に移住して田舎暮らしを堪能していること。辿ってゆけば沢山の人との出会いと縁から出来上がっている。
先日、私が20代の頃に命懸けで取り組んでいたロックバンド、赤い疑惑のワンマンライブが、移住してきた小川町で開催された。小川町に来てから3年弱、その間に多くの友人ができたが、その友人の多くは私が謎のロックバンドのボーカルの人であるとは、私がそのライブのチラシを渡すまで知らなかった。だから私は、(ついにオレのもう一つの顔を見せる時が来たのだ)と、意気揚々と当日を迎えたんだ。
私は、普段告知に利用しているSNSで、今回のライブ告知は済ませていたが、カルトバンド赤い疑惑が小川町でライブをやったとして、東京など遠方からお客さんが来るとは思っていなかった(茨城から来た、不思議な縁で繋がったキャプテン家族以外は)。
17時に会場がオープンし、お客さんが押し寄せてきたらどうしよう、という不安は杞憂に終わり、1番に来たニシカワくんが1人退屈そうに開演を待つような状態で、私はハラハラし始めた。しかし開演10分前くらいからボチボチと、直前になると続々と入り始め、次の瞬間、数年ぶりの顔が3人、エントランスに現れたではないか。
合縁奇縁、彼らは赤い疑惑のメンバーが出会った大学時代の、私が創設した文化系サークルの友人である。まさか東京からわざわざやってくるとは思わない訳で、マジかよ、と驚く私に、したり顔の腐れ縁の面々。
「何だよ、来るなら言ってよ!」
「言わねーよ!言わねー方が盛り上がるだろ」
あの頃の、戯れるような、バカバカしい会話のノリが一瞬にして蘇る。
そして彼らと久闊を叙しているところにまた数年ぶりの2人がエントランスに現れたではないか。いつも通り派手な色使いの服を身にまとった2人は、さも来て当然でしょ、というような済ました顔で、来たよ、と言ってくれる。アサくんとヒトミちゃん。2人と仲良くなったのはもう15年以上前だ。
アサくんと初めて話したのは、新宿のライブハウスで彼が当時やっていたバンドと対バンした時だ。20代前半で生意気ざかりだった頃の当時の私は、自分のバンドのクオリティーのことは棚に上げて、周囲のバンドを見下しがちだった。アサくんのバンドを、「大したことないな」と思って、このバンドとは縁がないだろう、くらいに思っていたのに、バンドリーダー然とした彼の方から話しかけてきたのだ。
「赤い疑惑、ナメてたけど、ライブ見てすげーよかったよ」
後でアサくんが少し歳上なのを知ったが、どこか上から目線で、だけど親しみを込めて私に伝えてくるのだ。雰囲気的にミーハーで軽い印象の彼だったが、自分のバンドのことを褒められると急に私も相好を崩し、またその軽い、テキトーそうな彼のキャラクターのポジティブな明るさに、自然と私の心が開いていくのが分かった。
最初の出会いはそんな感じだったのだが、彼は当時ディスクユニオンのパンク部門で働いていたので、その後、赤い疑惑がCDをリリースする運びになった時は販促の協力を申し出てくれた。赤い疑惑がライブのオープニングでやっているお囃子(という名のアカペラ行進)を、ディスクユニオンの各店舗で披露しながらCDを売ろう、というのである。
目立ちたがり屋だった私は、面白いと思って快諾し、吉祥寺、浦和、池袋、立川、関内などなど、東京近郊に散らばったディスクユニオン各店舗を1日のリミットで電車を乗り継いで歌って回った。決して楽な道中ではなく、むしろ罰ゲーム的なしんどささえ感じてしまったし、その思いつきの企画でCDが沢山売れたか、というとどうも怪しいが、そんなバカな下らない企画を遊び感覚で本気で提案してくれて、一緒にドサ周りしてくれた彼に、私は次第に好感を抱くようになり、それから会うたびに親近感が深まっていった。
ヒトミちゃんはアサくんと私が知り合った頃からの彼のパートナーで、サバサバした、男子っぽい話し方など気の置けない感じで、仲睦まじい2人はいつも大体一緒だったので自然と2人セットで仲良くなっていった。2人ともいつも色彩溢れた洋服を着こなしていて目立つ存在なので、遠くからでもすぐに分かるのだった。
ヒトミちゃんは旅好きで、国内でも海外でも、お得なチケットを見つけるのを特技としており、ある時期から2人はしょっちゅう旅行に出ているのがSNSを見ていると分かった。アサくんが東南アジアの旅先で、現地の人達の屈託のない笑顔や、元気さを目の当たりにして感動していた。赤い疑惑の曲で、私が東南アジアの貧乏旅行をしていた時に感じた、似たような心境を歌った曲があるのだが、彼はアクセル(私の芸名)の歌ってたことが分かったよ、と言ってくれて嬉しかった。
彼とは311以降の自民政治に対しての反対運動においても気持ちを共感できる友達だったが、話してみると左翼的な気概が親から自然に受け継がれているようだった。原発事故以降、私は作る曲の大半が反体制的な内容になってしまったが、アサくんが当時やっていたバンドでも政府を揶揄する表現を使っていて、彼に対する信頼度は増した。
とはいえアサくんは持ち前の人柄で、常に愉快なお友達に囲まれている。私と特別に仲がいいわけじゃなく、どんな友人とでもあのキャラクターでよろしくやっている。
私が移住してから東京の友人との交流はほとんどなくなり、当然、赤い疑惑のワンマンライブに東京から友人が来るとは思わなかったところへ彼らが来てくれたのだから、どれだけ嬉しかったか、何となく分かってもらえるかな。
でここからが合縁奇縁、そうそう、縁とは不思議について、数ある例の中から今回はこのことを書きたかったんだ。
当日のライブのMCで、私は、田舎に移住して、その暮らしぶりがどれだけ私を幸せにしてくれているかを語っていた。移住後はそのことばかり考えていて、お客さんの前で何を語るか、となったとしてもそれ以外考えられないくらい私は田舎暮らしに没頭し、今や愛している。
それで、実は私は、今住んでいる中古家の裏手に聳える竹藪の山を買おうとしていて、そのことについてMCで話したんだ。私の夢は竹林に所狭しと生えた竹を間引きして風通しを改善し、徐々に落葉広葉樹を植えてその山全体を美しい森に変えたい、というものだ。
当夜のライブは、娘たちのお友達も沢山来てくれて、半分保育室の様相を呈し、温かい雰囲気の中、大盛況のうちに終えることができた。そしてライブ後にアサくんと話しているこんなことを言うのだった。
「前にも話したかもしれないんだけど、オレの義父が隣のときがわの土地を買って広葉樹を植えようとしてるんだよ。タイミングあったら今度会わせたいな」
ときがわというのは小川町に隣接した町で小川町に負けず劣らず、美しい里山が魅力で移住者も数多く住んでいる田舎町だ。車でも15分くらいで行けてしまう場所で親近感すら持っている。そんな場所にアサくんの親戚が山買って山小屋建てて、さらに広葉樹を植樹しようとしている…。
ライブで田舎暮らしのことを話しても関心を持たれることは今までほとんどなかったので、今回のアサくんからの縁は刺激的だった。私が落葉広葉樹、というフレーズを発しなかったら、アサくんは私にそんなことは言わなかっただろう。この縁が次にどんな展開をもたらすのか、もたらさないのか、私には分からないが、とにかく繋がりの不思議さに身を委ねながら私は今日も生きているのである。
検索すると、他に縁は奇なり、合縁奇縁なぞという表現が出てくる。まあ、どれでもよいのだが、縁は不思議である、という事実は、歳を取れば取るほどに明らかになってくる。皆さんもそうじゃないだろうか。私はまだ40代だが、この先50、60と積み重ねていくほどにその思いは確信へと膨らんでいくのだろう。
私が父と母の子として生まれてきたこと、赤い疑惑という3ピースのバンドを組んだこと、結婚して子どもが生まれたこと、今小川町に移住して田舎暮らしを堪能していること。辿ってゆけば沢山の人との出会いと縁から出来上がっている。
先日、私が20代の頃に命懸けで取り組んでいたロックバンド、赤い疑惑のワンマンライブが、移住してきた小川町で開催された。小川町に来てから3年弱、その間に多くの友人ができたが、その友人の多くは私が謎のロックバンドのボーカルの人であるとは、私がそのライブのチラシを渡すまで知らなかった。だから私は、(ついにオレのもう一つの顔を見せる時が来たのだ)と、意気揚々と当日を迎えたんだ。
私は、普段告知に利用しているSNSで、今回のライブ告知は済ませていたが、カルトバンド赤い疑惑が小川町でライブをやったとして、東京など遠方からお客さんが来るとは思っていなかった(茨城から来た、不思議な縁で繋がったキャプテン家族以外は)。
17時に会場がオープンし、お客さんが押し寄せてきたらどうしよう、という不安は杞憂に終わり、1番に来たニシカワくんが1人退屈そうに開演を待つような状態で、私はハラハラし始めた。しかし開演10分前くらいからボチボチと、直前になると続々と入り始め、次の瞬間、数年ぶりの顔が3人、エントランスに現れたではないか。
合縁奇縁、彼らは赤い疑惑のメンバーが出会った大学時代の、私が創設した文化系サークルの友人である。まさか東京からわざわざやってくるとは思わない訳で、マジかよ、と驚く私に、したり顔の腐れ縁の面々。
「何だよ、来るなら言ってよ!」
「言わねーよ!言わねー方が盛り上がるだろ」
あの頃の、戯れるような、バカバカしい会話のノリが一瞬にして蘇る。
そして彼らと久闊を叙しているところにまた数年ぶりの2人がエントランスに現れたではないか。いつも通り派手な色使いの服を身にまとった2人は、さも来て当然でしょ、というような済ました顔で、来たよ、と言ってくれる。アサくんとヒトミちゃん。2人と仲良くなったのはもう15年以上前だ。
アサくんと初めて話したのは、新宿のライブハウスで彼が当時やっていたバンドと対バンした時だ。20代前半で生意気ざかりだった頃の当時の私は、自分のバンドのクオリティーのことは棚に上げて、周囲のバンドを見下しがちだった。アサくんのバンドを、「大したことないな」と思って、このバンドとは縁がないだろう、くらいに思っていたのに、バンドリーダー然とした彼の方から話しかけてきたのだ。
「赤い疑惑、ナメてたけど、ライブ見てすげーよかったよ」
後でアサくんが少し歳上なのを知ったが、どこか上から目線で、だけど親しみを込めて私に伝えてくるのだ。雰囲気的にミーハーで軽い印象の彼だったが、自分のバンドのことを褒められると急に私も相好を崩し、またその軽い、テキトーそうな彼のキャラクターのポジティブな明るさに、自然と私の心が開いていくのが分かった。
最初の出会いはそんな感じだったのだが、彼は当時ディスクユニオンのパンク部門で働いていたので、その後、赤い疑惑がCDをリリースする運びになった時は販促の協力を申し出てくれた。赤い疑惑がライブのオープニングでやっているお囃子(という名のアカペラ行進)を、ディスクユニオンの各店舗で披露しながらCDを売ろう、というのである。
目立ちたがり屋だった私は、面白いと思って快諾し、吉祥寺、浦和、池袋、立川、関内などなど、東京近郊に散らばったディスクユニオン各店舗を1日のリミットで電車を乗り継いで歌って回った。決して楽な道中ではなく、むしろ罰ゲーム的なしんどささえ感じてしまったし、その思いつきの企画でCDが沢山売れたか、というとどうも怪しいが、そんなバカな下らない企画を遊び感覚で本気で提案してくれて、一緒にドサ周りしてくれた彼に、私は次第に好感を抱くようになり、それから会うたびに親近感が深まっていった。
ヒトミちゃんはアサくんと私が知り合った頃からの彼のパートナーで、サバサバした、男子っぽい話し方など気の置けない感じで、仲睦まじい2人はいつも大体一緒だったので自然と2人セットで仲良くなっていった。2人ともいつも色彩溢れた洋服を着こなしていて目立つ存在なので、遠くからでもすぐに分かるのだった。
ヒトミちゃんは旅好きで、国内でも海外でも、お得なチケットを見つけるのを特技としており、ある時期から2人はしょっちゅう旅行に出ているのがSNSを見ていると分かった。アサくんが東南アジアの旅先で、現地の人達の屈託のない笑顔や、元気さを目の当たりにして感動していた。赤い疑惑の曲で、私が東南アジアの貧乏旅行をしていた時に感じた、似たような心境を歌った曲があるのだが、彼はアクセル(私の芸名)の歌ってたことが分かったよ、と言ってくれて嬉しかった。
彼とは311以降の自民政治に対しての反対運動においても気持ちを共感できる友達だったが、話してみると左翼的な気概が親から自然に受け継がれているようだった。原発事故以降、私は作る曲の大半が反体制的な内容になってしまったが、アサくんが当時やっていたバンドでも政府を揶揄する表現を使っていて、彼に対する信頼度は増した。
とはいえアサくんは持ち前の人柄で、常に愉快なお友達に囲まれている。私と特別に仲がいいわけじゃなく、どんな友人とでもあのキャラクターでよろしくやっている。
私が移住してから東京の友人との交流はほとんどなくなり、当然、赤い疑惑のワンマンライブに東京から友人が来るとは思わなかったところへ彼らが来てくれたのだから、どれだけ嬉しかったか、何となく分かってもらえるかな。
でここからが合縁奇縁、そうそう、縁とは不思議について、数ある例の中から今回はこのことを書きたかったんだ。
当日のライブのMCで、私は、田舎に移住して、その暮らしぶりがどれだけ私を幸せにしてくれているかを語っていた。移住後はそのことばかり考えていて、お客さんの前で何を語るか、となったとしてもそれ以外考えられないくらい私は田舎暮らしに没頭し、今や愛している。
それで、実は私は、今住んでいる中古家の裏手に聳える竹藪の山を買おうとしていて、そのことについてMCで話したんだ。私の夢は竹林に所狭しと生えた竹を間引きして風通しを改善し、徐々に落葉広葉樹を植えてその山全体を美しい森に変えたい、というものだ。
当夜のライブは、娘たちのお友達も沢山来てくれて、半分保育室の様相を呈し、温かい雰囲気の中、大盛況のうちに終えることができた。そしてライブ後にアサくんと話しているこんなことを言うのだった。
「前にも話したかもしれないんだけど、オレの義父が隣のときがわの土地を買って広葉樹を植えようとしてるんだよ。タイミングあったら今度会わせたいな」
ときがわというのは小川町に隣接した町で小川町に負けず劣らず、美しい里山が魅力で移住者も数多く住んでいる田舎町だ。車でも15分くらいで行けてしまう場所で親近感すら持っている。そんな場所にアサくんの親戚が山買って山小屋建てて、さらに広葉樹を植樹しようとしている…。
ライブで田舎暮らしのことを話しても関心を持たれることは今までほとんどなかったので、今回のアサくんからの縁は刺激的だった。私が落葉広葉樹、というフレーズを発しなかったら、アサくんは私にそんなことは言わなかっただろう。この縁が次にどんな展開をもたらすのか、もたらさないのか、私には分からないが、とにかく繋がりの不思議さに身を委ねながら私は今日も生きているのである。
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