5/15(土)東京チムレンガ vol.2 @吉祥寺WARP その二

みなさん、いかがお過ごしですか?
こちらはまったくCDが売れない時代で公私ともども困っております。
さて赤い疑惑が心を込めてお届けするパーティー、東京チムレンガの開催が
いよいよ2週間後に迫りました。ドキドキ。
東京チムレンガ出演のアーティストの紹介で、前回はEKDを紹介しました。
お待ちかねの第2弾インタビューは、
太平洋不知火楽団(以下太平洋)でベースを務める大内君。
大内君とは昨年のフジロックフェスティバル(赤い疑惑は落選)で偶然の再会がありました。
それは、クリスタルパレスというフジロック夜の部の会場、
オレたち赤い疑惑3人は、
「自分達が選ばれなかった悔しさから本来は行くつもりはなかったけど、
盟友のEKDが出るので仕方なく行ってやるか」
という冷やかし半分の気持ちでその現場に、
そのEKDが出る夜の時間帯だけピンポイントで行った訳ですが、
(しかもそこは入場料がかからないので安心)
奇しくもその会場で大内君とバッタリ再会した訳です。
大内君はフジロックそのもの3日間を遊びに来ていたらしいのですが、
その夜は物足りない気持ちがあったのか、
同伴の者をホテルに残し、一人フラフラ夜の宴場に繰り出していたようでした。
「オ〜、ちょっと、これからオレたちのトモダチの
EKDってやばいヤツが出るから一緒に行こーよ」
そんな誘いに気軽に応じた大内君とクリスタルパレスで一緒に遊べたのはよかった。
EKDとパチャママDJの爆音で踊りながら。

脱線しましたが、改めてご紹介。
太平洋不知火楽団、ベース大内君(写真左)インタビュー。
アクセル「結成のきっかけを教えて下さい。またそれはいつですか?」
大内「降りしきる雨の日、街で暴漢に襲われていた汚い僕(ベース)を、通りかかったドラムが気まぐれで助けてくれて、起き上がるとそこには一人のストリートミュージシャン(ギター)がずぶ濡れで歌っていました。そんな出会いです。」
アクセル「…。」
大内「いや、大学のサークル内で組んだバンドが原型、というのはドラマがなくてダメだと言うので(笑)。現編成で活動を始めてからは現在4年目になります。ただそのサークルの枠内でゆるくやっていた期間が3年ありますから、足掛け7年、M1だったらいよいよヤバいぞと切羽詰ってくる時期かと」
アクセル「僕はM1見ないので分かりませんが…。では、次にバンドの編成を教えて下さい」
大内「15両編成です!」
アクセル「長いね。」
大内「茶番に付き合って頂いてありがとうございます!(笑)赤い疑惑さんと同じ、ギターボーカル・ベース・ドラムの三人です。」
アクセル「太平洋と出会ったのは諏訪のローカルなライブハウスでしたね。その時から太平洋の、歪んだ、異質なオーラは気になってました。」
大内「あの時はドラムの凱旋ライブ(注、諏訪は太平洋のドラムの地元)で、気分はナポレオン、しかも赤い疑惑さんと共演できるという、異様なプレッシャーに加え日ごろから交差する様々な思惑がありました。そういった面で色々と歪(ひず)んでいたり歪(ゆが)んでいたりしたと思います。個人的には、極寒の地ということで、普段は着ないような毛玉が千個くらいあるセーターを着ていったのですが、それをブレーキーさんに「キミ毛玉すごいね」とツッコまれたことで打ち解けられたのを覚えています(笑)このイベントに出演できるのも毛玉のお蔭です」
アクセル「なるほど、やはり毛玉もバカにはできないですよね。ところで、太平洋はメンバー間の仲が悪いそうですが、その後喧嘩は少なくなっ ていますか」
大内「かつて漫才コンビ「やすしきよし」は舞台の上でしかお互い口をきかなかったそうですが、それでも本番になれば大爆笑を取り続け、その世界の頂点を極めました。指針です!」
アクセル「なるほど。しかと受け止めました!ところで、僕が太平洋を初めて聞いた時、パッと浮かんだのが、90年代のオルタ ナ・グランジ、それからナンバーガールなんかだったのですが、音楽的な影響は?と聞かれたら? 」
大内「僕の父は大漁船団を率いる海の男で、はえ縄を引く漁師たちの怒声、砕け散る波の音、海鳥たちの愛の囁き、それが僕の胎教音楽でした。朝焼けに浮かび上がる漁船団、大いなる太平洋。そして、水平線の彼方に立ち上る幻、これは不知火と呼ばれるものです。漁師たちは不知火をめざして船を進めるのです。その様子を自分たちが夢に邁進する姿になぞらえ、今のバンド名があります。90年代のオルタナ・グランジ、もちろんナンバーガールはとても好きですが、本質的な影響は大海原にこそあるのです!!!」
アクセル「なるほど。感動しました。大海原の例えには匹敵しませんが、僕ももしかすると父のギターと唄、父が当時聞いていたラテン音楽なんかを母の腹の中で聞いていたのかもしれない、と思うことが最近あるんですよね。」
大内「…」
アクセル「ごめん、インタビュアーは自分のこと言っちゃいけないね。失敬。そういえば、太平洋はフジ(ロック)のルーキー(ステージ)に出たけど、どうだった? ちなみに今後大きなイベントに出たいとか、音楽でメシ喰いたいとか、そういう野望はありますか? 太平洋の曲で『例えば僕が売れたら』というショッキングな曲があったと思いますが(笑)?」
大内「メシを食うということになぞらえると、例えば江戸時代の農民はどれほど努力して田畑を耕しても、干ばつに見舞われれば飢えてしまいます。干ばつは何年も続くこともありますが、農民はあきらめることなく田畑を耕し続けます。そしていつかは恵みの雨が降り、作物が実るのです。耐え忍び努力した期間が長ければ長いほ ど、収穫時の歓びは素晴らしいものでしょう。例えこの先も売れず、満足いく評価が得られずとも、常にそんな気持ちで音楽に向き合っていたいです。あの頃の僕らにとってフジのルーキーは恵みの雨でしたし、もちろんこれからも素晴らしい作物を作るために地を耕し続けます!!!」
アクセル「音楽小作人ここにも発見!呼んだ甲斐があります。個人的な質問で恐縮ですが大内君の実家は?」
大内「栃木のド田舎、海無し県です。永遠に続く国道と、地平線まで広がる田園、庭から無限に出土する縄文土器、それだけが僕のリアルでした」
アクセル「…そ、そうなんですか。ちなみにその土地で育ったことは自分の音楽性に影響していると思いますか?」
大内「CDというものを買うためには峠を一つ越えなければなりませんでした。小学生の時は9時消灯だったため、音楽的な文化といえば「歌の大辞テン!」でした。今でこそインターネットが発達したからいいものの、当時存在した文化格差は、知識量や人格形成といった面で今なお感じます。はじめて買ったCDなんて、表向きは電気グルーヴの「Shangri-La」ということにしてますが、実は大仁田厚のシングルですから(笑) ミュージシャンと違ってプロレスラーは大物でも田舎にも来てくれるので尊敬しています。」
アクセル「赤い疑惑についてどう思いますか?」
大内「赤い疑惑さんは、フリーターを初めとした労働弱者などの社会的マイノリティの生き様を表現されていますが、それはとても共感できますし勇気を貰えるところであります。しかし、最近では正社員でもワークシェアリングという制度が運用され、生業を半分にしてお茶を濁そうする風潮があります。夢を、情熱を、半分にできますか!?僕にはできない!僕には!!」
アクセル「…。最近気に入ってる日本のバンドを教えて下さい。」
大内「今“TOKYO NEW WAVE 2010”という企画に参加していまして、東京で勢いのあるインディーバンドが集い、定期的に大きなイベントを開催しています。また夏にはメジャーレーベルからコンピレーションCDもリリースします。前回のチムレンガに参加したシャムキャッツも参加していて、どれも心から素晴らしいと思える、次世代を担うバンドたちです。宣伝のようになってしまいましたが、是非ここを読んでいる方々にもこの動きを知って頂きたいです。これは本当です!!」
アクセル「東京チムレンガよろしくお願いします。」
大内「イベントのある5月15日は犬養毅首相が暗殺された日です。マイノリティが多数派を打ち破る。僕はそれを祈っている部分もありますし、決してその行いを否定できません。しかしそれが実行される際には、策謀だったり、暴力だったり、人を傷つけるような惨事が必ず起こります。音楽は、誰も傷つけずに、革命を起こせる。東京チムレンガは、そんなイベントだと思います。」
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