繰り返すファミリーストーリー
オレが実家に戻ってきたのは2009年の早春であった。結婚を誓った人と、少しのすれ違いで別れることになって、オレはすごすごと実家に戻ったのであった。オレは三十歳を過ぎていたので、何だか家族にも世間にも、申し訳ない、というか情けない、というかその辺の気持ちでいっぱいだった。
実家には60をとうに過ぎたオヤジと、30をとうに過ぎた独身の姉貴とが2人でつつましく暮らしていたのだ。母は5年前に亡くなったので元々4人家族だった長尾家の実家には、彼女と同棲していたオレを除くオヤジと姉貴の2人が暮らしていたわけだ。
「別れることになった」と、2人に素直に告げると、2人とも、えっ、信じられない、という風に過剰な反応を示した。当然だった。オヤジも姉貴もオレが結婚するものだと思っていたからだ。オレの所在なさはその時ピークを迎えたのであったが、2人ともすぐに、まあ、しょうがないね、という風にオレを庇ってくれた。オレは涙を垂らした。
オレは実家で暮らすことをオヤジに許されたので素直に従った。丁度無職になろうかという大事な時期だったので、自立心をオヤジに示すために無理して一人暮しをする選択は無駄が多い気がした。実家暮らしに戻る、という選択はオレの中では苦渋の策で、いたしかたなし、といったところであったが、この苦渋の選択は結果的にはオレにとって画期的なこととなった。
面倒くさいであろう、と思ってた家族との生活はまったくつつがなく、逆に家族といることの安心感を、オレは10年ぶりにくらいに思い出しているのであった。例え、自分が普段トモダチや彼女と話すような会話ができなくても、家族といることは何ともいえない安堵感があることを思い知ったのだ。それは、家族と仲良くしよう、と思うようになったここ数年の、自分の努力の甲斐も大いにあったようではあるが、オレは一人暮ししてた時と同じような自由な感じで生活することを、西東京市の実家の古いマンションで実践することができる人間になっていたのだ。そしてオヤジがマメに作る料理をせっせと食っているうちにオレは、実家暮らしを問題視する東京の価値観の異常性に気付かされた。オレは実家に戻ってから想像以上に調子がよかった。
実家に戻るタイミングで姉貴に一人暮しをススメた。それはオレが戻って姉貴を追い出そうという独善的な考えではなく、姉貴が前々から一人暮しをしたがっていたのをオレは知っていたからだ。姉貴は母が亡くなってからオヤジと2人になってしまったので、実家を出るタイミングを見失っていたのだ。オレが彼女と暮らしている間も姉貴は、苦手なオヤジのそばで寄り添ってくれていたのだ。
いびきがウルサいとか、生活音がうるさい、といったオヤジへの苦情は母と姉の共通認識となっていて、母がオヤジを煙たがっていたポイントは姉貴も受け継いでいるようだった。オレは実家を出ていた間、時々実家に戻っては姉貴がオヤジに対して冷たくあたったりするので、見かねて、姉貴にオヤジのチャーミングな部分を少しずつ刷り込んでいく作戦に出たら、それが功を奏したのか、段々オヤジのファニーな点を認めるようになっていって、姉貴自身の人道的な努力にもよるのだろうが、オレが実家に戻る頃には2人はすごくいい関係になっていた。
やもめオヤジの側にはオレがいるから、心配せず姉貴は出ていっていいよ、という感じで一人暮しを持ちかけたら、うん、でも今はまだ準備が、ということだった。経済的な準備がまだ整ってないということだった。それにクロも心配だし、とも言うのだった。クロは長いこと長尾家で愛された飼い猫だが、最近眼に見える老衰をみせていた。姉貴は、それまで一番大事に可愛がり、世話をしていた母に代わって、クロを大事に可愛がり世話するようになっていたので、クロが心配でというのは当然だった。そういう流れで、オレと姉貴とオヤジの3人と黒猫1匹の暮らしが始まった。
オレはオヤジと、実家を出る前は考えもしなかったほど、いろんなことを話し合えるようになり、オヤジは少しずつオレの人となりを理解し始めてくれているようだった。姉にはシカトされるようなハナシでも、オレが食いついて拾うので、オヤジが嬉しそうなのは眼に見えてわかった。マメなオヤジはよく料理をして、オレはそれをうまいうまいと言って食べた。時々濃い雑な味付けの料理が出てもオレはうまいうまいと言って食べた。オフクロの味、というけど、オレの中ではオフクロの味よりオヤジの味の方がこのままカラダに染み付いてしまいそうなほど、オヤジの作るものにはパワーを貰ってばかりいるのであった。
姉貴とは昔から変わらず仲がいいので、10年前一緒に暮らしていた時と同じように、くだらない、どうでもいいようなハナシを食卓で交わすようになった。会社の同僚がアニオタでキモい、とか、ちょっとイイナと思った人が結構ハゲててどうしよう、とか、オレはオレで、最近ちょっと気になってる子がいるんだけど、とか。姉貴は赤い疑惑のライブにも来てくれるので、「昨日のイベントに来てたあの変な帽子被ってた人誰?あの人ちょっとコワくなかった?」「あ~、あいつヤバいでしょ、見た目。でも話すとすげーいいヤツなんだよ」とか。
それから姉貴とはよく、オヤジの噂バナシで盛り上がった。オヤジが作ってる家族新聞に一緒に突っ込み入れて大笑いしたり。料理作り過ぎたり、食材を買い込み過ぎたり、酔っぱらい過ぎたり、オレや姉貴には過激に映るオヤジの言動にいちいち突っ込みを入れては笑ったり。
長尾家の3人は三者三様のマイペース人間で、3人とも食事も何も無理して合わせようとしないし、いつ出ていっていつ帰ってきても、誰も驚かないし、その辺は母を失った点もデカいかもしれないけど、とにかくみんな自由に活動し、みんなでそれなりに家事をするので、オレはすごく楽に暮らすことができて、本当に実家に戻ることにしてよかったよな、と何度も思った。
3人暮らしが始まってまだ間もない頃、飼い猫のクロが死んだ。クロは母親になついていたけど、母亡き後は姉貴がよく可愛がったので姉貴になついた。姉貴はオヤジとの2人暮らしの間も随分クロを可愛がり、その分クロにも癒されていたようだった。オレが小学生につれて帰ってきちゃった猫だからもう相当な老人であることは確かで、オレが実家に戻った頃には相当に運動能力の減退を感じさせた。昔はジャンプしてあがったようなところで、飛び上がろうと思案はするけどやめちゃう。日中の運動量も極端に少なくなっていた。オレは生物の老化を改めて考えさせられる思いだった。
オレが実家に戻る少し前から、クロは便秘ぎみだったというが、排泄が不便そうで、その苦しさまぎれかわからないけど、いろんなところでウンチをしちゃうようだった。昨日クロのウンコ踏んじゃったよ、といつだかオヤジがあっけらかんと言って、思わず吹き出してしまった。その便秘時期が続いていたある日、クロは妙な痙攣発作を起こすようになって、オレ達家族は慌てふためいた。横に倒れて息も絶え絶えに手足をバタバタさせるクロの姿はあまりにもショックだった。特に姉貴は気が気でないみたいで、オレはそんな優しい姉貴も心配になった。痙攣発作は数秒続いて止むのだが、その後決まって、ふらつく肢体を奮って起き上がり、何かに憑かれたようにフラフラと部屋の中を徘徊し始めるのだ。眼が見えてないのか壁でも家具でも前方の障害物に額からぶつかって、ふらついて倒れる。また起き上がって歩き出す。その行動は見てる方としては悲痛そのもので、クロが疲れて眠るまでオレ達は見守った。
それからクロが死ぬまでは一ヶ月くらいだったと思う。その間姉貴は献身的な看病を仕事をしながら続けていた。なかなか役に立てないオレはなんだかいたたまれない気持ちだったが、それまでは知らなかった姉貴の母性愛をまざまざと見せつけられてオレは心底感動し、変わってないな、と思ってた姉貴がやっぱりオトナになっていることに恥ずかしながら改めて気付かされた。
クロは近所の深大寺に埋めた。調べたら深大寺にペット用の共同墓地というのがあったのをオヤジがみつけてくれて手配したのだ。クロを焼く日は、オレも姉も半休をもらってオヤジと3人揃って深大寺に行った。人間と同じように窯で焼いた後、納骨して共同の墓に入れてもらった。晴れた天気のいい日でオレ達は、オヤジのトモダチが経営してるという、深大寺の茶屋に入って団子を食って休んだ。オレはその時、何故かすごく満たされたシアワセな気持ちだった。看病疲れしてた姉もすがすがしい顔に戻っていて安心した。
クロがいなくなって何だか家が寂しくなった。クロの骨は、母を祀った神棚に並べられた。母が亡くなってからというもの毎晩オレ達は神棚にお祈りをするので、お祈りの度にクロにも挨拶したような気持ちになれるので、初めは寂しかったけど、すぐにみんなはまたマイペースな暮らしぶりに戻っていけた。
2010年、今年の初めに姉貴が「一人暮ししようと思う」ということをオレに相談してきた。「えっ、いつごろ?」「う~ん、5月くらいかな」
5月か、随分先だな、と思ったけど姉貴のマイペースぶりを改めて感じつつ同意した。オヤジに告げるより先にオレに伝えたのは、家族間の関係性を考えれば至極妥当な筋かもしれない。オレは、今まで家を守ってくれた姉の希望に添えるようバックアップ体制に入った。姉貴の一人暮し案を、突然聞かされたオヤジは案の定反対した。何で、今さら出てくんだ、というオヤジのいい分はもっともだけど、姉貴が出るタイミングを逸していたり、前々から企んでいたことを知ってたオレは、オヤジの興奮を抑えて説得に加わった。
しかし思ったより簡単にオヤジは姉貴が出てくことを許すともなく許した。オヤジの、去る者追わず、といった一種の優しさをみて、オレはまた感動した。オヤジのことを高校生の頃から恐いヒトだと思い込んでいたけど、こんなに優しいオッサンみたことないよ、っていうくらい優しい人だな、と思った。そういう優しさに気付くように、自分がなっただけなのかもしれない。時々説教めいた口調になるけど、本質はそういうところじゃ分からないもんだ。
5月になって姉貴は本格的に物件探しを始めて、オヤジはいよいよ、ホントに出ていくのか、などとこぼした。出ていくことは認めたけど、やっぱり寂しいんだろう。考えてみれば当り前だけど、オヤジの情を思うとオレも少し不安になった。それでも姉貴は意外とあっさり物件をみつけて具体的に引越すことが決まってしまった。
姉貴は引越費用の節約のために引越人足として、オレとオヤジの協力を求めた。オレもオヤジも予定を明けて引越を手伝うことにした。デカい家電などは新調するというので、そこまで大掛かりな引越でもないし、姉貴は実家のワゴンで2往復くらいして済ますつもりだったらしいが、当日の朝になって、オヤジが2往復するのはアホくさいので軽トラでも借りよう、と言い出した。オレも賛成だったのでレンタカーを探したのだが、当日ということもあって生憎2トントラックしか空いてなかった。ちょっと割高だし、荷物の嵩を考えても大き過ぎる気もしたが、2往復する面倒を考えて結局2トントラックを借りることにした。ただしオレは運転する自信がないので、運転はオヤジに任せる、と先にオヤジにお願いをした。オヤジは2トンくらい乗ったことあるぞ、と自信気だった。
引越は、板張りのベッドマットと大きい棚以外は段ボールばかりで、そのベッドマットと大きい棚だけは、オレとオヤジが必死の形相で運んだ。オヤジは大汗をかきながらも一生懸命に動いていた。やっぱりすげえオヤジだと思いつつ、オレも負けじと頑張って動いた。オヤジが尻餅ついたり、オレがよろけたり、2人とも世間相対的には非力な人足に違いなかったが、姉貴の引越に対するオレとオヤジの協力心は力強かった。
荷物をトラックに積み込んで出発した。途中で姉貴が奢るというので、ロイヤルホストで昼飯を喰った。オヤジは、奢りか、と言って嬉しそうにメニューと格闘してハンバーグと海老フライとコロッケが鉄板にのっかって出てくるような、この店では一番豪華そうなヤツを頼んだ。1500円だけどいいか、というオヤジに、こんな店でお金の心配しないでよっ、と姉貴は冷ややかな眼をむけた。ライスは大盛りにしますか、という店員の提案にのっかって、オヤジは大盛りを頼んだが、結局、ちょっと多いなと、ライスとフライドポテトを残したので、オレと姉貴でフライドポテトだけつまんで食った。
2トントラックは、運転席と助手席の間にも人が座れるので3人仲良く横に並んで座る。案外オヤジが、余裕の顔で2トントラックを操るのをオレは心強く思いながら、こうして3人で並んでいる不思議さと嬉しさを感じ、同時にものすごい悲しさも味わわなければならなかった。よく考えてみたら、オレはまだしも、姉貴がこのまま、もし誰かとうまくいって結婚することになったら、オヤジはもう随分、姉貴と別れ別れにになっちゃうんだな、ということに気付いて何だか急に不安な気持ちに襲われた。だけどそんな気分に浸る暇もなく引越先に到着して、またオヤジとの共同作業が慌ただしく始まってしまった。
また、さっきと同じように必死になって、今度は2階の姉貴の部屋に棚とベッドマットを運びあげた。その頼りなさに、見るに見兼ねた姉貴も脇から入ってきて一緒になって運びあげた。オレもオヤジも簡単な擦り傷を拵えて、それでも案外順調に引越は完了した。姉貴をその新しい住まいに残してオレとオヤジは、帰りは2人きりで空の2トン車に乗った。いったい、家族とは何だろうか。家族が出ていくってのはどういうことなんだろうか。オレは今さらながらポッカリ何かをなくしたような、悔しいような気持ちになった。
任務完了後、帰宅して草臥れて2人で交代で風呂に入った。それから静かな晩餐を迎えた。神棚にお供え物をして、また今日も母とクロにお祈りをしたが、何だか、今日のお祈りは自然と、出ていった姉貴の存在が離れなかった。オレは、手を合わせて姉貴が無事にやっていけますように、とお祈りすると、先に腰をあげたオヤジが「さっちゃんがいっちゃったよう」と心もとない声で呟いた。神棚の母に泣きつくような、クロに一方的に話しかけるような、寂しい言い方だった。ふいをつかれてオレは、目頭が熱くなった。オレにも姉貴にもあまり漏らさなかったけど、やっぱりオヤジは相当寂しいのだ。初めは反対もしていたし、寂しいのに、あんなに一生懸命に引越作業に取り組んでいたオヤジのことを思い出し、しばらくオレは呆然とした。姉貴がいた部屋は空っぽになり、あれから一週間がすぎた。やっぱり家の中は、何だか前より寂しいみたいだ。
実家には60をとうに過ぎたオヤジと、30をとうに過ぎた独身の姉貴とが2人でつつましく暮らしていたのだ。母は5年前に亡くなったので元々4人家族だった長尾家の実家には、彼女と同棲していたオレを除くオヤジと姉貴の2人が暮らしていたわけだ。
「別れることになった」と、2人に素直に告げると、2人とも、えっ、信じられない、という風に過剰な反応を示した。当然だった。オヤジも姉貴もオレが結婚するものだと思っていたからだ。オレの所在なさはその時ピークを迎えたのであったが、2人ともすぐに、まあ、しょうがないね、という風にオレを庇ってくれた。オレは涙を垂らした。
オレは実家で暮らすことをオヤジに許されたので素直に従った。丁度無職になろうかという大事な時期だったので、自立心をオヤジに示すために無理して一人暮しをする選択は無駄が多い気がした。実家暮らしに戻る、という選択はオレの中では苦渋の策で、いたしかたなし、といったところであったが、この苦渋の選択は結果的にはオレにとって画期的なこととなった。
面倒くさいであろう、と思ってた家族との生活はまったくつつがなく、逆に家族といることの安心感を、オレは10年ぶりにくらいに思い出しているのであった。例え、自分が普段トモダチや彼女と話すような会話ができなくても、家族といることは何ともいえない安堵感があることを思い知ったのだ。それは、家族と仲良くしよう、と思うようになったここ数年の、自分の努力の甲斐も大いにあったようではあるが、オレは一人暮ししてた時と同じような自由な感じで生活することを、西東京市の実家の古いマンションで実践することができる人間になっていたのだ。そしてオヤジがマメに作る料理をせっせと食っているうちにオレは、実家暮らしを問題視する東京の価値観の異常性に気付かされた。オレは実家に戻ってから想像以上に調子がよかった。
実家に戻るタイミングで姉貴に一人暮しをススメた。それはオレが戻って姉貴を追い出そうという独善的な考えではなく、姉貴が前々から一人暮しをしたがっていたのをオレは知っていたからだ。姉貴は母が亡くなってからオヤジと2人になってしまったので、実家を出るタイミングを見失っていたのだ。オレが彼女と暮らしている間も姉貴は、苦手なオヤジのそばで寄り添ってくれていたのだ。
いびきがウルサいとか、生活音がうるさい、といったオヤジへの苦情は母と姉の共通認識となっていて、母がオヤジを煙たがっていたポイントは姉貴も受け継いでいるようだった。オレは実家を出ていた間、時々実家に戻っては姉貴がオヤジに対して冷たくあたったりするので、見かねて、姉貴にオヤジのチャーミングな部分を少しずつ刷り込んでいく作戦に出たら、それが功を奏したのか、段々オヤジのファニーな点を認めるようになっていって、姉貴自身の人道的な努力にもよるのだろうが、オレが実家に戻る頃には2人はすごくいい関係になっていた。
やもめオヤジの側にはオレがいるから、心配せず姉貴は出ていっていいよ、という感じで一人暮しを持ちかけたら、うん、でも今はまだ準備が、ということだった。経済的な準備がまだ整ってないということだった。それにクロも心配だし、とも言うのだった。クロは長いこと長尾家で愛された飼い猫だが、最近眼に見える老衰をみせていた。姉貴は、それまで一番大事に可愛がり、世話をしていた母に代わって、クロを大事に可愛がり世話するようになっていたので、クロが心配でというのは当然だった。そういう流れで、オレと姉貴とオヤジの3人と黒猫1匹の暮らしが始まった。
オレはオヤジと、実家を出る前は考えもしなかったほど、いろんなことを話し合えるようになり、オヤジは少しずつオレの人となりを理解し始めてくれているようだった。姉にはシカトされるようなハナシでも、オレが食いついて拾うので、オヤジが嬉しそうなのは眼に見えてわかった。マメなオヤジはよく料理をして、オレはそれをうまいうまいと言って食べた。時々濃い雑な味付けの料理が出てもオレはうまいうまいと言って食べた。オフクロの味、というけど、オレの中ではオフクロの味よりオヤジの味の方がこのままカラダに染み付いてしまいそうなほど、オヤジの作るものにはパワーを貰ってばかりいるのであった。
姉貴とは昔から変わらず仲がいいので、10年前一緒に暮らしていた時と同じように、くだらない、どうでもいいようなハナシを食卓で交わすようになった。会社の同僚がアニオタでキモい、とか、ちょっとイイナと思った人が結構ハゲててどうしよう、とか、オレはオレで、最近ちょっと気になってる子がいるんだけど、とか。姉貴は赤い疑惑のライブにも来てくれるので、「昨日のイベントに来てたあの変な帽子被ってた人誰?あの人ちょっとコワくなかった?」「あ~、あいつヤバいでしょ、見た目。でも話すとすげーいいヤツなんだよ」とか。
それから姉貴とはよく、オヤジの噂バナシで盛り上がった。オヤジが作ってる家族新聞に一緒に突っ込み入れて大笑いしたり。料理作り過ぎたり、食材を買い込み過ぎたり、酔っぱらい過ぎたり、オレや姉貴には過激に映るオヤジの言動にいちいち突っ込みを入れては笑ったり。
長尾家の3人は三者三様のマイペース人間で、3人とも食事も何も無理して合わせようとしないし、いつ出ていっていつ帰ってきても、誰も驚かないし、その辺は母を失った点もデカいかもしれないけど、とにかくみんな自由に活動し、みんなでそれなりに家事をするので、オレはすごく楽に暮らすことができて、本当に実家に戻ることにしてよかったよな、と何度も思った。
3人暮らしが始まってまだ間もない頃、飼い猫のクロが死んだ。クロは母親になついていたけど、母亡き後は姉貴がよく可愛がったので姉貴になついた。姉貴はオヤジとの2人暮らしの間も随分クロを可愛がり、その分クロにも癒されていたようだった。オレが小学生につれて帰ってきちゃった猫だからもう相当な老人であることは確かで、オレが実家に戻った頃には相当に運動能力の減退を感じさせた。昔はジャンプしてあがったようなところで、飛び上がろうと思案はするけどやめちゃう。日中の運動量も極端に少なくなっていた。オレは生物の老化を改めて考えさせられる思いだった。
オレが実家に戻る少し前から、クロは便秘ぎみだったというが、排泄が不便そうで、その苦しさまぎれかわからないけど、いろんなところでウンチをしちゃうようだった。昨日クロのウンコ踏んじゃったよ、といつだかオヤジがあっけらかんと言って、思わず吹き出してしまった。その便秘時期が続いていたある日、クロは妙な痙攣発作を起こすようになって、オレ達家族は慌てふためいた。横に倒れて息も絶え絶えに手足をバタバタさせるクロの姿はあまりにもショックだった。特に姉貴は気が気でないみたいで、オレはそんな優しい姉貴も心配になった。痙攣発作は数秒続いて止むのだが、その後決まって、ふらつく肢体を奮って起き上がり、何かに憑かれたようにフラフラと部屋の中を徘徊し始めるのだ。眼が見えてないのか壁でも家具でも前方の障害物に額からぶつかって、ふらついて倒れる。また起き上がって歩き出す。その行動は見てる方としては悲痛そのもので、クロが疲れて眠るまでオレ達は見守った。
それからクロが死ぬまでは一ヶ月くらいだったと思う。その間姉貴は献身的な看病を仕事をしながら続けていた。なかなか役に立てないオレはなんだかいたたまれない気持ちだったが、それまでは知らなかった姉貴の母性愛をまざまざと見せつけられてオレは心底感動し、変わってないな、と思ってた姉貴がやっぱりオトナになっていることに恥ずかしながら改めて気付かされた。
クロは近所の深大寺に埋めた。調べたら深大寺にペット用の共同墓地というのがあったのをオヤジがみつけてくれて手配したのだ。クロを焼く日は、オレも姉も半休をもらってオヤジと3人揃って深大寺に行った。人間と同じように窯で焼いた後、納骨して共同の墓に入れてもらった。晴れた天気のいい日でオレ達は、オヤジのトモダチが経営してるという、深大寺の茶屋に入って団子を食って休んだ。オレはその時、何故かすごく満たされたシアワセな気持ちだった。看病疲れしてた姉もすがすがしい顔に戻っていて安心した。
クロがいなくなって何だか家が寂しくなった。クロの骨は、母を祀った神棚に並べられた。母が亡くなってからというもの毎晩オレ達は神棚にお祈りをするので、お祈りの度にクロにも挨拶したような気持ちになれるので、初めは寂しかったけど、すぐにみんなはまたマイペースな暮らしぶりに戻っていけた。
2010年、今年の初めに姉貴が「一人暮ししようと思う」ということをオレに相談してきた。「えっ、いつごろ?」「う~ん、5月くらいかな」
5月か、随分先だな、と思ったけど姉貴のマイペースぶりを改めて感じつつ同意した。オヤジに告げるより先にオレに伝えたのは、家族間の関係性を考えれば至極妥当な筋かもしれない。オレは、今まで家を守ってくれた姉の希望に添えるようバックアップ体制に入った。姉貴の一人暮し案を、突然聞かされたオヤジは案の定反対した。何で、今さら出てくんだ、というオヤジのいい分はもっともだけど、姉貴が出るタイミングを逸していたり、前々から企んでいたことを知ってたオレは、オヤジの興奮を抑えて説得に加わった。
しかし思ったより簡単にオヤジは姉貴が出てくことを許すともなく許した。オヤジの、去る者追わず、といった一種の優しさをみて、オレはまた感動した。オヤジのことを高校生の頃から恐いヒトだと思い込んでいたけど、こんなに優しいオッサンみたことないよ、っていうくらい優しい人だな、と思った。そういう優しさに気付くように、自分がなっただけなのかもしれない。時々説教めいた口調になるけど、本質はそういうところじゃ分からないもんだ。
5月になって姉貴は本格的に物件探しを始めて、オヤジはいよいよ、ホントに出ていくのか、などとこぼした。出ていくことは認めたけど、やっぱり寂しいんだろう。考えてみれば当り前だけど、オヤジの情を思うとオレも少し不安になった。それでも姉貴は意外とあっさり物件をみつけて具体的に引越すことが決まってしまった。
姉貴は引越費用の節約のために引越人足として、オレとオヤジの協力を求めた。オレもオヤジも予定を明けて引越を手伝うことにした。デカい家電などは新調するというので、そこまで大掛かりな引越でもないし、姉貴は実家のワゴンで2往復くらいして済ますつもりだったらしいが、当日の朝になって、オヤジが2往復するのはアホくさいので軽トラでも借りよう、と言い出した。オレも賛成だったのでレンタカーを探したのだが、当日ということもあって生憎2トントラックしか空いてなかった。ちょっと割高だし、荷物の嵩を考えても大き過ぎる気もしたが、2往復する面倒を考えて結局2トントラックを借りることにした。ただしオレは運転する自信がないので、運転はオヤジに任せる、と先にオヤジにお願いをした。オヤジは2トンくらい乗ったことあるぞ、と自信気だった。
引越は、板張りのベッドマットと大きい棚以外は段ボールばかりで、そのベッドマットと大きい棚だけは、オレとオヤジが必死の形相で運んだ。オヤジは大汗をかきながらも一生懸命に動いていた。やっぱりすげえオヤジだと思いつつ、オレも負けじと頑張って動いた。オヤジが尻餅ついたり、オレがよろけたり、2人とも世間相対的には非力な人足に違いなかったが、姉貴の引越に対するオレとオヤジの協力心は力強かった。
荷物をトラックに積み込んで出発した。途中で姉貴が奢るというので、ロイヤルホストで昼飯を喰った。オヤジは、奢りか、と言って嬉しそうにメニューと格闘してハンバーグと海老フライとコロッケが鉄板にのっかって出てくるような、この店では一番豪華そうなヤツを頼んだ。1500円だけどいいか、というオヤジに、こんな店でお金の心配しないでよっ、と姉貴は冷ややかな眼をむけた。ライスは大盛りにしますか、という店員の提案にのっかって、オヤジは大盛りを頼んだが、結局、ちょっと多いなと、ライスとフライドポテトを残したので、オレと姉貴でフライドポテトだけつまんで食った。
2トントラックは、運転席と助手席の間にも人が座れるので3人仲良く横に並んで座る。案外オヤジが、余裕の顔で2トントラックを操るのをオレは心強く思いながら、こうして3人で並んでいる不思議さと嬉しさを感じ、同時にものすごい悲しさも味わわなければならなかった。よく考えてみたら、オレはまだしも、姉貴がこのまま、もし誰かとうまくいって結婚することになったら、オヤジはもう随分、姉貴と別れ別れにになっちゃうんだな、ということに気付いて何だか急に不安な気持ちに襲われた。だけどそんな気分に浸る暇もなく引越先に到着して、またオヤジとの共同作業が慌ただしく始まってしまった。
また、さっきと同じように必死になって、今度は2階の姉貴の部屋に棚とベッドマットを運びあげた。その頼りなさに、見るに見兼ねた姉貴も脇から入ってきて一緒になって運びあげた。オレもオヤジも簡単な擦り傷を拵えて、それでも案外順調に引越は完了した。姉貴をその新しい住まいに残してオレとオヤジは、帰りは2人きりで空の2トン車に乗った。いったい、家族とは何だろうか。家族が出ていくってのはどういうことなんだろうか。オレは今さらながらポッカリ何かをなくしたような、悔しいような気持ちになった。
任務完了後、帰宅して草臥れて2人で交代で風呂に入った。それから静かな晩餐を迎えた。神棚にお供え物をして、また今日も母とクロにお祈りをしたが、何だか、今日のお祈りは自然と、出ていった姉貴の存在が離れなかった。オレは、手を合わせて姉貴が無事にやっていけますように、とお祈りすると、先に腰をあげたオヤジが「さっちゃんがいっちゃったよう」と心もとない声で呟いた。神棚の母に泣きつくような、クロに一方的に話しかけるような、寂しい言い方だった。ふいをつかれてオレは、目頭が熱くなった。オレにも姉貴にもあまり漏らさなかったけど、やっぱりオヤジは相当寂しいのだ。初めは反対もしていたし、寂しいのに、あんなに一生懸命に引越作業に取り組んでいたオヤジのことを思い出し、しばらくオレは呆然とした。姉貴がいた部屋は空っぽになり、あれから一週間がすぎた。やっぱり家の中は、何だか前より寂しいみたいだ。
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