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文章

文章を書くというのは、まったく骨の折れる作業である。前からそんな風に感じていた訳ではない。パワーがなくなっているのかもしれない。

ブログを更新するというのがこんなに億劫に感じるようになったのは20代後半からだ。一日一日が精一杯になってしまって、わざわざ誰かのために文章を書くというパワーが自然と漲らない。恐らくそういう理由なんだと思うけど、昔ほどマメに更新しない。

何故か小さい頃から活字や言葉が好きだったのだが、高校生の時に「QUICKJAPAN」というサブカルチャー誌に衝撃を受けて、自分の文章を俄に発表したくなった。この発想は、学校などで課題で出されて何かを書く、という行為とは比べ物にならないほど自分を興奮させワクワクさせることだった。世間知らずな人間だったので、バンドにしても文章にしても他人に発表することに躊躇はなかったのかもしれない。

そういう経緯でオレは、当時はまだ今より沢山存在していた「フリーペーパー」という形式で自分で誌面を埋めて「ポンタラ」というユルいフリーペーパーを作ってトモダチに配り始めたのだった。その時はエネルギーが有り余ってたので、面倒な印刷作業やレイアウト作業も我慢して頑張っていた。とにかく発表したかったのだ。

「ポンタラ」は意外と、というか案の定というか、好評を博したのでオレは味をしめて継続させた。内容はたいしたことじゃなかったと思うが、当時強烈な個性を放っていた「QUICKJAPAN」という雑誌や、未だに息の長い「TV BROS」などの誌面を真似たりし号数を重ね、次第に誌面も増やし、友達にも文章を書いてもらったりして、最終的にはそれなりのフリーペーパーを完成させていた。

結局その後「ポンタラ」は止して「ユビオリ」と名前を変え、大学を卒業してからはさすがに仕事とバンドと息抜きとで余裕がなくなってきて、赤い疑惑通信という体裁で「わくわく赤い疑惑」と名付けたものを作っていた。

世の中にインターネットやブログという画期的なモノが現れて、その存在を知ったオレは世間並みの文明人のごとく、(こりゃ、素晴らしい代物だ、オレも早くやりたい)と思うようになった。何しろ面倒な印刷や、レイアウトやなんかをすっ飛ばして世間に自分の文章が公表できるのだから。

赤い疑惑の活動が活発化し始めると、友人が(HTMLがなんなのかさっぱりだった当時のオレにとっては切願していた)赤い疑惑のホームページを作ってくれた。ほぼ同時期にブログも立ち上げてくれて、それでオレは面倒な作業をせずにブログをスタートさせることができたのだった。始めた当初はまだまだエナジーが有り余っていたのだろう、頻繁なペースで、日記や、それこそこんなような下らないことを書きまくっていた。

しかしブログは気軽に発表できるという要因が災いすることもあった。例えば固有名詞を扱う時の常識なんかがオレにはなかったものだから、友達から注意されることもあったし、前に付き合ってた彼女(世間的には元カノというが)に「あんなこと書かないでよ」と怒られて凹んだこともあった。

気軽に発表できることはもう一つマイナス要素があった。それは自分の書きたかったことをあんまり揉まないで発表してしまうことだ。フリーペーパーを作ってた時のように余計な苦労をしないので、発表するのも手軽だ。しかし本当に書きたいことを書いているだろうか、というブレを感じることもしばしば発生し、ウェブと紙とでは全然熱量が違ったのだな、とオレはそういうことに後から気付いてしばらくブログを中止したのだ。ちなみに中止した下世話な理由に、「オカネにならないし」という俗欲が働いていただろうことも否定しない。

そうとはいっても性分なのだろう、オレはまたしばらくすると文章が書きたくなって、人様に発表したい欲求がドクドクと心の中にわだかまるようになった。それでまたブログを再開して現在にいたっている。

そんな現在オレは、日常に追われて昔ほど文章が書けないのであり、そういう時間も限られているのであり、最初にいったようにエネルギーが昔ほど湧いて来ないのだが、かといってそれで焦燥感にかられたりももうしない。書きたくなったら書いて、書きたくなかったら書かなければいい。32年間生きてきて、焦るという行為ほど、自分を擦り減らすモノはないと悟ったからだ。

書きたくなかったら書かなければいいのだが、執筆を他の誰かに依頼された場合は別のハナシである。オレは恵まれたことに今3人の方から文章の依頼を受けて定期的に連載を書いている。ディスクユニオンのフリーペーパーと、「trash up」というトラッシュ・カルチャー誌、それからバンドで知り合ったゆーきゃんが運営しているサンレインレコードというレコードショップのブログである。

オカネが発生する類のモノではないけど、自分でブログに文章をアップするよりも社会に貢献しているような気持ちになるし、何だか励みになるので続けている。ディスクユニオンの連載は1ヶ月ごとで、初めは(余裕だろう)と高を括っていたが、実際やってみると1ヶ月はあっという間で、毎回気合いを入れなければならず、油断できない。それでも、音楽やバンドという事象に熱意のある読者が(恐らく)前提なので、音楽についてとやかく書いている。

「Trash up」ではワールドミュージックについて書いている。編集長の屑山さんに「アクセルさんのパンクな視点でのワールドミュージックを語ってくれ」とお願いされたのだ。実際、現今のワールドミュージックという業界にパンクな視点というのはあんまり介在していない。オレはパンクな視点でワールドミュージックを聴く訳ではないが、世代による音の聞こえ方の違い、ということに最近興味を抱いているので、臆することなく書くことにした。

サンレインレコードのゆーきゃんからは「何でもいいですよ」と言われたので安心して引き受けてしまった。しかし「何でもいいですよ」は結局、「選択の自由による優柔不断」というフリーター世代的な、致命的な苦痛にも脅かされることになるのであって悩むのである。結局悩むのだ。

文章を書くというのは大変なことで、しかしオレはこれからも書くことも読むことも止めないと思う。ギターを弾いたりバンドをやったりすることと同じで、それをしないとなんとなく不調な気がするのである。強迫観念という類のものかもしれないが、そんなネガティブには考えず、生きる為に書き、書く為に生きるのだと思っている。死ぬときは死ぬのでありたい。
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