2012年、アルバイトと大きなライブが決まった
そろそろ更新しなきゃな、と思ってたけど、やっぱり一ヶ月以上経ってしまった。
しかしながら、以前の投稿の後、オレは遂に仕事をみつけたのだ。
みつけたというより、トモダチが紹介してくれた、というのが正しいのだ。
持つべき者はトモダチなのだ。
とはいえ正規社員というヤツじゃないんだ。
派遣社員でも契約社員でもなく、アルバイトというやつだ。
オレは前職で史上初めて正社員という身分で就業していた。
だから、今後もその方向で、と思っていたんだけど、
どうもうまくいかなかったね。
どうもうまくいかなかったからバイトかよ、
とお思いでしょうが、そうなんです。ただそれだけ。
今後も音楽活動をしっかりやっていこうと開き直ったわけ。
そんな風に思わせてくれたのが実は「極東最前線」出演決定、という大事件。
「極東最前線」はイースタンユースが長いこと継続している伝説のイベントで、
オレとクラッチは高校時代からその存在を知り、憧れ続けていたイベントなのだ。
オレがボンボン高校でひねくれていた当時、
「インディーズ」という言葉が俄にブームになりつつあり、
オルタナティブなロックバンドが少しずつメジャー進出を成し遂げていた。
パンク界隈ではメロコアがポップ化しており、「インディーズ」好きじゃなくても、
メロコアは周りの多くの学生も聞くようになっていた頃だが、
メロディアスでありハードコアな本物のバンドが、そのイースタンユースといった感じで、
大好きだったレスザンTVの人達も皆イースタンユースをリスペクトしていた。
その一切の妥協を許さぬ、といった感じのストイックなバンドアティチュードと、
吉野さんの文学的エモーショナルな歌詞の世界観は圧倒的であり、
他と交わらぬ雰囲気といい、何者にも媚びない漢(おとこ)らしさといい、
とにかく孤高の存在感を持っていた。
そしてイースタンユースの企画「極東最前線」で招かれるバンドは、
どれも強者、曲者、無頼者の類で、個性を感じさせるバンドがほとんどだった。
オレもクラッチも大学を出る辺りから頻々とライブハウスに出入りするようなことは、
ほとんどなくなっていった訳だが、
あれから10年、イースタユースは独自のスタンスで音楽活動を続け、
人気を不動のモノとし、そして現役で活動をつづけている。
そしてそして、その「極東最前線」もいまだに継続されているのだ。
あの頃今は無き新宿ロフトや、下北沢シェルターで行われていたこのイベントが、
今や渋谷クアトロで企画されているのであって、
オレとクラッチが「極東最前線」の誘いを受けて涙まじりに喜びあったのは、
無理もないハナシなのだ。
さて、その「極東最前線」が4/13(金)である。
平日のライブというのは大体仕事を休まなくちゃいけないのである。
今回職探しをしていたオレは、
とにかくバンドは趣味です、という体裁にしないと印象が悪いと思い、
実は平日のライブにはほとんど出ないつもりで面接を受けていたのだ。
ところがイースタンユースからのお誘いを断るバカはいないだろう、
という訳で4/13が必ず休めるような仕事をみつけることにシフトチェンジしたのだ。
そういう条件を考えていたら、あれよあれよと簡単にバイトが決まってしまった。
そういう訳でオレは極東フリーター最前線に舞い戻ったのである。
オレが前職を辞める直前の、まったく変なタイミングでできたカノジョが、
職を失ってからのオレに「アタシはバイトでもいいと思うよ」と、
なにげなく言ってくれたのには泣きそうになった。
(ありがとう)、超感謝しつつ心の中で呟いたが、オレはやっぱりカネが欲しいと思って、
正社員での就業を粘って探して回ってたんだ。
ところがね、結局、ああ、どういう訳だか赤い疑惑なのであります。
「極東最前線」、皆様のお越しをお待ちしております。

しかしながら、以前の投稿の後、オレは遂に仕事をみつけたのだ。
みつけたというより、トモダチが紹介してくれた、というのが正しいのだ。
持つべき者はトモダチなのだ。
とはいえ正規社員というヤツじゃないんだ。
派遣社員でも契約社員でもなく、アルバイトというやつだ。
オレは前職で史上初めて正社員という身分で就業していた。
だから、今後もその方向で、と思っていたんだけど、
どうもうまくいかなかったね。
どうもうまくいかなかったからバイトかよ、
とお思いでしょうが、そうなんです。ただそれだけ。
今後も音楽活動をしっかりやっていこうと開き直ったわけ。
そんな風に思わせてくれたのが実は「極東最前線」出演決定、という大事件。
「極東最前線」はイースタンユースが長いこと継続している伝説のイベントで、
オレとクラッチは高校時代からその存在を知り、憧れ続けていたイベントなのだ。
オレがボンボン高校でひねくれていた当時、
「インディーズ」という言葉が俄にブームになりつつあり、
オルタナティブなロックバンドが少しずつメジャー進出を成し遂げていた。
パンク界隈ではメロコアがポップ化しており、「インディーズ」好きじゃなくても、
メロコアは周りの多くの学生も聞くようになっていた頃だが、
メロディアスでありハードコアな本物のバンドが、そのイースタンユースといった感じで、
大好きだったレスザンTVの人達も皆イースタンユースをリスペクトしていた。
その一切の妥協を許さぬ、といった感じのストイックなバンドアティチュードと、
吉野さんの文学的エモーショナルな歌詞の世界観は圧倒的であり、
他と交わらぬ雰囲気といい、何者にも媚びない漢(おとこ)らしさといい、
とにかく孤高の存在感を持っていた。
そしてイースタンユースの企画「極東最前線」で招かれるバンドは、
どれも強者、曲者、無頼者の類で、個性を感じさせるバンドがほとんどだった。
オレもクラッチも大学を出る辺りから頻々とライブハウスに出入りするようなことは、
ほとんどなくなっていった訳だが、
あれから10年、イースタユースは独自のスタンスで音楽活動を続け、
人気を不動のモノとし、そして現役で活動をつづけている。
そしてそして、その「極東最前線」もいまだに継続されているのだ。
あの頃今は無き新宿ロフトや、下北沢シェルターで行われていたこのイベントが、
今や渋谷クアトロで企画されているのであって、
オレとクラッチが「極東最前線」の誘いを受けて涙まじりに喜びあったのは、
無理もないハナシなのだ。
さて、その「極東最前線」が4/13(金)である。
平日のライブというのは大体仕事を休まなくちゃいけないのである。
今回職探しをしていたオレは、
とにかくバンドは趣味です、という体裁にしないと印象が悪いと思い、
実は平日のライブにはほとんど出ないつもりで面接を受けていたのだ。
ところがイースタンユースからのお誘いを断るバカはいないだろう、
という訳で4/13が必ず休めるような仕事をみつけることにシフトチェンジしたのだ。
そういう条件を考えていたら、あれよあれよと簡単にバイトが決まってしまった。
そういう訳でオレは極東フリーター最前線に舞い戻ったのである。
オレが前職を辞める直前の、まったく変なタイミングでできたカノジョが、
職を失ってからのオレに「アタシはバイトでもいいと思うよ」と、
なにげなく言ってくれたのには泣きそうになった。
(ありがとう)、超感謝しつつ心の中で呟いたが、オレはやっぱりカネが欲しいと思って、
正社員での就業を粘って探して回ってたんだ。
ところがね、結局、ああ、どういう訳だか赤い疑惑なのであります。
「極東最前線」、皆様のお越しをお待ちしております。

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