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どうか間違っても死にたくなるような人生にならぬよう、一日一日頑張っていきたいと願っているのである

 夏の蒸し暑い日々もあれよあれよという間に過ぎ去っていく。去年は何をしていただろうかと思い出そうとすることも物憂げである。結婚をして早くも2年があっという間に過ぎていったことになる。

 シェアハウスの掃除のバイトも2年以上になる。この掃除の仕事は、同じくバンドをやっている友人から紹介されて始めた仕事で、始める前までは掃除に対する面倒くさいイメージのみに捕われてあまり気が進まなかったが、ワールドミュージック関連のレーベル業から足を洗ったはいいものの大したキャリアも持たない自分にはあまり適当な仕事が探せそうもなく、紹介でスムーズにこの仕事にありつけたのはラッキーだった。

 しかもこの掃除という仕事が、いざやってみると、ことの他悪くなく、続けているうち、同僚の人の良さも相まって、今までやった中で一番いい仕事だ、と思えるようになってしまった。同僚の間でも自分の掃除のこだわりなどを面白おかしく話したりして楽しい。休憩中の下らない会話や上司の悪口などを存分にできる外回り中の自由な時間が多く、みなのびのびと仕事をしている。目の前の汚かったモノ(場所)が綺麗になる、という単純な労働の成果は、労働が疎外化されていき、世の為に働いている、という最低限獲得したい実感を感じさせないことが多い類いのデスクワーク(派遣労働の人がやらされるような)などとは雲泥の差があるものだと感じる。

 社員で働くと拘束時間も長く「会長」と呼ばれるやっかいなジジイから不条理にドヤされたり、そういう類いのイジメを受けたりなどと、それなりに精神をすり減らしそうなのでオレはバイトを選び、そしてバイトをしながら整体学校に通うという日々をここ一年近く続けてきた。時には脱原発デモや安倍政権反対デモなどに足を運んだり、4月からは共同運営に参加している下北沢の古本屋カフェでの週一回の店番などが始まったり、バンド活動したり、ネットショップを細々続けてみたりして、はっきり言っててんやわんやの生活を続けていて、自分が今、何に向かって何をしているのか、ということすらよく分からないまま、しかしながら人の縁に恵まれて慌ただしいながら楽しい日々を過ごせている気がする。

 何で整体学校に通うことになったのかというと、以前から東洋医学や東洋医学的なモノの考え方に興味があり、野口晴哉や片山洋次郎などの著名な整体師の本などを読み漁り、自分の行動範囲の中でそれ系のワークショップに参加してみたりなどとしているウチにすっかり整体という不思議な体系に引き込まれてしまったのだ。それで、そういうことが職につながれば何より面白いだろうと思って整体学校に入学したら、どっこい学校で教えている整体は同じ整体でも整体ではないことが判明し当惑した。

 整体と一括りに言っても定義や、それが指している業界というのがあまりにも広汎に存在していて、僕が興味を持っている経絡やツボの調整、気功などという考え方の整体はむしろマイナーな世界であり、俗世間が言う整体は整体マッサージのことを指し、身体を根本から治していく民間療法というよりも、もみほぐしや凝りほぐしの世界のことを指し、リラクゼーションとか呼ばれて、最近どこに行っても見かけるようなサロンのようなものまで整体と呼んでいるむきもあるらしく、それがむしろスタンダードなのかもしれなかった。僕が授業料を払って通ったとこはそういう「ほぐし」のノウハウを教える学校だったのである。

 おかしいな、とは思いつつも「ほぐし」にも興味がない訳ではなく、他にこれだという生業が見つかりそうなわけでもなく、頑張ってみようと思って学校に通い続け先日1年のコース過程を終え、実技試験をクリアし(2回も落第したが)、後は筆記試験が残るのみ。それが終わって卒業すればリラクゼーション系の仕事への斡旋もしてくれることになっているのだが、なんと、そのリラクゼーション業界はとにかく賃金が安いことが段々分かってきて泣きそうである。今やっている掃除のバイトよりも時給が安い。うまく掛け持ちでバイトして様子を見れればいい、と思っているがどう転んでいくのかは全然分からない。

 みんなどうやって食っていっているのか、本当にみんな苦労して生きてるんだよなあ、ということを常々思いながら生きている。自分はバンドに全精力を捧げたい為に20代はフリーターを謳歌して頑張ってきたが気づけばダーティーサーティーも中盤で、年間所得では世の中の底辺層と呼んでいるあたりをウロウロしているようで、「将来のことをちゃんと考えなさい」としつこく言った生前の母の言葉を思い返しながら、すっかりこういう下層の住人になってしまったことをシニカルに噛み締めるしかない。

 ところが、どういうものか、後悔という類の想念など一切なく、ただただ毎日をなんとか生きているので充分楽しいし、下層は下層なりの楽しみや仲間がいることに痛快な気持ちになることも少なくない。お金が沢山あったところで、幸せだとか楽しいだとか感じる心に、そのお金がどのような作用があるのかははなはだ疑わしい。

 母親が死んだのはもう10年ほど前になるが、それからというもの疎遠だったオヤジと急激に接近するようになった。それはオレから半ば意識的に距離感を狭めていった結果、オヤジがそれまでの自分が想像していたより優しく、話せる相手だということが分かったためでもあり、オヤジも母亡き後の寂しさに以前よりぐっとオレや姉への干渉が増えてきたタイミングも重なったからなのでもあった。結婚してオヤジが住んでいる実家のそばでアパート暮らしを始め、何かあると実家に行って晩飯を食ったり、先日どこそこでこういう集まりがあって行ってきて、そこでどーのこーのみたいな話しをオレが聞き役に回って、という感じで過ごすことが度々ある。

 また、震災以降は政治の話しを俎上に乗っけることが多くなったのだが、これが意外なほどに噛み合ず、オレはショックで喧嘩っぽくなることもよくある。オヤジは朝日新聞を取り続けたリベラル寄りの思考をしているので、昨今の安倍政権には批判的な態度で自分と一致すると思っていたのに、ところがどっこい安倍政権擁護的な態度なのである。それは何でかといえば、公務員を勤め上げて溜めたお金を、最近になって株で運用し始め、それがアベノミクスで大いに恩恵に与ったかららしいのだった。

 そもそもオレは株で金を増やしたり儲けたりすることに酷く抵抗を感じるようなところがあるが、オヤジの世代はそうでもないのだろう。オヤジが資産を運用しようというのも、恐らく自分のため、というよりは子ども達(オレと姉貴)に少しでも多く残したいという思いがあるからなのだろう。

 しかしそれでも安倍政権を擁護するのはちょっとメディアに印象操作され過ぎなのでは、と思ってしまうので、何だか悔しくて政治のハナシをする度に喧嘩っぽくなってしまう。他人の年配の方と話すのではなく、血がつながっていて、人間的にもヒューマニストとして尊敬しているオヤジが安倍支持なのはどうしても納得がいかない。それでバトルしていたらこの間遂に、「お前がそんな左翼みたいなことを言ってもお父さんからしたら負け犬の遠吠えにしか聞こえない」というショッキングなことを言われてしまったのだ。ショック過ぎてその時は言葉を失ってしまったが、後々考えてみるとオヤジのように高度経済成長期以降のリッチな給与体制で頑張ってきた人の経済力からしたら、オレのように好きでフリーターやって気づいたら下層にいた、という人間が馬鹿の一つ覚えのように反体制的な政治のハナシを熱弁してきたら、そんな突き放したような啖呵を切るのも不思議じゃないように思えてきて、複雑な気持ちになった。

 問題はオレのように好きでフリーターを選んでこのようなステイタスになった人間ではなく、落ちぶれないように真面目に頑張ってきたのに下層にふるい落とされ、そこから這い上がれない沢山の非正規雇用の人達が、そんな風に大して悪気のない年配世代の人らから負け犬視されるようなことである。オレはもはや負け犬の遠吠えでも何でもいい気がしてきて、何だかむしろ可笑しさがこみ上げてきてしまうのだが、問題は40代、30代以下の世代全体的なところまできているのだ。

 先述の下北沢の古本屋カフェに集う人達は左翼的な考えの人達というよりは、現代の資本主義体制が世界にもたらしている負のパワーに注意を向け、支配的なイデオロギーや慣習に捕われずに「違った路」や「違った考え方」が世界には存在していることを肯定し、そういった知恵を取り入れ、如何に生きるかということを考えているような人達が集まっていて、僕にとっては革命的に刺激的な交友関係ができた、と言っても過言ではない。どちらかといえば個人主義的な考え方や生き方を善しと思っていた自分が、震災以降、つとに考えるようになった集団やコミュニティーの発想に、具体的な行動やそれに伴う責任感や安心感というものを実感しながら傾倒することができていることに大きな勇気をもらっている。

 実は整体学校の「ほぐし」の勉強とは別に、私的に参加させてもらっている知人経由の学び舎がある。オレはその知人の(身体)調整を受けながら月に一度、行ける時はその知人の師匠、Y先生が開催している東洋医学的研究の勉強会に顔を出していて、そこでまた、全く新しい世界の勉強をさせてもらっている。Y先生はオレの虚弱体質(特に消化器系)の、実際に顕著に虚弱していることを見抜き、何と具体的な漢方の処方をしてくださった。漢方が身体によいことは一般的な(西欧)医療重視の人でさえ何となく通じることなのかもしれないが、漢方を実践している人が多いかと言われれば少ないであろう。

 とはいえオレはそのY先生の度量と懐の深さに触れ、先生が勧めてくださった漢方茶を毎朝煎じて飲みつづけるという毎日を過ごしている。それは、半年から1年は続けてください、という長期的なアドバイスであり、即効性がないところにいかにも信用が持てるというものである。オレは心酔している師の言葉を信じ漢方生活を続けているのだがこれがジワジワと効いてきていて何となく身体の調子が全体的に上がってきているような気さえしている。毎日飲む漢方茶は顔を歪めたくなる程苦く、それは人生の息苦しさをそのままゴクリと飲み込むような気にさせられる。毎朝20分ほど生薬を煮出して、弁当を作って家を飛び出すというのが日課になっているのだ。

 家を飛び出して外出中はツイッターばかり見ている。ツイッターでニュースをチェックして、などと思ってタイムラインを見ていると余計な(かどうか分からぬが…)ニュースなんかも読んでしまい、結構ツイッターに時間を割いてしまっていることに気づく。オレはSNSに対してのあからさまなアレルギーはないが、変に癖づいてしまうとネットの世界ではないリアルな生身の世界の素晴らしさ、凄さを忘れてしまうようなことがあるのではないかと考えてしまう。そうすると意識的にSNSを見る量を減らしたりしてバランスをとる。そして本を読む時間を意識的に増やしたり、何もしないことをする時間を意識的に増やしたりしてバランスをとっている。

 Y先生の健康の秘訣は「1にバランス、2に水、3に食事」であり、昨今セレブ達が騒いでいるようにいい野菜などを食べていれば健康になれるのか、というとそうではない、という考えで、オレもその考えにかなり信頼を置いているのだ。だから結局バランス、バランスと思いながら下手にバランスを崩さないように気をつけ、何かが降ってくれば拾うし、無理するな、と思えば休むし、どうか間違っても死にたくなるような人生にならぬよう、一日一日頑張っていきたいと願っているのである。
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