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自己責任論は何を解決するのか?

邦人人質事件の解決が暗礁に乗り上げてしまっているが、自己責任論とは一体何なんだろうか? 自己責任という言葉を弄して、政府が国民を助けなくてもよいかのようなメディア戦略が行われているのだろうか? 戦略でも何でもなく、多くの日本人が実際そういう薄情な言論を、反射的に受け入れ許容しているだけなのだろうか?

その「自己責任」という言葉がことさらに使われだした(と思われる)のはイラク戦争の際の、香田証生さんが人質に取られた事件からではなかったか。当時オレはフリーターとして社会にデビューしたばかりで、あまり世の中のことがよく分かっていなかったし、今のように社会や政治のことに関してあまり関心を持っていなかった。911の事件に大きな衝撃を受けはしたが、頑張っても世の中変わんないでしょ、というシニカルで乏しい視点しか持ち得ていなかったのだ。

しかし、香田さんが人質に取られた事件には特別な関心を引きつけられた。オレは少なくとも香田さんに何かしらのシンパシーを感じたからだった。

オレは大学生の休みを利用して何度か海外旅行に行った。バックパッカーに憧れて東南アジアやヨーロッパを貧乏旅行で回り、カルチャーショックの興奮と「一人旅」の旅情と冒険心、探究心などを存分に味わっていた。叶わなかったが、フリーターを続けながらでも金を貯めつつ足繁く海外に行ってみようとも思っていた。

だから、香田さんが周りが「危険だから」と止めたのにも関わらず、危険な紛争地域に乗り込んで行ったということに関して少なからず同情するところがあったのだ。若いうちは危険を冒してでも冒険したいもの、逆に危険を冒してでも行くんだよ、という若気の至りに対して同情せざるを得ない気持ちだったのだ。

ところが事件の報道から伝わってくる世の中の反応は恐ろしいほど冷酷だった。最終的には香田さんの家族までが槍玉に挙げられて責められ、香田さんのお母さんは、息子が皆さんにご迷惑をおかけして、というようなことを謝罪しなければいけないほどになっていた。そして小泉首相はアメリカ追従の意志を示すパフォーマンスで自衛隊派遣を中断せず続行し、香田さんは帰らぬ人となった。

今回後藤さん、湯川さんがISISの人質となった事件に関して、またぞろ「自己責任論」が大きな顔をしてくるようになって、10年前の香田さんのことを思い出していた。何しろ当時社会のことに疎いボンクラだったオレが、香田さんの事件にショックを受けて、当時駆け出しだった赤い疑惑のライブMCで、その時不用意に声高に叫ばれた自己責任というレッテル貼りの違和感について、何かしら意見表明をしたことを覚えていたからだ。そして、そんなことを思い出しながら気付いたことがあった。

その頃ライブで演奏していた赤い疑惑の初期の曲で、「何度だって立ち上がってやるぜ」という、レパートリーの中でも比較的アッパーで人気のある曲がある。その歌詞の中に「No.1にならなくてもいい かといって特別なオンリーワンになる必要など そう あるがままに」というラインがある。それは2003年にリリースされて大ヒットしたスマップの「世界にひとつだけの花」という曲の一部を引用してパロったものだ。

何故その曲をパロったかというと、原曲の「No.1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」という「みんな違ってみんないい」的な価値観を敷衍した、やや宗教じみた歌詞に、また、それを超国民的アイドルに歌わせているという意図とに、かなり不気味なモノを感じたからだった。それを茶化すために、特別なオンリーワンになる必要もないよ、と歌ってみたのだった。

そんなことをよくよく思い出してみると、何かおかしい、ということに改めて気付いた。何しろスマップのその曲が流行ったのとイラク戦争はほぼ同時期なのだ。だからあのスマップの曲を快く受け入れていた多くの日本国民の間では、ある程度「みんな違ってみんないい」的な価値観を共有しているはずだったのに、蓋を開けてみたら何でもかんでも自己責任と言って片付けてしまう。これは、ブルーハーツの「どこかの偉い人 テレビでしゃべってる <今の若い人には個性がなさすぎる> 僕らはそれを見て 一堂大笑い 個性があればあるで 押さえつける癖に」という歌詞が指摘してる日本人の特徴と同じ悪しき習慣ではないか?

「世界にひとつだけの花」のヒットと香田さんの事件には、さも自由でさも新進的な価値観をナショナリスティックなアイドル(当時のスマップ。今ならEXILEやAKBか?)に一方で歌わせておきながら、一方では残酷で惨たらしい自己責任論で面倒なものを突き放す、という国民の矛盾と暴力が潜んでいた気がしてならない。そして、その矛盾にまったく自覚的でない人が如何に多いのだろうということを、今回の人質事件にまつわる自己責任論にも感じざるを得ない。

ところでオレは、そうかと言って日本人に絶望してるかというとそういうわけでも無い。何しろ自己責任論はメディアが煽動して広めてる印象があり、例えば身近な友人などで自己責任論を展開するヤツは少なく、みんなが冷酷非道の徒になってしまったわけではないことははっきりしているからだ。だが、実際「あれは自己責任だな」などと切り捨てた生の声も聞いたし、オレの知らないところではかなりの数で自己責任論が躍動してるに違いない。でも自己責任だなんて突き放して問題を片付けようなんて考え方は百害あって一利なしだ。臭いモノには蓋をしてしまう日本の政治と同じである。

今言われてる自己責任とは、自業自得だよ、と突き放すようなニュアンスが多分に含まれていて気味が悪い。自殺をしても自己責任。生活保護もらえなくても自己責任。何か辛い目にあっても世間は自己責任といって突き放してくるのだろうか?原発が爆発して避難してる地元の自治体の人達に対して、お金をもらって原発を受け入れたのだから自己責任でしょうと突き放せるのか?

政府は全ての国民の生命に関して等しく保障していかなければならないはずだが、それは非常に困難であることも周知の事実である。でもそれを国民は常に国に求めていなければいけないのだと思う。そうじゃないとどんどん生命は粗末にされていく。震災の被災者だってしっかりしたケアがなされている様子ではない。何かが起こった時に世間が自主的に自己責任的な論壇を張って国民同士で叩き合いをやってくれていれば政府は責任逃れできるので思う壺だろう。あの腐敗した政府とやり合っていくなら国民同士のそんな貶めあいは時間の無駄でしょう。

批判しなければならないのはどうしてISISがあんなことをするようになったかの根本をちゃんと考えずに、英米に擦り寄るポーズを取ってISISを軽率に挑発してしまった安倍首相ではないか? 後藤さん、湯川さんの件は自己責任だから、と言い合ったところでは残念ながら中東問題も中東と米国、日本の国際関係も改善する訳じゃないのだから。
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