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友達100人できるかな

 友だち100人できるかな、という歌があるが、あれを幼少の頃聞かされた時はワクワクもしたのだろう。けれど一体友だちを100人も作るなどということがそう簡単にできるものだろうか、と疑心を覚えたことも確かであった。
 1年生になったら、1年生になったら。いやいや無理だろうって思ってた訳だ。

 さて、私は割りと友だちが多いタイプの人間である。リア充である。仲間とか友情とかそういうベタな価値観が小さい頃から好きだったせいもあるのか、友だちに困ったということは今までなかった。
 そんな私も20代の後半、バンド活動も波に乗りそうでなかなか乗らず、この安時給のアルバイト生活がいつまで続くのやらと、半ばヤケクソな気持ちに耽っていた時期には、人間社会に疑心暗鬼になりかけていて、その頃はちょっと様子が違った。
 私は母を亡くし、当時長く付き合っていた彼女と結婚しよう、などと思い始めていた。しかし私は時給生活のしがないアルバイターで、結婚して家庭を持つ、ということにはリアリティーを持ち得なかった。
 だからその時になって始めて就職ということを考えたのだった。確か28歳くらいの頃だ。初めてハローワークに通い安月給の印刷工の仕事に就いた。朝から晩までインクにまみれて働いたが、その薄暗い職場と人情味を感じさせない同僚の人間模様にウンザリして試用期間で辞めてしまった。
 彼女には当然呆れられたが、オレもまだ諦めが悪いというか、今度は派遣社員というのをやってみて、うまくいけば派遣先に雇われる、というような今となっては現実味の乏しいプランにかけてみた。そうして派遣会社に登録して、実際2つの企業で派遣社員としての労働を試してみたのだが、企業と呼べるような大規模な会社にスーツを着て働きに行くことも、命令された、労働としての充実味の全く感じられないデスクワーク、そして派遣社員を奴隷のように見下す冷徹な上司、そのどれにも馴染むことができずに1年弱でリタイアしてしまった。
 結局、そういったことを含む諸々の事情で彼女と別れるに至り途方に暮れていた頃、私は世の中に希望を見出せずに少し後向きな思考に捕らわれていた覚えがある。バンド活動においても私生活においても、新たな人間関係を求めることもなく、友達など、心を割って話せる友達が数人いれば十分だろうと考えていた。
 この「友達は少なくてもいいんだよ」という教えは人によっては救いになるだろう。人とコミュニケーション取るのが不得手な人にとっては、無理矢理友達を作ろうとすることほど難儀で辛いこともないだろうと思う。そりゃそうだ。
 ところが先日ラジオを聞いていて、リスナーに「友達は少なくてもよい」というアドバイスをするパーソナリティーがいて、確かにそれはそうなんだけど、それをむやみやたらと顔も素性もあまりよく知らない相手にアドバイスすることに何だか違和感を感じた。何故なら、私のように「友達なんて少なくてもいいんだ」と思っていたのに、後になって「友達が多いことは何て素晴らしいことなんだろう」と世の中の捉え方を新たにする人も中にはいるかもしれないからだ。

 「友達が少なくてもいい」などと思い、付き合っていた女性とも別れ、孤独の中、赤い疑惑の作曲に辛い気持ちをぶつけていた頃、当時数少ないミュージシャン仲間だった久保君にこだま和文さんのライブを観に行くのを誘われ、興味本位で行ってみたそのイベントで私は未来世紀メキシコというDJクルーの1人と再会することとなった。そして、それをきっかけにEKDを始め未来世紀メキシコの面々と急速に仲良くなり、それをきっかけに私は思ってもみなかった「DJ」をやることになり、それをきっかけに数知れぬDJやミュージシャンと知り合うことになった。
 それまでは体験し得なかった「友達が一気に増える」という特殊な状況を迎えて、私は計り知れない生への肯定力を得た気がした。DJをやってみたり、ミュージシャンの仲間が増えたりしたことで、金銭的な見返りが広がったとは言い難かったが、金銭的でない友情という価値観が自分は大好きだったんだということを思い出し始めていた。会社の同僚以外の友人は多ければ多いほどいいのではないか?

 そして時を経て311を迎えた。激しい恐怖と、不安、怒りを携えて、私は本能的にいくつものデモ抗議に参加した。同じように不安を抱えて集まってきた若い人達の中に、長いバンド活動やら、近々のDJ活動などで顔見知りになっていた人達と数え切れないくらい再会することとなった。
 若い頃は音楽性の違いなど些細なことで、こいつとは友達になれねーな、とか、ちょっとでも思考が相容れない相手とは仲良くなれない、と思っていた。ところがいろいろ社会で揉まれてるうちには、いつしか私も大人らしくなったのか、大抵の人とは温和に交流する術を身につけていた。だからデモで再会した連中とはすぐにまた仲が深まったりした。しかも音楽性の違いというくだらないことよりも、原発に反対したり、原発推進を無理矢理進める政府に対してまっとうに怒りを抱ける人間に、人としての信頼感は募るばかりであった。
 311の衝撃がまだ冷めやらぬ2012年の年始から、私はひょんなはずみで下北沢の古書カフェ、「気流舎」の共同運営に関わることとなった。その時は、人と人のつながりやコミュニティーといった概念を強く意識していたので、「出会い」や「友達」の素晴らしさ、といったものへの再評価も含めつつとても前向きな行動であった。ちなみに気流舎に私を導いてくれたのは、やはりレゲエDJのナメタケ氏であった。
 気流舎にはカウンターカルチャーというキーワードのもと、職業も年齢も趣味趣向もかなりバラエティーに富んだ人間があつまっていて、お互いがお互いに常に敬意を払いつつ不自然のない距離感の人間関係があり、私にはとても面白く、居心地がよかった。そして一気に10人以上の家族みたいな友達ができた気分だった。
 気流舎で私は時々店番をしたり弾語りのイベントを開催したり、楽しい時間を過ごしていたのだが、その中でもまた当然新たな出会いに恵まれたりしていて、いつしか私は胡散臭い宗教よろしく「出会いがあなたの人生を変える」という思いに囚われていった。そして不良仲間のリョウ君が数年前、海の家のイベントでおもむろに漏らした「自分にとっては出会いが全てっすね」という、いつもふざけたトーンのリョウ君のいつにない真剣な物言いを何度も染み染みと思い出すのだった。
 そして私はまた最近、渋いラーメン屋と粋なライブハウスを同時に営むクルーとの、昔から知合いだったんじゃないか、とか、初めてなのに何だか懐かしい、と感じられるような素敵でワクワクする出会いを持つに到った。彼らとはこの先何か面白いことができるんじゃないか。そういうような予感をを抱かせる出会いであった。
 類は友を呼ぶ、とか、世間は狭いねえ、とか、そういう慣用表現が今日ほどにずっしりと肌感覚で感じられたことはなかった。そしてその感覚はこれから始まる私の人生においても更に面白い展開をしていくのだろうという予感がある。否、そんな予感しかしない。

 忙しく、慌ただしく日々過ごしていく中で友達の存在というものが想像以上に普段の生活の糧になっているのが感じられ、私はこんな駄文を認めるにいたったのであるが、勿論、私の交友関係の広がりにSNSの存在が強く影響を及ぼしていたことは否めない事実である。SNSは全く侮れない存在であって、情報漏洩、情報地獄、人と繋がりすぎる煩わしさ、などネガティヴな要素を差し引いてもSNSがもたらしてくれたモノはデカい。

 友達100人できるかな、と疑心を抱いた幼少の頃の自分に、または社会に疑心暗鬼になりすぎていた頃の自分に伝えたい。友達は100人以上できるし、そして、どんなに酷い政治や世間が眼前にあっても決して絶望してはいけない。出会うべくして出会った仲間を大事にしていれば不幸せになることなどあり得ない。富や名声、金や成功に飢える必要はない、大事なモノを見誤ってはいけない、と。仲良くしてくれる友達に感謝の気持ちを込めて。
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