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バンドマンに憧れて 第1話 光GENJI、爆風スランプ、たま

 私がバンド的なものに初めて触れたのは小学校中学年から高学年にかけての時期だった。1番初めに意識的になったのは爆風スランプの「ランナー」だったと思うが、歌謡曲一般でいうと光GENJIの方が先だったかもしれない。2コ上の姉の影響で聞いた光GENJIの華やかなメロディーやキラキラした演出に、少なからず興奮していた自分を思い出すことができるのだ。

 しかし、ことバンドという形態に拘れば1番最初は爆風スランプだった。小学校の登下校を共にしていたワキ君が「ランナー」をソラで歌い出した。私はその歌詞とメロディーにとても惹かれた。「走る走るオレたち 流れる汗もそのままに いつか辿り着いたら 君に打ち明けられるだろう」。何で「オレたち」は走るんだろう、何を「君に打ち明けられる」のだろう、と考え出したら何かワクワクした。ロック(当時はロックという意識もないが)の歌詞を聞いてひとり想像に耽る、ということを初めて体験した訳だ。

 「流れる汗もそのまま」にして拭かずに走るのだ、そしてきっと大変な苦労をして何処かに辿り着いたら「君」がいて、何かを打ち明けるのだ、と思うとやはりワクワクしてくるのだった。私はそのメロディーの虜になってしまいワキ君にその歌の正体について迫った。そして爆風スランプというバンドだということを知った。

 恐らくその年の年末だったと思うが、紅白歌合戦に爆風スランプが出るということだった。確か「ランナー」はCMかなにかで世間的にもヒットしていたのだ。しかし出てきたのは丸坊主にサングラスの冴えない風体の男だった。とはいえ映像と共に聞いた「ランナー」はよかった。そして私はバンドというものを知ったのだ。ボーカルがいてギター、ギター、ドラムだ。当時はギターとベースの区別も知らなかった…。

 私が初めて買ったCDは、そういう訳で爆風スランプの「I.B.W」であり、何故かその時一緒にTMネットワークのベストカセットを一緒に買っている。TMネットワークに関しては姉か従姉妹からの影響だったと思うが、アニメ「シティーハンター」の主題歌として「GET WILD」という曲が流行っていた。

 その頃はCDと並行してカセットが主流で、ロックなどとは縁のなかった両親もビートルズやマイケル・ジャクソンのカセットくらいは持っていて、当時は車に乗せられるとそれらのテープをよく聞いていた。ビートルズもマイケル・ジャクソンも好きだと思ったが、やはり歌詞が英語なので、メロディーを覚えて鼻歌を合わせるくらいの楽しみだったような気がする。

 歌詞を聞いてイメージや妄想を広げるという行為は、やはり日本の歌じゃないとできない。私は爆風スランプ、TMネットワーク以降も、歌謡曲、特にバンドものには注意を払っていたが、その中で強く私の心をとらえたのは当時「START」や「歩いていこう」などがCMソングとしてヒットしていたJUN SKY WALKER(S)(以下ジュンスカ)だった。

 ジュンスカには爆風スランプにはない「バンド的な何か」がある気がした。それは、後々私が大きな影響を受ける「パンク」っぽさであった気がする。爆風スランプのようにバカテクでバラエティーに富んだ曲調を披露するような芸人的側面はなく、単純な8ビートやパワーコードを多用するシンプル性が魅力だった。そして当時の、所謂ファッション的なパンクの格好を日本の若者風に精一杯やっている感じだったし、歌詞のアチチュードにも尖ったものが多少混じっていた。

 ジュンスカの歌詞の中には反抗的なものが多少あったが、それよりも彼らの唄には私がその後10年も20年も悩まされることになった「夢」だとか「希望」だとかいう言葉が溢れていた。「夢」や「希望」を持っていればどうにかなるという、短絡的暗示に子供は弱かったのだ。そしてバブル期だった当時の日本社会には個性の時代などといって、自分らしさを追求するのが是とされるようなところがあった(ブルーハーツは「個性的であればあるほど実際は抑えつけられる」と鋭い世相批判をしているが)。だから私は「夢」や「希望」という輝かしい言葉に大きな期待を寄せた。そういうつもりでジュンスカの曲を口ずさむようになっていたのだ。

 ところがジュンスカの後に出会った「たま」の衝撃はジュンスカの衝撃以上のショックだった。そこには「夢」とか「希望」というアッパーなフレーズはなく、もっと摩訶不思議で奇妙で、見てはいけないものを覗いてしまった、そんなような妖しい詩や表現がてんこ盛りだった。そしてたまは、それらの表現を、子供でも反応できるような美しく親しみやすいメロディーで飾った。

 たまの最大のヒット曲となった「さよなら人類」を初めて聞いたのはやはりTVのCMだった。私はすぐにその曲に釘付けになった。CMだから15秒しか聞けない。だけどその15秒からその曲の全貌を想像した。もっと聞きたくなって仕方がなくなった。

 その頃私達の文化的選択肢の中に、レンタルCD屋さんでCDを借りて空のテープにコピーするという手段があった。そういう店が流行っていたと思う。CDは3000円くらいだったから、レンタル屋で300円ほどで借り、空のテープにダビングして私家版とする。そんなしのぎがかなり普及していた時代だった。だから私は初めてレンタル屋でCDを借りる、ということを、周りの男子にバカにされながら実行した。何故か私の通った小学校では男子が歌謡曲に興じることが女々しいことだとされ、蔑まれた。私は周りに流されないタイプだったので無視していた。

 「さよなら人類」を収録したその「さんだる」というアルバムを私は何度も何度も聞いた。そして私の中のビートルズである彼らの芳醇なメロディーとコーラスのハーモニーに痺れていた。それは今思い出してもかなり衝撃的な体験だったと思う。それくらいたまの歌詞は強烈な視覚的、時間的イメージを喚起させるキーワードで溢れていた。だからシラフであんなにトベたんだ。

 たまにハマってしまったある年の正月、親戚の集まりで、とある叔母から「はるちゃんはたまが好きなんだってぇ?おかしな子ねぇ。」と突然からかわれた。今思えばたわいもない叔母の冗談だったと分かっているが、小学生だった当時の私にはそれがひどく侮蔑的な挨拶に思えて、私はその頃からしばらく親戚不信に陥った。

 私の母方の親戚はやや富裕な家系だったので脇道にそれるようなタイプの従兄弟は1人もいなかった。だから当時売れていたとはいえアウトローな視線を世間から受けていた「たま」に興じる長尾家の長男は変わっている、と思われ始めたのだ。その時まで気づかなかったが、いくらロックがビジネスとして世の中に存在してはいても、子供がバンドをやり出す、ということが今よりもずっと保守的に敬遠されていて、私はその時そういうバンドマンに対する差別視を初めて知ったのだ。

 実際それ以降、私がバンドをやりロックにハマっていくのを母方の親戚はややバカにするような感じで見ていた。私にはそれが腹立たしかった。自分が夢中になっているものが小バカにされているような感覚だ。からかっていた親戚に悪気などなかったが子供は敏感なのだ。私はそれ以来、親戚の前では冷静さを保とう努めたが、腹では、いつか見てろよ、と静かな拳を握りしめていた。 

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