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バンドマンに憧れて 第4話 洋楽

 高校になり、と言いたいところだが、まだ話しは中学生時代のままである。中学生時代、私にロックバンドに対する強い興味を抱かせたテレビ番組がテレビ神奈川のミュートマジャパンだった。その同じテレビ神奈川で、ミュートマジャパンの母体となっていた「ミュージックトマト」略して「ミュートマ」という番組があった。

 ミュートマでは毎回、海外のロックや歌謡曲のプロモーションビデオだけを何本も放送する。その頃、民放で洋楽のPVをかける曲などほとんどなかった(はずな)ので、テレビ神奈川のミュートマは実に画期的な番組だったのではないだろうか。私の他にもミュートマで洋楽にハマった輩がゴマンといることだろう。

 当時、海外の音楽は「洋楽」、国内の音楽は「邦楽」、と呼び分ける変な慣習が定着していて、CDショップの案内なども概ねそうなっていた。例外はあれど舶来物に弱い日本においては、その当時、「洋楽」を聞いてる、またはある程度知ってる、というとちょっと粋なやつ、先進的なやつ、オツなやつ、と思われる風潮があった。邦楽派?洋楽派?というカテゴライズさえあった気がする。ミュージックトマトはそんな洋楽好きの格好の情報源になっていたに違いない。流行の楽曲を流すだけでなく、懐かしのヒットソングを流すような日もあり、私はその番組を通じて70年代以降の英米のヒット曲を少なからず耳にするようになっていった。

 とはいえ、当時言われていた「洋楽」というのは、とどのつまりはアメリカやイギリスのロックやポップスを指す言葉でしかなかった。海外の音楽である「洋楽」が何故アメリカとイギリスの音楽だけなのだろう、という素朴な疑問について、ガキの私には疑問を差し挟む余地もなかった。まさか今のように芳醇なワールドミュージックの世界など知る由もなかったので、そういう英米の音楽が「進んでる」と思い込むしかなかったのだろう。

 私が愛した日本のロックバンド達も雑誌──私はPATiPATiというロック雑誌を愛読していた──のインタビューなどでは、しきりに洋楽のロックバンドやアーティストからの影響を殊更に披歴していた。そういうものを読みながら、私も当然のように洋楽はかっこいいものが多いのだ、という幻想を抱いた。私が好きだった日本のバンドの複数がインタビューなどで、後述するthe police(ポリス)の名前を挙げていたことも覚えている(つまりthe policeはミュージシャンズミュージシャンだった)。

 私が最初に触れた洋楽は小学校の時、車で両親が聞いていたビートルズやマイケル・ジャクソンのカセットであった。それ以外、両親が洋楽のロックやポップスに興味を示したことはほとんどなかったが、何故だかその2つは印象的だった。まだ相対化して音楽を聞くという機会のなかった私は、ビートルズもマイケルも、どちらもなんとなくいい音楽のように感じていた。しかし、その後出会ったたまやジュンスカの日本語による音楽を聴いた時ほどの興奮ではなかった。

 とはいえ、日本のロックミュージシャンの洋楽賛辞の声になびいて、私も英米のロックやポップスに強い関心を抱き始めた。私はそのミュージックトマトで流れるPVだっり、洋楽被れだった年上の従兄弟から教えてもらったデフレパードやボンジョビなどをきっかけに少しずつ洋楽をかじるようになった。

 先述のミュートマでは当時流行かけていたオルタナ、グランジなども──ジャンルの識別などできなかったが──かかっていたため洋楽の持つバラエティーにもワクワクしたものだった。また他に、これもテレビ神奈川で放送されていた「ビルボードトップ40」という英米のヒット曲チャートを流す番組(調べたところ現在も放映中)が格好の情報元となっていた。それはロック寄りのものに限らず、いわゆる歌謡曲のヒットチャートが紹介されていたので、姉も母も一緒になって見ていて、ASE OF BASEが異様にヒットしていたり、inner circleやbig mountainなどの、やたらにポップ化した聞きやすいレゲエが流行っていたことをよく覚えている。だが、私がレゲエという音楽の魔力を知るのはずっと後になってからのことだ。

 テレビの他にも、やはりレンタルCD屋の存在も大きかった。まだほとんどが知らないアーティスト名が並ぶ洋楽の棚を無闇にチェックし、気になるアーティストを探す、という作業を繰り返した。気になる、または親しみの持てる名前のバンドで1番初めに借りたのがU2とポリスとHelloweenだった。私はそのどれもが新鮮でポップでよいな、と思ったが、U2とポリスに関してはその後大学生になるまでfavoriteバンドとして不動だった(Helloweenに関しては私がちゃんと聞いた数少ないハードロックの1つとなった)。

 ポリスに関していえば初めに借りた解説付きベスト盤がヤバかった。確かどこか大手のレコード会社からリリースされた国内盤で、当時は既に解散していたポリスのヒット曲が10数曲収められた1枚だった。私は部屋でポリスの3人による重厚なコーラスを最初耳にした時、これはたまの「さよなら人類」を衝撃と共に聞いた時と同じように、身体が、細胞がビリビリと痺れるような感じになり、しばらく頭がボーっとしてしまうのだった。そして音楽の魔力というものをすっかり味わってしまったのだ。音楽でこんなにも、人の心に影響を与えることができるものなのだろうか、中学生の私は感動していた。

 ポリスのその音楽性に心酔した私は付属の日本語解説を食い入るように読んだ。そこにはメンバーの経歴や結成から解散のいきさつなどが書かれていたはずだ。そしてまた、そこに書いてあることが全て理解できなかった私は、こんなヤバい音楽を作るロックスターである彼らの、あることないことをいろいろに想像して興奮するのだった。例えば「ロクサーヌ」という売春婦のことを歌った曲があるが、売春婦という言葉だけで中学生の私はドキドキし始め、ヤバいじゃん、そんなことまでロックというのは歌っちゃうのかよ、という具合に。

 中学生というものは、セックスとか性向とか生理とか夢精とか、性に関するワードの一々に過剰に、そしてまた過激に反応するのがむしろ普通である。私は無論、売春婦という言葉を初めて意識的に認識したのだろう、とにかくヤベー、と思っていた。

 他にもポリスの名ドラマー、スチュワートコープランドのプロフィールに「14歳のとき初めてのギグで童貞を失った」というくだりがあった。童貞? 童貞って何だっけ、となった。無論、調べたはずだった。インターネットはなかったが辞書はあったんだから辞書で調べたはずだ。それで童貞は大体そういうことなんだな、と分かった。しかし14歳かよ、はえーだろ、やっぱロックスターはヤベえよ。私のロック信仰は止まらない。ところが今度は、ギグってなんだ?となってしまった。それでギグを辞書で調べてみたら何も出て来ないではないか。ギグって何なんだ! ギグって! ギグって! 相当やばい言葉に違いない! まさかギグが単純にライブのことを指す言葉だと知ったのは、大分後になってからのことである。

 私はこうして邦楽、洋楽を知り、ますますロック信仰を募らせて行くのであった。

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