バンドマンに憧れて 第9話 初めてのライブハウス
私は松ちゃんに誘われて、松ちゃんの友達の従兄弟のスカパンクバンドを観に行くことになった。確か高校1年生の暮れの頃ではなかっただろうか。私の生涯において初となるライブハウスでのライブ体験である。いやライブ体験というより、ポリスの解説で私をドキドキさせた「ギグ」体験だった。
会場は新宿アンチノックである。確か白黒2色刷りのいわゆるパンキッシュなフライヤーだったと思う。私は松ちゃんと松ちゃんの幼馴染と新宿で待ち合わせて会場に向かった。休日ではなかったはずで、私と松ちゃんはハナエ・モリの制服を着ていた。世田谷区出身の2人が私より新宿の土地勘に明るいのが新鮮な驚きだった。
私はその会場に辿りつきゾワゾワする心持ちで、何かとんでもなくエキサイティングな空間がこの先にあるんだ、という思いで小汚いビルの階段を恐る恐る地下へと降りて行ったことを覚えている。パンクのライブということだからパンクの怖いお兄さん達がいっぱいいるんだろう…。
当時、ライブハウスはちょっと恐い場所だと思っていたし、90年代のライブハウスには実際に恐い雰囲気がパンクやハードコアのシーンには漂っていた。しかも、その当時は知る由もないが、新宿アンチノックはパンク・ハードコア界では有名なハコでもあった。階段から壁からそこら中にバンドステッカーやらフライヤーやらが汚らしく重ねて貼られている。地下の湿気のカビ臭さと嗅ぎ慣れないヤニ臭がミックスした独特のあの臭い。この日以降私はこの独特の臭いと得体の知れぬ興奮とを求め長い年月を過ごすことになるのである。
ライブハウスの中は狭かった。スタジアムクラスのライブしか知らなかった私にはこの狭さにも意表を突かれたが、何よりも集まっている人達の派手な格好と熱気に圧倒された。男の人も女の人もオラが地元、田無では全然見かけないような気合いの入った服装をしているし、当然のことながらタバコと酒でむせ返るその熱気に、音楽を云々いう前から興奮せざるを得なかった。
そして私の心をさらに音楽云々以前に鷲掴みにしたのは、ここで初めて目撃したモッシュ&ダイブという代物である。異様な熱気はそれのせいでもあっただろう。ステージのバンドの演奏に合わせて観客が客席中央で大きなスペースを割いて、乱暴に踊りながら輪をかいている。曲によっては、ステージに勝手に登った観客が助走して勢いよく客席に飛び込んで行く。飛び込んだ客はそれに反応した下にいる客達によってしばらくの間担ぎ上げられて、まるで大玉転がしのように客の波を漂うことになる。
モッシュとダイブはその後のメロコアの爆発的な大衆化によって、もはや珍しい刺激的なカルチャーではなくなってしまったとは思うが、それまでの私のロック理解には全く含まれてない類いのことだったので、その時の驚きや興奮は並大抵のものではなかった。さらに私を驚かせたのはそのモッシュやらダイブやらで暴れてる人達が、喧嘩というカタチではない平和的なカタチで有り余るエネルギーを爆発していることだった。ダイブを支える下敷きの人達も大概はそのカルチャーを理解して楽しそうにしており、少なくとも喧嘩が勃発しそうな雰囲気が皆無だったことに感動した。
私も松ちゃんも恐る恐る後ろの方から背伸びをして見ていた。すると、壁際の椅子にのっかって見ていた客が高校生の制服姿で昂揚している我々に眼をつけて、なんと声をかけて椅子の上からの特等席を譲ってくれた。恐い場所と恐い人達、と半ばビビっていた私の緊張は、そのお客さんの歓待によって氷塊した。
対バンというライブハウスのシステムをちゃんと理解したのもこの時が初めてだ。メジャーバンドのコンサートと違い、ライブハウスでは通常、複数のバンドが順番にステージに上がり3~4時間のイベントが構成されている。当日我々の目当てだったfruityというバンドの対バンで、当時のスカパンクシーンで大人気だったlifeballというバンドを、同じイベントで一緒に観られたのは幸運なことだった。スカパンクが何なのか全く分からなかったが、lifeballもfruityもとことんキャッチーで軽快で元気いっぱいで、痛快な程のバカさ加減と楽しさがあって私には衝撃の連続だった。
生で体感するパンクのライブがこんなにも面白く楽しいものだとは、私の想像以上であった。スタジアムで見たメジャーバンドのコンサートはバンドとそれぞれのお客さんが1対1、という感覚であったのが、ライブハウスではバンドと観客とがもっと大きなうねりの中に溶け込むような感覚だ。そこに集まった人々が織りなす空間にまったく異なる質があるのだ。私はきっとその感覚に昂揚し、上気していたに違いない。
メジャーに対するインディーズという世界があることを知ったのもこの時だったと思うが、とにかくこの日の出来事が私の音楽感、ロック感をすっかり豹変させてしまった。そしてこの日のギグ体験をきっかけにライブハウス通いの日々が徐々に始まっていくことになった。
一方、私自身の音楽活動はどうなったかというと、相変わらず軽音楽部でヘボいカバーバンドを続けていたが、最初に部内で結成された同期の各バンドも趣向の不一致や仲違い、単純なフェイドアウトで幽霊部員になるもの、といった要因で分裂したり再編されたり、という状況になっていた。夏の合宿の時だったかと思うが、女子バンドのヘルプに抜擢された私はギャルバンのギターを担当した。当時の高校生女子バンドの中で圧倒的な人気を博していたジュディマリを中心に数曲のライブを行った。
バカにしていたがジュディマリのギターは異様に難解で、まともに弾けた覚えがない。それは脇に置いといて、私が参加したギャルバンによる夏の合宿ライブでオリジナルをやろうと、今では誰が言い出したのか分からないが、そういう流れになり私は張り切って曲作りに挑戦した。パンクの洗礼を受ける前だった私はジュディマリ風のメロディーをひねり出し、下らない歌詞をつけて一曲完成させた。ベースラインも簡易につけて教えてやり、その作業に苦労した記憶はなく、メンバーからの評判も上々で、キャッチーな曲だったし私は悦に入った。それが私が初めて作曲した曲であり、何だ、やっぱり作曲なんてことは大したことじゃないぞ、と調子に乗ったものである。
その後、先述のオルタナの洗礼、パンクの洗礼、インディーズの洗礼を受けてからは早くオリジナルのパンクバンドをやりたくて仕方がなかったが、結局、私の趣味が、パンクやオルタナなどコアな領域になればなるほど同年の軽音楽部員で意気投合できるモノがいなかった。私は学校での空いた時間はほぼ松ちゃんと過ごすようになり、オルタナやパンクの話しをしたり、その当時から我々の好奇心に強く働きかけていたファションの話しなどで我々なりのクールを追い求めていた。そしていずれ松ちゃんとパンクバンドをやればいい、などとぼんやり考えるようになっていた。
それでも軽音楽部での実質的なバンド体験もそれなりに意義があり、私が高校2年になるころには、始めに組まされたバンドは消滅しており、私と一緒にやることに前向きだったドラマーのヤギと、1コ上のオルタナロック好きの先輩女子アイコさん3ピースのバンドを組んだ。オルタナ的趣向で意気投合した私とKさんは、ハードロックでもヘビメタでもJポップでもないクールなチョイスを目指し、洋楽バンドのカバーを始めた。クラッシュ、セバドー、セラピー?、フェイス・ノー・モア、オフ・スプリング、ウィーザー、グリーン・デイなどのコピーをして私はそこそこ満足していた。
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会場は新宿アンチノックである。確か白黒2色刷りのいわゆるパンキッシュなフライヤーだったと思う。私は松ちゃんと松ちゃんの幼馴染と新宿で待ち合わせて会場に向かった。休日ではなかったはずで、私と松ちゃんはハナエ・モリの制服を着ていた。世田谷区出身の2人が私より新宿の土地勘に明るいのが新鮮な驚きだった。
私はその会場に辿りつきゾワゾワする心持ちで、何かとんでもなくエキサイティングな空間がこの先にあるんだ、という思いで小汚いビルの階段を恐る恐る地下へと降りて行ったことを覚えている。パンクのライブということだからパンクの怖いお兄さん達がいっぱいいるんだろう…。
当時、ライブハウスはちょっと恐い場所だと思っていたし、90年代のライブハウスには実際に恐い雰囲気がパンクやハードコアのシーンには漂っていた。しかも、その当時は知る由もないが、新宿アンチノックはパンク・ハードコア界では有名なハコでもあった。階段から壁からそこら中にバンドステッカーやらフライヤーやらが汚らしく重ねて貼られている。地下の湿気のカビ臭さと嗅ぎ慣れないヤニ臭がミックスした独特のあの臭い。この日以降私はこの独特の臭いと得体の知れぬ興奮とを求め長い年月を過ごすことになるのである。
ライブハウスの中は狭かった。スタジアムクラスのライブしか知らなかった私にはこの狭さにも意表を突かれたが、何よりも集まっている人達の派手な格好と熱気に圧倒された。男の人も女の人もオラが地元、田無では全然見かけないような気合いの入った服装をしているし、当然のことながらタバコと酒でむせ返るその熱気に、音楽を云々いう前から興奮せざるを得なかった。
そして私の心をさらに音楽云々以前に鷲掴みにしたのは、ここで初めて目撃したモッシュ&ダイブという代物である。異様な熱気はそれのせいでもあっただろう。ステージのバンドの演奏に合わせて観客が客席中央で大きなスペースを割いて、乱暴に踊りながら輪をかいている。曲によっては、ステージに勝手に登った観客が助走して勢いよく客席に飛び込んで行く。飛び込んだ客はそれに反応した下にいる客達によってしばらくの間担ぎ上げられて、まるで大玉転がしのように客の波を漂うことになる。
モッシュとダイブはその後のメロコアの爆発的な大衆化によって、もはや珍しい刺激的なカルチャーではなくなってしまったとは思うが、それまでの私のロック理解には全く含まれてない類いのことだったので、その時の驚きや興奮は並大抵のものではなかった。さらに私を驚かせたのはそのモッシュやらダイブやらで暴れてる人達が、喧嘩というカタチではない平和的なカタチで有り余るエネルギーを爆発していることだった。ダイブを支える下敷きの人達も大概はそのカルチャーを理解して楽しそうにしており、少なくとも喧嘩が勃発しそうな雰囲気が皆無だったことに感動した。
私も松ちゃんも恐る恐る後ろの方から背伸びをして見ていた。すると、壁際の椅子にのっかって見ていた客が高校生の制服姿で昂揚している我々に眼をつけて、なんと声をかけて椅子の上からの特等席を譲ってくれた。恐い場所と恐い人達、と半ばビビっていた私の緊張は、そのお客さんの歓待によって氷塊した。
対バンというライブハウスのシステムをちゃんと理解したのもこの時が初めてだ。メジャーバンドのコンサートと違い、ライブハウスでは通常、複数のバンドが順番にステージに上がり3~4時間のイベントが構成されている。当日我々の目当てだったfruityというバンドの対バンで、当時のスカパンクシーンで大人気だったlifeballというバンドを、同じイベントで一緒に観られたのは幸運なことだった。スカパンクが何なのか全く分からなかったが、lifeballもfruityもとことんキャッチーで軽快で元気いっぱいで、痛快な程のバカさ加減と楽しさがあって私には衝撃の連続だった。
生で体感するパンクのライブがこんなにも面白く楽しいものだとは、私の想像以上であった。スタジアムで見たメジャーバンドのコンサートはバンドとそれぞれのお客さんが1対1、という感覚であったのが、ライブハウスではバンドと観客とがもっと大きなうねりの中に溶け込むような感覚だ。そこに集まった人々が織りなす空間にまったく異なる質があるのだ。私はきっとその感覚に昂揚し、上気していたに違いない。
メジャーに対するインディーズという世界があることを知ったのもこの時だったと思うが、とにかくこの日の出来事が私の音楽感、ロック感をすっかり豹変させてしまった。そしてこの日のギグ体験をきっかけにライブハウス通いの日々が徐々に始まっていくことになった。
一方、私自身の音楽活動はどうなったかというと、相変わらず軽音楽部でヘボいカバーバンドを続けていたが、最初に部内で結成された同期の各バンドも趣向の不一致や仲違い、単純なフェイドアウトで幽霊部員になるもの、といった要因で分裂したり再編されたり、という状況になっていた。夏の合宿の時だったかと思うが、女子バンドのヘルプに抜擢された私はギャルバンのギターを担当した。当時の高校生女子バンドの中で圧倒的な人気を博していたジュディマリを中心に数曲のライブを行った。
バカにしていたがジュディマリのギターは異様に難解で、まともに弾けた覚えがない。それは脇に置いといて、私が参加したギャルバンによる夏の合宿ライブでオリジナルをやろうと、今では誰が言い出したのか分からないが、そういう流れになり私は張り切って曲作りに挑戦した。パンクの洗礼を受ける前だった私はジュディマリ風のメロディーをひねり出し、下らない歌詞をつけて一曲完成させた。ベースラインも簡易につけて教えてやり、その作業に苦労した記憶はなく、メンバーからの評判も上々で、キャッチーな曲だったし私は悦に入った。それが私が初めて作曲した曲であり、何だ、やっぱり作曲なんてことは大したことじゃないぞ、と調子に乗ったものである。
その後、先述のオルタナの洗礼、パンクの洗礼、インディーズの洗礼を受けてからは早くオリジナルのパンクバンドをやりたくて仕方がなかったが、結局、私の趣味が、パンクやオルタナなどコアな領域になればなるほど同年の軽音楽部員で意気投合できるモノがいなかった。私は学校での空いた時間はほぼ松ちゃんと過ごすようになり、オルタナやパンクの話しをしたり、その当時から我々の好奇心に強く働きかけていたファションの話しなどで我々なりのクールを追い求めていた。そしていずれ松ちゃんとパンクバンドをやればいい、などとぼんやり考えるようになっていた。
それでも軽音楽部での実質的なバンド体験もそれなりに意義があり、私が高校2年になるころには、始めに組まされたバンドは消滅しており、私と一緒にやることに前向きだったドラマーのヤギと、1コ上のオルタナロック好きの先輩女子アイコさん3ピースのバンドを組んだ。オルタナ的趣向で意気投合した私とKさんは、ハードロックでもヘビメタでもJポップでもないクールなチョイスを目指し、洋楽バンドのカバーを始めた。クラッシュ、セバドー、セラピー?、フェイス・ノー・モア、オフ・スプリング、ウィーザー、グリーン・デイなどのコピーをして私はそこそこ満足していた。
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