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バンドマンに憧れて 第10話 印象的な先生


 何度も書いた通り、私の通った中杉という高校は退屈な学校だった。しかし、松田クラッチと出会った1年生時の担任だったY先生の異様な存在感は、他の多くの退屈な教師陣の中で独特で、私は少なからずこの先生に思想的影響を受けた気がする。

 Y先生は国語の教師であったが、まだ30代くらい(あるいは20代ということもあり得たかもしれぬ)で、容姿的にもどこか若さをたたえていた。しかしその若さが悪さをするのか、教師という存在の、その存在意義に常に悩み、迷いながら指導しているような、普段は柔和な笑顔を見せているが、ふとした拍子に突然物凄い勢いでキレたりする、摑みどころのないところがあった。そのせいで一部の生徒からも何となく恐れられ、距離を取られている節が常にあった。

 私が入学して、Y先生が担任の挨拶をした初日のホームルームで、どういういきさつだったか思い出せないが、「みなさん、何か質問ありませんか?」または「何か思ってることを誰か話してください」というような、とにかく漠然とした投げかけが我々になされた。控えめな日本人の典型的高校生たる同級生タチは、1人としてそのY先生の突然のリクエストに手を挙げない。いや、挙げられない。むしろそれが当たり前という感じで、いきなり「何かないのか?」と言われても我々はポカンとしていた。

 すると、普通なら、「では、特にないようですので、今日から皆さんよろしくお願いします。また明日!」となりそうなところなのだが、現実には「何でみんな黙ってるんだ、えぇっ?」とY先生が突然気色ばんだ。「何かないですか」と我々に投げかけたあたりからY先生の雰囲気がシリアスになっていたのを感じ取っていたが、いきなり大声で怒鳴るので私も縮み上がってしまった。当然皆も黙っていると、「何もないはずないだろぉ!何なんだお前達は!」と、よく響く声で怒鳴り、教室全体が一斉に緊張感に包まれて固まるのが分かった。

 今思い出しても、その時のキレるY先生は異常だった。しかし、Y先生が芯のないガリ勉の大人しい中杉の生徒から何かを引き出そうとし、何かを与えようと試行錯誤している感じを私は無視できないとも思った。そんなに冷静に判断できていた訳ではないが、その鬼気を孕んだY先生への妙な関心が起こったのだ。それで、最初こそ私も黙っていたが、それからはY先生の質問には積極的に答える姿勢を露にした。何しろつまらない高校生活の中で唯一、違和感としての好奇心を煽る何かがY先生の中に蠢いていた気がしたのだ。

 私がよく覚えているY先生の現文の授業で、芥川龍之介の「羅生門」を読む、というのがあった。「羅生門」の本文序盤の方に、<作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた>というくだりがある。Y先生は「ここでいう「作者」は芥川龍之介のことではない」ということを、ただそれだけのことを、立ち止まって我々に教えようとしたのだ。しかし芥川龍之介の小説なんだから「作者」は芥川龍之介ではないか。受験国語しか知らない我々はそう思ってポカンとしていた。

 私も当然Y先生の問いかけの意図が分からなかったが、直感的にそこでY先生が我々に伝えようとしていることにただならぬ興味を抱いてしまった。そしてその解説を注意して聞いた。Y先生は「作品ができた時点で作者は死んだ」という、高校生には難しい芸術概念を、もっぱら受験用に文学を嫌々読むだけだった我々に、果敢にも伝えようとしていたのだった。「作者は死んだ」、私はこの概念をY先生の解説を聞き胸にしまい込んだ。そしてその後もしばらく考えていた。私がロックをやる時においてもきっと知恵になる何かがあると思った。

 「作者は死んだ」。至極簡単に言ってしまえば、作品は完成して世に出てしまった時点でそれはもはや作者のものではなく、受け手のものになってしまうということだ。そうじゃないだろうか。いくら文豪の芥川が書いた作品だろうが何だろうが、その作品を味わう人は、その作品を芥川本人から切り離して読まなければ本当じゃない、というようなことだ。

 当時の私には難しい概念だと思ったが、それは芸術全般の鑑賞態度としてとても大事なことをY先生は言ってるのではないかと私は直感した。そして同時にそれまでに教えられてきた国語理解は一体なんだったのだろうか、と愕然とした。

 我々が高校受験のために学んでいた受験国語の設問というのは、後で改めて考えてみるとどうやら滑稽なものが多かった。例えば、以下の中から作者が本当に表現したかったものはどれか、といった類いの選択問題なんかが試験の主要な部分を占めていた訳だが、あんなのもお粗末である。 受験勉強に邁進していた時は特別疑問に思わなかったが、Y先生の「作者は死んだ」理論を踏まえると、そのような選択問題に何の意味があっただろうか、と空しく感じる。むしろ、そういう風に読書に模範解答などがあるとしたら、読書の楽しみというものは皆無ではないか。Y先生の授業を受けながら私はそういうことを考えていた。

 もう1つ印象に残っているY先生の話しがある。それは「賞というもの、そのもの自体には何の意味もない」というヤツだ。果たしてその話しが授業中だったか、またはホームルームの時間だったかはっきり思い出せないのだが、Y先生が述べたその説に私は大きな関心を払った。何故なら、賞には意味または意義があるもんだと思っていたし、それは疑いようもない事実だと思い込んでいたからだが、「賞に意味はない」という考え方が意表を突き過ぎていて、何だか無視できない問題だとこれも直感したからだ。
私は手を挙げて質問した。
「賞に意味がない、どいうことが分かりません」
他の級友が特別この問題に関心を払っていた印象はなかったが、皆も同じことを思ったに違いない。私は真実を追求するような気持ちでY先生の説明を求めた。

 Y先生が実際どういう説明をしてくれたのかまで思い出せないのだが、私はその場でY先生の説明をある程度理解することができた。そしてそれは革命的な認識の刷新だった。

 ノーベル賞にしても直木賞、芥川賞にしても賞そのものに意味はない。賞なんて誰かが一方的に決めただけのもの。その人の作品価値がそれによって貶められることもなければ、増幅することもない。これは「作者は死んだ」にも通ずる感覚で、作品の価値は受け手が決めることなのだ。そうではないか。

 大人になってから、例えば、誰々は○○賞の受賞を辞退した、などといったことがセンセーショナルに取り上げられるようなニュースを見聞きするようなことが何度かあったが、受賞を辞退するようなトンがった表現者の根底には、Y先生が伝えようとしていた概念が根底にあるんだろうと思うようになり、むしろそういう考え方が自分の中でも普通になった。

 乱暴なようだが、このY先生流の教えを受けたことは、その頃丁度夢中になり始めていた「権威をとにかく嫌い否定するのを是とするパンク」の感覚にもどこかつながっているような気がしている。中学生でロックスターに憧れスタジアムクラスのバンドマンを夢見た私が、ライブハウスのパンクに出会い、自分の中での憧れの対象がシフトしようとしていたその時期に、このY先生流が私に落とした影響は少なくなかった。

 前回書いたように、丁度fruityというパンクバンドのおっかけをやり始めた時期と重なるが、その後辿り着いたレスザンTVというレーベルの異端パンクス達の存在は、賞や名声とは無縁の孤高の世界観と連帯感だった。私は分かりやすい成功や名誉だけが人生ではないのだ、と徐々にそんな価値観を肯定するようになっていった。

 Y先生の担任は結局1年生の時だけで以降はほとんど接触がなくなり、恐かったY先生も年々大人しい雰囲気になり、アイツ丸くなったよ、とその後Y先生の担任を経験した同級生はそんな風に言っていて何だか寂しい気持ちになった。

 十数年後にも同窓会で1度Y先生と再会して世間話をする機会があったが、その時もあの頃の狂気の陰はなく、ひたすらに柔和な恩師、という風だった。しかし、とにもかくにも、あの狂気の時代のY先生に教わったことは今だに、そして今後もずっと色褪せずに私の中で咀嚼され続けるのだと思っている。

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