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バンドマンに憧れて 第12話 誤摩化す進路

 母と進退のことでさんざん揉めた挙句、私は自分の未成熟さをどこかで打ち消すことができず、まだ社会に出るより、時間稼ぎ的に大学に行くのも悪くないかもしれない、と考えた。また音楽学校というのも実際はどうかな、と思った。自分の好きになったパンクはそんなところで発展しないだろうし、親の反対を押し切り自分で働きながら自腹で専門学校に突き進むほどの熱も高まらないので、やはり無難に大学に行こうと決めた。そしてこれは大前提だが、私は大学附属の高校に通っていたのであり、余程踏み外さない限りエスカレーターで大学に進むことができたのである。

 私が、やはり大学に、と決断した最も大きな期待には、いろんな友達を作れるかもしれないという希望的観測があった。何故そんなことを中心に考えたかというと、教育実習で高校に教えにきていた現役大学生の女性の話しを真に受けたのだった。大学に入ったら、いろんな地方から東京に出て来た生徒と沢山知り合うことになる。それはとても素晴らしいことで云々、という美談を、私はそんなものかもしれない、と捻くれ者の癖に割合純粋にそう信じてしまったのだ。

 いや、そう思い込むことで大学行きへの煩悶から早く解放されたかっただけだったのかもしれない。とにかくそう決めて仕舞えばいろいろ楽な気がして、張り切ってまたロックのことに集中できるようだった。

 私と松ちゃんはfruityを追いかけながらライブハウス通いを続け、いろいろのメロコアやスカコアのバンドを知った。当時のそういったインディー系パンクバンドは英語で歌うのが何故か暗黙の前提になっていて、私はそこだけがどうにも釈然としなかったが、そういうもんだろうと思って楽しんでいた。

 そして高校2年生の終わり頃だったかと思うが、遂に松ちゃんとパンクバンドを始めることになった。

 松ちゃんはボーカルを希望していたので私がギター、ドラムには、軽音部の私のバンドでもドラムを叩いてくれていたヤギにお願いし、そしてベーシストには私と松ちゃんの仲良しだったナリ君が興味を示したのでお願いすることになった。重要なバンド名は私の一存で「ハイパーニトロ」と命名した。何ともダサい名前だが当時の私がメロコアっぽさをイメージしてつけたもので、自分はなかなかよい名前だろう、くらいに考えて澄ましていた。

 バンド練習は軽音部の倉庫兼練習部屋だったところを、誰も使ってない時に無断で使用したり、西荻のRDSを借りてやったりした(以降赤い疑惑に至りその後現在まで我々はそのリンキーディンクスタジオ西荻窪店を愛用することとなる)。

 私の人生を賭した初めてのパンクバンド、ハイパーニトロは、しかしこれまた想像を絶するお粗末な演奏しかできなかった。耳コピが得意だった私がベース初心者のナリ君にベースのフレーズを、ここを押さえて、次はここを押さえて、というように伝える。しかしそれがなかなか上手くいかない。さらに松ちゃんのボーカルもなかなか酷くて、何でそこで歌い出すんだよ、というタイミングで入ってくる。音痴というのとは異なり音楽的な感が圧倒的に欠落しているように思われた。

 決して私のギターもヤギのドラムも上等の代物でもなかったが、ナリ君のベースと松ちゃんのボーカルをカタチにすることが第一関門であるということだけは即座に見極めることができた。とはいえ私の中で演奏が下手であることはそこまで致命的だとは考えていなかった。それはパンクというジャンルの持つ寛容さに依っていた。我々が仕入れたパンクの意義には、下手くそでも初心者でもやっちまえ、それがパンクだ、という思い込みがあった。

 パンクから派生していったオルタナティブロックにも夢中だった私はまた「ローファイ」と呼ばれるジャンルが存在することを知った。ローファイはハイファイの対義語というところから定着したジャンルで、要するに「下手くそ」だったり「音質が悪」かったりする、そういう音楽こそ味わい深いだろう、というものだった。勿論、ただ下手なだけじゃなく、下手なんだけど何か惹かれる良さがあればあるほどいい。何しろローファイはフュージョンやプログレ、ハードロックなど技術至上主義に向かっていた音楽シーンに、突如パンクが出現したのと同じような仕組みで持て囃され出したのだろう。

 私は当時ローファイと呼ばれ、人気のあったセバドーというアメリカのバンドに衝撃を受けた。明らかにノイズの入ったような録音、歌い間違えや咳払いなどが当たり前に入っているようなボーカルにスッカスカの音圧。これらが生み出す力の抜けたニュアンスの歌達は私にとって非常に尊い趣きに感じられた。

 早弾きが全然できなかった私にとって、パンクやローファイとの出会いは劇的であった。確かハイパーニトロを結成したのと同じくらいの時期に私はバイト代でMTRという多重録音機材を買い求め、セバドーよろしく宅録に挑戦し始めた。

 曲のアイデアだけは無尽蔵に湧いてきそうであった当時の私にとって、このMTRという機材は格好の玩具となり、私は次から次へと重ね録りを試し、遂に表裏2曲ずつ入りのカセット作品を完成させた。

 私は友人が書いた宇宙人の様なイラストをジャケットにあしらい、ユニット名を「ねろ」として発表し、それなりの満足感を得た。周囲からの反応は覚えていないが、とにかくそこから出発して結局今でも「ねろ」という名義で弾語りをやっているのだから我ながら感心する。

 そのようにして私は下手くそでも味で勝負、という志向に染まっていくのである。そして、fruityの追っかけをやる内にfruityの耳コピを始めるのだが、問題はfruityの音源がないことだった。いくら人気があっても音源がリリースされないバンドは珍しくない。しかしfruityはオムニバスに1曲参加という小憎い戦略(意図的だったかは不明)を繰り返していてそこからしかfruityの録音物を聞くことができなかった。

 そしてそのfruityが参加していたオムニバスの中でも、一際存在感の異様なCDが私と松ちゃんを虜にすることとなった。それはレスザンTVというレーベルからリリースされた「サンタVA」というアルバムだった。緑のジャケに有刺鉄線のリボンがかけられたB級なデザインのそのCDにはモールでできたローファイなサンタの人形がついていた。

 何でそんなおまけが、ついてくるのかよく分からなかったが、肝心の内容が更に不可解だった。fruityはいつも通りメロディアスでハイテンションでキャッチーな楽曲だったが、その他のアーティストは、日本語で歌われていたブラッドサースティーブッチャーズ以外ほとんどが容易には理解ができなかった。

 容易に理解できないロックはいくらでもあるが、大体のロックは洋楽の何かを真似てできたもの、という印象があった。しかしながらレスザンTVのオムニバスはオルタナを聞き始めていた私にもなかなかルーツが分からず、分からないけど何か気になる感じが拭いきれなかった。

 そして、気になる感じを引きずったままその「サンタVA」のレコ発があること、そしてそのライブにfruityも出ることを知った我々はとりあえず行ってみよう、ということになった。少し勝手が分かりつつあったメロコアやスカコアとはまったく違う世界のライブであろうことは疑いようがなく、松ちゃんと心を躍らせながら、このライブの後間もなくして閉店することになる伝説のライブハウス、新宿ロフトに向かうのだった。



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