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ベトナム

 20年ほど前には発展途上国なる乱暴な言葉で一括りにされていた東南アジア諸国からのシェアハウス利用者が、ここ数年で顕著に増えている。タイ、ベトナム、ミャンマー、韓国、中国などの国から、若い学生が、出稼ぎではなく、日本に勉強しに来たりインターン(私はこの言葉の意味を完全に把握していない)しに来たりするようになっている。

 下町の某物件で、昼時、リビングに集まっていた4人の若者と話す機会があった。聞いてみると2人はベトナム人、1人は韓国人、残りは恐らく欧米の子で、皆明るく、時々、破裂するような笑い声を出して談笑している。

 ベトナムの子がいることが分かって私は思わず声をかけて会話に少しお邪魔してしまった。私はベトナムにひとかたならぬ思い入れがあり、つい口出ししたくなってしまうのである。

 「私はベトナムには2度行ったことがあるよ」、とこれはベトナムの子を見つけると定型句のように毎度持ち出すとっかかりであるが、大抵の相手はそれを驚いて、ベトナムのどこに行ったのか、と聞いてくる。ハノイか?サイゴンか?と聞いてくるのである。

 そこで私はすかさず「ハノイ・トゥー・サイゴン!」とやや誇らしげに答える。すると相手はもっと驚いて、そこから細かい地名や食べ物の話などが続いて、とはいえそれ以上深い話ができる訳ではないのだが、私はそれである程度満足してしまう。

 今回、下町の某物件で話した若いベトナム人の女の子はかの東大に経済の勉強をしに来てる、と言った。私は、ベトナムの若い子が、東大で、経済を、と染み染み感じ入った。私がベトナムに行ったのは、しかし、もう15年以上前だよ、と伝えると彼女はまた驚いて、それじゃあ、もうすっかり今のベトナムは様変わりしたわ、と言い、新しいベトナムを見にもう一度ベトナムに来て、と笑顔で言うのである。

 そんな会話を交わしながら、私はベトナムに行った時のことを、また思い出した。私が学生時代に友人に声をかけられて初めて行った海外旅行先がベトナムだった。初めての海外旅行、しかも日本より経済的に貧しい国(以下、便宜上経済貧国と書く)ということで何もかもがカルチャーショックであった。

 空港を出た途端に群がるシクロ(自転車タクシー)やタクシーの運転手達。観光地では空港と同様に少しでも油断をしてると、すぐに物売りや物売りの少年に囲まれてしまう。

 日本では一部の特殊な地域を除いてほとんどなくなってしまった屋台文化が、表に出ればどこにでもあり、暑いのにもちろんクーラーもなく、しかし屋台で食べた食事はその屋外という情緒からか、全てが美味しく、私の中で変えがたい思い出となって残っている。

 経済貧国に行くと騙されたり、不衛生だったりが嫌で敬遠する人も多いかもしれないが、私は初めてのベトナム旅行のその全てが愛おしい体験だった。騙されたりしたことも、スリにあったことも、ずっとお腹を壊していたことも、全部差し引いても、ベトナム人のしたたかさや、優しさや、おせっかいや、タフさ、憎めない愛嬌などに圧倒されていた。日本と似た田園風景も、ベトナム女性のアオザイも美しかったし、フォーやバインミーなど、庶民の食事の1つ1つが私には愛おしかった(経由で立ち寄ったタイの料理のように辛いものが少なく、私にはフィットした)。

 私はそのベトナム旅行において、同時に欧米の──もちろん日本人も数多くいたが──バックパッカー文化を知り、衝撃を受け、そういうこと全てにハマってしまった。そしてそれから5回ほど私は海外を放浪する旅に出ることになった。

 私が渡航した先はタイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、インドネシア、インド、そして南欧の3カ国。南欧を除いては総じて物価が激安で、貧乏旅行とはいえ現地の人から見たら優雅な旅に見えたかもしれない。しかし、そういった経済貧国に足を踏み入れて、どこでも共通して強く感じたことは、私が知っている東京の人々よりも、経済貧国の人々の方がエネルギッシュだったり、活き活きしていることだった。もちろん、よく働く、という側面もあるのだが、シクロドライバーのように客が来なくて毎日道でダラダラしてるようなおっちゃん達の表情ですらも屈託がなく爽快な感じがした。そういう土地で見た人々の眼は明らかに東京の電車で見かけるサラリーマンの雰囲気とは180度違っていた。

 バックパッカー体験は私の人生観を大きく変える体験であった。ところがバックパッカーをやってみたところで世界の経済情勢格差に対する矛盾のようなテーマに関しては、考える機会が多くあったものの、自分を納得させるほどの解は得られなかった。

 比較的豊かな経済状況の国の旅行者が、経済貧国に旅行に出れば安い経費でいろんな旅ができてしまう。例え日本から旅に出たフリーターの貧乏旅行だろうが、貧しい国の人からしたら飛行機に乗って海外旅行できるというのは驚異に値することだった。

 私はフラフラとベトナム他アジアの国を歩いていた時、町の暇そうなおっちゃん達と仲よくなることが度々あったが、「何で君は若いのに海外旅行なんかに来られるんダ?」という質問を、おっちゃんに限らず度々受けた。その度に自分は、旅行には来てるけど日本ではアルバイトなんで貧乏なんだよ、と懐ろを読まれるのが嫌でそう答えていたが、説得力はなかった。現地人からのそういう純粋な質問は私に何かひっかかりのようなものを遺した。

 確かに彼らからしてみれば1人で気ままな旅行に来ている若者が羨ましくもあるだろう。飛行機に乗るなんて考えたこともなかっただろう。彼らからしたらフリーターだろうが私は金持ちなのだ。

 それなのに私はケチケチした貧乏旅行しかできなかったし、その国際的な格差に対する矛盾には未だに答えられない。同じような不可思議を旅人の多くが共有してるのだろうとも考える。

 しかし、その答えは分からぬが、私はこうして今、ベトナムから若い学生が日本に勉強のために留学しに来てるような社会情勢を知る。今はまだベトナムでは比較的裕福な家庭の子だけの特権なのかもしれない。それでも、あと数年したらもっとそのチャンスは下々の庶民にまで広がるかもしれない。そう考えると何だか少し救われるような気持ちになった。

 私がバックパッカーをやっていた当時は日本と経済貧国との格差は縮まることなく並行したまま時が流れるんじゃないか、という錯覚を抱いていた。しかし、明らかに今まで先進国と呼ばれた日本、ひいては欧米諸国の経済は緩慢になっている。そして中国のように経済貧国が景気がよくなる時というのは一気に急激な変化が起こるものらしい。日本の高度経済成長だってそうだっただろう。

 まだまだ世界の格差や偏りや抑圧は終わらないが、私の把握できる範囲でこのような世界の変化を感じられたことは嬉しいことだった。日本も日本以外のアジアを見下す姿勢を改めて、友好関係を良好に気づきながら交流していくべきだ。

 私は東京にいても、次々と出来上がる高層マンションや高層ビル、度デカい複合型スーパーに辟易し、まだ昭和の匂いを留めた鄙びた商店街や町並みを見つけては喜んでいるような懐古趣味のある人間で、はっきり言って変化は恐ろしい。私が15年程前に見た東南アジアの景色が経済の活性化で急激に変化していることも何となく寂しい。とはいえ変化を否定しても始まらず、受け入れながらも肯定的に生きないと勿体無いし、第一愚痴っぽくなってしまうのが嫌ではないか。先日娘が産まれてくれたおかげで、そういう前向きな思いは強くなった。

 まだ20歳前後の若きベトナムの子との会話から私は小さな喜びをみつけた。
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