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バンドマンに憧れて 第14話 パンク・ハードコア、インディーズ!

高校生になってから私は、ファッションオタクだった姉の影響でファッション誌なるモノを買うようになり、オシャレなヤツになるんだ、と人一倍服装に気を使うようになっていた。オシャレな格好をしてこだわりの音楽をチョイスする。これは当時のティーンの間ではありふれた発想である。

私は高校生の間はずっと地元のマクドナルドでバイトして小遣いを貯めていたが、その用途はCD購入とライブ、そして洋服を買うことでほとんどが消えていた。

オシャレ願望は相棒の松ちゃんも同時に抱えていたのでしょっちゅう連れ立って原宿や代官山へ洋服を買いに行った。洋服屋が開店する11時頃に集合してとにかくあっちの店こっちの店と歩き回り、店が閉店する20時まで飽きもせず行ったり来たりするのだ。

ロックスターはオシャレをするものだと確信していたし、パンクやモッズ、グランジなど、音楽から生まれるファッションがあることを知ったのもファッション熱に拍車をかけた。

私は生まれてこのかたずっと貧乏性という病に罹患しているのだが、洋服も新品よりも古着の方が質感、コスパの面で私を魅了したということもあり、私は安めの古着で味のあるものを探すのに精力を注いでいた。

音源を掘るときと同じく、こんな服見つけちゃいました、というのを松ちゃんなり連れの友人なりに見せては得意になった。私の通ったガリ勉高は制服だったのでオシャレを自慢できるのは学校以外の時間に限られていたが、当時撮った私服時の写真を見てみると、やたら背伸びしてオシャレしようと努めていた自分の姿に恥じらいを禁じえない。

ちなみにこの頃、私は2回ほど当時全盛期を迎えていたチーマーなる不良集団に2回ほどカツアゲにあっている。場所は今や平和さながらの原宿キャットストリートであり、信じられないかもしれないが当時は人気も店も少なく、多くの善良なる高校生がこの近辺の路地裏で小遣いを搾取されたことであろう。

さて、当時は洋服代と同程度の出費をCD購入に費やしていたわけだが、古着と同様、中古CDの存在を知った私は、新品1枚の金額で中古なら2枚、3枚、場合によっては4枚、5枚もCDが買えるのか、という事実に気がつき興奮し、CD屋通いにも次第に熱が入っていく。

中でもディスクユニオンの存在は相当デカかった。私の行動範囲では吉祥寺店が通いやすく、そこが正に聖地となり、足繁く通っては中古ロックコーナーで目を皿のようにして時間を費やした。CDの背表紙の字面をずっと眺めていると、子供の頃から胃腸の弱かった私はしばしば腹痛に襲われ、決まって向かいの伊勢丹の2階のトイレに駆け込み、いつかそのトイレも聖地化した。

私は基本的に、当時ロックのバイブルとして毎号購入し読み耽っていたロッキンオンで暗記したアーティスト名などを頼りに、ロックコーナーを全般にディグっていた。しかしレスザンTVと出会ってからはレーベルやインディーズという存在を意識するようになり買い物のガイダンスが増えた。しかもレスザンのライブに通ったりしているうちに、レスザンTVがお手本にしているアメリカのレーベルでSSTやdischordというパンク・ハードコア系のレーベルがあるということを知り、それからはその両レーベルの作品を見つけると、まるで宝物でも発見したかのような気持ちで飛びついては購入し、帰宅してすぐに聴いてピンとこなくても、いつかこのよさが分かる日が来るだろう、と考え、そのレーベルの作品をやたら神聖化するまでになっていった。

SSTもdischordもアメリカではいわゆるインディーレーベルで、そのうちにKレーベルだとかSUBPOPだとかいくつもの米インディーレーベルを知るようになり、レーベル名だけでCDを漁る"レーベル買い"なるテクニックをいつの間にか身につけ、ディスクユニオンで買わなければ気が済まないCD量も次第に増えていく一方であった。

一般の音楽好きが知らない世界に足を踏み込んでいる興奮が私を捉え、聖地ディスクユニオンの棚を徘徊するのが大学生の頃まで私の快楽の1つになっていった。もちろん他のCDショップに行くこともあったが、ディスクユニオンでは私が夢中になっていた日本のインディーズシーンの情報が豊富に仕入れられる利点もあり、他とは別格であったし、何より中古CDの価格が安かったのだ。

前回、私が夢中になったサブカル誌に関して語ったが、その中の「インディーズマガジン」は私が高校3年生になるかならぬかくらいの時期に創刊され、それを手にした時の衝撃も未だに忘れがたい。インディーズという世界をfruityやレスザンTVを通じて体験し、その世界についてもっともっと知りたい、と思っていた時期だったからなおのことであった。

それは丁度ハイスタンダードがインディーズでブイブイいわせていた時期で、第1号にはそんなハイスタの他にもGUITAR WOLF、eastern youth、ブッチャーズ、ロリータ18号、PEALOUTなどその後有名になった錚々たるバンドのインタビューが掲載されるなど、今考えてもかなり豪華な誌面になっていた。

更にインディーズマガジンには毎号、掲載アーティストの楽曲が一曲ずつ収録された付録CDがついていた。この付録CDスタイルは当時まだ例が少なく画期的で、インディーズバンドを沢山知りたいと思っていた私は本当にワクワクして毎号楽しみにしていた。そしてその付録CDで知り得たインディーズバンドの音達は、実際に私がそれまで好きだったユニコーン、スパゴー、ブルーハーツなど数々のメジャーバンドが醸し出しているロックとは全然違う雰囲気を感じた。それははちゃめちゃさだったり、繊細さだったり、バカらしさだったり、ドッキリするような詞世界だったり、今まで聞いて知ってきたロックのセオリーを覆すほどの強いインパクトをいろんなインディーズバンドが放っていた。(それでも当時はまだまだ英語で歌うバンドがインディーズにはメロコア以外でも何故か多く、そこだけはずっと私には腑に落ちなかったが…)

また、インディーズマガジンには日本の過去のインディーズシーンのことも特集されていたし、インディーズでCDを作る方法や、作ったCDを流通させる方法、インディーズでライブを企画する方法など、私が知りたかったことがぎっしり解説されていた。私はインディーズのライブに通い、インディーズマガジンを読んでいるうちに、私が当面進むべき道はこのインディーズというヤツだ、という思い込みに囚われていった。

今ではインディーズというと大して新鮮味のないカテゴリーの言葉となって久しいが、当時(95年)は割りとマニアックな音楽カテゴリーの言葉として、まだそこまで浸透していなかった。とにかく人と違うことがしたい、と思っていた私にはピッタリだったし、何よりやりたいことを躊躇なく表現しているインディーズバンド達の虜になってしまっていたのだ。

丁度同じくらいの時期に知り得た先述のアメリカ・インディーズの音と日本のインディーズの音とを聴き漁り、私は本当にインディーズが好きになってきて堪らなくなってしまった。そしてそれらインディーズバンドの個性的な音が生まれてくるのは、メジャーレコード会社による、バンドの音や見せ方への介入がまったくないことが大きな要因であることがはっきりしてきた。

私はロックシーンにメジャーとインディーズという構図あることを学び、そして個性と自由度の面ではインディーズが圧倒的に面白いものなんだ、と気づき始めた。しかも普段通っているライブハウスのシーンとインディーズシーンは直結していて、そこに代え難いリアリティーを見出し、どんどんどんどんインディーズにハマっていった。私の夢はロックスターになりロックでメシを食うことであり、その無謀な目標は中学生の頃から変わっていなかったが、ジュンスカを目指していた私は過去のものとなり、パンク・ハードコア、インディーズという世界が目の前に広がっていくのを感じた。私はここから出発し、いずれメジャーから声をかけられるような想像を逞しくし、大学に入ったらいよいよオリジナルバンドを始動させるのだ、と根拠のない自信とともに意気揚々と構えていた。


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