アクセルの意気地記 第3話
生まれてからしばらくの間、赤ちゃんは赤ちゃん用のバスタブなんかにお湯を張って沐浴をさせることになっている。沐浴なんて言葉は、20代後半、インドに自分探しの旅に行った時、ガンジス河岸でぬめった地面に足を取られ、濁った水の中にざんぶと落っこちて以来聞かなかったが、赤ちゃんの身体を洗い清めてやる時にも沐浴という言葉を使うらしい。赤ちゃん用のバスタブにお湯を溜めて、赤ちゃんの首から上が水に浸からないように片手で支えながら、もう片方の手で石鹸つけたり湯をかけてあげたりするのだが、これがなかなか難しい。
幸い、こと子はピーの里帰りで産まれたこともあり、生まれて1ヶ月半ほどは山形の彼女の実家にいたので、実はこの沐浴に関しては私は山形に行った時に1、2回やったのみである。こと子が東京に帰って来てからはもう大人と一緒に浴槽に入れてよい、ということになっていたからだ。
赤ちゃんのお風呂は旦那さんが入れるもの、とそんなルールがどうやってできたのか知らないが、昨今の子育て慣習ではそうなっているらしい。私も仕事から帰ってきてからの数時間、または休みの日しかこと子と一緒にいられない──そんな当たり前のことに今さら気づいた──ので快く風呂入れの任務を担当することになった。引き受けたはいいものの始めの頃はしょっちゅう泣かれて大変だった。抱え方が悪いからか、私が緊張してるからか、または私の洗い方が乱暴だからか、お湯が熱すぎるか、ヌルすぎるか。試行錯誤を繰り返しながらも段々慣れてきて、こと子も風呂に入れられることに慣れてきたのか大泣きの回数は減ったけど未だに頭を洗う時だけは泣かれる。
頭を最後に洗い流す時に泣かれるが、湯船に浸かると大抵、う〜、とか、あ〜とか、何か満足気な嘆息を漏らして落ち着く。これは大人と同じである。それからこと子が溺れないように私はこと子の両脇を抱えながら話しかけたり、話しかけなかったりし、その間こと子は風呂温度調整の為に購入した細長いプラ製の湯温計を握り、それを弄ぶか、それを片方の手で握りながら、もう片方の手で栓の鎖に手を伸ばすので、鎖にこと子を近づけて握らせてやる。大体そういうモノを握らせていれば大人しくしていてくれる。
赤ちゃんはのぼせやすいというので、数分してこと子の身体に赤みが浮かんできたら抱きあげて母ちゃんを呼ぶ。タオルを抱えたピーにこと子を渡すとその時は何故か毎回、ご苦労であった、と言わんばかりに快心の笑みを私に向ける。そしてそのまま温度計を握っているのでそれを奪い返したり、そのままにしたりする。先日、その温度計がこと子の手から滑り落ちて私の足の甲に落下して思わず声をあげた。温度計は壊れなかったが足の甲に青アザができた。
大晦日でこと子は6ヶ月になった。腰も安定してきて抱っこするのが楽になった。元旦には私が毎年年始に初日出を拝みに訪れる御岳山の御嶽神社に、こと子を連れて行って初詣をした。昨年は身重のピーと共に訪れているのでこと子はその時はお腹の中にいたことになる。
御岳山山頂で初日出を拝むには、夜中から動き出さないといけない。未明の山頂の外気は低すぎるので、今年はこと子のことも、授乳させるピーのことも心配で、初日の出は諦めて1日の昼に参拝することにした。山頂の御嶽神社には、ケーブルカーの降り口から30分弱だが舗装道を歩いて上がって行かねばならない。張り切った私が抱っこ紐でこと子を抱えて上がった。山上の澄んだ空気を存分に味合わせてやろうと思ってたがこと子はほとんど寝ていた。
あくる日、ピーがこと子を連れて帰省した。私は仕事の都合で行かれなかったのだが、その約1週間ほどの帰省から帰ってきてこと子は俄かに人間味を帯びてきた。ような気がした。発声のバリエーションが増えて言葉にならないながらもよく喋るようになり、ずり這いで動き回る。そして何より嬉しいのが、パパ見知りしたあの日はどこへやら、私の存在を明確に認識し出して笑みを浮かべるようになったことだ。少し離れた位置からでも私なりピーなりを見つけると、豪快に笑顔を見せるようになったし、ずり這いで我々のところに一直線に向かってきたりする。こちらの問いかけに何となく反応する。いつ話し出したり、歩き出したりするのか分からないが、そうなったらどれだけ楽しいのだろうと、こと子の微妙な進化を目の当たりにしてワクワクしながら、同時にもう少しゆっくりでいいぞ、と時の経過の早さにビビってもいる。
前回、娘は恋人、という戯言を述べたが、そのバカらしい仮定は日々強まって否定する方が難しくなってきた。だから肯定するしかない。そして親バカにはなりたくない、とも思っていたが、それも否定する方が虚しい気もしてきたので親バカで上等ということにする。娘が可愛いか、と尋ねられようもんなら、可愛い、カワイイ、かわゆい、キャワイイ、何でもいいけど、100回くらい繰り返し言えそうなくらい可愛い。これは動物的本能なんだから仕方ないではないか。でもこの親愛なる感情ばかりは子供ができる前には想像しきれなかった。
それだけではなくて、こと子が生まれて日々接してる内に、元々持ってた子供アレルギーみたいなものがなくなってきた。歪な青年時代を送った私にとって、長らくの間、子供または幼児とコミュニケーションを取ることは何かしらのハードルがあった。バカにされたらどうしようとか、どんな風に話しかけたらいいんだろう、とか、余計なことばかり考えて頭でっかちになって自分の殻を破れない。しかし、そんな苦手意識もこと子の世話をしてる内にどこかへ行ってしまって、前まで何故あんなに悩んでいたのか分からない。でちゅまちゅ的な発話でさえ今なら造作もない。
他人の子の可愛さが分からない、という類いのことを言い出すオトコは結構多くて、自分も多分に漏れずそんな感じになるのかな、と思っていたが、これもこと子の世話をしているウチに赤ちゃんとか子供の、その存在自体の可愛らしさというものに気づいてしまい、もう、とにかく子供は可愛いや、ということになってしまった。
仕事で運転などしていて窓外にすれ違う、鮮やかな、お揃いの色の帽子を被って連なって歩く、またはトロッコに乗せられて運ばれてゆく保育園児たちを見てはうっとりし、町や公園で見かけるガキどものたわいもない、または超ハイテンションなやり取りを見てニンマリし、果ては、これは子供とはいえないけど、高校生カップルの初々しい恋愛姿などを見てホンワカした気持ちになったり。どうやらこの感覚はピーも同じであるらしく、2人乗りで自転車をこぐ高校生のカップルとすれ違った後にお互い顔を見合わせて、いいよね〜、とこの温かい気持ちを確かめ合ったりした。
赤ちゃんや幼児の成長は早いというが、半年を過ぎたこと子を観察していると、なるほど、あっという間に大きくなってしまいそうである。この稿を認めてる間にもこと子は刻一刻と変化し成長してしまうのであって、そうだとすると、私の記録したいことも、そうこうしているウチに遂に書ききれぬまま、先に急がねば追いつけなくなりそうで心配である。
幸い、こと子はピーの里帰りで産まれたこともあり、生まれて1ヶ月半ほどは山形の彼女の実家にいたので、実はこの沐浴に関しては私は山形に行った時に1、2回やったのみである。こと子が東京に帰って来てからはもう大人と一緒に浴槽に入れてよい、ということになっていたからだ。
赤ちゃんのお風呂は旦那さんが入れるもの、とそんなルールがどうやってできたのか知らないが、昨今の子育て慣習ではそうなっているらしい。私も仕事から帰ってきてからの数時間、または休みの日しかこと子と一緒にいられない──そんな当たり前のことに今さら気づいた──ので快く風呂入れの任務を担当することになった。引き受けたはいいものの始めの頃はしょっちゅう泣かれて大変だった。抱え方が悪いからか、私が緊張してるからか、または私の洗い方が乱暴だからか、お湯が熱すぎるか、ヌルすぎるか。試行錯誤を繰り返しながらも段々慣れてきて、こと子も風呂に入れられることに慣れてきたのか大泣きの回数は減ったけど未だに頭を洗う時だけは泣かれる。
頭を最後に洗い流す時に泣かれるが、湯船に浸かると大抵、う〜、とか、あ〜とか、何か満足気な嘆息を漏らして落ち着く。これは大人と同じである。それからこと子が溺れないように私はこと子の両脇を抱えながら話しかけたり、話しかけなかったりし、その間こと子は風呂温度調整の為に購入した細長いプラ製の湯温計を握り、それを弄ぶか、それを片方の手で握りながら、もう片方の手で栓の鎖に手を伸ばすので、鎖にこと子を近づけて握らせてやる。大体そういうモノを握らせていれば大人しくしていてくれる。
赤ちゃんはのぼせやすいというので、数分してこと子の身体に赤みが浮かんできたら抱きあげて母ちゃんを呼ぶ。タオルを抱えたピーにこと子を渡すとその時は何故か毎回、ご苦労であった、と言わんばかりに快心の笑みを私に向ける。そしてそのまま温度計を握っているのでそれを奪い返したり、そのままにしたりする。先日、その温度計がこと子の手から滑り落ちて私の足の甲に落下して思わず声をあげた。温度計は壊れなかったが足の甲に青アザができた。
大晦日でこと子は6ヶ月になった。腰も安定してきて抱っこするのが楽になった。元旦には私が毎年年始に初日出を拝みに訪れる御岳山の御嶽神社に、こと子を連れて行って初詣をした。昨年は身重のピーと共に訪れているのでこと子はその時はお腹の中にいたことになる。
御岳山山頂で初日出を拝むには、夜中から動き出さないといけない。未明の山頂の外気は低すぎるので、今年はこと子のことも、授乳させるピーのことも心配で、初日の出は諦めて1日の昼に参拝することにした。山頂の御嶽神社には、ケーブルカーの降り口から30分弱だが舗装道を歩いて上がって行かねばならない。張り切った私が抱っこ紐でこと子を抱えて上がった。山上の澄んだ空気を存分に味合わせてやろうと思ってたがこと子はほとんど寝ていた。
あくる日、ピーがこと子を連れて帰省した。私は仕事の都合で行かれなかったのだが、その約1週間ほどの帰省から帰ってきてこと子は俄かに人間味を帯びてきた。ような気がした。発声のバリエーションが増えて言葉にならないながらもよく喋るようになり、ずり這いで動き回る。そして何より嬉しいのが、パパ見知りしたあの日はどこへやら、私の存在を明確に認識し出して笑みを浮かべるようになったことだ。少し離れた位置からでも私なりピーなりを見つけると、豪快に笑顔を見せるようになったし、ずり這いで我々のところに一直線に向かってきたりする。こちらの問いかけに何となく反応する。いつ話し出したり、歩き出したりするのか分からないが、そうなったらどれだけ楽しいのだろうと、こと子の微妙な進化を目の当たりにしてワクワクしながら、同時にもう少しゆっくりでいいぞ、と時の経過の早さにビビってもいる。
前回、娘は恋人、という戯言を述べたが、そのバカらしい仮定は日々強まって否定する方が難しくなってきた。だから肯定するしかない。そして親バカにはなりたくない、とも思っていたが、それも否定する方が虚しい気もしてきたので親バカで上等ということにする。娘が可愛いか、と尋ねられようもんなら、可愛い、カワイイ、かわゆい、キャワイイ、何でもいいけど、100回くらい繰り返し言えそうなくらい可愛い。これは動物的本能なんだから仕方ないではないか。でもこの親愛なる感情ばかりは子供ができる前には想像しきれなかった。
それだけではなくて、こと子が生まれて日々接してる内に、元々持ってた子供アレルギーみたいなものがなくなってきた。歪な青年時代を送った私にとって、長らくの間、子供または幼児とコミュニケーションを取ることは何かしらのハードルがあった。バカにされたらどうしようとか、どんな風に話しかけたらいいんだろう、とか、余計なことばかり考えて頭でっかちになって自分の殻を破れない。しかし、そんな苦手意識もこと子の世話をしてる内にどこかへ行ってしまって、前まで何故あんなに悩んでいたのか分からない。でちゅまちゅ的な発話でさえ今なら造作もない。
他人の子の可愛さが分からない、という類いのことを言い出すオトコは結構多くて、自分も多分に漏れずそんな感じになるのかな、と思っていたが、これもこと子の世話をしているウチに赤ちゃんとか子供の、その存在自体の可愛らしさというものに気づいてしまい、もう、とにかく子供は可愛いや、ということになってしまった。
仕事で運転などしていて窓外にすれ違う、鮮やかな、お揃いの色の帽子を被って連なって歩く、またはトロッコに乗せられて運ばれてゆく保育園児たちを見てはうっとりし、町や公園で見かけるガキどものたわいもない、または超ハイテンションなやり取りを見てニンマリし、果ては、これは子供とはいえないけど、高校生カップルの初々しい恋愛姿などを見てホンワカした気持ちになったり。どうやらこの感覚はピーも同じであるらしく、2人乗りで自転車をこぐ高校生のカップルとすれ違った後にお互い顔を見合わせて、いいよね〜、とこの温かい気持ちを確かめ合ったりした。
赤ちゃんや幼児の成長は早いというが、半年を過ぎたこと子を観察していると、なるほど、あっという間に大きくなってしまいそうである。この稿を認めてる間にもこと子は刻一刻と変化し成長してしまうのであって、そうだとすると、私の記録したいことも、そうこうしているウチに遂に書ききれぬまま、先に急がねば追いつけなくなりそうで心配である。
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