バンドマンに憧れて 第21話 アウトサイダーに憧れて
少しまた話しが戻ってしまうのだが、大学在学中に私はインディーズ研究会というサークルを作り、インディーカルチャー好きの友達を得て、音楽だけではなくガロ系の漫画、単館系のインディー映画などにも相当のめり込んでいた。心の何処かにアート関連の造詣を積んでおきたい、という欲求があったことは間違いないが、有り余る時間の潰し方として自分はスポーツも麻雀もやらず、カラオケも合コンも行かず、むしろそういう俗っぽい遊びを避けてかっこつけたかった、というのもあったかもしれない。私はその頃から、バンドマンになりたい、という夢と同時にアウトサイダーになりたい、という漠然とした、曖昧模糊とした欲望を抱くようになっていた。
そんなとある日、サークルの友人とライブを観に行くために下北沢に日中から繰り出した。駅を降り南口改札を出てみると辺りが物騒な雰囲気に包まれているようだった。通行人が何かを避けて行き来してるのが分かり、その避けている対象が血まみれの白衣を着た男であることが分かった。そしてその血まみれ白衣の横にはアイスピックを片手に「オレがやった…、オレがやった…」と誰に言うでもなく周囲にブツブツ吐き散らしている男がいる。
その異様な光景に私も初めはゾッとしたが、すぐに、その2人の近くでチラシを配ってるスタッフの様なのがいることに気づいた。それで私はこれは事件ではなくヤラセだと判断できたものの、そのハプニング的パフォーマンスに面白みを見つけ、とりあえずチラシをもらった。何やら劇団のような集団の公演のチラシだ。そこには劇団Tと書いてあった。
私は後日、同じ友人と連れ立って下町の元銭湯を改装した寄席のようなところへ潜入した。劇団Tの公演を観るためだ。その日見た、ほとんど意味の分からないショートショートの演目に、我々は衝撃を受けた。シュールでサブカル風味に覆われた怒涛のパフォーマンスの連続に、強烈なアンダーグラウンド臭を嗅ぎ取った私は劇団Tの虜になった。
その頃の私は興味が湧くととことん前のめりになって追求する体力に満ち溢れており、劇団Tの公演に関してもその後足繁く通うこととなり、その内にメンバーの方々とも話すようになり、遂には学園祭に招聘して公演を企画したこともあった。劇団Tのメンバーは流動的ではあったが大体10人前後という感じだったが、皆アウトロー臭を全開に湛えており、かつ音楽やアート全般への造詣が深く、私はこの人達と一緒にいたら自分もアウトローになれるのではないか、と思って彼らの周辺をウロウロした。レスザンTVの界隈をウロついたのと同じように。
実際彼らからビートニクのことや日本のダダ的な文化だったり、ドラッグカルチャー、マニアックな映画や音楽についていろいろ教えてもらった。彼らが主流の演劇シーンやひいては面白みのない世間一般に対し、バカを徹底しながら中指を立てている感じは、私に非常にパンク的なものを感じさせたし、またジャンル的には凝り固まってしまいがちなパンクよりも過激に映ることもあった。
私と友人は劇団Tの周辺をウロついてるうちに、彼らからちょっと手伝わないか、と声をかけられ、演目の端役で出演したり、照明などを手伝うようにもなっていった。私はあわよくばこの集団の仲間に加えてもらいたかったが、最終的にはボランティアで手伝いばかりさせられてしまうのが何だか納得がいかず、次第に次第に距離を取るようになってしまった。
しかし、彼らのアウトロー風情にかなり影響を受けたのは事実で、その影響でみっともない経験をしている。1つはナンパである。劇団Tのメンバーでナンパ師の風貌とはまったく程遠いA氏B氏が、しょっちゅう打ち上げの席でナンパ武勇伝を話していた。A氏もB氏もイケメンではなかったが、ギャグセンスが突出していて、こんな2人にナンパされたら意外性込みで、自分が女子だったらついて行っちゃうかも、とすら思えた。
私は大学卒業後に同居を始めていた初心者ドラマーのシマケンと、このA氏B氏のギャグセンスに心酔していて、彼らの口癖を真似するようにまでなっていた。そしてオレ達もナンパをしよう、ということになったのだ。この時、それまでの自分の価値観ではあり得ないと思っていたナンパというものに手を出してみたきっかけも、アウトローへの憧れが大いに混じっていた。
例えばビート文学で有名なブコウスキーが、"次々と女とヤる話し"だったり、名脇役俳優の殿山泰司が自著で綴る"チャンネエとオネンネする話し"だったり、そういった裏街道の粋なオトコ達の因果な所業に憧れたのだ。オレもスケコマシの端くれになってやろう、という訳である。柄になくとも20代の男子、性欲ははち切れんばかり。オトコの価値は抱いた女の数だ、なんて下らないことまで考えていたのだ…。(後々、このオトコの価値は抱いた女の数よりダチの数、に訂正されることに…)
ところがロックンローラーなどという好んで人前ではしゃぐ様なことに恥ずかしさを感じなかった自分なのに、ナンパとなるととても1人では無理だと思った。なので、シマケンを連れて行くことにした。シマケンは自分と笑いのツボが同じだったし、女好きだったし、ノリも紙ペラのように軽かったのですぐに、いいねやろうやろう、ということになったのだ。
西荻に住んでいた我々はバイトを終えて、若者が沢山集う吉祥寺に繰り出し、丸井から井の頭公園に向かう伊勢屋の通りや、北口のPARCOの周辺で勢いだけで声をかけ始めた。今時の女子というよりは多少サブカル臭を感じさせる子ならなんとかなるのではないか。淡い期待を抱いて頑張ったが、当然なかなかうまくいかない。
結局、2、3度の出陣で2人組を2組捕まえて、1組とは柄にもなくプリクラを撮り、その後その内の1人と後日お食事をしたのだが、全然話が盛り上がらなくてそれっきり、もう1組は、シマケンとはぐれて、私と地味な女の子2人きりになり、何と夜中に自宅まで連れて行ったものの、ギターやるんだ、何か弾いてよ、と言われ、そういうのは不得意中の不得意だったのに無理して1曲ポロポロと爪弾き、特にエロい気分になることもなく、何もせずに終わった。
これだけ労力をかけてHも果たせず、食事するにしても、まあ大体ナンパなんていったらご馳走するのが当たり前だし、奢ったりしてつまらない話をするくらいなら始めからナンパなんてしなくていいし、根がどこかクソ真面目な自分の性質を諦めて認め、軽妙洒脱でアウトローな色男を目指すなど身の程知らずなのだと認めざるを得なかったのだ。
ちなみに前回書いたバイト先の浜っ子のギャングスタに連れていかれたガスパニックで、ちょっとでもナンパを試みたのも、この吉祥寺ナンパの経験があったからだったと思うが、いずれにしても何とも言えない恥ずかしい思い出である。
もう一つ劇団Tからの影響で体験したみっともないこと、というのが万引きである。私は22か23歳の頃に万引きをして危うく捕まりそうになる経験をしているのだ。
劇団Tの準メンバーに某舞踏団で活動する方がいて、ヤクザな見た目と裏腹に物凄く優しい方だったのだが、彼が万引きの常習者、というか、万引きを万引きと感じさせない極めて自然な所作でモノを盗んでしまう。私も彼が外で販売されてた、積み上げられた弁当を1つ、目の前でそっと何気なく盗るのを見たことがあり、その何気なさと彼の無邪気さに感動したことがある。
私は罪とは何であろうかと考えた。万引きは悪いこと、犯罪、というのは小学生の頃から叩き込まれてるし、反論はない。しかし、彼のような、放浪乞食的な風情には、一般の道徳では括りきれない何かがあるのではないか、と真剣に考え、私もそれを真似してみようか、と更に考えを進めてしまったのだ。人を殺したり、傷つけたりするわけでもない。過剰消費社会の片隅で、オコボレをかき集めて生き延びるのは1つのアウトローの生き方だろう。
そんなことを考えていたある日、西荻駅前のリサイクル屋に入って商品を物色し、オーナーらしき店員のオヤジに何か商品について質問したら、余りにも横柄な返答をされて私は憤慨した。そして、その腹いせに私は外に陳列されていた500円のスニーカーをそっと掴むとそのまま店を出て家の方に歩いて行った。心臓がバクバクと波打つのが分かったが走らず、冷静を装った。すると100mも歩かないうちに、さっきの店のオヤジが後ろから走って追いかけてくるのに気づいた。バレてた。咄嗟の判断で私は立ち止まった。逃げきる自信もないし、逃げたら余計ややこしい感じになる気がしたので立ち止まってオヤジを待った。
私のところまで来たオヤジが私にどんな説教をしたのか、今となっては思い出せない。しかし、警察には届け出ないからちゃんと金を払え、というようなことを言い、私は、すいません、と謝って500円を渡した。私は消え入りたいような情け無さの中で、もう2度と万引きなどしないことを誓った。
ナンパも万引きも、私が乗りこなせる技術ではなく、アウトサイダーに憧れた成れの果てがこんなんじゃあ目も当てられない。しかし、この時期の私は、自分の殻を破るためにもがいていた。自分に似つかわしくなくても思いついたことを実行してみたかったのだ。そして、その結果、無理して自分を変えようとしても無駄なのだ、ということをいい歳になって身を以て学んだのだ。
とはいえ、レスザンTVや劇団Tなどの少しブッとんだ先輩方と接することで、私は、常識は疑うもの、という現在の自分にも引き継がれている思想を学んだ。常識通り、大学を卒業したら社会人になる、という生き方以外の道は歴然と存在していて、その中でどういう生き方を選ぶのかは自分次第なのである。私の社会人生活は斯様に無様に幕を開けていったのだった。
つづく
そんなとある日、サークルの友人とライブを観に行くために下北沢に日中から繰り出した。駅を降り南口改札を出てみると辺りが物騒な雰囲気に包まれているようだった。通行人が何かを避けて行き来してるのが分かり、その避けている対象が血まみれの白衣を着た男であることが分かった。そしてその血まみれ白衣の横にはアイスピックを片手に「オレがやった…、オレがやった…」と誰に言うでもなく周囲にブツブツ吐き散らしている男がいる。
その異様な光景に私も初めはゾッとしたが、すぐに、その2人の近くでチラシを配ってるスタッフの様なのがいることに気づいた。それで私はこれは事件ではなくヤラセだと判断できたものの、そのハプニング的パフォーマンスに面白みを見つけ、とりあえずチラシをもらった。何やら劇団のような集団の公演のチラシだ。そこには劇団Tと書いてあった。
私は後日、同じ友人と連れ立って下町の元銭湯を改装した寄席のようなところへ潜入した。劇団Tの公演を観るためだ。その日見た、ほとんど意味の分からないショートショートの演目に、我々は衝撃を受けた。シュールでサブカル風味に覆われた怒涛のパフォーマンスの連続に、強烈なアンダーグラウンド臭を嗅ぎ取った私は劇団Tの虜になった。
その頃の私は興味が湧くととことん前のめりになって追求する体力に満ち溢れており、劇団Tの公演に関してもその後足繁く通うこととなり、その内にメンバーの方々とも話すようになり、遂には学園祭に招聘して公演を企画したこともあった。劇団Tのメンバーは流動的ではあったが大体10人前後という感じだったが、皆アウトロー臭を全開に湛えており、かつ音楽やアート全般への造詣が深く、私はこの人達と一緒にいたら自分もアウトローになれるのではないか、と思って彼らの周辺をウロウロした。レスザンTVの界隈をウロついたのと同じように。
実際彼らからビートニクのことや日本のダダ的な文化だったり、ドラッグカルチャー、マニアックな映画や音楽についていろいろ教えてもらった。彼らが主流の演劇シーンやひいては面白みのない世間一般に対し、バカを徹底しながら中指を立てている感じは、私に非常にパンク的なものを感じさせたし、またジャンル的には凝り固まってしまいがちなパンクよりも過激に映ることもあった。
私と友人は劇団Tの周辺をウロついてるうちに、彼らからちょっと手伝わないか、と声をかけられ、演目の端役で出演したり、照明などを手伝うようにもなっていった。私はあわよくばこの集団の仲間に加えてもらいたかったが、最終的にはボランティアで手伝いばかりさせられてしまうのが何だか納得がいかず、次第に次第に距離を取るようになってしまった。
しかし、彼らのアウトロー風情にかなり影響を受けたのは事実で、その影響でみっともない経験をしている。1つはナンパである。劇団Tのメンバーでナンパ師の風貌とはまったく程遠いA氏B氏が、しょっちゅう打ち上げの席でナンパ武勇伝を話していた。A氏もB氏もイケメンではなかったが、ギャグセンスが突出していて、こんな2人にナンパされたら意外性込みで、自分が女子だったらついて行っちゃうかも、とすら思えた。
私は大学卒業後に同居を始めていた初心者ドラマーのシマケンと、このA氏B氏のギャグセンスに心酔していて、彼らの口癖を真似するようにまでなっていた。そしてオレ達もナンパをしよう、ということになったのだ。この時、それまでの自分の価値観ではあり得ないと思っていたナンパというものに手を出してみたきっかけも、アウトローへの憧れが大いに混じっていた。
例えばビート文学で有名なブコウスキーが、"次々と女とヤる話し"だったり、名脇役俳優の殿山泰司が自著で綴る"チャンネエとオネンネする話し"だったり、そういった裏街道の粋なオトコ達の因果な所業に憧れたのだ。オレもスケコマシの端くれになってやろう、という訳である。柄になくとも20代の男子、性欲ははち切れんばかり。オトコの価値は抱いた女の数だ、なんて下らないことまで考えていたのだ…。(後々、このオトコの価値は抱いた女の数よりダチの数、に訂正されることに…)
ところがロックンローラーなどという好んで人前ではしゃぐ様なことに恥ずかしさを感じなかった自分なのに、ナンパとなるととても1人では無理だと思った。なので、シマケンを連れて行くことにした。シマケンは自分と笑いのツボが同じだったし、女好きだったし、ノリも紙ペラのように軽かったのですぐに、いいねやろうやろう、ということになったのだ。
西荻に住んでいた我々はバイトを終えて、若者が沢山集う吉祥寺に繰り出し、丸井から井の頭公園に向かう伊勢屋の通りや、北口のPARCOの周辺で勢いだけで声をかけ始めた。今時の女子というよりは多少サブカル臭を感じさせる子ならなんとかなるのではないか。淡い期待を抱いて頑張ったが、当然なかなかうまくいかない。
結局、2、3度の出陣で2人組を2組捕まえて、1組とは柄にもなくプリクラを撮り、その後その内の1人と後日お食事をしたのだが、全然話が盛り上がらなくてそれっきり、もう1組は、シマケンとはぐれて、私と地味な女の子2人きりになり、何と夜中に自宅まで連れて行ったものの、ギターやるんだ、何か弾いてよ、と言われ、そういうのは不得意中の不得意だったのに無理して1曲ポロポロと爪弾き、特にエロい気分になることもなく、何もせずに終わった。
これだけ労力をかけてHも果たせず、食事するにしても、まあ大体ナンパなんていったらご馳走するのが当たり前だし、奢ったりしてつまらない話をするくらいなら始めからナンパなんてしなくていいし、根がどこかクソ真面目な自分の性質を諦めて認め、軽妙洒脱でアウトローな色男を目指すなど身の程知らずなのだと認めざるを得なかったのだ。
ちなみに前回書いたバイト先の浜っ子のギャングスタに連れていかれたガスパニックで、ちょっとでもナンパを試みたのも、この吉祥寺ナンパの経験があったからだったと思うが、いずれにしても何とも言えない恥ずかしい思い出である。
もう一つ劇団Tからの影響で体験したみっともないこと、というのが万引きである。私は22か23歳の頃に万引きをして危うく捕まりそうになる経験をしているのだ。
劇団Tの準メンバーに某舞踏団で活動する方がいて、ヤクザな見た目と裏腹に物凄く優しい方だったのだが、彼が万引きの常習者、というか、万引きを万引きと感じさせない極めて自然な所作でモノを盗んでしまう。私も彼が外で販売されてた、積み上げられた弁当を1つ、目の前でそっと何気なく盗るのを見たことがあり、その何気なさと彼の無邪気さに感動したことがある。
私は罪とは何であろうかと考えた。万引きは悪いこと、犯罪、というのは小学生の頃から叩き込まれてるし、反論はない。しかし、彼のような、放浪乞食的な風情には、一般の道徳では括りきれない何かがあるのではないか、と真剣に考え、私もそれを真似してみようか、と更に考えを進めてしまったのだ。人を殺したり、傷つけたりするわけでもない。過剰消費社会の片隅で、オコボレをかき集めて生き延びるのは1つのアウトローの生き方だろう。
そんなことを考えていたある日、西荻駅前のリサイクル屋に入って商品を物色し、オーナーらしき店員のオヤジに何か商品について質問したら、余りにも横柄な返答をされて私は憤慨した。そして、その腹いせに私は外に陳列されていた500円のスニーカーをそっと掴むとそのまま店を出て家の方に歩いて行った。心臓がバクバクと波打つのが分かったが走らず、冷静を装った。すると100mも歩かないうちに、さっきの店のオヤジが後ろから走って追いかけてくるのに気づいた。バレてた。咄嗟の判断で私は立ち止まった。逃げきる自信もないし、逃げたら余計ややこしい感じになる気がしたので立ち止まってオヤジを待った。
私のところまで来たオヤジが私にどんな説教をしたのか、今となっては思い出せない。しかし、警察には届け出ないからちゃんと金を払え、というようなことを言い、私は、すいません、と謝って500円を渡した。私は消え入りたいような情け無さの中で、もう2度と万引きなどしないことを誓った。
ナンパも万引きも、私が乗りこなせる技術ではなく、アウトサイダーに憧れた成れの果てがこんなんじゃあ目も当てられない。しかし、この時期の私は、自分の殻を破るためにもがいていた。自分に似つかわしくなくても思いついたことを実行してみたかったのだ。そして、その結果、無理して自分を変えようとしても無駄なのだ、ということをいい歳になって身を以て学んだのだ。
とはいえ、レスザンTVや劇団Tなどの少しブッとんだ先輩方と接することで、私は、常識は疑うもの、という現在の自分にも引き継がれている思想を学んだ。常識通り、大学を卒業したら社会人になる、という生き方以外の道は歴然と存在していて、その中でどういう生き方を選ぶのかは自分次第なのである。私の社会人生活は斯様に無様に幕を開けていったのだった。
つづく
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